二人の突入劇
「やっと、戻ってきた……!」
「長かったな……。まさかルッテンベルク側の道に出るとは思わなかったけど」
ルッテンベルクの大通りを歩く一組の男女。
女は珍しい紫色の髪と瞳を持ち、男は金髪に緑色の瞳をしている。二人は手こそつないで! いないが、親密と分かる距離感で歩きながら話していた。
「つまり遠回りしたってことだよね?」
ルジェーナとイェンスは、北の異民族の地へと訪れていた。そこで軟禁されていたのだが、どうにか抜け道と、ルジェーナの鼻を駆使して王都まで戻ってきたのだ。
「香水をたどってここに来たんだから、そこまで計算済みだったんだろうな。アドハーブルは」
イェンスはそういうと、ふとこちらに向かって走ってくる女性の姿を認めた。
「スカーレット嬢……?」
「ルジェーナ!」
イェンスのつぶやきと同時に、彼女がルジェーナの名を呼んだ。すると彼女もスカーレットの存在に気が付き、笑顔で手を振った。スカーレットはそんなルジェーナの様子に、なぜか一瞬、怒りをあらわにし、そしてほとんど衝突する勢いで彼女に詰め寄った。
「何をしてたの! 心配したのよ! それに王都がこんな状態の時にいないなんて!」
以前、誘拐された反省を生かしてか、今日は二人の男が護衛としてついているようだ。イェンスは彼らと目が合うと、すっと会釈された。イェンスもまた会釈を返すと、スカーレットに尋ねた。
「王都がこんな状態、というのは?」
「知らないの?」
スカーレットははっと息をのむと、ルジェーナとイェンスを大通りの端まで引っ張った。そして周囲を伺い、声をひそめて話始める。
「リシャルト殿下が国王陛下殺しの罪を着せられて、追われているわ。一度捕まったらしいんだけれど、イザベラ殿下とともに姿を消したらしいの。でも、王都に潜伏しているのではないかともっぱらの噂で、みんな市街戦になることを恐れて市民の間では買いだめが大流行」
「陛下が殺されたのか!?」
信じられないとばかりにそういうと、スカーレットは間違いないわ、と頷いた。
「リシャルト殿下とイザベラ殿下がともに逃走……とにかく二人は生きてるんだね」
ルジェーナはそういうと、イェンスを見た。彼女の紫色の瞳は、何かを決意した瞳だった。
「王城に行かなきゃ。二人の王子が衝突する前に……私は確かめたいことがある」
「そういうと思ったよ。それなら……急いでいかないとだな」
「ちょっと待って、何言ってるの!? ヴェーダ大尉、自分がどんな状況におかれているか全く理解していないんでしょう?」
半ば悲鳴を上げるように言われて、イェンスは思わず眉をひそめた。
「状況、とは?」
「あなたのお父様は、リシャルト殿下の味方につくとおっしゃって、王国軍の六割とともにオーシェルマン地区にいるの! いまのところ、反逆者扱いなのよ?」
「父さんが? ……剣の家として、職務を全うしようということだろうな」
もともとエドガールはリシャルトが次期国王だと確信している節があった。そのため、国王に使える剣の家の人間として、リシャルトを守ろうと動くことがたびたびあったのだ。
今回、このような騒動になっても、エドガールはリシャルトこそが正式な王位継承者だと認め、味方することに決めたのだろう。
そうなれば、ベラとリシャルトは二人ともエドガールのもとにいる可能性が高い。そしてエドガールのもとにいるのならば、二人の身の安全は確保されていると思ってよいだろう。
そしてもしイェンスが捕まれば、人質として利用され、父のみならずリシャルトやベラの足を引っ張ることになるとも分かっていた。
「イェンス……。私と一緒に、来てくれる?」
それでも、ルジェーナにじっと見つめられてそう問いかけられれば、イェンスに断れるはずがなかった。
「ああ。スカーレット嬢にはすまないが……王城に向かう」
イェンスがそうきっぱりと断言すると、スカーレットは大きくため息をついた。しかしそれ以上は止める気にならなかったらしい。
「行ってらっしゃい。必ず帰ってくるのよ」
そういうと、スカーレットは王城のほうへ首をくいっと動かした。
「……行ってくる!」
そこから王城までの道のりは、さして困難はなかった。
しかし跳ね橋をわたる直前になって、見張りの兵士四人に見つかると、あっという間に二人は囲われてしまった。
イェンスは向かってくる一人の攻撃をかわし、そのままもう一人に体当たりをすると、その男を盾にしながら地面に転がり、次の攻撃を避けた。
ルジェーナは一人は体術で沈め、もう一人は持っていた薬を頭からぶっかけることで、一瞬で男の意識を刈り取った。
「シル、それは何だ?」
