愛のかたち
ルカーシュによって撃たれた銃弾は、まっすぐにルジェーナへと向かっていた。
しかし彼が打つよりも少し早く反応したイェンスが、ルジェーナをかばうようにして床へと押し倒した。二人の体が倒れていく中、銃弾はイェンスの左腕を貫通し、血しぶきをまき散らした。
そしてその一瞬あと、イザベラも、リシャルトも、パーシバルを含む近衛の誰も反応できないでいるうちに、最新兵器をどこからともなく取り出して撃った人間がいた。
その人物は、決して射撃の名人ではなかったが、彼女が撃った銃弾はまっすぐとルカーシュに向かってゆき、ルカーシュの胸に命中する。それと同時に彼の体が後ろに吹き飛び、体から血があふれ出した。彼の手から離れた最新兵器は、ベラの足元にまで滑ってきた。
「カルミア!」
事態にいち早く順応したクレマチスが、カルミアに手をのばした。同じく気が付いたエドガールもまた、彼女から最新兵器を奪おうとした。
しかし、二人は一歩遅く、三発目の銃声が広間に響き渡った。
カルミアの体はその場に崩れ落ち、広間には一つの死体と、二人の重軽傷者が生まれた。
エドガールはカルミア妃の体を抱えるようにして生死を確認した。しかし至近距離で脳を撃ち抜いたカルミアは、やはりこと切れていた。彼女の表情は、妙にすっきりとしている。穏やかで、死んでいても美しい。
「イェンス!」
「大丈夫だ。それより、ルカーシュ殿下が」
ルジェーナが切迫した声で叫ぶと、イェンスは安心させるように微笑み、そしてルカーシュを見た。
イェンスの左腕からは激しく出血しているが、意識はしっかりしている。でも応急処置をしたほうがいいのは明らかだ。ただしそうなれば、もっと重症のルカーシュは助からない。
「生きてもらうんだろ」
イェンスは静かにそういった。彼にはルジェーナの葛藤などお見通しだったようだ。
「絶対に死なないから、お前しかできないことをやれ」
力強い口調でそういわれて、ルジェーナは迷いを吹っ切った。
彼が死なないと約束してくれるのならば、ルジェーナは助けられる可能性のある命を見捨てるわけにはいかなかった。
「……しっかり押さえててね」
ルジェーナはイェンスの傷口にイェンスの右手を持ってきて押さえさせると、その場から立ち上がってルカーシュの元へと駆け寄った。
あまりの事態に茫然としていたベラとリシャルトだったが、ルジェーナが動くのに合わせて、二人もまたルカーシュの元へと駆け寄った。
「ルカーシュ殿下! 聞こえますか!」
「ルカーシュ!」
ルジェーナとリシャルトが呼びかけるが、ルカーシュはぼんやりとどこか定まらぬ焦点のまま、荒い呼吸を繰り返している。
ルジェーナは即座に血があふれ出す胸を押さえ、持っていた薬草で応急処置をしようと試みた。ルカーシュはぼんやりと視線をさまよわせていたが、ふとベラに視線を止めた。
目が合ったのを自覚したベラはその場にしゃがみこむ。すると驚くような速さでルカーシュがベラの腕をつかんだ。
「俺を見ろ……ティファナ」
ベラの赤い目が大きく見開かれた。
彼女は何も言えなかった。ルジェーナに最新兵器を向けたことを許していなかったからだ。しかし死にゆく間際に幻影を見る彼に、罵声を浴びせるほど、ベラは非情にもなれなかった。
彼女をつかむ腕はどんどん力を失くしていく。
ベラは赤い目でただルカーシュを見つめた。ティファナと同じ色の目で。そして、同じ色の口紅を塗った唇は、固く固く引き結ばれていた。
「わら……っ……れ」
ルカーシュは何かを訴えかけるようにベラにそう言った。
しかしベラの耳には届かず、彼女の唇は硬く引き結ばれたままだった。罵声を浴びせることはせずとも、彼女はやはり、ルカーシュを許すことはできなかった。
「殿下!」
一方、ルジェーナは助けようと必死だったが、ルカーシュには生きようとする力が足りなかった。彼は迫りくる眠りに抗おうとはせず、そのまま身を任せてゆく。
自分を殺そうとした男だったが、ルジェーナはそれでも本当に助けたいと思っていた。
かくっと首から力が抜けてぐわりと傾いた。
「……もういい」
そっとリシャルトがそうつぶやき、そっとルカーシュの首に手を当てた。ルジェーナはそれが何を意味するか分かっていても、ルカーシュの傷口から手を離すことができなかった。
これは望んでいた結末ではなかった。
しかしそういっても、失われた二つの命が戻ってくることはない。
自分を殺そうとした男だったが、ルジェーナはそれでも本当に助けたいと思っていた。それは、ルカーシュのティファナという少女への愛の深さを、身に持って知らされたからかもしれない。
そしておそらく、カルミア妃が息子を殺した理由も、夫であった国王への愛なのだ。
熱いものが頬を伝って流れてゆく。ルジェーナは自分が何を悲しんで泣いているのか、まったくわからなかった。
「ルジェーナ。泣くのは後よ。イェンスを診ないと。この混沌とした王宮では、医者をすぐに呼ぶのは難しいから」
「ベラ……そうだね」
ベラの声は優しかったが、厳しくもあった。彼女はそういって立ち上がると、茫然としているクレマチス妃のほうへいき、クレマチスの肩を抱いた。
リシャルトはゆっくりとルカーシュの体を床に横たえると、一度だけ彼のために祈った。そして、エドガールに向かって言う。
