第三十二話 彼の全盛期は小学生だったようです
~A地点、待機組~
枯れない森に息を潜めるのは総勢二十余名の協力者達。
その大半は冒険者で構成されており、主にその役割を勇者の負担を減らし聖剣の暴走を防ぐことに当てている。
「行っちまったな、あのおっさん」
「だな」
彼らは戦場の砂嵐に消えていった中島茂茂のことを、さも呑気に語っている風だが一切手は抜いていない。否、抜ける状態でないと言うのが正しい。
聖剣の鍔にあたる両端には二本のロープがしっかりと結ばれており、ロープ一本づつに冒険者が八人、計十六人が付いて今にも飛び出さんとする聖剣を抑えるために必死にロープを引っ張っている。余力を残せる者はおらずその人数はギリギリ。
そんな冒険者達の中心には、聖剣の柄を直接掴む勇者の存在があった。
彼は剣が勝手に飛ばないように抑える役目と、吹き飛ぶ矛先を最終的に調整する重大な役割を担っている。【回帰納刀】の影響を最も受けやすい勇者の体には、イザナイダケ採取で崖を降りる際にも使用される特殊なワイヤー二本(かなみ特製)が胴に巻かれていた。このワイヤーはそれぞれが一本の木に結ばれ固定されているため、勇者自身が聖剣と一緒に飛んでしまう心配はないといえる。
しかしその負担は想像以上なもののようで勇者は苦悶の表情を浮かべ続けていた。
「あのおっさん度胸だけはあるな。まっ俺なら死んでもあんな無謀はしねぇけどな」
「生きて帰ってこれたら、それだけで奇跡ってなもんだぜ……」
今作戦は聖剣の『所有者の元へ戻ろうとする性質』を利用して五賜卿グレイプ・アルデンテを突き刺してしまおうと云うなんとも大胆かつ奇抜な作戦である。現所有者は喜久嶺珖代であるため、珖代と聖剣のちょうど真ん中にアルデンテが位置するように調整しなければ飛んで刺さらない。
現状では妖狐族であるアルデンテを倒す手段は聖剣以外にないとされ、不測の事態に備えられなかった街の代表達は、苦肉の策として勇者の提案したこの作戦を受け入れた。
元所有者の勇者では聖剣の力を発揮できない──。かといって選ばれたばかりの珖代では聖剣の扱いを心得ていない。
『なら聖剣を飛ばそう!』
といった具合である──。もちろん、誰もが経験した事の無い作戦であったことは言うまでもないが、悪天候のトラブルに加え謎の二人組の介入、作戦の修正などが相次いだ結果、冒険者や街に残っている僅かな者達は作戦に対する期待感を絶望的に薄めていた。
この作戦はきっと失敗する。
誰もがそう思った。
それが普通だと。当然だと。
ごく一部を除いて──。
「──バウッ」
自分は無関係とばかりに木陰で一息つき、丸まっていたセントバーナード犬は何を思ったか、風のように立ちあがるとその肉球を勇者の腕にポンと置いた。
……?
勇者にはその状況が理解出来なかった。だが、何かを訴えるような鳴き声が耳に残りセバスをじっと見つめる。
透き通った瞳を見ていると、魔法を掛けられたように記憶のトビラが開らかれ、このイヌが珖代の仲間である事を思い出した。失念していた訳では無い。“仲間”という単語が強く浮かび上がって来たのだ。
「セバスさん、協力してくれるんですか……?」
「バウッ!」
当たり前だと言いたげにセバスは強く吠える。
その声は響いて、勇者の深い部分をチクリと刺激する。自分でも気づかなかった何かが開くのを感じる。
仲間とは──である。
いつからだろうか……。その答えに都合のいいものを乗せるようになったのは。
仲間とは、世界に必要とされし選ばれた者の補佐役であり、やむを得ない場合には切り捨てる対象にもなり得る、そんな存在であると思っていた。
この世界でひと握りの魔王を倒しうる存在。それが勇者であり、仲間達はあくまでオマケに過ぎない。使える奴なら部下として使い、使えない奴は即座に切り捨てる。そうでないと邪魔になる。
実際、そうすることで多くの人を救ってきた。期待に応えることに専念できた。実績が生まれた。
なにより重圧や責任感と向き合う時間が作れたことで、どんな壁でも乗り越えて来れた。
周りから賞賛されるたびに、やがて自分の考えにも自信が持てるようになっていった。
自分は正しいことをしている──。
だから、俺に歯向かうやつは仲間とは呼べない。弱い奴は仲間とは呼べない。強く従順ならそれが仲間。
仲間に対する扱いはこれでいいんだと確信を持つようになった。なってしまった……。
ここは自分を中心に廻るセカイであり、仲間はそのセカイに点在する都合のいい脇役だと考えるようになっていた。まるでマンガやアニメに登場する主人公気取りだ。自分が嫌になる。
だからだろうか。スケインさんや角丸さんを失ったと気づいた時には喪失感しか生まれなかった。
怒りや憎しみや悲しみや焦りのない喪失感。それどころか殺された状況から相手の強さを確認する余裕すらあった。
ヒトとして、何か大事なモノを俺は失いながら。
それに比べ、喜久嶺さんはどうだろうか。
いや、喜久嶺さんだけじゃない。薫さんやかなみちゃん、中島さんやセバスさん、それにあの女神様だって……。
仲間のことを上にも下にも見ていない。
全員が仲間のために戦ってはいなかったか?