イェンスもまた自分に向かってきた二人を気絶させると、ルジェーナの持っている瓶を見て問いかけた。
「睡眠薬。火をつけて拡散させれば、三人くらいなら同時に眠らせられると思うよ」
「さすが……宮廷薬師の娘だな」
イェンスが半ばあきれてそういうと、ルジェーナはこともなげに首を振って言った。
「私はただの調香師だよ」
「ただの、ねえ……」
見張りを倒したところで、二人は急いで跳ね橋を渡り切った。そして巡回の兵士に見つかりそうになって、慌てて木の陰に隠れた。
跳ね橋の上で派手な戦闘を繰り広げたせいで、すでに侵入に気づかれている可能性もある。そのため、あまり長い間一つの場所に隠れているのは得策とは言えなかった。
「とりあえず王宮をめざすぞ」
イェンスはそういうと、自分が着ていたローブを脱ぎ、ルジェーナにふわりとかぶせた。そしてフードをしっかりと彼女の紫色の髪を隠すように被らせると、一度うなずいた。
「これで、ちょっとはマシだろう」
「……染めてくればよかったね」
「どのみち俺の顔でバレて見つかるから、同じだ」
だから気にするな。そういう意味も込めてイェンスはそういうと、木の陰から巡回兵の動きを見つめた。そして彼らの動きの中にある規則性を見つけると、ぐっとルジェーナの細い腕をつかんだ。
「行くぞ」
イェンスはルジェーナの腕をつかんだまま全力で駆け抜けた。走っている途中で後ろから声が聞こえた気がしたが、気にしている場合ではない。
王城の中の町に入ると、細い路地をそのままの勢いで駆け抜けていく。時折道をふさぐ兵士には、剣で応戦し、眠ってもらう。
「ヴェーダ大尉!?」
突然声をかけられてイェンスは反射的に攻撃しそうになった。しかしそれがなじみの武器商人だと気が付いて、殺気を消した。
「どうしてこんなところに! 早く逃げないと」
「いえ……行かないといけないところがあるので」
「まさか王宮に?」
商人は驚いたようにそう問いかけ、イェンスはそれを短く首肯した。そしてふとイェンスは彼が持っている弓矢に気が付いた。
「それは……?」
「ああ、これはちょっと傷が入っていて、売り物にならないから寄付しようかと」
「……譲ってもらえませんか?」
「弓矢を? 剣の家のあなたに?」
「使うのは私ではありません」
それまで成り行きを静かに見守っていたルジェーナが、少なからず驚いたのが分かった。それはそうだろう。彼女が弓を使ったことなど見たことがない。
しかし武器商人はそれで納得したようだ。快くそれを譲ってくれた。
「気を付けてくださいね。信じていますから」
「ありがとうございます」
弓矢を持ち、再び二人は走り始めた。
城壁と町の間にいる時よりは、兵士に見つかる可能性は低かった。しかしそれでも二人はひたすらに走り続けて、王宮を目指す。
そして王宮内部を囲む柵の、さらにその外側に張り巡らされた水路までたどり着いた時点で、二人は一度立ち止まった。
「はあ……はぁ、はぁ……」
走りっぱなしで息が切れたルジェーナは、さして疲れていなそうなイェンスをうらめしそうな目で見た。
「本職の軍人をなめられちゃ困る。このくらい普通だ」
イェンスがそういって肩をすくめると、ルジェーナはどうにか呼吸を戻そうと、姿勢を正し、息を長い時間をかけて吐き出し続けた。そして限界まで吐ききった後で、息を大きく吸い込んだ。
それを何度か繰り返すと、ようやくルジェーナの息も整ってくる。
「ここから先は……もっと警備が厳しいよね?」
「ああ。正攻法ではとても入れないだろう。普段ならば」
「普段なら?」
先ほどからずっと違和感があった。イェンスはそれが何かわからなかったのだが、ようやく気が付いたのだ。
「王城内の兵の数が少ない。よく考えれば王国軍の六割が父さんのそばにいるんだ。そうなっても仕方がない。ルカーシュ殿下は私兵や地方兵もかき集めているかもしれないが、王宮を守るので精いっぱいということだ。そうなれば、王宮の中でも兵の分布をかなり偏っておいている可能性はある」
「でも……王宮に入れる門は見張りを置いてるでしょ? 柵の先は鋭利に尖っているから、柵越えするわけにもいかないだろうし」
「シル。以前、ベラと攫われた時に、鉄格子をふっ飛ばしたことがあったよな?」
「火炎瓶のこと?」
「あれ、まだ残ってるか?」
「全く同じではないけど、持ってるよ」
「それ、そこで爆発させられるか?」
「そこで? あ……なるほど。陽動作戦ってことだね」
この場所は王宮に入るための正門からは百メートルほど離れている。固有の人物を識別するには遠すぎる距離だが、爆発の音が伝わるにはさして遠くない距離と言えるだろう。それに柵は鉄でできているため、爆発でそれが揺れれば、その振動は必ず門のところにいる見張りの兵士にも聞こえるはずだ。
