第百五十五話 ダン・レトレッド・ダットリー
少しだけ時系列が前後します。申し訳ありません!
治療していたのは一匹の狗。
犬種──ゴールデンレトリバー。
金色の毛並みが美しく揺れる大型犬。
ボヤけた視界ではそれが何か見分けがつかないセバスだが、安心したように涙をこぼす。
──ああ……そうか、……良かった……。私は最後に、お前を……守れ……たん……だ……な……。
そのままゆっくり目をつむると、自然に身を任せるようにスっと意識を落とした。
━━━━━━━━━━━━
白金髪の少女に無慈悲にも肉塊に変えられる兵士たちの中に、何故かひとりだけ異様に上手く立ち回り、食らいついている男がいた。
男の名はダン・レトレッド・ダットリー。
その正体は、協会の要請を受け戦争へ駆り出された妻を陰ながらサポートするため、身分を偽り兵士としてこの戦争に参加する大貴族レイティア家の婿養子である。
男は妻にすら隠して戦争に参加していた。それは今回が一度目ではなかったし、必ずしも味方の陣営になるとは限らなかったから。なにより、妻の望むことではなかったからだ。
男のモットーは "実力者を倒す" こと。
自分よりも強い者に果敢に挑むこと、もしくは妻より強い者を積極的に倒すことで、妻が戦死するリスクを下げる狙いがあった。
ヒーラーの妻が戦争に派遣される度に、そうして幾つもの修羅場を生き延びてきた男は、信じられないほどのスピードでメキメキと腕を上達させた。しかしそんな男にも倒せない者がひとりいる──。
「久しいな怪物、今日こそ死んでくれるか」
「コロス、コロスコロス!」
それが白金髪の少女。男にとってライバルと呼ぶべき存在だった。
少女はどこからともなく血の匂いを嗅ぎ付けると戦場に乱入し、無差別にヒトを殺しまくるという怪奇行動を繰り返す生き物だった。一単語のみを発し、目に付いたニンゲンを殺しまくる二刀流のその姿はまさに『怪物』の一言に尽きる。
ダンはあらゆる戦場でその怪物と対峙し、幾度となく戦いを余儀なくされてきた。巷では『S級のダットリー』と畏れられたダンでも、『怪物』には単純な実力で劣っており一度も勝ったことがない。それだけ少女は強かったし、ダンも器用に立ち回りなんとか生き延びてこれた。
『勝つことが目的ではない。妻さえ生き残ればそれで』とダンは毎回自分から戦いを挑み、注目をわざと買って時間稼ぎをしていた。それは今回も同じだった。
「チッ! 待ちやがれ!!」
その日、ダンは何処からともなく現れた屍兵の妨害を受け、迂闊にも少女を逃してしまった。──初めての失態である。
「どこまで行きやがった、あのヤロー……」
妨害を振り切り血眼になって少女を探していたダンは、悲鳴が木霊する方向に迷いなく走った。その先に彼女がいることを、ある意味で信用して向かった。
むせ返るほどの濃い血の匂い。
辺りには山ほどの死体。
──間違いない、あの怪物はここにいる。
「ヒナ……?」
そう推理したダンは、偶然にも視界の端に妻を捉える。怪物と睨み合う、片腕のない妻を──。
「うう゛ぁ゛──!!」
猛り狂う男はそれを怪物の仕業だと断定し、怒りをブチまけるように斬りかかった。とはいえ冷静さは欠かない。妻の回復魔法なら腕が治せることも知っていた。しかし妻は、腕を治すことを躊躇うような行動をとる。
「何をしてる……? さっさとその腕を治せヒナ。オレも長くは、もたねぇぞ……」
ダンは愚痴を零しながらヒナから距離を徐々に取り応戦するが、一対一で怪物を抑え続けるのにもそろそろ限界があった。
「ガッ……!」
怪物の抉るような低い位置からの薙ぎ払い。ダンはそれをなんとか躱すも腹蹴りを食らい遠くへ吹き飛ばされた。
「ヤロー……、ナメやがって」
ふらつきながら剣を支えにして起き上がるが、それと同時に目撃する。怪物に背後を取られたヒナが、身体を真っ二つに斬られる瞬間を──。
「ヒ──」
ダンがその名を叫びだそうとすると、背後から同じ格好をした兵士らが飛びつき無理やり口を塞ぎにかかる。
「──! ───、─!!」
もちろんダンは抵抗する。
「落ち着け……! 頼むから落ち着いて話を聞いてくれ……!」