俺から仲間を逃がす為に城で一騎打ちを申し込んで来た薫さんも。
仲間を救う決心をして戦場のど真ん中を駆けていった中島さんも。
今もなお、まっすぐな目を向けてくるセバスさんも。
皆、今の自分に出来ることをしている。言葉は分からなくともその視線で痛いほど伝わる。
「仲間のために……戦うんですね」
仲間とは──である。
答えはまだ遠くにある。仲間のために命を懸ける気持ちはまだ理解できない。
それでも間違いには気付けた。今までの間違いはこれから正そう。
見極めなくちゃいけない。彼らから仲間を学ぶんだ。
やるべき事は決まった。
あとは……。
俺に出来る全力を今にぶつけるッ……!!
「不思議よね。彼らは人の身に余る特別な力を有している。なのに、決して独りよがりではないの」
「アナタは……」
確固たる決意を胸に抱いた青年の元に突如として現れたのは、森の魔女として知られる女だった。
彼女は連携して強敵に挑む珖代達の戦い方を、嬉嬉として語るドゥスから耳にタコができるほど聞かされており熟知していた。それに加え、珖代達のステータス情報を知る彼女はそこも合わせて批評する。
「例えば、思いがけない幸運に恵まれた男。精神、物理、魔法、どんな攻撃も跳ね返す女。人類王にも匹敵する身体能力と剣術を持つ少女。計り知れない強さと知識を覗かせる万能幼女──。あとはその獣の子も。まずは“仲間の為に”を優先する。それはなぜかしら?」
勇者は森の魔女とセバスを交互に目配せして言う。
「それは、彼らにとって、仲間が大切な………そうか。大切な仲間なんだ」
ハッとした。
仲間とは “大切な存在” である。
答えはあっさりとそう出た。
思っていたよりカンタンな答えに、力がぬけ思わず剣を離してしまいそうになる。同時に、聖剣を手に入れる前のことを思い出した。使命や柵の無いあの頃は楽しかったと懐かしく感じる。
心のどこかでは気付いていたのだ。仲間は大切であると。だからこそ使えないと判断したら即座に切り捨てていた。俺のミスで死んで欲しくないからだ。
「そんな大切な仲間の一人に、才能も、魔法も、知識も、運もない、弱い人間がいるようだけど、彼にアナタは何を感じる?」
それが誰のことを指しているのかすぐに分かった。なぜなら何も知らない以前の自分なら同じ疑問を口にしていたからだ。だが今は、全くの逆だ。
「喜久嶺さんは弱くなんかないですよ。少なくとも、僕なんかよりも強い人です。聖剣があの人を選んだ理由、今なら分かるような気がします」
神妙な面持ちの勇者に対し、森の魔女は遠く戦場を見つめながら頬を緩める。
「┠ 威圧 ┨以外になんのスキルも持たない彼を見て、そんな感想が出てくるなんて、貴方──」
──謙遜が上手いか、よっぽどのお馬鹿さんかどちらかね。
そう続く皮肉めいたセリフは途端に遮られる。
「人を動かす力……。喜久嶺さんにはそれがあるような気がします。それがあの人の強さですよ」
森の魔力──。彼女はありとあらゆる能力を数値化し記録する、ステータスプロファイリングの第一人者である。
世界中のありとあらゆる能力を数値化したい彼女は『人を動かす力』と聞いて、目をキンキンに輝かせる。彼女自身もその力の存在には気付いていたが、それに近しい言葉を探しあぐねていたのだ。
好奇心を必死に抑え込み、訊く。
「へ、へー。それは、どんな時にそう思うの……?」
「気付いたら、ですかね。彼らをよくご存知なら、あなたもきっとその力に動かされていますよ」
自分以外にもそれを感じるヒトがいる。その事実は『人を動かす力』の存在を確信に変えた。研究家である彼女がそれを知ってしまったら、探究心はもう抑えられない。
ただでさえあの男は《不条理叛逆》という正体不明の状態異常を持っているというのに、更なる力があると分かれば彼に興味をそそらない訳がない。
未知の力に未知の状態異常。もしかすると、二つには因果関係があるのかもしれない。
イザナイダケの成分調査に来た? いやいや、そんなのは建前です。この為にユールにやって来たと言っても過言ではない。
今すぐにでも彼を研究して知識欲を満たしたい〜ッ!
