第十九話 その救世主はトラックに乗ってやって来る
グロ注意回が続きます
──前世では人を庇い死んだ。
その事に後悔はない……と言うと嘘になる。向こうに残してきた人達は今、どこで何をしているのだろう。
元気でやってるのだろうか。ダメだと分かっているのに、弱気になるとついそんな事ばかり考えてしまう。
今は、今はダメだというのに。
生きる為に。誰かを守る為に。元いた世界に帰る為に必死になって戦う。世界の期待に応え続ける。
何度だって、ピンチはそうして乗り越えてきた。
簡単なものなんて一つも無く、時には人の命を左右することもあったが、ギリギリのところで踏み止まって来た。だから、努力次第で何だって乗り越えられる自信があった。
それだけに……己の努力だけではどうしようもないこの状況に、悔しさが狂おしいほどにこみ上げる。
──僕はこんなにも無力なのか。
囮にすらなれないのか。
『聖剣』が無ければ何も出来ないのか。
どうしようも無く死ぬのが怖い。
けど、死んだあとはもっと怖い。
だから、トメ、ピタ、角丸、スケイン、みんな……ごめん。
「こうする事しか俺にはもう……」
三十二体の屍兵は勇者を囲みながら、嘲笑うかのようにケタケタと音を鳴らす。
放てる【黒点】はあと一度のみ。
しかし、それは獲物を焼き尽くす為に使うのではない。
「お前達に………俺の死体は、使わせないよ」
口角の上がった口元を一筋の汗が流れた。
「最後だ、咲き焦がしてくれ──【黒点】」
そう唱え、青年は紅葉なりゆく炎を呑み込んだ──。
灼熱が喉を通る。途端、指先が震えだす。
それは過酷な選択。
呪いの炎に自身を焦がすことで、自らの死体がアンデッドとして使役される未来を防ぐことを選んだのだ。それは同時に、自らの命を捨てる選択。
「あ、……あ、ああ……、あぁ…あ……ああああああああああぁぁぁあああ!!!」
血液を沸騰させる黒炎が、喉を焼き肺を炙る。焼ける肉の音が耳を蝕み、焼け爛れる肉の臭いが鼻を啄む。
程なくして勇者は膝から崩れ落ちた。
──痛みはそのうち消え失せる。だから、今は、一体でも多く……壊してやる。
地面に手をつきゆっくりと、その意志が死んでいないことを証明するように立ち上がる。
──ひとつでも、多く、壊す。破壊する。
気力だけで意識を保つ。
気力だけで前に進む。
気力だけで応戦する。
気力だけで頭蓋を砕く。
気力だけで、気力だけで。
──壊す。壊す。
ブロンズの髪が黒い炎に包まれる。
──壊す。壊す。壊す。壊す。
左目に赤い炎が灯った。
──壊す。壊す。壊す。壊す。壊す。壊す。壊す。こわす。こわす。
爪の剥がれた指から黒い炎が溢れる。
──壊す壊す壊す壊す壊す。壊れろ。壊す壊す壊す壊すこれろこれろこわすこれろこれろ。
右腕が赤く燃え出す。
──壊す壊す壊す壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろこわすこわすこわすこわすこわすこわすこわすこわすこわすこわすこわすこわすこわすこわすこわすこわすこわすこわれろこわれろこわすこわすこわすこわすこわす。
息を吐く度に口から黒い炎が漏れ出した。
全身を赤と黒の炎が包み込んでいくのに比例するように、勇者の動きがだんだんと鈍くなっていく。
砕かれた屍兵達は炎に触れた部分から燃え出し、火を消そうと地面で暴れ、別の屍を引火させる。おかげで大多数の屍兵も戦える状況に無かったが、勇者の身体にも限界が近づいていた。
「勇、者……ぁぁーー……」
幻聴か、男の声が聴こえる。
同じ方角から聴き慣れない音もやって来る。
何頭もの馬が猪突猛進しながらこちらに近付いているような轟音。その音はどんどん大きくなる。
青年は音を追って振り返る。
それが幻聴では無いことを、確かめるように。
「しゃあぁーー……」
聴こえてくるのは諦めていた希望の音。
見えているのは予想だにしない大物。
大量の砂塵を巻き上げながら向かって来るそれは──。
それは、尋常ならざるスピードで大荒野を駆ける。そして、目の前で急停止した。
「勇者ッ! 悪い! 遅くなった! 無事かッ!」
白を基調としたボディ。
回る四つのホイール。
物が積まれた大きな荷台。
それは正しく──、
「……ト……ラッ、ク……?」
「よしっ無事……ではないな! 急げ! 説明してる時間は無い、荷台に乗れ!」
運転席の窓から身を乗り出し、珖代がそう叫ぶ。
勇者は状況を飲み込めないままに急かされ、荷台に乗り込んだ。
何故この世界に軽トラが存在するのか。不思議で堪らないがとりあえず従う。
勇者が荷台に乗り込んだことを確認した珖代がエンジンをふかし、アクセルを全開に踏み込む。
「戦線を離脱する! 振り落とされるなよ!」
キュルルルル──!!
