二発の銃声
すでに王城内は騒然としていた。中央棟に近づけば近づくほどその騒音は大きくなる。巡回兵の姿はなく、時折パラパラと走ってくるのは、非戦闘員に限られていた。
イェンスとルジェーナはここまで混沌としていると、全く周囲に気を使う必要がなかった。誰も二人の存在など気にも留めていない。二人が中央棟に向かっていてもそれを止めるはずの人間がいないからだ。
「あれは……誰もいないのかな? それとも――」
「――いなくなったのか」
中央棟が見える位置に来ても、不気味なほどその建物の周りは誰もいなかった。しかしよくよく見てみると、建物の扉の近くで倒れている人間は見てとれる。
リシャルトの軍勢がどこから来たのか分からないが、中央棟まで達したのだとすれば、守る側が圧倒的に不利である。それは王宮のつくりを見たときからイェンスが懸念していたことだった。
おそらく王宮に侵入されないことを想定されていて、侵入されてしまった後のことを考えていないのだろう。
イェンスはルジェーナより前を歩くと、ゆっくりと中央棟の一つの扉に近づいた。そして周囲を見回したあと、その扉をそっと開ける。
すると先ほどまで遠くのことのように響いていた騒音が、急に目前のことのように迫ってきた。扉を開けた瞬間、血の匂いがして、イェンスは思わずルジェーナを振り返る。
「始まってるみたいだね」
彼女の鋭い嗅覚は、やはりそれをとらえたようだ。しかし彼女は嫌な顔をせずに、凛とした表情で前を見ると、一度うなずいた。
城内に入ると、そこは戦場と化していて、血にまみれた兵士が傷つき、時には絶命して倒れていた。イェンスはその兵士たちの顔を見ないように気を付けながら、周囲に気を配った。
イェンスとルジェーナに攻撃できるものがいないことを確認してから、イェンスは一番近くの階段へと急ぐ。
時折誰かがイェンスに気が付いて何かを言った気はしたが、それに応えている時間はなかった。もし目を合わせれば、イェンスには見捨てることはできないだろう。しかしここで時間を取ってしまうと、おそらくルカーシュが生きている間にルジェーナをその場所まで連れていくことは叶わなくなる。
「殿下がいるなら……玉座だろうな」
「そうだね。イェンスは、場所を知っているの?」
「……ああ」
イェンスは階段をのぼりながら返事をすると、踊り場でぴたりと足を止めた。
「イェンス?」
ルジェーナが気づかわし気に声をかけてくるが、イェンスは昔聞いた話を思い出そうと目を閉じて集中した。
剣の家ヴェーダ家では、中央棟の間取りは完全に頭にいれさせられる。しかし図面に残すわけにはいかないからと、すべて口頭で伝えられるのだ。通常の行き方のみならず、玉座へつながる秘密の通路の存在もその中にはあった。
「西の階段は……踊り場で足を止め、シャンデリアを揺らせ」
口伝を思い起こしてそうつぶやくと、イェンスは真上を見た。ガラスのシャンデリアが確かにそこにぶら下がっている。イェンスはルジェーナに下がるように言うと、踊り場に設けられていた窓枠に足をかけ、窓枠の上に片手をかけるようにして立ち上がると、剣でシャンデリアを思い切り切りつけた。
するとガラスの割れる派手な音とともにシャンデリアはすとんと床に落ちて砕け散り、天井に開いた穴から縄梯子が振ってきた。
「こっちまで来れるか?」
「大丈夫」
思っていたよりも派手にガラス片が飛び散ったが、ルジェーナはそれらを器用によけてくれた。イェンスはまず自分が縄梯子に足をかけ、強度を確かめる。そして上に上った。
天井裏は、予想通り暗く埃っぽい。おそらく何年も、いや、何十年も使われていないのだろう。
ヴェーダ家の家訓でも、緊急時以外は使うなと何度も念を押されている。
この暗がりを進んでいくのは危険だと判断したイェンスは、持っていたマッチをすり、焚き付けの布を棒に巻き付けて松明にする。
明かりが確保されたところで、ルジェーナもまた、天井裏にまで登ってきた。
二人はそこからは無言だった。イェンスは記憶を頼りに、足早に進んだ。そしてしばらく歩いていくと、階段が現れ、それを登っていく。
玉座があるのは三階だ。もともと二人は一階と二階の間にいたから、階段を一と半階分登らなくていけない。
そうして登り切ると、取ってのついた扉が二つ現れた。
「その扉は、玉座の反対側、タペストリーの裏に繋がっている……どちらかを選べ。しかし間違えれば、命はない」
イェンスは自分が覚えていることを口にして、そして愕然とした。
間違えれば命はない。
それが比喩なのか、それとも本気なのか分からないが、むやみに両方の扉を開けようとしてはいけないということだろう。
二つの扉は取っ手は同じ色をしていた。そしてそれぞれの扉には、尖った鋭く細い葉をたくさん持つ植物と、広くギザギザとした葉を持つ植物が描かれている。
