第七十六話 ウメの後悔
「正気ですか!? 仮にも国賓ですよ!その鏡には触れてはならないと言っておきながら、陛下アナタというヒトは……ッ!」
「えー、なんのことー? 陛下わかんなーい」
「王女さまのマネか何かだったら、即刻やめていただきたいのですが……!」
「てへぺろりんっ!」
「いやいや可愛くない可愛くない」
こどもっぽい陛下に対する怒りが頂点に達しそうになったレオナルド。その時、いつの間にやら王様の前に立つ白装束の巨漢が視界に入った。
妙に冷静なこの男に、レオナルドは言い知れぬ不安を感じた。
──仲間が鏡に落とされ消え去ったというのに、慌てることもなく陛下をじっと見つめている? なんと不気味か。迂闊に声もかけられん……。
そんな時、ふと、あの言葉を思い出した。
『触れるでないぞレオナルド。今回用意した鏡は、あくまで鑑賞用の簡易的なヤツだ。ヘタに触れでもして歪んだ時空に飛ばされでもすれば、身体がバラバラになるやもしれんからな』
怒りの原因、忘れるはずも無い陛下の忠告。
──単にワタシを困らせんとするジョークの可能性も考えたが……、毒にも薬にもならない嘘を陛下がつくとも思えない。となればあの巨漢が慌てない理由は、
「西の王よ、お言葉ですが我々に、休暇は必要ありません。信徒を増やす布教活動や世界の記録や監視も全て、神から授かりし天啓であり、我々にとっては生命より重い使命なのです。ですから今すぐに、彼女を連れ戻してはいただけませんでしょうか?」
──やはり、あの鏡の危険性を知らないのか。
飛ばされれば死ぬかもしれないことを巨漢の男は知らなかった。だから、ここまで落ち着いていられる……というより、静かに苛立っている様子だ。
話は全て筒抜けだったと思っていたが、どうやらそんな事はなかったようだ。
鏡にはたった今、ユールに落とされたウメの姿が映っていた。どうやら木箱の上に落ちて、そのまま仰向け状態でいるようだ。運良く助かったのかバラバラでは無い。表情まで伺い知ることは出来ないが具合いはあまり良くなさそうだ。
ウメからゆっくり鼻血が流れると鏡映はすぐさま荒野へと切り替わった。そのシーンは男にはバレなかった。
──しかし、危険すぎる……もし死んでいたら、協会を敵に回すこともありえた。それほどの危険を冒してまで、なぜあの女をユールに落としたんだ陛下は……。
ウメや男の表情よりも伺い知れない王様の魂胆。それが聴ける様子もない。
「すまんがぁ、行くことは出来ても連れてくることは出来んのだ。お前さんは……通れそうな図体でもないし、やはり、スパルタスリザードで迎えに行くしかあるまい。ちょうど良かった、あれは元々、送迎用だしな」
冗談みたいな陛下の笑顔のおかげでようやく全てが繋がった。
──なるほど。スパルタスリザードは国賓送迎専用車。だからあえて、使い道をそのままに利用する為に神官を落としたのか。さすが陛下だ、容赦がないというかなんと言うか……。生きているから良かったものの、死んでいたらどうするつもりだったのか……。
どうせ考えてなかったんだろうな……と、レオナルドは額を押さえてガックリと項垂れた。
「あーそうだっ、ついでだから物資も運んでやろう。それくらい構わんよな?」
わざとらしく気付いた素振りを白巨漢に見せつける陛下。だが、流石に演技だとバレたのか、男の口から嘶くような声が聞こえた。
「貴様、食い殺されたいのか?」
白い布が初めて揺れ、犬歯が異常に発達した剥き出しの白い歯が見えた。
ただのヒトではない。もっと、“ケモノに近い何か”だった。
殺気に反応して、先に動いたのはレオナルド。
刺し違えてでも止めてやる──! その覚悟を持って一歩踏み出すも、陛下は右手を上げて制止した。
「そう怖い顔をするな。お前さんが乗って迎えに行けば良いではないか。そうすれば半日で会える」
陛下は勝ち誇ったような顔で静かに笑う。身振り手振りも軽快だ。ただ、神経をあまり逆撫でしないでもらいたい。あの異人は危険な匂いがする。
「お前さんにあの神官を監視する役目があるのは知っているが、半日くらい目を離したとて、神は責めんさ。それに、不義理も働かんだろう。なにせあの女は、敬虔な神のしもべなのだから」
邪魔者二人を排除しつつ、気兼ねなくスパルタスリザードを利用する──。
陛下の計画により、神官たちはあっけなく王都を離れることとなった。
「えっとー……、それで陛下──」
「ん、なんだ、まだ用か?」
スパルタスリザードを提案してきた女が質問する。
「行商人たちは全員雇う方向でよろしいのですね?」
「あーいや、あれやっぱ、キャンセルで」
「キャンセル……ですか?」
「ああ。予定を変更する。国中から聖水や魔吸剣を買い漁り、ここへ持って参れ。いいことを思いついたぞ」
またしても不敵な笑み──。
───────────
──ユール──
街の中心街から程遠くない場所。
ガシャーーン──ッッ!!
