第四十一話 俺が止めた
「アハハハハ……。参ったなぁ、おにぃちゃん強すぎるヨ」
「不安はヒトを成長させる。故にヒトは、それと向き合い戦わねばならない。だが、お前が抱くその感情その絶望は、私に向けられたモノではない。お前は一体何と戦っている」
雨の降る地面に転がっていたアルデンテが徐ろに立ち上がる。
「アハ。ひょっとして、自分に絶望しろって言いたいノ? 確かにボクの実力じゃァ勝てないかもだけど、勝つまでやるから絶望なんてしませン」
胸ぐらを掴まれ、持ち上げられる。
「諦めが絶望を生み、絶望がヒトを逃避させる。どの道逃げたいというのであれば選ばせてやる。どう死にたいのかを」
死ぬことと逃げること。強者はそれが同義であるようかのように口にする。
「アハハ。結局それって、選択肢ないよネ。というか、諦めないヨ」
どれだけ圧倒されていようが死ぬことはないと知るアルデンテは、飄々と言葉を返した。
「ここで死ぬか私の元で死ぬか、選べ」
「しつこいなァ……どっちもお断りだってば」
強者は驚いたように眉根を動かし少年を投げた。
「死に執着しないとは珍しい妖狐が居たものだな」
鼻を掻きながらボソッと呟く。
「これは出直してくるか……?」
「ボクが妖狐だと知った上で死に方を選ばせてくれるなんて、おにぃちゃん優しいネ。それとも、何かの作戦だったりすル?」
読み合いすら楽しもうとするあまり少年は口角を上げ、月隠れの夜に剣を輝かせた。
強者はその姿を見ると出直しても変わらないと悟ったのか、アルデンテの戦意をヒザ蹴り一発で沈め、本題に切り込んだ。
「単刀直入に聞く。我が軍門に下る気はないか? 全てはやれんが強さに見合うだけの望みは叶えてやれるぞ」
「誰かに叶えて貰えるような高尚な望みは持ち合わせていない。生憎ネ!」
断りを入れながら斬りかかった少年が、片手で吹き飛ばされ地面とひとつになった。
「私からすれば貴様もただのヒトの子よ。ダメなら他を当たるのみだがぁ……さて、どうしたものか」
「ボクが、ヒトの子……? アハハ、よく見てよ、狐じゃん! 化け狐っ! しっぽも、ミミだってあるンだよ? 大丈夫かあ。どこからどうみてもボクは」
「ヒトだ。ヒト語を話しヒトに愛されるヒトのコだ」
強者の返答は力強かった。
アルデンテは高揚も緊張も解けてへたりと座り込む。
他人に亜人扱いされるのは始めてだった。
気の抜けるような思いと同時に理解に苦しんだ。同類に扱われているのに悪い気がしなかったのだ。
「どうして? 分からないな。おにぃちゃんにとっての境界線はどこからなのさ」
「狭い檻の中で力や技、頭脳を競い合える者たちがヒトである。自分が人外であるとでも思ったか? たわけ。増長するのも大概にしろ。ヒトという檻の外にいる者たちこそ人外と呼ぶべき存在だ。稚気じみた貴様の実力では、檻の枠組みにすら手は届かん」
言われっぱなしだと感じる事はあっても、少年には何も言葉が出てこなかった。
「貴様が妖狐族のそれで、どんな思いを抱き、どんな過去を背負っていようが、同情する気は微塵もない。だが、このままでは貴様もただのヒトだぞ。悔しいとも思わないのか。誰かの記憶に残る事があって、死んで惜しむ者たちが居たとしても、替えが効く集合体の一部でしかない。そう言われて何も感じないのか?」
見下すような強者の目が冷たく刺さる。
端から同情など求めていない。なのに、戦い以外の部分をアタマは考えてしまう。
「ボクたちはヒトとは相容れない生き物、人外だ。それを弱いからってヒトに括られるのムカつくよ。ボクだって──」
「──たちではなくお前の話をしている」
強者は否定した。その圧に、アルデンテの頭が上がらなくなる。
「そもそもだ! ヒトは元より違っている。見た目、性格、強さ、賢さ、環境、人柄、立場、正義、定義、目標、指針、親愛、友情、希望、信仰、教養、障害、能力、時間、運命。それらはヒトの数だけ形を変えて現れる。ヒトは皆違うのだ。貴様ら妖狐だけが違うなどとおこがましいにも程があろう。同じ檻の中で一番を目指すなら無理に止めはしないが、どうせ違うなら実力で超えるべきだ。ただ純粋に、ヒトを超えた存在になりたくば導いてやる」
比べるまでもなく違うのだから強さで違いを見せつけろ。そんな謳い文句の誘いだった。
「ヒトを超えた人外……。考えた事も無かったナ」
「決断は早い方がいい。ヒトのままではこの世界で生きづらくなるぞ?」