「──、──せ! 離っ──!」
「黙ってくれればいい……! やり過ごすんだこのまま……!!」
「死にてぇのか……!! いいから黙って死んだフリしろ……!!」
「見つかるぅ……!! 伏せるんだよぉ……!!」
男たちは三人がかりで暴れるダンの上に乗り、強く押さえ付けた。それどころではないと起き上がろうとするダンの、頭を押さえ付けて視界まで奪う。
その時、目の前を白金髪の少女が横切った。
「「「「……。」」」」
その気迫に、殺意に、ダンですらやり過ごす方が懸命だと判断して押し黙る。
一秒、二秒。
歩く音を聴き逃さまいと立てた耳に心臓の鼓動が邪魔をする。
三秒、四秒。
ガシャ、ガシャンと鎧を踏みつける音がする。
五秒、六秒。
過呼吸を起こし兵士がひとり震えだす。
「いやだいやだいやだ……」
「うあああああ!」
「おい! 動くな!!」
恐怖に震え出した兵士とそれに釣られるように逃げ出した兵士、さらにはそれを止めようとした兵士が同時に騒ぎ立て見つかる。
逃げ出す三人を怪物が追いかける今がチャンスだとばかりにダンは妻の元に駆け寄った。
「ヒナッ……ヒナッ……ヒナ!! そんな……オレのせいだ、おれの……」
ダンは上半身だけになった妻を抱えて泣き崩れた。
たった一度の失態が、一瞬の油断が命を奪った。大切な妻を奪ってしまった。涙以上に後悔が溢れて止まらない。
「ヒナが何をした。てめぇに何をしたよ……」
やがて悲しみを吐き出すと、今度は憎悪が湧いてきた。元凶を許すなと、カラダが震えて止まらない。
背後からゆっくりと足音が近付く。
それ以外はもう、悲鳴のひとつも聴こえない。
ダンは立ち上がり少女と対面する。
「オレを殺してくれ」
ダンはそう言いながら怪物を剣圧のみで吹き飛ばして見せた。
矛盾する自分に戸惑いながらも、少女に剣を振るい続けるダンは一筋も涙を流さない。
「なあ殺してくれ」
「コロス」
「殺してくれよ」
「コロス」
「頼むから」
ダンはしばらく殺意も希望もない剣で懇願した。
~~~~~~~~~~~~
周りを巻き込みながら戦う二人の悪魔は、近くにいる方が悪いとばかりに兵士を斬り合い屍の山を築いていく。
夕陽に染められ空も大地も真っ赤にドロドロな様子を、ピアニッシモはぺたんと座り込みながら遠巻きに眺める。
「なんなのよ……これ」
意識を取り戻したばかりだった彼女は、敵味方関係なく動く者全てを斬殺する少女と互角に渡り合う一般兵の二人に恐慄いた。
あれらがニンゲンか、魔族か、もはやそんなことどっちでも良い。
──逃げなきゃ。でなきゃゴミみたいに殺される。
そう思った矢先、怪物と目が合った。ヘビに睨まれたカエルのようにとたんに身体は動かなくなる。
なんでもない攻撃の余波は地面を抉りながらピアニッシモに迫る。
「やぁ、来ないで……」
「ワウ!」
その時、一匹のイヌが現れた。
縦横無尽に殺し合う二人に巻き込まれ、もはや助からないと覚悟するピアニッシモ。だが、彼女が傷を負うそんな未来はなかった。駆け付けた一匹のイヌが彼女の襟を咥え、間一髪の所を救い出したからだ。
「え、えぇ?」
怯むピアニッシモは訳も分からないまま、そのゴールデンレトリバーの背中に乗り直してしがみつく。
「よ、よく分かんないけど、走って! 走るのとにかく!」
イヌは言われた通り、ひたすら遠くへ走った。幸いなことにダンと少女は闘いに夢中で追いかけては来ない。
「おっけ、ここまで来ればもう……」
間合いから逃げ出し安堵するピアニッシモがイヌを労おうと声を掛けようとする。すると電池が切れたようにイヌが足をもつれさせ、ピアニッシモは背中から投げ飛ばされた。
「痛ったぁ、何すん……のよ」
ゆっくりと上体を起こし睨むような視線を向けるピアニッシモ。だが、大型犬が大量の血を流し倒れていることに気付くと顔色を変えてすぐさま駆け寄った。
傷口からは黒い煙が出ている。ピアニッシモは立ち込めるその煙を見て色々と悟る──。
「【代償の治癒】。てことはあなた、さっきのヒーラーなの……?」
「ワ……ウゥ」
ゴールデンレトリバーは薄く瞼を震わせながら、自分の正体を肯定するかのように小さく鳴いた。