空回りし砂塵を巻き上げていたタイヤが大地とかみ合い急加速。トップ速度からF1並だ。
「ひとりでよく耐えた!」
五賜卿グレイプ・アルデンテ。
ネクロマンサーにして剣の実力者、おまけに魔王幹部でもあるそんな少年から命からがら逃げおおせた喜久嶺珖代は、ユールでかなみに再会すると早々に、軽トラの配備と人工召喚石によるカラクリ兵の手配を頼み込んでいた。
助手席にかなみと緊急治療セットを載せ、珖代は荒野を爆走。──その途中、屍兵と張り合えるカラクリ兵を増産する為に、魔素の濃い岩場にかなみを降ろし、その足で勇者の元へやって来た為にかなり時間を食ってしまった。
遅すぎた──。と云うことにならなくて安堵した珖代であったが、気は抜いていられない。
「そこにありったけのポーションを詰め込んだバケツが二つあるはずだ。それを使ってとりあえず傷を癒せ」
荷台に積まれたフタ付きのバケツ。そのフタを開け中を確認する勇者。
焼け爛れ、会話もままならない喉を回復させる為に、頭からバケツに突っ込み勢い良く飲みだした。顔を勢いよくあげると目や髪から煙があがった。
「ブハッ! ……まっで、待っでぐだ……い」
「軽トラのことならここを抜けた後でゆっくり話してやるから!」
珖代は後ろも振り返らずに話を遮る。
「お前もなんでそうなったか、後で色々聞かせろよ!」
その言葉を聞いた勇者は、焦りだしあるものを見つける。
「……弓矢を、借ります」
かなみがトラックの上で流鏑馬 (風)の練習をする時に使う弓矢を手に取る。そしてよろめきながらも立ち上がり、弓矢を構えた。
狙うは屍の群れに潜む狂気の少年ただ一人。
バックミラー越しにそれを見ていた珖代が振り返る。
「おい、大人しく座ってろ! 落ちるぞ!」
舗装などされていない道を爆走するトラックはガタガタと激しく揺れる。
そんな状況にもお構い無しに忠告を無視する勇者は足を肩幅に開き、弓を引き絞り片目を瞑る。
頭からポーションに突っ込んだ事によって目や髪に宿った炎は消えていたが、その指先にはいまだ黒い炎が灯っていた。
つまんだ羽と指を当てたやじりが黒い炎に包まれる。
燃え続ける〘黒点の矢〙が完成した。
それは意図して生み出したものか、偶然による産物かは定かではないが、勇者はその矢を放つ。
目標から離れていくトラックからでは勿論当たる訳もなく、矢は大きくハズレた。
勇者は片膝をつき次の矢を装填する。
「喜久嶺さん……近付け、ますか……?」
爛れた喉を必死に開き、声を出す。
濡れた髪から流れる微かなポーションで唇を潤しながら。
「何言ってんだ! 時間稼ぎは女神に任せて、俺たちは体制を立て直すぞ!」
「あいつに……一矢報いるには、今しか、今しかないんだ……。だから、お願い、します」
街に戻る時間すら惜しい。屍兵に殺され利用されるくらいならと自分の身を焼いた青年は、今も内側からその身体を焼かれ続けている。
のこりの命に、街に戻って立て直している余裕はない。それくらいは分かる。だから、残された僅かな時間で出来ることがしたい。その為に必死に訴えた。
無情にも珖代はその事実を知らない。故に、訴えを無視して街に戻ることは可能だった。
でも、珖代はそうしなかった。
勇敢な二人の騎士の顔が浮かんだのだ。あの二人の仇を討ちたいと云う勇者の気持ちを、今なら理解できる。
「──流鏑馬ってあるだろ。走る馬に跨って上手に的を射るアレ。矢を放つコツは、標的が通り過ぎた瞬間を狙うんだ。……って、かなみちゃんが言ってた」
他人の受け売りをひけらかした後で、珖代は我に返り恥ずかしくなって頬をひと掻きする。師匠がするアドバイスの真似事はまだ早かったようだ。
「と、とにかくっ、限界まで近付いてはみるがチャンスは一度きりだ。絶対にハズすなよ!?」