強者はニヤリと笑い、背後から奇襲する数体のアンデッドを一瞬で砕いた。戦いの最中にアンデッドは一度も見せていないのに不意打ちを見破られたのだ。
アルデンテはポカンと口を開けた。
それを見て強者は意気揚々と語り始める。
「何が起きたか分からないと言った顔だな。┠ 威圧 ┨だ。それも特別なやつのな。それといい事を教えてやろう。ヒトはいずれ、畏れと敬意を込めてこの私を〝王〟と呼ぶ事になる」
アルデンテはさほど興味無さそうであったが、強者は王を目指す男である事が分かった。王を目指す男は空気も読まず続ける。
「そこには亜人も魔人も竜人も、妖狐だって関係ない国ができる。私は私を崇め奉る者たちの王となる。私に冷遇されて死ぬまで肩身の狭い思いはしたくないだろう? ……俺かてグレイプの息子を足蹴にはしたくない」
今度ばかりは聞き捨てなかなかったアルデンテの目の色が変わる。
「おにぃちゃん、何者……?」
これは言っちゃいけないやつだったと男は改めてからわざとらしい咳払いで誤魔化した。だが、じっと目を見られ観念した。
「……ええい、やめだやめぇ! 隠すのはなしにしよう。グレイプは立派な女性であった。その後釜を継げるのは息子のお前でなくてなんとする! 望みを言え! 何をすれば俺の元へ来る?」
男が懇願し始め、何故だか優位な立場が逆転してきた。身振り手振りが激しめになってきた強者にアルデンテは即答した。
「歯応えのある奴と戦いたい。けど、負けるのはイヤだ。だから勝ちたい」
「圧倒されてなお立ち上がる理由はそれか。それで」
「おにぃちゃんを殺ス機会をくれ。無理でも殺ス。死んでも殺ス。ボクのコレクションにしたい、いやする。それが条件」
執拗なまでの殺害予告。一瞬の間を経て、男は天に向かって笑い飛ばした。
「……ヌぁハッハッハッハ!! イイ! よいぞ! やはり彼女の息子だ。ヒトギライだった頃のアイツの写し身か貴様は」
心底愉快そうに笑う強者を少しも理解出来ないとアルデンテは首を傾げる。
「俺が何者かと訊いたな? それを決めるのはお前たち未来の〝ヒト〟だ。喜べヒトの子よ、お前への褒美はいま決まった。名実ともに世界を馳せる王として私が認められたその時、お前の望みは叶えられる」
座り込む少年の前に強者はそびえ立ち真剣な面持ちで宣言する。
「不老長寿の長の子よ。死を語るには若すぎる。狂気に堕ちるには早すぎる。ヒトを見限るには浅すぎる。一族の妄念に取り憑かれる代わりに自らを見失ったお前に言い渡す。私の部下としてその足で大海を渡り、本来の世界を見よ。そして、己を超える実力者共と戦い続けるのだ。勝つことは当然だが、幾度と敗北し最後に勝ち取るだけでは足りん。勝ち越せッッッ!!! 負けたら負けた分を上回る勝ちを積め! 奪い続けろッ! これはその為の契約だ」
そして、手を差し伸べた。
「来たるべき日に、王となった俺を討つ好機をお前への褒美とする。無論、無抵抗でヤラれるつもりはないので覚悟しておけ友よ」
「アハハ。じゃァボクも、その時までに人外ってヤツになってみるヨ。おにぃちゃんを倒せるように人外の仲間たちも集めておく」
「なにっ! ひとりじゃないのか!?」
「ひとりで挑むなんて言ってないし」
「し、しかしぃ……人外を複数人相手取るとなると、さすがの私であってもマジ死んじゃうというか何というか……」
少年は貰った言葉の意味を深くは考えなかった。ただ、そっちの方が楽しそうだと思ってその手を掴んだ。母の言う通り、自分の思うままに生きた。
「あ。でも場所とか日時とかこっちで決めていいんなら、ワンチャンあるかもだから……ルールとかも俺が決めていいなら──」
『何度負けても勝って勝って勝ち越す』
この時、アルデンテはそういう在り方を受け入れた。
━━━━━━━━━━━━
「苦しみながら死ね」
芯まで底冷えする冷たい視線が少年を射殺しにかかる。
「言うこと聞くよ! 言うこと聞くから!」
抵抗する余力も残っていないアルデンテは必死に背後を見せぬまま地面を這うように逃げる。
〈枯れない森〉には未だ濃く血の匂いが残っている。蠢く肉塊から現れた少年は既に満身創痍。召喚も戦闘もままならない。
それでも容赦のない珖代は詰め寄り、その手を振り下ろす。
慈悲もない行為が炸裂する──。
「……お手」
「コン!」
「おかわり」
「コン!」
「しっぽ」
白いモフモフが左右に揺れる。
