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その男、ピースにつき⑨


 

 「ごちそうさまでした」

 

 アルベンクトにそう告げるとこの日一番の笑顔を見せた少女は、カウンターに多めのお金を置いて入り口まで迷いなく歩きだす。しかし、ドアの前まで来ると突然立ち止まった。

 

 「さようならは言いません。ですが、これだけは約束してください──」

 

 弟子はそれまでの冷たい笑顔を消し去り、激しい怒りに渦巻いて振り返る。

 

 「──私やこうだいくん(・・)の前に、二度と現れないで」

 「……。」

 

 返事をもらえなかったことに最後の最後まで失望した少女は、ドアの方に向き直ると強く否定の言葉を投げ掛け、ドアノブを軽く握った。

 

 「まあ、誓ったところで信じませんけどね。敵の言葉なんか」 

 

 

 カランカランカラン──ガチャ。

 

 

 鈴の音はむなしく少女の背中で送って鳴った。扉が閉まると外から吹く風が収まり空気が(よど)む。

 

 時でも止まったかのような重たい空気を意に返さず、アルベンクトはユイリーのグラスを持ち上げテーブルを拭きはじめる。

 

 「惜しかったわね。もう少しでただ言うことを聞くだけの便利なお人形ちゃんの出来上がりだったのに。アタシみたいに」

 

 アルベンクトは知っていた。その男が賜卿であると、はじめから知っていた。

 

 「くくく、くくくはははは……」

 

 ダットリーは突然笑いだした。崩れるように、呆れるように。死にかけのセミのようにジリジリと鳴いた。

 

 「オレが嫌いか! そうか。混ざりものじゃないオマエがそう言うなら、そうなんだな。笑えるな……ホント」

 

 肘をつき、グラスを置くでも傾けるでもなく口を歪めるダットリー。彼はユイリーの本性を責めない。むしろ関心していた。

 

 「大した女だ。ギリギリまで酒を飲むふりしてオレを焦らすか。オマケにトンデモねえ約束までふっかけやがって。肝心な時に大胆なのは母親と似て可愛げがねえなあユイリー」

 「あら、ちゃんママと会った話、それ捏造エピじゃなかった?」

 「知らねぇ。覚えちゃいねえ」

 

 そう言って男がグラスを置くと、アルベンクトがふと疑問を口にする。

 

 「ねえ、前から思ってたんだけどさ、ユキちゃんにピースを譲ったのはナゼ? どうしてあの子たちなワケ?」

 

 まだ雪谷字が存在していた頃の、ダットリーの不可解な行動について探りを入れ出すアルベンクト。

 

 「あん時のアンタには権限(ピース)を取り返す手段もナニもあったもんじゃなかったハズよ。咄嗟とはいえあの場を(しの)ぐ方法なら他にいくらでもあったでしょうに、あえて譲るようなマネをした。……もしかしてだけど、ユイリーちゃんのこといつからか後継者として見てたんじゃない? ……いや、そもそもアンタみたいな堅物が情に流されて弟子を取り始めた所から変だったのよ。弟子として受け入れたその時から既にアンタは──」

 「だから知らねえって。オレの過去をオレに聞くな」

 「ずっるい逃げ方」

 

 否定も肯定なく、過去すら曖昧な自分に分かるはずがないと反論する五賜卿ピース。アルベンクトはその代償を理解した上で『ずるい』と悲しい目を向けた。

 

 「……『失う辛さ』を失うこと、それ即ち最も辛いことだ。酒の味も今日の出来事も、明日には忘れてるかもしれないそんな中で、情のある奴がこんな力受け継がせると思うか?」

 「本当に大事なら継承はしてないってこと? よく言うわ。寂しがり屋のくせに」

 

 

 

━━━━━━━━━

 

 

 

 カランカランカラン──。

 

 ユイリーは落ち着き払った様子で店を出たがその足はだんだんと速く前に進み出し、道なりの角を曲がった。

 

 そこはバーの向かい側から数軒離れた所にある店と店のスキ間の路地裏。

 路地裏に入った彼女は壁にもたれ掛かり、胸の前に抱えた杖を落として咄嗟に手で口を(おお)った。

 

 「うぅ……あ……ぁあ……」

 

 溢れ出そうなうめき声を必死に抑え込んでも、震える足では体重を支えきれず背中で壁を引きずる。

 へたりと地面に座り込む時にはその起伏の激しい感情はついに涙となって大量に溢れた。

 

