第百四十四話 繋がり。
ウマ娘やってました。反省はしている。
大洞窟が崩壊を始めてまもなく──。
両腕を切断されたゴリラが既にこと切れた状態で横たわっている。死因は出血死。あるいは落ちてきた柱による脳挫傷。亡骸の前には青い肌をした女パーラメント神妙な面持ちで佇んでいる。
洞窟は今も激しく揺れているというのに、その空間だけはやけに静寂を纏っていた。
「ねぇ、いったでしょアップル。碌な死に方しないって」
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ネクロマンサー最強と呼び声の高い華麗なる一族グレイプ家に仕えていた給仕の少女はある日、書斎にて不思議な話を旦那様より承った。
「ウィッシュ・シロップ。お前の家は代々商人の家計だそうだな」
「はい、母方がそうでございます。幼い頃より物の売り買いのいろはは何度も叩き込まれて来ましたので、食材の買い付けなどはなんでもござ──」
「なら丁度いい。彼奴の同僚になれ」
「きゃつ? もしやアルデンテ様でしょうか」
彼女には話の流れが何となく分かった。ブランシールが彼奴と呼ぶのは息子だけで、その息子は新しく五賜卿に名を連ねたばかりだったからだ。
「でしたら同僚というのは……」
「五賜卿の座がひとつ空いた。グレイプ家が総力を上げ財産をなげうちようやく手に入れた挑戦権だ。是が非にもお前にお願いしたい」
「わ、ワタクシにですか……!? 一体どのような……」
普段は無口で要求も少ないブランシールが「是が非にも」と強く要望した事でシロップは動揺した。とりあえずメイド服を脱ぐ覚悟は出来ていた。
「……ミファレド商会?」
「立ち行かなくなった商会を買い取った。この商会の全権利をお前にやる。何処でどう使ってもらっても構わないがとにかく立て直してみろ。三年以内に。どうだできるか」
思ったような展開にはならずひとまずホッとしたシロップは、二つ返事でそれを受け入れた。メイドよりも商人としての素質の方が格段上であることを自負していた。というのもあるが、息子のために何かを残してあげたいと考えるブランシールの役に立ちたいと強く思ったからだ。
「お久しぶりでございます旦那様」
「四年か。遅すぎだが、ついて来い」
遅れはしたものの見事ミファレド商会の立て直しに成功したシロップは、素っ気ない態度のブランシールに連れられ、ロウソクの灯りがないと何も見えない地下の独房へと足を踏み入れた。異様な寒さと湿気と鼻を突く臭いにクラクラしかけるが、シロップは長いこと屋敷に住み込みで働いていたにも関わらずこの部屋の存在自体を知らず、「これは……」と驚かずにはいられなかった。
ガチャ。ギィー……。
「信じられないと思うがコイツが今のパーラメントだ。能力を得るために殺せ。情報操作と隠蔽工作はこっちでやっておく」
ギィー、バタン。
「ウホ……」
独房には鎖に繋がれたゴリラがいた。
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「初めて出会った時は今よりも血だらけでしたね。……ワタクシと一緒に来ればいい死に方はしないと行ったのに」
パーラメントはふいに上を見上げた。月明かりが眩しかったのか目を細める。
「殺せ」というブランシールの命令にシロップは妙な違和感を感じていた。殺すだけなら誰でも出来る。なのになぜ商人としての経験を積ませたのか。
考えて考えぬいた末、シロップは交渉を始めた。鎖で繋がれた言葉も意思も通じないゴリラに対して。
交渉は昼夜問わず数ヶ月に渡り行われた。時には手料理を振舞ったり、言葉を覚えさせようともした。そうしてついに、シロップはパーラメントを継承した。殺すのではなく交渉の力で言葉も意思も返せぬゴリラから力を受け継いだのだ。
ブランシールは殺さない選択をしたパーラメントに何も言わなかった。故にパーラメントはそれが正しかったと感じた。しかし、一つだけ誤差があった。
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「え、旅のお供がしたい?」
「ホゥ!」
「アナタねぇ、せっかくパーラメントを辞められたのにまだ戦う気ですか? 故郷に家族も置いてきてるんでしょ? でしたら帰りなさい。帰った方が絶対いいですって」
ゴリラはしょぼりとした。
「はぁ……。ワタクシといると碌な死に方はしませんよ?」
ゴリラは激しく喜んだ。
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「次は悪い魔女に合わないように」
「パーラメント様ここは危険です」
ウルゲロの杖でパーラメントは安全は場所へ移動した。
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「珖代殿ッ!」
「セバスさんッ!」
そこは一本道。二人の間を裂くように大きな岩が落下しあっさりと分断された。
洞窟の崩壊は始まっている。
時間がないと悟った珖代は、衝撃で砕けた岩のスキマからセバスに向け手を伸ばす──が、あと数センチが足りない。
「セバスさん、手を!」
向こうから伸びてくればその数センチの差は埋められる。そう思い助力を要請するが、僅かなスキマから見えたのは、セバスが首を横に振る姿だった。
「すまない。どうやら私にはまだ……。先に行っててくれ、珖代殿」
手を伸ばす男には脱出ルートを目指せるが、分断されてしまった全盛期の女にはそれが出来ない。
今。救いの手を掴まなければ、脱出できる可能性は限りなくゼロ。
