第九話 不思議なイヌ
金を持ち合わせていないことを見越してくれていたデネントさんの計らいもあって、宿は二週間も無料で泊めてもらえる事になった。
そのおかげで寝る場所には困ることは無かったのだが、当然空き室は一つなので、俺は干し草の上でもう一夜を過ごすことに。
ただ、目覚めた朝の状況は昨日と少し違っていた。
「……ん? セバス、お前も寝てたのか」
俺の隣で寝ていたセバスちゃん。なんて言葉にすると、なんだか変な意味にもとられかねない気がする。
俺は少しだけセバスを撫でたあと、今日から日課にするつもりの朝のランニングに出かける。これも強くなる為だ。
覚えたての魔法の言葉を使い、出会った人に挨拶をしながら街を二周ほどして帰ってきた。
慣れないことをするのは非常に疲れるが、そうでもしなきゃ貧弱な俺は強くなれない。
戻ってきてすぐ、部屋にタオルを忘れた事に気付いた俺は女性陣の部屋の前にやって来た。
「俺です、珖代です。部屋、入りますよー」
とにかく着替えていたら大変だ。そう思ってちゃんとノックも二回した。
「はいはいどうぞー」
リズニアの声が扉の向こうから聞こえて来たので開ける。
確かに、了承する声が聞こえたはずだった。
なのに扉の開けた先には全裸の少女がタオルで体を拭っている姿が目に飛び込んできた。
「おわあああ! ごめんっ!」
「わお」
慌てて外に出て、扉を閉める。
見られた側はとくに気にした様子を見せないがこっちは驚かずにはいられない。
「だ、ダメならダメと言ってくれよっ!」
「別にダメじゃないですよ。見られても減るものでもないですし、私は気にしませんから。それより、ご用件はなんですか? 薫さん達なら出掛けましたけど」
本当に気にしていないのかドアをガチャガチャしてくる。俺は扉が開かぬよう張り付くようにして待ちながら、扉越しにリズニアと会話をする。
「あのー桶とタオル、そっちに置きっぱなしでさー。と、取ってくれるか?」
向こうが気にした素振りを見せないものだから、出来るだけ平常心を装って聞いた。
「はい」
ほぼノータイムで、扉の隙間から桶とタオルを持ってる手が出てきた。ドアに張り付いていた俺をものともしないで。
「あとで! おわって、終わってからでいいから!」
もう、ほぼ見えちゃった気もするが反射的に目を逸らし、着替えてきてもらってから借りた。
タオルと水の張った桶を持って裏口に出る。
「はぁ」
お風呂に入れない環境にというのは意外と堪える。日本にいた時はそこまで考えていなかったが、思わず溜息が零れる程にだ。決して、リズニアの裸を見たかったとかそういう理由での溜息ではないのだ。違うのだ。
水が貴重でお風呂に入る習慣のないこの街では、湿らせたタオルで体を拭くように汚れを落とすのが一般的。郷に入っては郷に従えだ。風呂にはどの道入れないので自分にそう言い聞かせる。
昨晩かなみちゃんに、魔法で水を入れてもらっておいた桶とタオル二枚を使って体を拭く。
タオルが二つあるのは役割が異なるから。
一枚目のタオルは水に付けて体の汚れを拭う用。
二枚目のタオルは体についた水分を吸い取る用。
なのだが問題発生。このタオル、既にびちょびちょで水が滴っているのだ。
これは、明らかに使用済み。しかもついさっき。タオルは人数分しかないのでさっきまでリズニアが使っていたものとみて間違いないだろう。どっちだ? 濡らしたやつか? 拭いたやつか?
俺は真剣に悩んだ。
──このタオルは、どうするべきだ。洗って使い回すならともかく、使い終わった直後のものを俺に……? あれは何を考えているんだ……? だめだ。このタオルを使っちゃうのは人としてダメだ。
俺の中の悪魔が『また後悔するのか? やっちゃえよ』と囁く。
──またってなんだ! 俺がいつ後悔したよ! さっきの溜息は別にそういう意味じゃないからな!