「コンコン」
「コンコーン!……はっ!」
フリーズした少年のキツネ耳がモフられた。
一瞬、満更でもない自分を知った少年は敗北感に胸を焼いた。敵に背中を向けて、殺してくれと言わんばかりに丸まる。
これはアレだ。反射的に出てしまった動物的な本能に違いない。そう思った珖代は深い同情を示す。
「……悪かった。やっぱ苦しまないように終わらせてやる」
キツネっぽい仕草をするのかずっと気になっていたとはいえ、あまりに可哀想な少年の反応に珖代の慈悲装置が作動した。半分は興味本位、半分は何かを仕込んでいないかの確認で撫でたミミのモフモフ感が名残惜しい。それでも珖代は立ち上がり聖剣を構える。
その時──、珖代の後ろに淡く赤く輝く、小さな魔法陣が二つ現れた。中から音も立てずに屍が二体せり上がる。屍はそれぞれ黒剣を手に取り背後に忍び寄る。
限界を迎えたはずの少年が呼び出した魂の召喚。珖代は気付いていない。
首を切り落とすために最上段に構える珖代。それに合わせて背後から屍が迫る。
「安らかに眠れ」
今まで操られてきた屍たちに贈る慈悲の言葉に反応し、背を向け丸まっていた少年はゆっくりと振り向く。そして、口元を歪ませた。
二体の屍が全身を軋ませながら襲い掛かる。召喚が不十分だったのか一撃に全てを賭けている様子だ。
黒剣一つが脳天を。黒剣一つが腹を突き破りにかかる。
男の聖剣より、屍の黒剣が近く速い。
未だに気付いていない男はまもなく死ぬと、アルデンテは確信する。
オマエの負けだ──。
そう思った矢先のこと、二体の屍が動くのをやめた。
おかしい。
一秒、二秒。待っても屍は動かない。それはアルデンテも同じ。
まるで、全員が威圧でも食らってしまったかのように微動だにしない。
刹那。
二体が瞬きの間に砕けた。
「……上手くいったみたいだな」
ホッと一息つく珖代。
目の前で起こったことに理解が追い付かないアルデンテ。その口はポカンと開いていた。
「何が起きたか分からないって顔だな」
「……な、なんでキミが、そんな技を……」
「┠ 威圧 ┨だ。それも特別なやつ。対象は俺の近くにいる者全て──」
男は両足を肩幅ほどに広げたまま自分の顔に爪を立て、睡魔を無理やり引き剥がそうとする。
「──俺が止めたんだよ。この目で見ずとも、お前もろとも屍をな……」
これは珖代にとって大きな賭けであった。
アルデンテが語り始めてからここに至るまでの間、珖代は常に召喚を警戒し、常に周囲に気を張っていた。ヤツが仕掛けるであろうタイミングをずっと見計らっていたのだ。
弱ったアルデンテが一発逆転を狙うとしたらどうするのか。それを考えた珖代は、死角から攻撃が飛んでくることを見越して派生スキルを使用すると決めていた。そうすれば背後に何人召喚されようと関係なく止められるからだ。
問題は、実戦での経験が一度しかないこと。しかもそれは無自覚でカクマルに当てたたった一度。故に効果範囲や拘束時間の把握が漏れていたのだが、ギリギリまで屍を引き付けて使うことでそういった不確定要素を極限まで排除することが出来た。最も近付いてくるタイミングに気づけた理由は、勝利を確信して嗤うアルデンテの顔を窺い知れたことが大きかった。おかげで、最後の抵抗を見事に打ち砕いてみせた。
慈悲を見せワザと隙を晒し、
希望を透かしたフリをして、
最後は絶望に叩き落とす。
珖代本人が意図しないモノであったとしても、アルデンテには“悪魔の所業”に映っていたことだろう。
「違う……そうじゃないっ……。今の剣技、あれはなんだ……?」
予想外の反応。珖代は動くことのない屍を見た。
人間であればノド、顎、水月、ワキに当たる部分がヒビ割れており、頭蓋、骨盤、中足骨付近が粉々に吹き飛んでいた。それも二体同時に。
珖代の中で同じ疑問が湧く。
──確かに。壊したのは俺だ。俺で間違いない。なのに、なんだ? この違和感は……俺じゃない別の何かがやったみたいに……。……そうする事が正しいと誰かに教わったような……知らない記憶をカラダが憶えていたみたいになって……。
「まさか……お前か?」
珖代はじっと聖剣を見つめた。しかし返ってくるものはない。聖剣の新たな能力なのか。珖代自身の新スキルなのか。何も分からない──。
そこがチャンスとばかりにアルデンテは走り出した。
「あ、まて……っ!」
なけなしの魔力をほぼ使い果たしたことで朦朧とする少年を珖代は追いかける。