突然、街の一角にある木箱が積み重なったエリアが弾け飛んだ。
レイザらス本店に物資を運んでいる途中の中島 繁繁は、その衝撃音を聴いてダッシュで駆け付ける。案の定、運び出していた木箱の山が崩れている。
「……ああ、やっちゃったか……?」
大事な商品うちの何かが爆発したと勘違いした中島は青ざめた表情で顎を押さえていた。しかし、そうでは無いようで、どうやら木箱の上にいる女が原因らしいことに気付く。
「えっと、あの、どちら様でしょうか……?」
衝撃からしてずいぶんと高いところから落ちてきたのだろうか。女は口や鼻から血を流し、脇腹を抑えている。唯一、運が良かったのは落ちた木箱の中身がかなみお手製の爆進麦芽製法クッションだった事だ。おかげで木箱のほとんどが弾け飛んでしまったが、落下の衝撃で死ぬことは免れた。
「ゲホっ……い、生きてる……?」
その女、──ウメ・ハッシュプロ・ハーキサスは思い出す。自分をこんな目に合わせた男が、他の誰にも聞かせなかったあの言葉を──。
『何を言われようが変えるつもりはない。だが、ホコを収めるのであれば、お前を大切なものに合わせてやる。半日だけ、お前は自由だ』
「まさか……、あの鏡が、転移装置そのものだとは……」
『向こうに着いて困った事があれば、レイザらスという組織を頼れ。余った自由時間はワタシからの貸しにしてやる』
腹の痛みに顔が歪む。
「貸し、ですか……。そんなもの、この痛みでチャラ、になりませんかね……」
ケガの原因は不完全な時空間転移による身体の崩壊。
抑える腹からはドクドクと温かいものが流れはじめ、白いドレスを赤黒く染め上げていく。身体の至るところに鋭い刃物で切りつけられたような跡も残っていて、右足首にいたってはあらぬ方向に捻れて曲がっている。
短く浅い呼吸がだんだんと意識を奪っていく中、ウメは己の運命を呪うかのごとく力なく笑った。
「ふ、ふふっ、ふふふふふふ」
女のヒトが横たわっていることに気付いた中島はそっと箱の上に乗って、痛々しい姿を目撃する。
「うぎゃあ!! 血! 血だらけだ!」
さらに青ざめた顔で中年男性は転げ落ちた。一瞬、腰を抜かしてしまったが、すぐに立ち上がると再び近付いて息を確かめた。
「あっ、まだ息はある……!」
「……もし。そこの、殿方……」
「は、はははい……! なんでしょうか?」
「見ての通り、少し困りようでして……レイザらスという組織を、知りませんか……?」
「ええあ! それなら、私がそうです!」
「ワタクシを、助けてくださいます……?」
「は、はい! 必ずや!」
中島は手足を必要以上にぶん回しながら走り出した。
中島が居なくなって数分後──、薄紫色の唇を震わせて彼女は無意識にそれを口にした。
「トメ……、カメ……わがままなお姉ちゃんで…………ゴメンね……」
曇天の空からこぼれる一筋の雫が、彼女のほほに触れて流れた。




