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イェンスとルジェーナ  作者: 如月あい
七章 愛のかたち

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蒼天の月

 騒がしい夜だった。王城の中はまだあわただしく人が動いている。負傷者も多ければ、王宮の損傷も激しかった。跳ね橋を上げられ閉ざされた王城は、王都の中でも完全に浮いてしまっていた。

 王都の外の民はまだ、詳細は知らされていない。しかしながらリシャルトがルカーシュを討ち取ったという話だけは、すでに広まっているはずだ。

 明日にはことの詳細を記した号外が発行されて王都のみならず、ヴェルテード王国中に知らされるだろう。

「ベラ」

 王宮の中にある時計塔の一つに上っていたベラは、後ろから話しかけられて振り向いた。

「ルジェーナ」

 蒼天に浮かぶ月が彼女の淡い紫色の髪を照らしている。彼女の顔には少し疲れが見えた。彼女は調香師なのだが、今日は薬師(くすし)として負傷兵の手当てに奔走してくれていた。

「お疲れさま。イェンスのけがの具合はどう?」

「無茶をするから貧血で倒れたけど、大丈夫だよ。宮廷のお医者様に預けてきちゃった。あと、宮廷内に泊まれるように手配してくれてありがとう」

「お礼を言われるようなことじゃないわ。宮廷薬師の喜びようを見たでしょう? 私たちがルジェーナを必要としていたから、だから引き留めたの」

 ユリアと共に働いていた宮廷薬師たちは、もともとユリアがミル大佐を殺したということに違和感を覚えていた。ユリアの無実が分かり、そしてユリアの娘と会った薬師の何人かは、感極まってルジェーナを抱きしめたのだった。

 それにユリアは薬師として非常に有能だった。その娘のルジェーナが負傷兵の治療を手伝ってくれるとなれば、薬師たちの仕事の負担が減る。イェンスは最初こそぴったりとルジェーナに付き添っていたようだったが、大丈夫だと分かると、徐々に警戒心を解いたようだった。

「明日からは大忙しだわ。まずは陛下の葬式から始まって、喪に服している間にリシャルト殿下の即位と、私とパーシバルの婚約披露の準備も必要だし……」

 時計台の手すりに背をあずけてそういうと、ルジェーナが驚いたように目を見開いた。

「婚約、決まったのね!」

「え? あ……まだ報告していなかったっけ? そうなの。ついに心を決めたの」

「おめでとう」

 嬉しそうに微笑んでそう言ってくれるルジェーナに、ベラもまたふっと口元を緩めた。

「ありがとう。ルジェーナは、どうなの?」

「何が?」

「イェンスのこと」

 はぐらかされるかとベラは思っていた。それならそれでいいとも。しかしルジェーナは一度目を丸くした後、少し照れたようにはにかんだ。

「好きだよ。できれば、一緒にいたいと思ってる」

「本当? それは良かった」

 イェンスとルジェーナならば幸せになれる。

 二人はきっと、お互いのために”生きる”覚悟がある。

 イェンスはルジェーナのためにも、ユリアとアルナウト夫婦の悲劇は繰り返さないだろう。

「これから、ヴェルテード王国は変わっていくわ。多くの血が流れ、失ったものもたくさんあったけれど……」

「そうだろうね」

 一瞬の静寂。

 星をかき消すような明るい月が輝いている。二人の視線は空に向けられていた。


「私も……これからは変わっていかないと」


 それは小さな声だった。しかしベラの耳にははっきりとすべての音が明瞭に届く。

 ルジェーナの静かな決意を耳にしたベラは、少しだけ悩んだ末に、小さな声で言った。

「……ごめん」

「どうして謝るの?」

 ルジェーナは視線を空からベラに戻した。

「ルジェーナも含め、多くの人間を王家の継承権争いに巻き込んでしまったわ。イェンスとルジェーナには後始末まで手伝ってもらったし。あなたに危ない目に合わせて、イェンスはケガをしたわ。それに……ルカーシュを生かすことができなくて、ごめんなさい」

 ルカーシュを殺したのはカルミア妃だ。ルカーシュを心から愛していたように見えた、あのカルミア妃だ。ベラにはまだ、どうしてカルミア妃がルカーシュを殺したのかわかっていなかった。

 他人に殺されるくらいなら、自分で殺そうと思ったのだろうか。ベラはそう思ったが、しかしそれにしては躊躇いがなかった。ベラたちが誰も動けない間に、彼女はしっかりと照準を定めて撃った。だからこそ、それがルカーシュの命を奪った。

「カルミア妃殿下は……国王陛下を愛していらっしゃったみたいね。だから、たとえ息子でも、許せなかった」

「え?」

「やっぱりベラは分かってなかったんだね」

 切ない色を混ぜながら、ルジェーナは柔らかく微笑んでそう言った。

 彼女の言葉通り、ベラはカルミア妃の本心など全く分かってはいなかった。ルジェーナの気持ちさえ、分っていなかったと言える。

 まさかあの場でルジェーナがルカーシュの生を望むとは思ってもみなかったのだ。そしてその動揺は、間違いなくベラの勘を鈍らせた。結果的にルカーシュは発砲し、イェンスが負傷したのだ。

