第三十八話 飛来、剣
珖代を探すべく手掛かりを求めて移動するかなみは、墓を監視していた保安兵に珖代について問うた。そこで判明したのはダットリと勇者に会っていたという事実だった。情報を念頭に置きつつギルドに向かったかなみは、顔馴染みの冒険者達に聞き込みをするも有力な情報は得られず、宛にしていたダットリーさえも見つけられず苦戦する。
若干の焦りを感じつつ、少女が続いて向かったのはマスターママのいるダイニングバーだった。
「うーん、コウダイちゃん今日はまだ見てないわねぇ。あそこのジジイなら、何か知ってるかも。どうジイさん、なにか知らない?」
カウンターの一番奥で朝から飲んでいた初老の客、その客は今日珍しくギルドの酒場に顔を出さなかったダットリーそのヒトであった。
「アイツなら、オレより後に勇者に会ってるはずだ。居場所は勇者が知ってるかもな」
男の持つグラスの氷がカランと音を鳴らす。
「勇者さんはどこにいるの?」
「もうとっくに街を出てる。仲間を連れてな」
「え、別れも告げずに?」
「ンもーっ! そういう事は早く教えてあげなさいよっ! かなみちゃんが可哀想でしょ、このツケ払い飲んだくれジジイ!」
ムキムキの腕に血管を浮かびあがらせて怒るマスターママ、アルベンクトのいつもの罵倒を無視しながら男は続ける。
「朝、街を出た馬車は一台。管理所の保安兵に聞けば行き先はすぐに分かる筈だ。オレに分かんのはそんくらいだ」
たまたま奥のカウンターで飲んでいたダットリーから勇者一行が旅に出ていた事実と管理所の話を聞き、かなみは勇者達の元へと向かうのであった。
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---珖代視点---
「……うんっ……しょ……ッ!」
彼女が聖剣を引き抜きてこっちを向いた。やはり重いようで、切先を下に向けてずるずると引きずって歩いてくる。
地面には剣の通った跡が印されていく。
「これ、相当にっ、重いわね……!」
好奇心に負けて振り回すような事がないので、彼女は安心して見れる。後は縄を切り、かなみちゃんを待つまでの時間をどう稼ぐべきかだが……。
ボコッ、クシュクシュ……ガ。
──?
なんだ今のは……?
一瞬、彼女の背後を茶色いような赤いような、小さい何かが蠢いているのが見えた。
目を凝らす。
どうやら見間違いじゃない。
肉片のような──否、肉そのものだ。肉が独りでに動き伸縮を繰り返しながらだんだんと肥大化している。
木の根っこと見間違える大きさしかなかったその肉塊が、彼女の背後で急激な成長を見せる。火のついたネズミ花火がうねり登りながら灰を積み重ねるが如く、肉片を散らしながらそれは広がり続けている。あまりの気色悪さに言葉を失う。
いうならばあれは、意志を持ち蠢く肉塊のそれ。
好き勝手に動いて陣地を拡大せんとする血や油や肉の塊。よく見ればそれだけじゃない、筋繊維に骨、髪や目玉のような部位が集まり肉塊をより不気味に形成している。
およそ生き物とは呼べない不完全な集合体は、気付けば“ニセモノ”の魔女の背丈を追い抜いて育っていた。
見るからに不快なそれに身の毛がよだつ。その時俺は、大事なことを思い出した。あの剣の下に何が埋まっていたのかを──。
「魔女ッ! 後ろだッ! 後ろを見ろーッ!!」
俺の呼び掛けに応えるよりも早く、足元に落ちる黒い影に気付いた彼女は振り向いた。
「何かやばい! そんなもの捨ててさっさと逃げろォー!!」
彼女は俺と目を合わせると顔をしかめた。
何を血迷ったか、俺の言葉を無視し聖剣を握りしめたままこちらに向かってくる。
捨てれば回避は間に合ったはずなのに──。巨大化に歯止めの利かない肉塊に足を絡み取られて転ぶ。
彼女は倒れてながら、力を振り絞るように聖剣を俺に向けて投げ飛ばした。
肉塊は足から徐々に彼女を食べていく。そして──、
「だから……魔女、じゃ……な……い、わよ……」
──呑み込まれた。
彼女は自分が逃げるよりも、俺に聖剣を渡す事を優先した。やっぱり優しさがズレている。
その判断なら俺は助かるのかもしれない。だけど自らは犠牲になるその決断は──いや、あの女に限って純粋な自己犠牲など有り得るのか?