俺の中の天使が『ご好意に甘えなさい』と囁く。
──ああ! 天使の誘惑が一番怖い! それはダメだ。倫理的に。というかどっちの意見もなし! タオルは使わない! ただ、何もしないのは勿体ない。だからここは……間をとって紳士的に香りを楽しむだけに留まるのが正解だっ……!! ハァ……ハァ……!
「バウッ!」
「……はっ!」
服を脱ぎながらだんだん息を荒くする俺を、セバスちゃんが吠えて現実に引き戻してくれた。
俺が冷静では無かったことを教えてくれたセバスちゃんの方を見やると、何やら鼻先を天に向けている。そしてその鼻先の上に、水の塊のようなモノが浮いていた。それはだんだんと大きくなって、俺の頭上へやって来て静止。
訳もわからず見上げている俺に、バシャーンと音を立てて勢いよく水の塊が降ってきた。それはまるで、頭を冷やせっ! と言わんばかりの水圧だった……。
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「何度も言わせないで下さい! イヌが魔法を使うわけないじゃないですか!」
「いや、何度言っても分からんのはお前の方だよ! 水の魔法が使えたんだって!」
「いいえ! イヌが魔法を使えるなんて聞いたことがありません。第一、詠唱も魔法陣もなくどうやるんですか!」
「そりゃイヌなんだから吠えて使ったんだろ!」
「吠えても使える訳ありませんっ!」
「吠えて使ってたって!」
「使えませんっ!」
「使えるっ!!」
「使えませんんっ!!」
「二人共……どうしたの?」
「「丁度いい所にかなみちゃん!」」
頭の硬いリズニアと言い争っても何も進まないと思っていたタイミングでかなみちゃんが裏口へとやって来てくれた。ちなみに口論の中心人物となっているセバスちゃんは日陰で寛いでいる。
「こうだいがセバスちゃんは魔法が使えるって言い張るんです!」
そうかなみちゃんに言いながら女神が俺を指さす。
「セバスちゃんは魔法が使えるって言ってるのに、こいつが全然信じてくれないんだよ!」
俺も負けじと、指をさし返した。
「はぁ……二人とも、落ち着いて。かなみが直接聞いてみるから」
かなみちゃんは呆れ半分にそう返答した。
「使えなかったら土下座してくださいね」
「そんなこと言って使えたら、お前はどうすんだよ」
「そうですね〜〜先ほどの、タオルをスーハースーハーするアレ、見なかったことにしますよ」
「お前! 俺がタオルの匂いを嗅ぐのを分かっていて……まさか、謀ったな!」
「ふふふ、隠れてこうだいの裸を……じゃなくて様子を見守っていましたら偶然目撃してしまいましてねー。まさか男好きのこうだいともあろうお方が、私の使用済みのタオルに興奮する変態さんだとは思いませんでしたよ〜」
ニヤケ顔で言ってくる。
「男好きじゃねぇわ!」
「匂いを嗅ぐ変態さんなのは否定しないんです?」
「くっ……誘導尋問は卑怯だぞ! と言うか、お前そもそも見てないだろ!」
「な、なんでそうなるんですか」
「俺が嗅ぐところを見ていたなら、その直後の水魔法をくらう瞬間を目撃しているはずだからだっ!」
「フフッ……」
「何がおかしい。完全論破されて言い返せなくなったか」
「いえ、私が目撃したかどうかは最早、些細な問題。つまるところこうだいは、自ら自白したのですよ。ぼくは匂いを嗅ぎましたとね!」
リズニアが指先をピンとこちらに向けて言い放った。言い返す言葉が見当たらず、一瞬たじろいでしまう。
「ぐっ……!!」
いや、なんなんだこれは。要らんやりとりだよ。
俺達がつまらないケンカをしている間にかなみちゃんがセバスの所まで行って話しかけてくれていた。
「うん、あれは魔法だって言ってる。ちゃんと詠唱もしたって」
「ほらなー!」
指をピンと指し返す。
「えー!! ウソですよそんなー!」
「かなみちゃん、セバスちゃんはなんで魔法が使えるって?」
かなみちゃんはセバスを撫でながら俺の質問に答える。
