第百三十九話 イザナイダケの秘密①
一段落ついたその続きをどうぞ
夜。月と呼べるこの星の天体が頭上で光り輝く頃──。
俺は、宴会を抜け出してとある場所に向かっていた。
「ピヨスク、ちょっと待っててくれ」
「キュイイイィ」
長いこと揺られた愛鶏の背中から降り、隠された入り口から地下を目指す。
ここはレイたち義賊が集落としてかつて利用していた廃村が遺る大洞窟。地上から僅かに漏れる光の指す場所──、最下層に女はいた。
「あら、ずいふんとお早い到着ですこと。ひょっとして、日中からワタクシのこと探しておられました?」
「荒野の夜は冷える。居るならここか、森か城か峡谷か祠だと思っただけだ」
青白いひかりに舞う小さな砂粒がキラキラと月明かりを反射させ、女を月からの使者のように鮮やかに彩る。さながらかぐや姫だ。
女は困ったように笑っている。
「まあまあ候補はあったのですね……」
女の名はシロップ。またの名をパーラメント。アルデンテと同じ五賜卿のひとりである。
初めて逢ったとき女はミファレド商会に属するごく普通の商人だった。会ったのもすれ違いのただ一度きり。それが今じゃ青い肌の輪郭を沿うようなタトゥーを入れた出で立ちで俺の前に敵として立っている。
青白い光のせいかあまり違和感は感じないが、それでもタトゥーと豊満な胸を投げ出すようなカッコウには正直こまる。決して見たい訳ではないが。決して。
ここならヒトに擬態する必要がない、が、もう少し考えてほしいものだ。もっとこう⋯⋯いっそのこと、外套も。
いやそんな事はどうでもいい。
「これはどういう状況だ」
俺は手のひらで死んでいる〘ケイヤクボタル〙の番いを彼女に見せた。
「どれ、もう少しよく見せてください。具体的にはお近くへ。どうぞ」
近付きたくはなかったが十分に距離を取ると見えないらしい。胸に意識が持っていかれないように注意しながら近づく。敵だからこそ、そういうトラップには気を付けなければ。
「ささ、もう少し近くに」
仕方ないので手招きされた距離まで近付いてみる。女が俺の手首をそっと掴む。角度的に上から見下ろす感じにはなってしまったが彼女は手のひらに夢中なのでよし。
「寒暖差の影響でしょうね。この土地は、流石に、この子たちにとって厳しい環境だったのでしょう……」
そう言って慈しむような目を向けながら二匹を自分の手のひらに掬い取り、自らの手で地面を掘って蟲を埋葬した。この辺りは以前の大雨の影響で地面が多少ぬかるんでいるが、それでも掘ろうとすればそれなりに力はいる。それでも女は躊躇なく掘った。
「悪いな。死なせちまって」
契約状態について問い詰めるつもりが、彼女の土に汚れた指先を見てつい謝ってしまった。死んだ蟲に向ける眼差しが親族の死に向ける眼差しと似ていると感じたからだ。蟲を大切に思う気持ちが本物に見えたのだ。
「おやや、どうしてアナタが謝るのです?」
女はすぐにいつもの調子に戻るとジト目でそう言ってきた。
「……何でもいいだろ。さっさと事情を説明してくれ」
「ケイヤクボタルの特徴は覚えていますか?」
「シリのことの発色によって契約者が違反してるかどうか判るんだろう?」
ホタルの発色は普段緑色だが、黄色に点滅していれば契約者が違反行為を考えている状態。赤色に点滅していれば既に違反している状態となる。そして、一度でも赤色になってしまえば契約者とホタルの寿命がリンクし最大一ヶ月で死んでしまう。
それがケイヤクボタルのルール。
「ホタルだけが死んであんたが生き残ってるってことは、契約違反をしなかったってことでいいんだよな」
「ええ。正しい認識です。……今のところは」
俺のそばにいたケイヤクボタルはパーラメントが契約したホタル。逆にパーラメントは俺の契約したホタルを所持している。お互いが契約状態を確認するために交換が必要だったのだ。
問題は死んだホタルの契約内容で──。