「二層、最下層に出口はありません! 今上に行く手段を失ったら終わりです! だから手を、さあ早く!」
珖代は大洞窟の構造的事情を知っていた。元義賊長にしてレイザらスの現ボスであるレイから聞き及んでいたのだ。
「あ? ねぇよ、下層になんか出口。洞窟全体が限界なんだ。だから造れない。掘る時に造った二十四本の支柱にヒビが入るか、新しいトンネル造れば確実に崩壊してオレたちゃぺちゃんこよ全員」と。
珖代は動こうとしないセバスの気配を感じ取りさらに続ける。
「何やってるんですか……? ねぇ、セバスさん! そこにいるんでしょ?」
「先に行っててくれ珖代殿。必ず追いつく。あとで必ず。面倒だが見殺しも後味悪い。アイツを連れ地上に必ず這い上がるぞ」
「でも方法が……!」
「私に構うな! 脱出できるうちに行けっ!」
こく一刻と深刻になる現状。珖代は自分の身の安全も保証出来ない現状にひどく当たりたい気分になり「あぁクソ!」と叫び声をあげた。
そうして離れようとした時、レイの言葉の続きを思い出した。
「昔、最下層から直通を掘る計画があったんだが、途中で頓挫しちまったよ。地上目前で崩れて封鎖だ。今はガキ共が間違って入らないようにデカい扉でフタしてある。鉄の扉でな」
「セバスさん鉄の扉です! ムリだと思ったら最下層の鉄の扉を目指してください!! その先が最も出口に近いハズです!!」
「ああ! 分かったぞ!」
珖代は力強い返事を聞き届けると脇目も振らず一目散に出口へと駆け出した。
「うっ」
途中、歯形にくり抜かれた足場を前に急ブレーキ。飛び越えることも考えたが勢いを殺してしまったので壁伝いに残ったわずかな足場を行く。
「あ」
足を滑らした。正確には崩れた。咄嗟に掴んだ足場もいつまで持つか分からない。
「ほ」
とりあえず肩まで上がって一息付いた所で見慣れぬ足が目に入った。黒とピンクのボーダー柄ハイソックスを履いている。
「ぶ」
その小さな足に顔を踏まれた。
「きゃは♡ ねぇ? 助けてほし〜? ねーねーってば! ほらほらほら〜」
避けようと顔を仰け反るも靴下越しの蒸れた足には色々な意味で適わず、頬はぐりぐりとまわされる。そこにおずおずともう一人老人がやって来た。
「あぁピアニッシモ様、このような光景もしパーラメント様に見ぃいらぁれでもすれば」
「分かってるわよ。ジョーダンしてんの、ジョーダン」
そう言って彼女は靴を履いた。足の裏をごく当たり前みたいに叩いて拭く光景を目の当たりにして珖代はちょっぴり傷付く。
「にしてはかなぁあり踏んづけていたような」
右腕を失ったウルゲロは小言を絶やさずイタズラ小悪魔な【狗の卿】ピアニッシモと共に彼を引き上げた。
内心感謝はしつつも彼は警戒を解かなかった。
「どうして助けた。パーラメントは何処だ。誓いはどうなってる。やり直しか?」
「キークちゃん、蟲女からナーンも聞いてないかんじ?」
キークとは喜久嶺珖代のことだろうか。蟲女とはパーラメントのことだろうか。
「いや、なにも」
キークは蟲女と婚約を交わした。
その目的は新たな五賜卿メビウスとなり、ユールを守るためであると同時に討伐対象である “魔王” とやらに近付くためである。
しかし、そこに他の五賜卿や魔王配下から命を狙われないで済むような都合のいい条約は至極当然折り込まれていない。故に接触してきた段階から強烈に警戒し、助けられたことを訝しんでいる。
魔族のみせる善意はただの善意ではなく、必ず裏があるはずだと──。
「珖代様、説明は後ほど。この杖にお掴まりくださぁあい」
「何処に連れてく気だ」
「お城です。我らのアぁあジトとも言いましょうか」
「いや、待ってくれ。行くよ、行くけどその前にセバスさんを──」
助けてほしい。そう言いたかったのにセバスの名を口にした途端、「一人で好き勝手できるほど独りじゃないだろお前は!」という声が頭の中でエコーがかったようにリフレインした。
──これは、勝手だ。自己満足。
けど、仲間を助けるための勝手は許される。放っておけばセバスさんは死ぬ。本人も気付いてる絶対。だから。死ぬかもしれない人を助けるくらいのエゴは見せたっていいよな? 大丈夫だよな……?
誰も知らない聴こえない自問自答の末、彼は帰結した。
「いや……。ついて行く前提ってのがもう既に、勝手なんだな」
──他人を大事に生きることは悪いことじゃない。けど、自分を大事に出来ない奴がそれをするのは間違っているって事ですよね、セバスさん。
大きな事故を起こした。
人が死ぬ事故を起こした。
申し訳ないから頑張ると決めた。
力がなかった。
能力がなかった。
才能がなかった。
周りに比べて劣る自分が嫌だった。
誠意を見せるしかなかった。
誠意、努力、自己犠牲。
大きくなって絡まって。
気付かぬ間にすり替わって。
事故の贖罪は自己の満足へ。
手首を切って血を流しても誰のためにもならないのに。
原点に帰ろう。
立ち返って。
傷口をみて。
愛して。
自己の肯定感は関係ない。
気付く。
今まで良く踏みとどまった。
誇って。
傷の数だけ死を乗り越えた。
それだけで十分。
甘えるだけ、気に止めてもらいたいだけはもう卒業できる。
自分を傷付けることが他人を傷付けると知ったなら。
もう独りじゃない。
誰かのために自分を守れる人間だ。
「悪いウルゲロさん、俺は行かない。何も捨てないし。もう何も置いてかないッ!」
一度目の人生で家族と兄と慕う親友を失った男は、長い間繋がりを拒絶した。
二度目の人生を誰かのために生きようとして、初めて繋がりを許容した。
そしてこの時初めて『自分を思いやるヒトの為に自分自身、大事にすること』を学んだ。