「でもこれ、ここで爆発させて、私たちが向こうに異動したら、兵士たちに気が付かれるんじゃない? 投げてその振動で爆発するけど、手で投げられる距離なんて限られているし」
「それ、何かの衝撃で爆発するんだろう? それならこれでも爆発させられるんじゃないか?」
持っていた弓矢をぽんぽんとたたきながら言うと、ルジェーナは、はっと目を見開いて、納得したようにうなずいた。
「なるほどね。矢は十本……イェンスは、弓の腕に自信は?」
「……三本でどうにか当てるつもりだ」
「なるほど」
狙撃の名手と名高いベラがいれば、一本あれば十分であろうが、さすがにイェンスはそこまで自信が持てなかった。
一通りの武器の扱い方は習ったが、弓はほどほどにできただけなのだ。
「見張り番の足元にこれを投げつけてもいいかも」
ルジェーナはそういうと、懐から小さな瓶を数本取り出した。
「それは……睡眠薬か?」
「そう。厳密には睡眠作用のある香水」
「さすが、調香師」
イェンスは呆れもにじませてそういうと、ルジェーナに睨まれてしまった。そんな彼女をなだめて火炎瓶を受け取ると、それを素早く柵の近くに置きに行く。それと一緒に、ルジェーナに渡された焚き付けも傍においておいた。彼女曰く、その焚き付けの布にはたっぷりアルコールがしみこませてあるようだ。
「よし……」
見張りの兵士がイェンスたちに気が付いた様子はない。
イェンスはそれを置いてさっと戻ると、ルジェーナとともにゆっくりと正門に近づき始めた。
そして正門から五十メートルほどのところで、隠れるのにちょうどよい木を見つけ、その後ろ側に回り込む。
「ルジェーナ。五本の矢に、さっきの香水付きの瓶を括りつけられないか?」
「瓶だと重すぎるよ……それならいいものがある」
ルジェーナはそういうと、布袋のようなものを取り出して、それを矢じりにくくりつけてゆく。
「これは粉状になってて、吸い込むと、睡眠薬と同じ効果が得られるの。矢が飛んでいく過程で破れて、まき散らしてくれることを祈るしかないかな」
「それは、気休め程度の作戦だから大丈夫だ。陽動作戦が上手くいけば、四人ぐらいを相手にすれば中に入れるはずだから」
イェンスはルジェーナが作業を終えたのを見て、弓に矢を番えた。
そしてぎりぎりと引き絞り、狙いを定め、放った。
飛んで行った矢は、火炎瓶の上をぎりぎりかすめて、その後ろの柵に当たって跳ね返る。
「二本目」
ルジェーナは落ち着いた声でそういうと、次の矢をイェンスに渡してくれた。イェンスはそれを受け取り、一度深呼吸した。そしてそれを番えて、放つ。
二本目は瓶の口の真横をすり抜け、その先の地面に突き刺さった。
「三本目」
イェンスは頭を軽く振ると、すっと意識を集中させ、火炎瓶をじっと見つめた。そして、最後の矢を放つ。
その矢はまっすぐと狙い通りに飛んでゆき、火炎瓶の中央を射抜いた。高い音がして瓶が割れた直後、激しい音とともに火花が散り、地面の土をえぐって巻き上げるような風が生まれた。
正門の近くにいた兵や、音を聞きつけた兵士たちが一斉に爆発のあったほうへと走り出す。
イェンスはそれを見つめると、すぐにルジェーナが差し出した次の矢をぎりぎりと引き絞った。
そしてためらわず放つ。その矢が向かった先を確かめずにイェンスはさらに二本、打ち続けた。
「行くぞ!」
弓を捨て走り出すと、ルジェーナも矢を放り出してそれに続いた。イェンスによって放たれた三本の矢は、一本は届かずに地面に落ち、もう一本は柵をかすめて中の薬をぶちまけ、最後の矢は見張りの右腕をとらえたようだった。
しかし爆発に気を取られている兵士たちは、正門付近の見張りの異変に気が付く様子はない。
二人はそこまで一気に距離を詰めると、まずイェンスが剣を抜いて見張りの兵士二人を相手どった。そして残りの兵士に向かってルジェーナは睡眠薬をお見舞いすると、自分が吸い込んでしまわぬように口元を布で抑える。
そしてイェンスに向かっている兵士の一人に足払いをかけると、睡眠作用のある香水を含ませた布を兵士の口元を覆うようにかぶせた。
兵士は一瞬だけ抵抗したが、すぐに瞼を閉じた。
「状況が状況じゃなきゃ、凶悪犯だね、私たち……」
「この状況でも凶悪犯だ。でも今はそれどころじゃない。行くぞ」
全員を昏倒させたのを確認すると、二人は王宮の内部へと走り出した。そして一番近い建物の裏に回ったところで、二人は思わぬ人物と遭遇することになる。
「あなた、ルジェーナ?」
そういって問いかけたのは、黒と銀のグラデーションの髪を持つ、この国の第四王女カトリーナだった。