「あのね、昔教えてもらって覚えてたみたい」
「あの、質問です」
リズニアが小さく手を挙げた。
「かなみちゃん。セバスちゃんは何者なんです?」
何者も何もどう見ても犬、ではあるが、俺もその辺は知っておきたいので余計な口を挟まない。
「周りの人からは "狂犬" って恐れられてたらしいよ」
「「狂犬!?」」
「うん。人間だった頃は」
「「人間だったの!!??」」
「大地の騎士団率いる前は。だって」
「「マセリットオルデンンン!!?!?」」
「……ってなんだ?」
つい気持ち良くなって驚いてしまったが、知らない単語が飛び出した。
普通に仰天していたリズニアが説明をしてくれる。
「王に忠誠を誓う聖騎士団とは違い、ただ人を殺す事だけに生きがいを感じ、戦場を追い求める野蛮な集団。それが大地の騎士団です。その強さは他小国を恐怖で震え上がらせる程だそうで、国家にまつろう最強最悪の戦闘集団と記憶しています。それを率いてたってことは……団長か、そのレベルの重要人物だったってことになりますよ!」
サラッと明かされる衝撃の事実の連続についていけず、正体の謎が深まるばかり。
「ほんと、何者なんだ……」
「そうですよ! こうだい」
リズニアが妙案とばかりに目を輝かせてきた。
「この子、仲間にしませんか!」
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俺達は宿の主人に気づかれないようにこっそりセバスを部屋に招き、皆で囲うように会議を開いた。こっそり入れたのはペットが不可かどうか分からないからだ。
議題内容はセバスを仲間にするか否かについて。
「えー、というわけで皆々様、この子を仲間に引き入れることは賛成という事で宜しいですね?」
「おいおい。まだ薫さんに説明しただけじゃないか」
リズニアに軽くチョップを入れる。
「ええ、しかし驚きました。この可愛らしいイヌが野蛮な集団を率いる元人間だなんて。野蛮な元女神だけでも困っているのにさらに混乱しますね……」
「まあそのうち、カオリンなら慣れますよ……って、誰が野蛮な元女神ですかっ!! 鼻につくくらい高尚なだけですけど!?」
「かなみちゃん、セバスちゃんはなんて言ってるかな?」
「バフゥ……」
「この街にいる間は力を貸せるが、外に出るのは考えさせてほしい。って言ってる」
「なんか、あんまり元気ないな。人間には戻れないのか?」
「バウ」
「魔法でこの姿に変えられてから、自力では戻れてないって」
「一体誰がそんなことを?」
薫さんが真剣な面持ちで質問する。
「バゥ」
「魔王の幹部、あれはおそらく五賜卿の一人かと。しかし、この姿でもこれといった不便はない。だから気に病む必要はない。だって」
「えっと、五賜卿って?」
俺は質問した。
「バフ」
「五賜卿は魔王の配下の一種で、名前の通り五人の賜卿からなっている。一人一人が魔王への忠誠心を高く持ち、個としての武力を誇りながら、幾万の兵まで従えている厄介な連中のことだ。だって」
先程から少しづつ、かなみちゃんの訳す量が増えてきてないだろうか。
──ひと鳴きでどれだけ読み取れるんだかなみちゃんは……。
「こうだい! セバスちゃんの為にも魔王だけじゃなく、その配下達もまとめてぶっ倒しましょう!! そしてセバスちゃんを元の少女に戻してあげましょう! ね、ね!」
話を聞いて今にも泣きそうな顔で俺にリズニアが飛びついてきた。
「落ち着け」
──同情してるならセバスちゃんに飛びついてこいって。
「先ほども言ったが心配する必要はない。それと、私は君たち達より年上だと思うが? って言ってるよリズ」
「え? 年上なんですか? てっきり年端も行かぬ少女かと……」
リズニアは少女だと勘違いしていたようだ。
「いや、それはないだろ。騎士率いてたみたいだし。 セバス……さんは」
