第百六十話 その男、ピースにつき④
「殺せば取り返せることは分かっていた。だから……ああいう結果で終われたのは僥倖だった。こうだいがオレの目の前で突然ヤツを刺した時は、正直キモが冷えた。信用を勝ち取れなければ刺されていたのはオレだったってなワケだ」
戻ることも、進むことも出来ない退路の絶たれた地下通路で語られる男の話に、セントバーナードのセバスはそれが真実か虚実かに関わらず黙って聞いた。
「アイツと酒を酌み交わしておいて正解だったよ。おかけで、一度信用を構築したニンゲンへの効力は永久的に持続することも分かったしな」
セバスは全てを聞いた後に反応するつもりで自分の前足にアゴを乗せて聞いている。
「ユールにはオレの気分次第で記憶をイジれる奴がウヨウヨいる。しかし──……オマエさんは例外だ。オマエさんに信用を抱かせる様なことはこれまでしてこなかったし、過去に一度も食事を共にした経験もない。つまり、オマエさんの語る過去は “改竄の余地がない真実” だってことになる。オレにとってそれはヒナが帰ってくる次に待ち望んでいたことなんだ──」
そうして男は、噛み締めるようにピースの最も恐ろしい力について語る。
「──なぜならオレは、オレ自身の記憶すら本物かどうか分からねェからよ」
「──!?」
軽いジョークのように男は笑ってのけるが、セバスは眉を上げて驚いた。自分自身すら信じられない状況で、今日まで生きてきたとその境遇と精神力に絶句した。
「だもんで、いつから自分が五賜卿かも分からねえし、ヒナが実在してたかすら怪しかった。だから……、だから本当に感謝しかねえんだ。おかげでオレは生きる意味を失わずにいられる。ありがとうセバス、この恩はいつか必ず返す」
男の人生に同情すら覚えたセバスがバツが悪そうに目を逸らすと、その静寂を破るように掘削音が突如として響く。
……──ガガガガガガァ!!
ドリルが岩を穿つその音はだんだんと近付いてきて、二人のすぐ横の壁が崩壊した。崩壊した壁から漏れだす陽光を浴びる誰かの影が伸びる。
「嗚呼、どうやら来たみてえだな」
「師匠ー! セバスさーん!」
希望の光は少しずつ広がって、その先から聞こてきた。声の正体が喜久嶺珖代。セバスはその声にシッポを激しく振るが、息を潜むように立ち上がるダットリーを警戒し見上げた。
見下げる男は鼻で笑う。
「安心しろ、オマエさんには何もしない。オレの過去を知る大事な生き証人のオマエにはな」
それはまるで『オマエ以外にはどうするか分からない』と言われているみたいで、戦々恐々と脅されている事実をセバスは理解した。
「ここがあたりか!」
「こっちだー! 来てくれー!」
「救護班急げ!」
「タンカ降ろしまーす!」
ヒトひとり分が通れるくらい穴が広がると、沢山のヒトの声が外から漏れだす。ダットリーはセバスの横を通り過ぎて大勢の元へと向かう。途中、背中越しにこんな事を口にした。
「同じ女を愛した仲だ。平和に行こうぜ」
光に導かれながら歩くセバスは思った。この男の何も信じては行けないのだと。
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---珖代視点---
運命の追放から一年半。
俺たちはついにこの日を迎える。長い間お世話になったユールを離れるときだ。
──自宅──
朝。ランドリーチキンたちの鳴き交わしが終わる時間帯。
大事なものをこれでもかと言うほどバックパックに詰めた俺は仲間たちとリビングで合流し惜しみつつも平屋を出た。
半年以上住んだ平屋は売り払うことも考えたが、デネントさん達やレイの部下たちが持ち回りで管理してくれることになったので、それは無くなった。
持ちつ持たれつの関係ということで、俺たちが居ないあいだ空き家は自由に利用していいように伝えた。しかしデネントさんは店を手伝ってくれたお礼、レイザらスは人生を変えてくれたお礼と言い、管理しかしないと頑なに譲らなかった。
俺たち的にはどっちでも良かったりするのだが、いつでも帰れる家があるっていうのは精神的安定に繋がる。だから断る理由はなかった。
旅の同行者にはあの最強犬、セバスさんもいる。どういう心境の変化か分からないが、昨日突然『一緒にこの街を出たい』とお願いしてきたのだ。
あの救出劇からすでに五日が経っているし、健康面でも問題ないとして俺たちは同行を許可した。むしろ┠ 限定回帰 ┨モードのセバスさんは百人力なので食い気味でオッケーした。
「カオウ! コーダイ」
「カオウ、ジンダ? それにみんなも、どうしたんだ」
驚いたことに玄関の戸を開けると、そこには顔馴染みの冒険者たちがにんまりと庭越しにコチラを見る光景が広がっていた。朝っぱらから庭前に勢揃いである。
「水クセェじゃねーのコーダイ。オレらに挨拶もなしに出てくなんてよ」
「そうだぜ、クールに去ろうなんてそうはいかねぇぞ?」
「別れのあいさつくらい言わせてくれってなハナシだわなぁ」
いや、彼らだけでは無い。一度二度しか見たことない者たちから何度もお世話になったヒトたちまで、庭を隔てた先の路にはたくさんのヒトで溢れ返っていた。
「でも、どうして分かったんだ?」
熱烈な送別にたじろいでいると、デネントさんが息子のレクムくんを連れて申し訳なさそうに前に出てきた。
「ゴメンよ、うちのガキが全部話しちまったみたいでさ」
「そりゃ話すだろ! 知らねーウチに居なくなってたらみんな嫌に決まって……テっ!」
逆ギレ気味だったレクムくんは頭をぽかんと殴られ涙目になった。
「痛てぇよ母ちゃん!」
近いうちに旅立つことは大勢に伝えていたが、今日の朝と云う情報はごく一部にしか伝えていない。だから数人の見送りを予想していたが、まさかレクムくんのおかげでほぼ全員集まるとは。
「アンタのせいで朝から街は大混雑なんだよ!? 反省してんのかいレクム」
怒るデネントさんの言葉が分かる。俺はもう通訳の要らなくなったこの耳と声でデネントさんをなだめる。
「まあまあ、俺たちのことを思ってやってくれたことですから。レクムくんありがとね」
「は、はい! キクッさんも冒険頑張ってください!」
ヤンキー舎弟みたいな綺麗なお辞儀がレクムくんから飛び出す。
──俺のことそう呼んでたの?
家を出たからにはとりあえず北の第一防壁門へ向かうのだが、いかんせん大勢が付いてまわって混雑するので、元貴族領主のカークン・ハート・ワトシンさんが気を利かせて、普段は閉め切っている西の第四防壁門を特別に開けてくれることになった。
ちなみにワトシンさんは八才にしてユールの辺境伯になった秀才で、当時は貴族しか領土を持つことが許されておらず、その身分をトッタスさんの初代町長に利用され、気付けば領主になったという過去を道すがら笑い話として語ってくれた。
「へーじゃあ半ば騙されて領主に? 大変だったんですね」
「ははは、そうなりますかね。今となっては楽しい思い出です」
貴族の身分はもう捨ててしまったそうだが、五十代手前にして今でも真面目に領主を続けているのだから尊敬しかない。
ワトシンさんやトッタスさんがいる限り、この街は安泰そうだ。レイザらスもあるし思い残すような小さな杞憂も無くなった。
あとは、最もお世話になったあの二人に別れを告げるだけだ。