 そんな彼女の頭の中には、とある日記の一部がリフレインしていた──。

 

 

 ──○月✕日。

 

 『お姉ちゃん、ピースじゃないでしょ?』

 『どうしてそう思う』

 『今までそんな素振り一度も見せなかったから』

 『そらそうだ。じゃなきゃカミングアウトとは言えなくなる』

 『それもそうなんだけどね、何だかこの身体が違うって訴えかけてきてる気がするの。だって知らないでしょ? いつからピースやってるとか』

 『ユイリー、お前は何を知ってるんだ』

 

 一人(・・)しか知らない最後の二ページ。そのやり取りには衝撃的な言葉が詰まっていた。

 

 『私じゃない。お姉ちゃん自身のこの身体から記憶として流れて来ないんだよ。私が知らないはずの珖代くんとの思い出は伝わってくるのに、ピースだって言うそれが私には伝わってこない』

 

 ──○月△日。

 

 『記憶転移かもしれない』

 『?』

 『ごく稀にだが移植(いしょく)した他人の臓器(ぞうき)の影響を受け、性格が変わったり知らない過去を記憶していたりする人間がいる。分かるように言うと、器が元々俺のものだから、入れ替わるたびにお前は全身で俺の記憶を受け取っていたんだ。ようやく俺の影響を受けていた理由が分かったな』

 『じゃあ、ピースって言われてこの身体が納得しなかった理由は?』

 『その話をする前にまずやってもらいたいことがある』

 

 姉からは五つの条件が提示された。

 

 ①他のページと同じく、このページは切り取ること。

 ②ここで話した内容は誰にも伝えないこと。

 ③他の破いたページは保管。必要だと感じたら見せること。

 ④俺たちどちらかが消されるような事があれば、このページは誰にも見せず捨てること。

 ⑤捨てる時が来たら、必ず見返し今後の方針を固めること。

 

 

 『以上のことを守って欲しい。できるか?』

 『分かった( ‐ω‐)b』

 『ユイリーがこの身体を操ってる時、俺は目、耳、口、五感を共有しているから外に出て来なくても状況が分かる。だがそれでも俺はピースになった時期を覚えていないし、なんなら今までそんなこと気にもとめなかった。五賜卿だと思い込まされてるのだとしたらマズイな』

 『うん』

 『異世界語にも日本語にも矛盾を残さず記憶をイジれる奴なんてそう居ない。おそらく、本物のピースと見て間違いない』

 『そうだね。近くにいるね』

 

 ──○月□日。

 

 『俺はこれからもピースとして振舞ってみる。そうすれば本物が向こうからやって来るかもしれないな』

 『その必要はないよ。もうめぼしはだいたいついてるから』

 『それは』

 『アルベンクトさんか、レイさんか、ダットリーししょうだよ。この三人とお酒を飲んだって書いてある日からお姉ちゃんの言葉と身体が噛み合わなくなってるから』

 

 ──○月◎日。

 

 『もし仮に、お前のししょうだったらどうする』

 『その時は、私から離れる。心無いこと言ってでも必ず』

 『やれるのか? ユイリーお前ひとりで』

 『大丈夫。覚悟は出来てる。だから教えて。ピースはどんな事をしてくるの?』

 

 雪谷字は妹にピースの能力の全てを語った。

 

 ユイリーはこのページを切り捨てる直前、しっかりとその内容を読み返し始めた。

 

 『いいかユイリー。焦ったヤツが酒を飲ませようとしてきたら、ほぼピース確定だ。何があってもその酒は飲むな。いくら何でも街中で突然おそわれることは無いはずだから、ピースだと分かったら慌てずに街を離れる準備をしとけ。それと、珖代にもピースの正体は伝えるんだぞ。姉ちゃんとの約束だからな?』

 『ありがとうお姉ちゃん、大好きだよ』

 『ああ、俺もだよユイリー。絶対にどちらかが生き残ってピースのやろうをぶっとばしてやるぞ』

 

 読み返したそれをビリビリに破いてゴミ箱に捨てるユイリー。ユイリーはこの時、ピースの正体がダットリーであるとほぼ自覚していた。

 理由は特にない。ただなんとなく、この身体がそうだと告げていたから──。

 

 ただ、彼女は方針を固めることが出来なかった。街を出る踏ん切りがつかなかったこともあるが、なにより師匠が裏切り者である可能性が高くとも、それを素直に認められなかったのが大きかった。

 

 

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