逃げ出したはいいがすぐに足はもつれ、峡谷の前でヘッドスライディングをするアルデンテ。
「も、もう……逃げ場はないぞ! アルデンテ……ッ!」
睡眠薬により同等レベルにふらついていた男は、走ることすら出来なかったがすぐに追い付いた。立ち上がることができずともアルデンテはまだ諦めない。腕の力だけで少しずつ前に進んでいく。目の前にはイザナイダケがビッシリと生えた崖が待ち構えている。
「ボクは……まだ、死ねない。あの方を……殺すまでは……死ねな、──っ!」
何かを見つけ、少年はよろめきながら立ち上がろうとするも、再び転倒し這いずった。
感嘆と後悔。喜びと懺悔がその顔に渦巻く。
「お母様……そこに、居たん……です、ね」
足を引きずりながらゆっくりと少年は谷を目指す。
その先に、少年の知る母など勿論存在しないのに。
あるのは谷に自生するイザナイダケ。
その菌糸類は幻覚を見せることも。精神的にも肉体的にも限界な少年にはなにか見えていたのかもしれない。さらに、自生する崖際は非常に脆いという危険もある。
「おいっ……、戻れっ」
珖代はそれをよく知っている。故に叫んだ。
一年半前。谷際まで行きイザナイダケを採取した女神リズニアが同じ目にあっていたから。
滑落。
谷は切り取られるように崩れていき、少年は谷の一部と共に滑り落ちた。
ゆっくりと、ゆっくりと。遠くなる景色と意識の狭間で、アルデンテは確かにそれを見た。
心地いいと感じる光。匂い。
嗚呼。やっぱり、ここに居たんだ。
「お母、様…………ボクは…………怖い……です…………カ……」
アルデンテはそのまま闇に飲まれた。
そして、珖代にも限界が近付いていた。
「く……、そ……この高さから……落ちたくらいじゃ、絶対、死なない。…………逃がす訳には………………いか……ないっ、ん…………だ………………」
こちらも最後の力を振り絞り、運任せとばかりに剣を峡谷に投げ入れた。
とうとう立つ気力すら睡魔はくらい尽くす。
聖剣は地面に刃先を向けて一直線に落下していく。珖代は地面を這おうと腹に力を入れるがカラダからはあらゆる感覚が消え始め、やがて視界が狭まっていく。
「ダメだ………………まだ、…………ダメなんだ……せめて、確認する……までは…………」
両目のシャッターをゆっくり閉ざして、必死の抵抗虚しく珖代の意識は闇に飲まれた。
ザクッ──。
聖剣はアルデンテの目元から、僅か数ミリの地面に刺さっていた。
両者の戦いは、ひとまずアルデンテの敗走という形で終わりを迎えた。
~~~~~~~~~~~~
~かなみサイド~
「珖代! 珖代〜! 居たら返事してー!」
少女は珖代の日記に書いてある通り、ユール周辺を回って〈枯れない森〉にやって来た。日記やダットリーの証言、さらに勇者の言う通りなら、彼がここに居る可能性は大いにある。
〈枯れない森〉は峡谷に沿って生えている全長数キロにもなる帯状の森。当然一人では無理なので、助っ人を呼んだ。〈レイザらス〉スタッフ数名を動員して森の端から端まで珖代の捜索にあたらせる。
「お嬢! こちらにいらして下さい!」
「何か見つけた?」
社員兼諜報員である女性がかなみを呼ぶ。
「ん? なにこれ……」
その場所は、他と比べて明らかに異質だった──。
枯れないはずの森の木が何故か何本も枯れている。他にも、何かが刺さったような木の跡や不自然に折れた枝の散乱が目を引く。さらに、ヒトを絡めとるようなトラップまで仕掛けられている。
「薄らとですが血の匂いが残っています。恐らくですが、つい先程まで何者かがここで戦闘を行っていたものと思われます」
「じゃあ、気付いた時には誰もいなかったんだね?」
「はい……残念ながら」
聖剣の佇んでいた場所には聖剣がなく、誰かが戦っていたであろう場所には誰もいない。
これが珖代と無関係とはかなみには到底思えなかった。
「各部隊に連絡して。総動員でこの辺りをくまなくさがすよ!」
「サー!」
最後の手段を行使したかなみの言伝を預かり、部下は颯爽と走り去る。一人きりになったかなみは重力制御で峡谷の上空を飛び、ひとり暗い谷底へ向かった。
峡谷の底に降りると少女は剣が刺さった跡と魔法陣の痕跡を見つけた。
珖代もニセモノの魔女もアルデンテも聖剣もその場から、何故か姿を消していた。
「どこにいるの……珖代」
何も見つけられない少女は谷底から空を見上げ、不安そうにそう呟いた。