きっと何かしらの算段があって俺を生かすことを選んだハズだ。俺が聖剣を手に取り、救出する想定があったのかもしれない。とはいえ得体の知れない肉塊に呑まれるその覚悟、異常だ。
『助けてもらえる可能性』を配慮して動くのはまだ理解できる。二人とも助かる道に賭けたと思えばむしろ正しい選択だろうし、その判断力、決断力の速さに敬意を払わずにはいられない。しかし『呑まれた時点で終わりの可能性』は考えなかったのだろうか。それを思うと肉塊以上に彼女の行動力が恐ろしく感じた。
手遅れの可能性は考えるだけ無駄だ。"呑まれてもいいさ" と思った時点で、彼女がアレの正体に気付いていたことに賭けよう。
もしや、最後の『魔女じゃない』は彼女なりのヒント……?
──いやいや、考えすぎだ! 落ち着け。
どうなろうと逃げるならあの女を助けてからだ。俺を罠に嵌めたこと、とっちめてやらないといけないからな。
事態の深刻さは分かっている。
だが、届かない──。
「くっ! あと、……もうちょい! ……ダメか……ッ!」
どれだけ指を伸ばしても、どれだけ身体を振り子のように振っても、残り数センチが指に掛からない。
地面に落ちた聖剣に届かない。
──届いてくれ。頼む……! 二人仲良く肉の中はゴメンだ!
焦れば焦るほどもどかしさに息が詰まる。さらにここに来て睡眠薬の逆さ吊りというのが効いてきたのか、意識が朦朧としてきた。
振り子のようにカラダを揺らし、何度目かのトライの果てに──、
「届いっ……た! くそ!」
──が、触れる事を意識するあまり指で弾いてしまう痛恨のミスを犯す。
もう無理だ。完全に届かない距離まで離れてしまった。ほんの数センチ遠のくだけで聖剣が絶望的に遠い。
肉塊はマグマのように何度も気泡を弾けさせながらじわじわ範囲を広げて迫る。ガスのような異臭も凄まじい。肉塊から染み出す黒い汁にまで意思があるのか、聖剣を避けて広がる。聖剣を恐れているようだ。
肉塊に浸る木々は徐々に色を失い、煙を上げながらゆっくりと枯れていく。
「枯れない森の木すら枯らすか……」
肉塊は何かを木から奪い、聖剣からは逃げている。やはり普通ではない。
「生命……魔力を吸って成長してるのか? 聖剣を避けるのはやっぱり……」
状況から鑑みるに生命や魔力に近いモノを吸っているとみた。俺の仮説が正しければ肉塊はエネルギーを吸い上げる為に彼女を呑み込んだものだと推測する。
ならすぐに死ぬ事は無いにしても、このままではいずれ“ニセモノ”の魔女の身にも『枯れない木が枯れる』ここと同じことが起きてしまう。急がねば。
助けを呼んではいるがいつ来るか分からないし、今の状況を伝える手段もない。
やはり聖剣を拾う以外、助かる手段はなさそうだ。
「何か方法は……」
──まてよ。
あるじゃないか……っ!
聖剣を引き寄せる方法が!
俺は聖剣に右手をかざした。
そして心からの願いを唱える。
「来いッ! 聖剣!」
スキル【回帰納刀】。聖剣の帰巣能力。
自らの意思で主の元へ戻るその能力を期待して叫んだが、反応は皆無。
「来い来い来い来い! 戻れ聖剣! 俺の元に来いッて! 来いよ! いいから来いよ!」
手を伸ばし再度アピールをしてみても、やはり反応は見られない。
「クソォ! 俺じゃ、ダメなのか……!」
正直、俺が選ばれる保証もないことは分かっていた。
でもここまで来て、こんな状況に至っても尚、誰も選ぼうとしない聖剣の要領の得なさに腹が立つ。
「そんなに頑固で、何が聖剣だ……」
諦めたら彼女は助からない。
だから俺は聖剣に語り続ける。
「……お前が誰を主に選ぼうが構わない」
コイツには俺を選ぶ理由が無いかもしれない。だけど、どこか期待していた自分もいる。
「けどな……お前の前に俺しか居ないように、俺の前には今お前しか居ないッ! 使い手なんて後で好きなだけ選べばいい! だから!」
勇者から俺に鞍替えしたように聖剣は相手を選び直せる……筈だから。
「今は四の五の考えず俺に賭けろっ! ……期間限定でも微力でも嫌いでも何でも全然構わない! 間違った使い方だけはしないと約束する! だからッ!」
それに伴う責任は負う。だから一瞬でいい。ほんの一時だけでいい。
「今だけでいい……」
ひとりではあまりにも無力な俺に。
「俺に力を貸してくれェェェーーーッッ!!!」
反応はない。──いや、違う。
地響きが起きたかのように聖剣だけがカタカタと震えだした。
刹那、剣は俺の視界の端へ動く。