「我々の勝利だ。王子ルカーシュを私は討ち取り、彼の母親であるカルミア妃は息子の死を悲しんで自殺した」
堂々と放たれた言葉は、真実とはかなり異なっていた。
その場にいた人間は、誰もがリシャルトを見た。彼にとってはこの状況は好機と言ってもいい。カルミア妃がルカーシュを殺し、自殺した。原因は、息子が愛する夫を殺したからだ。
カルミア妃が王族殺しの汚名を着たところで、彼女はすでに死んでいる。
リシャルトはただ、亡き国王の意志をついで、正当な王位継承者として国王になればいい。
どうせならば、リシャルトはルカーシュを生かそうとしたが、カルミア妃が勝手に殺したと言ってしまってもいい。事実、彼はルカーシュを殺そうとしたようには見えなかった。そしてそうすれば、弟殺しの汚名を切ることもなく、彼自身はどこに禍根を残すこともなく即位できるのだ。
しかし彼は今、その好機を棒に振り、自ら汚名を着ようとしている。彼の描いたシナリオを信じた民は、リシャルトのことを弟を殺し、義母を死に追いやった冷酷な国王だと噂するだろう。
彼の治世の中でその噂が収まることはあるだろうが、一度立ってしまった悪い噂を消すのはなかなか骨が折れる作業だ。
「殿下……それでよろしいのですか?」
エドガールは反対こそしなかったが、念を押すように確認する。しかしリシャルトは頷くと、かまわない、と言ってから言葉をつづけた。
「私はルカーシュを殺す気だった。それは事実だ。しかし誰よりもルカーシュの死を望んでいいはずの彼女が望まなかった」
ルジェーナは一瞬、それが誰のことかわからなかった。しかし彼が間違いなく自分を見ていると分かり、ルジェーナのことを指して言っているのだとようやく理解する。
「そしてカトリーナも。あの娘は、母親が大好きな兄を殺して自殺したと知ったら、おそらく生きてはいけないだろう。私はこれ以上、身内が死んでいくのを見たくはない」
リシャルトの言葉に、クレマチス妃がゆっくりと顔をあげた。彼女の美しい顔は涙を流していても健在だった。彼女は静かに泣きながら、何かを言おうとリシャルトを見た。しかし続いて、変わり果てた姿のカルミア妃を見て、言葉を飲み込んだ。
リシャルトはもう一度ルジェーナを見た。そして思い出したかのように付け加える。
「しかしルカーシュの罪についてはすべて、ミル大佐の殺害と、ユリア夫人が濡れ衣を着せられたことに関しても含めて、真実を公表しろ。それが王家の贖罪として事足りるとは思わないが……今すぐにできることはこれだけだ」
それでいいかと問うようにルジェーナを彼は見た。ルジェーナはリシャルトに向かって一度大きくうなずいた。
「エドガール・ヴェーダ」
「……御意」
リシャルトに促され、エドガールは一礼した。そして一度だけ息子イェンスを見たが、彼が大丈夫だとばかりに右腕を上げたのを見て、何も言わずにその場を去る。
ルジェーナはその段階で、どうにか立ち上がり、涙をふくとイェンスの元へと駆け寄った。そしてルジェーナは携帯していた布でイェンスの左腕の血をぬぐうと、手持ちの薬草を使って手早く応急処置をした。
「イェンス……私……」
「シル。ベラじゃないが、お前にはまだやらなきゃいけないことがある」
「え?」
「生かすって決めたんだろう? 俺の同胞を生かすために、その知識、使ってくれ」
深い緑色の瞳と淡い紫色の瞳はしばしの間見つめあった。
「……分かった」
ルジェーナがそういってうなずくと、イェンスは処置の終わった左腕を見たあと、ゆっくりと立ち上がった。ルジェーナは慌ててイェンスを支えようと隣に立つ。
するとイェンスはふっと優しい笑みで首を横に振った。
「足はケガしてない。腕も、しばらくは大丈夫だ」
「でも……」
「負傷兵の手当てを手伝いたい。この国を守る剣の家ヴェーダの人間として。それに――」
イェンスはゆっくりとルジェーナに近づくと、彼女の耳元で囁いた。
「――この状態のシルを放ってはおけない」
ルジェーナを働かせたいのか、それとも引き留めたいのか。いったいどちらなのかよくわからないイェンスは、勝手に部屋の外に向かって歩き出した。ルジェーナはそれを慌てて追って部屋を出ていく。
部屋に残されたベラは、カルミア妃の亡骸の横でさめざめと泣くクレマチス妃の背中をさすった。
「ありがとう……イザベラ」
「いえ……」
涙声のクレマチスは、そんなベラに礼を言う。
ベラは何も言えず、ただそっとクレマチスに寄り添っていた。家族と接した回数の少ないベラはどうすればいいのか全く分からなかった。
しかし、クレマチス妃を放ってはおけないと、直感的に悟っていたのだった。
「パーシバル、イザベラを任せていいか?」
「はい」
パーシバルはそううなずくと、今の今まで戻していなかった武器ピストルをホルスターに戻し、ベラとクレマチス妃にそっと近づいた。
「レナルド、お前はここに残ってクレマチス妃を。ヴァルターは私とともに負傷兵の手当てだ」
「御意」
場に満ちているのは、悲しみか、怒りか、後悔か。
少なくない人間が死に、血を流し、身体の痛みに耐えている。
そしてあるものは静かに涙を流し、心の痛みと戦っている。
しかし少なくとも、ヴェルテード王国を揺るがした騒乱は、幕を閉じた。たとえ、それが多くの傷跡を残していたのだとしても。