勇者はもう一度バケツに顔を突っ込み、文字通り頭を冷やしつつガブ飲みする。
ゆっくりと水面から顔を上げ、冷静に返答する。
「……はい。当てます」
「オーケー」
勇者は荷台のヘリに掴まりながら準備に取り掛かる。
珖代は行き先を百八十度変え、軽トラをとばす。
接近するアルデンテの周りには、既に数え切れない程の屍兵がひしめき合っていた。
「見えた。あそこだ勇者!」
それでもアルデンテの姿が辛うじて目視出来たのは、その数え切れない屍兵のほとんどがリズニアを中心に集まっていたからだ。
「百は優に超えてるが……あいつ、一人で応戦してやがる。ホント大した女神だよ」
一部始終が覗ける外野からでも、その凄さは伝わる。見えるのは本人よりも剣先や吹き飛ぶ骸骨ばかりであったが、女神の余裕感はひしひしと伝わる。
少し離れた場所でリズニアの戦いを鑑賞しているアルデンテは夢中になり過ぎているせいか、トラックに気付いている素振りをみせない。
少年がニヤケ顔のままリズニアを観察している今がチャンスだと珖代は悟った。
「準備はいいな!」
バックミラー越しに万全の勇者を確認した。
「チャンスは一度きりだ! 一気に近付くぞ!」
珖代はタイミングを見極める為に、片手でハンドルを切りながら身体ごと勇者の方を振り向いた。
急接近したことでフロントに骨の剣士達が何度もぶつかっているが、珖代は特に気にする様子も見せないまま距離を詰めていく。
限界ギリギリまで詰め、離れていく瞬間──。
そこが狙い目。
「今だああああ!!」
珖代の叫び声と同時に放たれた〘黒点の矢〙は豪快かつ純粋で、曇りなくしなやかに飛んでいく。
黒の点は黒い線となり、アルデンテに吸い込まれていく。
それでもまだあの少年は気づいていない。
故に、命中した。
いち早く気付いた屍兵に──。
「……くそっ!」
目の前で自分の兵が燃え出せば、当然奴も気付く。
悦を邪魔されたアルデンテは目を細め、二人を睨んだ。
矢をハズしてしまった勇者は睨まれたことにも気付かぬまま張り詰めた緊張が解け、壁に持たれるようにして倒れた。
逃げるトラックに対し、アルデンテは指を鳴らす。
パチンッ──。
武器を持たぬ骸たちが次々と現れ、退路を塞ぎにかかる。その数、二百体。
「このおおおおおぉぉ」
珖代は華麗なドライビングテクニックによって、そのほとんどを避けてみせた。
元の世界で使っていたトラックと比べ、小さく小回りが効く分操作しやすくはあったが、後ろに勇者がいることは忘れていない。
「どけどけどけどけぇー!」
大きく切りすぎずギリギリを攻めていく。
その時、後方からまたしてもパチンという音が響いた。指を鳴らす音だ。
「アイツら、スクラムなんか組んで、何を……まずいっ!」
互いの隙間を埋めるように組んでいる骸たちが何層にも重なり、巨大な坂を形成していた。その数はついに五百を超えた。
珖代は骸を避けてきたことでそこに誘導されていた事実を知る。取り返しがつかないこのタイミングで漸くそれに気付いた。
「勇者! しっかり掴まってろぉー!」
後ろにまで気を回せないとばかりに豪快にハンドルを回す。
普段であれば坂に乗り上げる程度で済むのだが、そこはアンデッドの塊。小さくまとまっていた骸たちが壁となって一斉に立ち上がり、軽トラが跳ね上がり宙を舞った。
空中で二回転半。
満身創痍だった勇者はトラックから放り投げ出され、珖代は三階ほどの高さからトラックごと落下した。
運悪く軽トラはひっくり返って止まる。
無惨にも前方がひしゃげ、荷台の荷物はぶちまけられる結果となった。
「かっ……ぁ」
宙吊り状態の珖代がベルトを外す。割れたフロントガラスの上に落ち、そのまま這いずりながらドアに手をかける。