目で追う。
伸ばした手を越え、俺を縛っていた縄を切った。
予期しなかった行動に受け身は追い付かず、背中からドサッと落っこちる。
痛みに面食らっていると、聖剣は木々の間をすり抜けるように大きく旋回し、股下の僅かな隙間に突き刺さった。それはまるで、"お前なんかいつでも殺せる" と言わんばかりの尖りっぷりだった。だが同時に、プライドを投げ打ってまで俺に使われることを選んだ証左でもある。
いや〜な圧を感じる。
こんな危機的状況下でも俺にだけ向けられる殺意。……なんだろう、アルデンテとの初戦を思い出してならない。あの時も確か同じ位置に刺さっていたっけ。
兎にも角にも聖剣を引き抜き、育ちに育った肉塊と対峙する。既に大きさは縦横ともに三メートルを超えていた。
凶暴に思えた剣が手に取った途端、よく馴染む。
暖かい陽だまりを背負ったような安心感。これが聖剣──。偉大さに心が奪われる。
必要な時に応えてくれる優しさがあるのなら、聖剣との付き合い方も考え直さなきゃならない。
「言い方が気に入らなかったか……? もし、そうなら謝ってやる。……生き延びた後でな」
俺はふらつきながらそう言った。
睡眠薬が効き始めるまで、
──あと三十秒。
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---別視点---
荒野を颯爽と駆ける一台の馬車。
見晴らしのいい荒野では行路に障害物など殆どなく、また魔物に遭遇しにくい。故に馬車は、快調に飛ばしていた。
そんな馬車の中には、気持ち新たに旅立った勇者一行の姿があった。
ひとりは規格外な魔法使いを目指す為に。
ひとりは誰よりも疾い剣術を極める為に。
ひとりは欲張りに生きるための強さの為に。
それぞれが想いを懐に忍ばせ、次の街へ向かおうとしていた。
「ごめんねピタ。いつもの事ながら、僕の勝手な都合でキミの予定を狂わせちゃって」
「ピタ。落ち込む必要はありませんわ。お礼ならまたいつかすれば良いのでしてよ」
「いや、別に落ちんでる訳じゃないぞ。何だかその……大事なものを忘れているような気がしてならないのでな」
「そうですわアナタ、熊の人形はどうしたの?」
ピタは気持ちが沈んでしまう時や、眠る際、珖代から貰ったクマのぬいぐるみをギュッと抱いて心を癒していた。他人の前では大剣を振り回して見栄を張るピタであっても、仲間の前では大剣よりぬいぐるみと過ごす時間が長かった。それはぬいぐるみを持っていないピタにトメが違和感を感じるほどに。
「宿に忘れてきちゃったみたいだね……。今なら引き返せるけど、どうする?」
「いや、大丈夫だ。クマさんにばかり頼ってはいられない。悲しい別れだがコレで良かったんだ……」
言葉とは裏腹にテンションの低いピタの様子を見て、洸たろうとトメは目を合わせる。
彼らは現在、商人の許可を得て馬車の後方に同乗させてもらっている。賃金の支払いはないが、その代わり護衛を行う。そのため自分たちの事情ひとつで引き返すことは出来ない。ユールに戻る際は徒歩の形となってしまう為、簡単に引き返すと言えない状況が出来あがっていた。
順調に思えた勇者御一行の旅路が早くも揺ぎ始めている。その揺らぎに責任を感じつつも呆れた様子のピタは、短剣を取り出し二人に目配せする。
「私はこの剣に誓う!」
そう言ってピタは短剣をドスッと足場に突き刺した。間借りしている馬車に刺した事で声を上げそうになる二人を尻目に、少女は言葉を重ねる。
「この旅で短剣術を極め、誰よりも疾く、そして誰にも負けない剣士になることを」
少女は不安を紛らわすように目標を語り、不敵な笑みを浮かべた。
振り返らない為の背水の陣。
それに触発されたもう一人の少女。
「なら、ワタクシも誓いますわ」
ピタの手を包むように短剣を握りしめる。
「ユイリーを越える発想力と、かなみさまを超える規格外な魔法使いになると」
「なぜトメが私の剣に誓う?」
「なら僕も誓おう」
ピタの剣の柄頭に手を添えた勇者は告げる。
「喜久嶺さんを超える。聖剣に認めさせる。でもって仲間を信じて世界まで救う。あとは……闇を克服する」
「コータローまで……。よろしい、目標を達成するまで私達の旅は終わらない。それでいいな?」
洸たろうもトメも迷わず顎を引いた。
「よし、それじゃあ──」
「止まってー!!」
どこかで少女が叫ぶ。
その声より気持ち早く、御者である商人が鞭を打ち馬達を制止させた。