そのためには? 彼が欲しい……だがそんなことを口にすれば変なウワサがたって恥ずかしい思いをする。それはさけたい。絶対に。
ここは冷静かつ慎重に、キクミネコウダイの様子を観察することから始めよう。そしてあわよくば──、
「だ、だったらその力、見せて貰いましょうか」
鼻息荒く、感情を抑えるように腕を組んで彼女はそう言った。
「バウゥ……」
あいにくとイヌ語を分かる者はいないが、呆れ声だったのは両者ともに伝わった。
そんなセバスのクビにぶら下がる金色のプレートはキラキラと光を反射しており、勇者はそれに目を移す。
そこに小さく記されているのは回復スキル以外のスキル一覧。それを見て思い出す。
このセントバーナード犬は数多くのスキルを所有していたことを。
「そう言えばその子、投擲補正を所持してたわね」
「投擲補正……?」
森の魔女の言葉通り、そこには
┠ 投擲補正 ┨ - 大 -
と記されている。
肉球を手に重ねる行為がセバスなりの手助けである事を分かった上で冗談交じりに勇者は言う。
「果たしてこれは、"投擲" と言えるんでしょうか」
「想いは為せば成るものよ。勇者さん」
自分の専門分野以外には興味を示さない森の魔女も、今だけは機嫌よく応える。
肝心のセバスの返事は遅めの瞬き一つであったが、今の勇者にはそれで十分だった。
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~C地点、聖剣組~
「かなみ……ちゃん……?」
そう声に出したのはどちらだったか。
二人の男は立ち尽くしていた。
彼女は額に脂汗を浮かべ意識を朦朧とさせながら倒れた。それもいきなり。男達にはそれが解らなかった。自力で立ち上がることはないだろうと、その共通認識だけはあった。だと言うのに、少女は唐突に立ち上がると歩き始めたのだ。
「ど、どうしたんでしょ……?」
歩こうという意識だけが先行しているのか、手も頭もダラりとして足取りもおぼつかない。
明確な目的を持たないそれは夢遊病のそれに似ているが、それには理由がある──。
ある一定以上の魔力を持つ者が一度に大量の魔力を消費してしまうと、めまいや吐き気、場合によっては卒倒してしまうことがある。それを知っていた彼女は万が一のことを考えた末、チートスキルで培った知識を活かし安全装置を自らに掛けることを思い付いた。
九割の魔力と一割の魔力を完全に別物として切り離し、特定の条件下でのみ一割を使用できるよう魔力を封印。そうすることで非常事態にのみ使用できる魔力を事前に生み出しておいたのだ。
呼称するなら《非常用魔力》。
幾度となく失敗を繰り返した末にかなみが作り上げたオリジナルの──固有能力だ。
しかし、この能力だけではどうにもいかない。
もうひとつのそれが発動する条件は既にそろっていた──。
緊急深層意識モードへの緊急移行を確認。
原因究明……。──九割以上の魔力消費によるものと断定。
魔力プロトコル暗唱起動。
発汗性脅威度、B+で暫定。
心拍数、正常。
魔素質、正常。
変換効率、正常。
魔素濃度、基準値クリア。
推奨Bプランを開始。
制御領域核、大脳から魔力へ変更。
これより、《自己防衛プログラム》を実行します。
Hello、wake up。起きて、起きて────。
心配そうに身構える珖代と中島の前で少女は重いまぶたを上げた。二人はそれを見て声をかけるが、反応は返ってこない。
次の瞬間、少女は服の中に自分の手を入れそのまま左胸に手を当てた。男達はわけも分からずあたふたする。
顔を上げ、どこでもないどこかを見つめるかなみ。そのまま意味不明な言葉を口にする──。
「──┠ 限定回帰 ┨」
言葉の力は魔法の詠唱に良く似る。
それを唱えた直後、かなみの目にはだんだんと輝きが戻り始めた。唇を舐めるような仕草をみせたあと、手のひらを前に出し閉じたり開けたり繰り返すこと数度。
顔がパッと晴れやかになった。
「よし……! バッチリィィイエスッ!」
両手で小さくガッツポーズ。
普段のハツラツとした少女に戻ると男達は訳も分からず目を擦った。
「か、かなみちゃん、どうしたの一体……?」
珖代の声を聞いて、ようやく二人が自分の前にいることにかなみは気づく。
「今、限定回帰とか言った?」