原型を失ったドアは歪んで開かない。そこで、腰のホルダーにある〘トクホーク〙を手に正面ガラスを破って出る。
外へ出ようとすると、聖剣がドアの前に突き刺さっていた。とりあえずそれを抜き、珖代は勇者を探す。
「勇者ぁー!」
いた。そう遠くない場所で倒れている。
「このぉお!!」
何をするでもなく、勇者に群がる骸たちを珖代が駆け寄り全て駆除した。その後、勇者の腕が火だるまなことを知りポーション入りバケツをぶっかけた。
「おい! しっかりしろ! 勇者!」
肩を抱き支え、徒歩でユールに向かう。
「こんな所で終わる気かよッ! 一矢報いてやるんじゃなかったのかよッ! なぁ……!?」
左腕で勇者を支えながら、右手に持った聖剣で迫り来る骸たちを薙ぎ払う。
「痛っ……」
アルデンテに貫かれ本来セバスに治して貰うはずだった左肩は、時間がかかると踏んで治療していない。さらに、トラック転倒時のケガにより頭からはドクドクと血が流れており、視界が奪われていた。
照りつける日差しも容赦なく体力を奪っていく。
「ふざけんなっ……ふざけんな……!」
焦る気持ちとは裏腹に、思考がボヤけ足取りが重くなる。
一人でもユールにたどり着くのは困難な状況。それでも珖代は洸たろうを担ぐことを辞めない。
こうなったのは自分のせいだと自身に言い聞かせ、責任すらも背負おうと無駄な努力を働かせる。
一人でどうこうすることなど、もう出来ない。
その時だった。
「喜久嶺さぁん!!」
「はぁ……はぁ……中島さん……?」
現れたのは〈レイザらス本店〉店長の中島茂茂とレイザらスの精鋭部隊、少数。
「どうして此処に……?」
「仕事の帰りにたまたま通ったんです。それより酷いケガだ。医療スタッフのラクラとゲールさんは二人のケアをお願いします! 他の皆さんは私についてきてください。トラックをひっくり返しますよ!」
理由を知らないにもかかわらず、的確な指示を飛ばす中島。五人の男女はまとまって返事をし、テキパキと行動を開始する。
そのうち二人が、珖代の元にやって来た。
「喜久嶺様」
「俺は大丈夫ですよ」
「しかし」
「それよりこいつを」
勇者を二人に託し、珖代は骸たちを追い払いにいく。
「お前達の相手は俺だ!」
聖剣で砕かれた骸は元に戻ることはないが、骸たちはそんなことはお構いなしに次々と襲いかかる。
その間にも中島を中心としたメンバーが軽トラを必死に起こす。
「せーのっ!」
転移前、少し離れた所からトラックの下を眺めていた男は今、自ら率先してトラックを持ち上げている。
そうしてトラックを持ち直した。
ひしゃげた運転席のドアを外し中島は運転席に乗り込んだ。動かせるのか確認するためだ。
「はぁっ、よし!」
幸い、エンジン系にトラブルは無かった。
動くことを確認すると部下に荷台に乗るよう指示を出す。
部下と勇者が荷台に乗ったことを確認すると、中島が運転する。
トラックはそのまま珖代に横付けする形で一時停止する。
「喜久嶺さん! 乗って! さあ早く!」
救世主がトラックに乗ってやってきた。
助手席を空けて手を伸ばす中島であったが、医療スタッフがケガを診る為に珖代を荷台に誘導する。荷台には気を失う勇者の姿も。
珖代が荷台に乗り込んだ所で、中島はユールを目指し運転を再開する。
拾い上げた治療キットから包帯を取り出しスタッフは珖代の方を向くが、頭を押さえながら珖代はひとまず断った。
「俺より、まずはそっちを診てやって下さい」
「分かりました」
勇者への診察と治療が荷台で行われる。一行は気が抜けないまま、戦線を離脱した。
「頼むから死ぬなよ……。お前まで死んだら誰が仇を討つんだ、洸たろう……」