「……『ホタルが寿命を迎えるまで五賜卿らがユールに危害を加えない契約』は、今どうなってる」
この契約の肝はホタルが死ぬまでという部分にある。
死んだ後はどうなるのか──。
それを知るべく俺は宴を抜け出してまでパーラメントを探し回っていたのだ。
「破棄。という事になりますね」
「なら、お前らがまた攻め込んで来る可能性があるワケだよな。……その辺はどうなんだ、商人さんよ」
「今は、信じてくださいとしか言えませんね。ただ……ひとつだけ確実に言えることは破棄なんてそんなもったいないことは "しない" という事です。絶対に」
「どうして言い切れる?」
「パーラメントライト」
女は自信満々に手を広げ、目を閉じながらそう言った。
「パーラメントライト?」
聞いたことがある──。
アルデンテやユキが語った五賜卿全員が持つ権限の事だ。その内の一つにパーラメントライトがあった。詳細まで聞く時間はなかったが。
「パーラメントライトは交渉を改変する力です。一度ワタクシと契約を交わせば終わり。自由はありません。そのくらい内容を好き勝手編集できます。ようするに、破棄するくらいなら好き勝手内容を書き換えたほうが百倍ましってなハナシです。はい」
「五賜卿ってのはどいつもこいつもめちゃくちゃだなまったく……」
「照れます照れます。ちなみになる話なのですが、ワタクシがこの街に再びやって来た理由はお分かりでしょうか」
なんとも含みのある言い回しでパーラメントは黄色く点滅したホタルを谷間から取り出し色っぽく指で遊ばせる。
あれは俺の契約したケイヤクボタル。黄色は違反を考えている証拠。
その内容は──、
「『イザナイダケの全権利を五賜卿に讓渡する』こと。アナタは現在、それを反故にしようとしていますね?」
「そうだ」
彼女の推察通りそれは完全に正しい。けど俺がそうする目的は──、
「ワタクシを誘い出すために。ですか?」
「……それもある。会ってホタルのことも聞かなきゃならなかったし。ただそれだけじゃない。どうしても聞きたいことがあったからだ」
女は意外そうに一瞬目を丸くすると、再び余裕のある佇まいを身にまとった。
「金銭次第でなんなりと。……と言いたい所ですが、なかなかのリスクを背負ってお一人で会いに来てくれたのですから、一つだけお答えいたしましょう」
「そうか。ならどうか、イザナイダケの抹消を目論む理由について教えてくれ」
イザナイダケはユールの特産品。ユールにしか自生しないと言われる崖に生えた大変貴重なキノコだ。生態的にはコケに近いが。
「確かに経済力として見るなら狙うのも頷けるが、どうしてあんなモノを消す為に命を懸けてまで戦うのかが分からない」
イザナイダケの特産品化は俺がユールに来て最も力を入れた事業のひとつだ。具体的にはただ生えているしか出来なかったいわくつきのキノコをグラム単位で販売し、この街の経済の一柱としてきた。この街にしかない事を全面に押し出しブランド化に成功し街の経済を潤したのである(ほぼかなみちゃんのおかげ)。
そんなイザナイダケの販売事業による大きな利権、莫大な利益を狙うならともかく、なぜ根絶を狙うのかずっと気になっていた。
「前回ここで交渉した時は聞きそびれたが、教えてもらうぞ。あんなモノのためになぜ街を襲ったのかを!」
「あんなモノ……ですか」
パーラメントは深く息を吸うと、まるで呆れたような、諦めたような眼を向けながら口を開いた。
「若さに傲慢で、無知であることに羞恥すら感じ得ない愚かなニンゲンらしい痛々しい質問ですね。……いいえ。無知だからこそこんな事が出来たのですね……。少し、合点が一致しました」
すこし圧を感じた。弱くとも後ろに引くことを躊躇わせる圧を。そしてパーラメントはトゲを刺すような眼光を向けたまま語り始めた。
「イザナイダケとは、数千年前に人類が魔族の秩序、倫理、繁栄を崩壊する為に開発した生物兵器の名にてございます」