両手を目一杯広げたかなみが、馬車を止めに突然現れたのだ。
蹄鉄を思い切り振り上げ、地面に叩きつけるように停止した馬の地団駄でかなみは顔中砂まみれ。
その瞬間、髪ボサボサ女神に言われた『馬車に気を付けて』という言葉が思い出される。かなみは肩を竦めた。
馬車の荷台から何事かと様子を伺うようにトメが顔を覗かせる。
「かなみさま!? どうしてここに……?」
かなみと気付いたトメは、戦闘態勢を解除して駆け寄る。
「ごめんね急に。あのね、珖代が何処にも居ないの。何か知ってたら教えて欲しいんだけど、知らない?」
あとの二人もぞろぞろと馬車を降りてくる。
洸たろうは少女が知り合いである事を御者に伝えたあと謝り、少女の問いに答えた。
「それなら喜久嶺さんは〈枯れない森〉にいると思うよ。きっと今頃、聖剣の使い心地を試しているんじゃないかな」
「そっか聖剣か……。ありがと! じゃ、またどこかで会おうね。バイバイーッ!」
「「かなみ さま(殿)! 待って……!」」
ピタとトメが制止に掛かるが、既にかなみは消えている。つむじ風がやんわりと吹く。
「魔導書にサイン、欲しかったですわ……」
「クマさん、持ってきて欲しかったな……」
「やっぱり戻ろうか……?」
落ち込む二人に、そう問いかけた勇者は初めて無視された。旅の決意が揺らいでしまうので、二人は聞かなかったことにしたようだ。
とはいえスグには切り替え切れないようで口数の減った勇者一行は、流されるままに次の街を目指す馬車に乗り続けるのであった──。
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---珖代視点---
“ニセモノ”の魔女が居る場所は分かる。彼女を呑み込んだ箇所だけが明らかに大事な場所を守るように膨らんでいるからだ。
「おらおらおらおら」
蜘蛛の子を散らすようにガムシャラに聖剣を振り回してみても、肉片を辺りに散らしてしまうだけでほとんど効果はない。肉塊から漏れだす血の広がる地面に聖剣を突き刺すと、意思を持つように血だまりが避けていく。
となればやる事は一つ。すぐに動く。
彼女のいる場所まで聖剣で一気に道を開き、辿り着いたら剣身の樋を彼女を包む肉塊に宛てがう。ちょうどオムレツを真ん中から割るように表面をゆっくりとなぞると、肉はいとも簡単に剥がれ落ちた。
やがて彼女の、キズひとつないキレイな上半身が露わになった。吸収に服は邪魔だったのか完全に脱がされている。意識はあるようで眩しそうに目をうっすらと開けた。
「掴まれっ」
声は届いた。力無く伸ばす腕を離さないようにしっかり掴んでやり、思いっきり引っ張り出す。無理やり引っこ抜いた下半身はチミドロだが、上半身は血の一滴すら残らずキレイになっていた。裸ではあるが彼女の血という訳では無さそうだ。俺の着てきた外套を彼女に掛ける。
「おい、無事か」
「ええ……」
虚ろな目でしっかりと俺をみる。体温に異常もなさそうでひとまず安心した。まさか、聖剣を抜きに来たはずが肉塊から“ニセモノ”の魔女を引き抜く事になるとは……。つくづく人生とは何が起きるか分からないものだと実感せざるを得ない。
「立てるか?」
その俺の問いに、彼女は外套をギュッと掴んで難しいと首を横に振る。足を取られたときに挫いてでもしまったのだろうか。
そうこうしている間に、肉や血がゆっくりと彼女に忍び寄る。まだ奪い足りないと言わんばかりに触手を伸ばしてくるがそうはさせない。聖剣を地面に刺し肉塊との境界線を作ったあと、彼女の両膝を抱きかかえ背中に腕を回して持ち上げる。
「な、何すんのよ……!」
「それだけ元気があるなら、大丈夫そうだな」
大事ないように少し離れた場所に移動して、彼女を木にもたれさせる。すると、聖剣が飛んで来て俺の後ろの木に刺さった。剣は怒っているようだがそっちはいま気にしていられない。
「あれが何だか分かるか」
「間違いなく、屍の卿の仕業よ」
彼女はキッパリとそう言い切った。
「やっぱりか……。ずいぶんデカくなったな」
"五賜卿" グレイプ・アルデンテ、またの名を"屍の卿" ラッキーストライク。
少年のような見た目と心を持ったサイコパスキラーにして二十万を超える屍兵を束ねる存在。自然の摂理に逆らい、生命を冒涜するこの異常生物。奴の仕業でないなら何とする。
こういう状況を俗になんて言うのか、知っている。
「いくか……第二ラウンド」




