第百五十九話 その男、ピースにつき③
「……てめェが……よりによっててめェがそれを……──。ユイリーへの侮辱と受け取っていいんだな? ……なァァ!! そうなんだよなァァ!?」
ユキは激怒した。
その息は荒く、拳は強く握られている。今にも暴れたそうに震えている。
「おい、その言い方はなんだ。ダットリーさんの深い思慮も読み取れないのかオマエは」
「落ち着いて、深呼吸。正気になればきっと自分が間違ってたって気付けるから。ね?」
ユキタニアザナは “孤独” に取り残された。喪失感と疎外感が同時に押し寄せ、自分を包む空間が魚眼レンズのように歪んで見えてしまうほどに。
そういう意味では確かに “正気” ではなかった。
妹が師匠と慕う相手はその実、蛇の毒ほどの悪だった。そんな男に対して膨れ上がる憎しみは去ることながら、妹をそばに長く置いてしまった自分自身への怒りすら湧いて、ユキは憤りを抑えきれない。
正義感からの追求はもう出来ない。そう思ったユキは私怨を持って男を睨み続けた。
「シラフじゃあ、酔っ払いと話しは合わねぇよな。どれ、オマエさんもこっち側に来るといい」
あまりに軽率すぎるその言葉に、不審に思ったユキは酒の入った男のグラスを覗き込んだ。すると、琥珀色の水面に引き込まれ黙って喉を鳴らした。飲んだこともない酒の誘惑に喉が渇いてたまらないとばかりに。
ダットリーは無言で立ち尽くす彼女の為に爪でカウンターを二回叩いて注文した。
「アルベ、こいつにもレイと同じモノを」
「そーゆーと思って、作っておいたわよ」
ユキは手際よく目の前に置かれた酒とレイの前に置かれている酒を立ったまま交互に凝視する。そして、何かに気付いて瞬きをやめた。
「酒か……? 酒に何か混ぜやがったのか……!? 危険だレイ、それ以上飲むな!」
「おい、何すんだ!」
「ちょっとストップっ、ユキちゃん乱暴はダメ!」
突如、悪魔にでも取り憑かれたようにレイの持つグラスに掴みかかるユキ。それに抵抗するレイ。カウンターから出てきて二人の仲裁に入るアルベンクト。
どちらが騒ぎを起こしているかは明白で、アルベンクトは豹変したユキを後ろからはがい締めにした。
「この! クソが……! そうか、そうなんだな?! てめェら揃ってグルなんだな!!?」
「ちょっ、ホント落ち着きなさいって! ……落ち着けよゴラァ!」
怒りに邁進し己の正しさを意地でも貫き通そうとするユキは、明らかに間違い続ける二人をダットリーの共犯者だと決め付けた。
普段の冷静かつ大胆なユキであれば、レイとアルベンクトが利用されていることにも気付けたかもしれない──。
「何を──っ! バカか貴様は」
右手を神技の淡い光に纏わせて戦闘態勢に入ろうとするユキだったが、その企みはレイによって防がれバーカウンターに頭を押さえつけられる。
「その力をオレたちに向けるとはどういう了見だ! ユキタニ・アザナ!」
「……カカカ、よーく冷静になって考えて見りャーよォ……あのタイミングでユールを窮地に陥れて得をするやつァ、……限られてくるよなァ?」
「レイ、アルベ、そいつをしっかり押さえてろ」
テーブルに引き伸ばされながら、不気味な笑みを浮かべるユキに何かを察したダットリーはそう命令した。
「……かなみちゃんの報告が確かなら、奴らは仲間への報復のために全員集まるハズだった……。だがひとり──ひとり、集まらなかった奴がいる」
「それがどうした」レイはそう言ってユキの手も押さえにかかる。
「戦いが終わっても、ソイツはついぞ出て来やしなかった……。サボったか逃げたか、はたまた死んだのか。色々な説が浮上したがァ……答えは “潜伏” だったワケだ。……カカカ」
アルベンクトは低い声で「てめえいい加減にしろよ?」と呟くと両手の自由を奪った。苦悶の表情を浮かべながらもユキは構わず続ける。
「何一つ証拠は掴めちゃいないが、疑われても仕方ねェだろ……。それだけの事をしてきたんだからなお前は。ヤツらの最後のピース……、お前の正体は──」
バンッ!
ダットリーは飲み干したグラスをカウンターに叩きつけ、ユキをひと睨みする。
「いい加減にしねぇか。酒が不味くなる」
「──威勢が良いじゃねェの、五賜卿さん?」
「最後に言い残す言葉はそれでいいか?」
「もうお黙りユキちゃん! ジジイも挑発に乗らない! この話はもうおしまい!! 仮に五賜卿だったとしても、ワタシは……ジジイを信じるわ。そういう風に出来てるから……」
「怪しいから、だけじゃオレたちはダットリーさんを裏切れない。だからもう諦めてくれ」
大いなる流れには逆らえないと口にする二人の発言を口を半開きにして聞いていたユキは、レイとアルベンクトが裏切り者というより操られている立場にあるのだと、このとき初めて理解した。
敵を一つと定めた雪谷字に、もはや迷いはない。
「そうか……。そういうことか」
ギヂヂヂヂチ──ッッッ!!!
ユキは澄ました顔で何かに気付くと、全身に神技を纏う型を披露する。その力の衝撃に押し出されるように吹き飛ぶレイとアルベンクトは狭い店内の壁にぶつかり卒倒した。
「気絶か」
ダットリーは歳を微塵も感じさせない反射神経で回避すると、流し目で二人の状態を正確に分析してみせた。
輪郭を揺らす光の奔流がバチバチと燃え盛るように揺れながらダットリーに詰め寄る。文字通り光るその目には、殺意という名の覚悟が宿っていた。
「酒に何を混ぜたか、コイツらに何をしたのか知らねェが。ユイリーは優しい子だ、きっとあんたを信じちまう。だからここでくたばってくれ、ワイルド・ソール・メン・ダットリー」
「過保護な姉を持ったな。ユイリーは」
ユキが弓を引くポーズを取るとたちまち光の矢と弓が形成される。
そして──、十万単位のアンデッドを一瞬で屠った神の御業、その名が告げられる。
「【インドラの矢】」
「ピースインフィニティ」
覚悟を決めたのはダットリーも同じ。
ユキの記憶を強制的に改竄させる言霊を放つ。
代わりに、持てる権限の全てを讓渡する代償を享受して。
それは継承する行為。
『ピアニッシモ』が動物と〝交渉〟することで力を得るように。
『ラッキーストライク』が血筋という〝幸運〟に力を得るように。
『──』はヒトからヒトへ、鬼ごっこのように力を一方的に移す。
移されたものはその力がいつからあるものか自覚することはない。
しかしある日突然気付くのだ──。
その力を次に託したその瞬間に『自分も託されてきた』のだと。
やがて二人は淡い光に包まれる。
ダットリーがなぜ、彼女を後継者に選んだのか分からないままに。
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その四日後──。
自分がいつからピースなのかも曖昧な少女が珖代と接触を図った。目的は仲間である五賜卿ラッキーストライク(アルデンテ)を救うことと、ユイリーの短い寿命を伸ばすこと。
セバスを連れてやって来た珖代は、言われるままにアルデンテの封印を解こうとするが、そこにダットリーが現れユキがピースであることを告げられた。
珖代は迷いながらもダットリーを信じてユキを刺した。そして、ユキが死んだことで能力はダットリーの元へ戻ってきたのであった。
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