「お父さんとお母さんは、死ぬことで未来を創ろうとした。でもやっぱりそれじゃだめなんだよ。どれだけ綺麗ごとであろうが、私は生きて……生かして、未来を切り開きたかった」

「ルジェーナ……」

「でも、それが叶わなかったのは、ベラのせいじゃない。そのことに関して、ベラが私に謝る必要はない」

 綺麗な紫色の瞳だった。ベラの硬く閉ざした心を溶かしたのもこの目だ。あの時の彼女はもっとぶっきらぼうだったけれど、彼女はいつでもベラに対して正直だった。

 彼女はゆっくりとベラに近づくと、ふいにベラを抱きしめた。

 こんな時でも彼女は香水をつけているのだ。甘い香りなのに、どこか切ない香りだった。

「でもその代わり、ベラは家族と向き合って。確かにいろんな軋轢は生まれてしまったかもしれないけど、カトリーナ殿下のことも妹として面倒をみてあげて。それからもちろん、エノテラ妃殿下とも」 

 私の代わりに、そうルジェーナが言外に言ったのを感じた。彼女が大切にできる家族はもういない。彼女の母親の汚名は返上されたが、しかしそれで帰ってきてくれるわけではない。


 いつか、彼女はイェンスに、幸せそうな親子をみると殺したくなるほどの激情が駆け巡るという話をしていた。

 しかしそういう感情は、彼女の中で徐々に浄化されてきたのだろう。最終的には、ベラと母親の幸せを願えるほどに。


 ベラはゆっくりとルジェーナを抱きしめ返した。

「約束する。兄上だけじゃなく……あの人とも、うまくやっていけるように努力する……」

 二人はしばらくの間抱きしめ合い、そしてゆっくりと離れた。

 しばらくの間見つめあい、そしてルジェーナが口を開く。

「そろそろ休むべきね。疲れたし、眠らなきゃ。明日からはそれぞれ(・・・・)がんばらなきゃいけないし」

 急に、ベラはあることに気が付いてしまった。

 ベラとルジェーナの友情は、ベラが彼女の秘密をばらすぞと脅したことから始まっている。しかし、一応の決着を見せた今、二人をつなぐものは何もない。

 ルジェーナが二度とベラに会いたくないと言えば、ベラには引き留められるものは何もなかった。

 もしかすると、もう会わない気なのかもしれない。

 謝る必要がないといったのも、それぞれという言葉を口にしたのも、本当はルジェーナなりの別れの方法だったのではないだろうか。

 王女と調香師。普通なら交わるはずのない二人が共にしていたのは、王家のかかわった事件の究明という目的があったからだ。それに、そもそもベラがルジェーナと友達になりたかったのは、周囲の人間との関係がうまくいっていなかったからでもある。

 しかし周囲の人間と向き合うと決めた今、ベラにとってルジェーナは必要なのだろうか。そこまで必要としていいものなのだろうか。それは彼女の重荷になるのではないだろうか。


「おやすみ、ベラ」


 ごちゃごちゃと考えていたベラは、ルジェーナが今にも時計塔から降りて行ってしまいそうなのを見て、自分の気持ちを悟った。


「待って!」


 ベラはほとんど叫ぶようにそういうと、ルジェーナに後ろから抱き着いた。ルジェーナはびっくりして半分振り返り、目をぱちぱちと瞬かせている。


「友達になって、ルジェーナ。何の条件も付けられないけれど、何もあげられないけれど、むしろ私たちはあなたからいろんなものを奪ったけれど……でも……行かないで。全部事件が解決したから、もう終わりだなんていわないで」


 ベラはルジェーナの反応が怖くなって、ぎゅっと彼女を抱きしめ、彼女の肩に額を付けた。ルジェーナの顔を見るのが怖かった。

 永遠にも思える静寂の後、それを破ったのは、ルジェーナの笑い声だった。

「ちょっと……ベラ……ふふっ。あははっ。もうおかしい……」

 ベラが抱きしめていたルジェーナの肩が震えている。ベラは恐る恐る顔を上げると、ルジェーナが半分目に涙を浮かべながら、笑っていた。

「もうずっと、友達だと思ってたよ。だからそんな顔しないで。遊びに来たかったら、いつでも来ていいから」

「る、じぇーな……」

 声が震えているのが自分でも分かった。胸がいっぱいになって、何も言えなかった。熱いものが目から零れ落ちる。

「ああ……泣かせっちゃったから、パーシバルさんに怒られるかな」

 ルジェーナは困ったようにそういいながら、ベラの背中をゆっくりとさすった。

「私、ベラが好きだよ。たとえベラが王女であっても、侯爵夫人になったとしても、私はベラの味方でいるから」

「あり……がとう……」

 まっすぐで素直な言葉は、すこしひねくれたベラの心にもきちんと届いた。まっすぐすぎて、ベラが解釈を捻じ曲げる隙もなかった。


「ありがとう……友達になろうって言ってくれて」


 蒼天の月が二人を温かく包み込むように照らしていた。銀色の髪が月明りを反射して、かすかに紫色に煌めく。

 

 世界も人も、少しずつ変わっていく。

 ベラはそれを承知の上で、しかしこの友情だけは違えるまいと心に誓った。



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