「どっちかなんて……」
「銀の剣を選べ。それが正しい道。しかしそれは盾より剣が勝ることを意味するわけではない」
ルジェーナは妙に自信をもってそんな言葉を発した。イェンスはしばし考えた後、それがミル家の口伝なのだと気づいた。
「イェンス。この植物、右側は”銀の剣”という意味の名をもつ植物だよ。だから……開けるね」
「おい、ちょっと――」
間違えれば死ぬかもしれない。
その話は聞いていたはずだったのに、ルジェーナは何のためらいもなく右側の扉を開け放った。
二人が中に踏み込むと、リシャルト、ベラそしてその近衛たちがルカーシュに銃を突き付けていた。そしてまたルカーシュの護衛の兵士たちも武器を構えている。ただしこちらは銃を構えているわけではなく、形勢はリシャルトやベラ側の優位のようだ。
二人の登場に気が付いたルカーシュとベラがこちらを見て、目を丸くした。
「ルジェーナにイェンス!?」
「……潮時か」
ルカーシュはそうつぶやくと、護衛の兵士たちに武器を下ろさせた。彼らは戸惑いながらもゆっくりと武器を置き、投降する意思を示した。
ルカーシュから目を離すことのないリシャルトの表情は見えない。しかしベラは振り向いていたので、とても驚いているのは分かった。
「復讐に来たのか?」
迷いなくルカーシュがそう問いかけたことで、彼がルジェーナの素性を知っているのだと分かった。ルジェーナはそのことに別段驚いた様子はない。
「……いいえ」
ルジェーナはそう答えながら一歩前に進み出た。イェンスは彼女をかばうように隣に並ぶ。
「真相を明らかにしに来ました」
「真相……か」
イェンスにはこの場の状況がまだ把握しきれていない。しかし、ルカーシュがすでにあきらめているということだけは理解できた。だからこそ、自分の兵たちに武器を捨てさせたのだろう。
「お前の父親を殺したのは私だ。厳密には、お前の父親が死ななければいけない状況を作った、だが」
「……母に濡れ衣を着せたのも?」
「ああそうだよ。私が憎いか?」
「そうですね」
ルジェーナがそう断言したことでイェンスは少しだけ慌てたように彼女をみる。しかしルジェーナはイェンスに大丈夫だと目で言う。
「殺したければ殺せばいい。憎きリシャルトに殺されるよりよほどそれのほうがマシだ」
それはまぎれもなくルカーシュの本音のようだった。リシャルトの肩がわずかにふるえたのが後ろから見ていても分かる。ベラはルカーシュとルジェーナを見比べて、口を挟まないことに決めたようだ。
「私はあなたを殺しません」
ルジェーナはきっぱりとそういうと、さらに一歩進み出た。ルカーシュは怪訝そうな顔をして、もう一度問いかける。
「では……何のために来た?」
「私は、母の無実を証明したかった。父の死の真相が知りたかった。それをすべて成し得た今、私はあなたに罪を償ってほしい」
「罪を……償う? この私が、反省するとでも?」
「反省しないで死ぬことを……私は許したくないんです」
ここで初めて、リシャルトがちらりとルジェーナを見た。彼の青い瞳はしばし彼女を見つめた後、再びルカーシュに戻される。
「それに……カトリーナ王女殿下も、王子が生きることを望んでおられますよ」
「カトリーナ……か。あいつはバカでわがままで、最悪な妹だ」
言葉尻は酷いものだったが、しかしどうしてもイェンスには、それが冷たい男の声とは思えなかった。
「本当、大嫌いだったよ。パトリクと違って、計画の一端を担わせることもできなかった」
「ルカーシュ」
どこから現れたのか、クレマチス妃とカルミア妃がイェンスの父エドガールを伴ってそこに立っていた。カルミア妃は息子を見つめると、小さく息をついた。
「母上。哀れな息子の最期を見に来られたのですか? 母上の望んだとおり、王位をとるためにこうなったというのに」
「そう……私のせいなのね、ルカーシュ」
カルミアの声はひどく穏やかだった。しかしイェンスは何故か、嫌な予感がしてならなかった。イェンスの”予感”は、比較的当たる。
すると、ルジェーナが一歩出て静かに言った。
「生きてください。あなたが死ぬことを、彼女も望みません」
「彼女?」
イェンスはその時のルカーシュの表情が気になった。先ほどよりもさらに嫌な予感がして、イェンスは一歩踏み出した。
「ティファナ様、かつてのあなたの婚約者候補だった方です」
次の瞬間、ルカーシュの瞳が大きく見開かれると同時に、彼はすばやくホルスターから最新兵器を抜き、そして一発撃った。
イザベラも、リシャルトも、パーシバルを含めた近衛たちも、みなトリガーを引くことができないでいるままに、銃声がもう一発その場に鳴り響く。
計二発の銃声が、玉座を抱く広間に、一瞬の静寂をもたらした。