「うん! いざという時のためにね、自動で┠ 限定回帰 ┨が出来る魔法をかなみ自身にプログラミングしておいたの! ブイッ!」
よほど嬉しかったのか、ぴょんぴょん跳ねながらかなみは続ける。
「ちゃんと発動するかどうか不安だったんだけど、無事に済んでよかったぁ〜」
「限定、かいき……?」
頭にハテナを浮かべた中島がクビを傾げる。状況の整理が追いついてないにも関わらず、珖代が丁寧に応えた。
「えっと……ほら。覚えてませんか? 中島さんを連れて初めてユールに向かったあのキャンプの夜に、かなみちゃんが披露してくれたチートスキルを」
中島は目を大きくして手のひらをぽんと叩いた。
「ああ、はい……! 思い出した。若返るやつですね?」
チートスキル、┠ 限定回帰 ┨。
一年半前、中島はこのスキルを経験している。
長期間の護衛クエスト。その最中、帰りの晩。
晩飯直後の空いた時間を利用し、仲間や御者の前でかなみは発見したばかりのチートスキルを披露していた。
この能力は触れた相手を一時的に全盛期の状態に戻すことが出来るというスキルである。その為、"若返る"というのとは厳密には異なる。
疲弊した者に使えば体力が元に戻り、腰を痛めた者に使えば腰が痛む前に戻る。また老いた老人に使えば全盛期の姿、すなわち若返ることが可能。珖代達を被検体にしたその夜にはリズニアには効果がなく、中島は二十代、薫は高校生にまで戻り、御者は腰痛が治った。珖代に至っては小学生にまで若返った。どうやら彼の全盛期は小学生だったらしい。
人によって効果は変化するが、数分間だけという限定的な側面を除けば万能に近いスキルといえた。
「色々聞きたい事があるんだけど、あの不審な動きはなに……?」
「うん? 魔力で自分の身体を動かしたやつ?」
かなみは、自分が気絶してしまうもしもの事態に備え《非常用魔力》とは別に、魔法によって発動する《自己防衛プログラム》を予め自分の体に施していた。
理論上発動には支障がないとされていたが、実際に使用するのは今回が初。その為、上手くいくのか自信はなかったかなみ。
故にテンションが上がってしまうのも無理はない。
復活までの流れをまとめると、魔力の使い過ぎで倒れ《非常用魔力》が自動解放され、その魔力を使って《自己防衛プログラム》が追尾発動。┠ 限定回帰 ┨のパターンをプログラムが総合的に判断し発動させ、蝦藤かなみは残り一割の魔力ではなく、いちばん元気な状態で意識を取り戻したのである。
ちなみに胸を触ったりする動作の意味は不明だ。
プログラムは主に、撤退と回帰発動の二パターンが組み込まれているのだが、そのうち戦闘パターンもいつか組み込めるように仕上げていくのが少女の密かな楽しみとなっている。
「疲れて動けなくなっても、このプログラムさえがあれば──って、こんなことしてる場合じゃないよ! 制限時間があるから! さっそく再開しよ再開!」
かなみは石を持つ珖代から一定の距離を取った上で、召喚石に向けて手を翳した。
珖代から辛うじて見える距離に、中島もこっそりと移動する。
「あの、ちょっとかなみちゃん?! 一人にされるのすっごくこわいんだけどっ!?」
集中するために目を瞑ったかなみは隣りに来た中島に耳打ちをする。何度か頷く中島は、珖代にかなみの旨を伝える。
「喜久嶺さーーーん! 石がものすんごく光りだしたら、思いっきり、出来るだけ、遠くーーに投げてくださーーい!」
「え、待って、クッションは今開いた方がいいですかっ! それとも、ヤツが飛んできた衝撃に任せた方がいいですかぁーーっ!」
「お好きなようにーーー!」
中島はかぶせ気味にそう叫んだ。
気がつけば召喚石には亀裂が何本も入っており、その隙間から光りが漏れ始めている。急がないと中からアイツが生まれてしまう。三千年級のドラゴンが。
「あぁもういいっ! なるようになれだぁぁーーー!!」
よく飛ぶ遠投は45度──、それを頭の片隅に意識していた珖代は思いきり振りかぶって投げた。
手を離れ、宙を舞う召喚石は留まることの知らない希望のように光を強く放つ。
希望はいつしか、沢山の人の想いに応えるように爆発的に膨れ上がり、そして──、
グオアアアアアアアアァ────
厄災の竜。今、ここに現界する。