とまぁ、仲間に引き入れるかどうかの会議は話が逸れていってしまったが、結局セバスさんとはこの街にいる間だけ協力し合う関係で合意した。
それだけだとこっちが得をするだけで申し訳ないので、色々協力してもらう代わりとして、寝床や食事を提供してあげることを薫さんが提案して、交渉は成立した。
そして俺達は速やかに次の議題に移る。
「それでは、昨日お話した三枚のFランク依頼について、多数決を取りたいと思います。一日たって、皆さんも意見がまとまったことでしょう」
リズニアの言う通り、俺達は昨日の夜、Fランクの依頼書の内容について話していた。
見てもいない依頼書の内容をどうやって確認したかと言うと、理由は簡単。かなみちゃんが┠ 叡智 ┨で覗いてくれたからである。
かなみちゃんのおかげでFランクの依頼は三つある事が分かった。しかしどれも内容を聞く限り、クセのある依頼でその日の夜では決めきれなかった。
その為、もし依頼を受けるならどれにするかは、受けざをおえないその時まで持ち越して、多数決で決める事となっていた。
まさか、その時が翌日に来るとは思っても見なかったが……。
「ではまず『トラウマ確定。お化け屋敷の害虫駆除』がイイよ〜って人きょしゅ!」
ゼロ。
「……いませんね。では次『命の保証なし。劇薬の被験者募集』が受けたいよ〜って人きょしゅ! ……も、いない。ということは宜しいですね? それじゃ三つ目で決まりです!」
「ああ、決まりだな」
「満場一致ですね」
「うん、そうだね」
「バフ」
俺に続いて、薫さん、かなみちゃん、そして、セバスさんが頷いた。
「では! 『奈落へ誘う 死のきのこ狩り』で、けっていです! パチパチパチ」
ここで注意喚起をひとつ。
クエストのヤバめなネーミングはそのクエストの内容を勝手に解釈したリズニアが、勝手に付けたクエスト名だ。実際にはこんなに物騒で分かりやすい名前の依頼では無いことを理解してもらいたい。
依頼が決まったので、俺達はその足でギルドへと向かった。
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「Fランクの『イザナイダケ採集クエスト』を受けに来ました」
「Fランクの依頼ですよ? ほ、本当によろしいのですか?」
受付の優しそうなお姉ちゃんは、上京すると決めた親友を心配するくらいの勢いで聞いてきた。
「はい、ちゃんと話し合って決めましたから大丈夫です」
納得してもらえるように、ちゃんと目を見てそう言った。
「分かりました……頑張ってください。もし、ダメそうでしたら、いつでも帰ってきてくれて、良いですからね?」
「はい。じゃ、行きますか!」
クエストの受注を済ませ、ギルドを後にしようとした時、またあの冒険者に声を掛けられた。いつも酒場にいるのはあの人だ。
「それ、だとおまえ、きけんだ」
「かなみちゃん、あの人、俺がいると日本語でどうにか伝えようと頑張るから、聞いてきてもらっていいかな?」
「うん、わかった!」
いつも酒を嗜んでいるダンディズムな冒険者と対談すること、およそ一分。かなみちゃんが戻ってきた。
「かなみ、それであの方はなんて言ってたの?」
薫さんが聞いた。
「あのね、イザナイダケはこの辺の崖にしか生えないきのこだから、取れれば高く売れるけど、あれを数人係で採集しに行くと谷底に誘われて必ず死者が出るぅって言われてる縁起の悪いきのこなんだって」
「だから行かない方がいいって止めてくれたんですねー。本当にこの街の人達はどんな人でも優しいですねー」
リズニアが腕を組んで感心そうに呟いた。
「ほんとにな。だが、今回はそれも承知のうえで行く訳だ」
「かなみ、ちゃんとお礼はしたの?」
「うん、したよ! 知ってて行くって言ったら、なら絶対に気を付けろって言ってくれたよ」
「よし。じゃあ、今度こそ気を取り直して行きましょうか」
「バウ」
最後に、忠告してくれた冒険者に挨拶をし、俺達はきのこ狩りへと出掛けた。