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イェンスとルジェーナ  作者: 如月あい
七章 愛のかたち

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揺れる王国

 オーシェルマン街で、リシャルトが後世に残る演説をした三日後。地下通路を使ってエドガールの率いる軍が王城を目指している頃のことだ。


 ルッテンベルク街の大通りの一角では、蜂蜜色の髪の美女が憂鬱げに町を歩いていた。

 その後ろには護衛の男が二人くっついている。

「あの二人は何をしているの……」

 スカーレット・イーグルトンは非常にいらだっていた。蜂蜜色の髪を背中にばさりとすべて流すと、ヒールを鳴らす。

 護衛に、王城の兵士を捕まえて尋ねさせたところ、イェンスは休暇中であるらしい。ルジェーナが不在であることに不安を覚えたところで、イェンスも休暇中とくれば、二人は今、王都にいないのだろう。

 しかしそれにしたってどうしてこのタイミングなのだとスカーレットは思った。


 今、王国は、厳密にいえば、王都は大きく揺れている。

 それは突然、町に振ってわいた国王陛下崩御の報のせいである。しかもそれが、最も王位に近いといわれていたリシャルト殿下による凶行だというのである。

 そしてそれを現行犯で抑えたルカーシュ殿下が、リシャルト殿下の処遇を決めるとともに、暫定的に国王代理になるのだと。


 スカーレットはそんな話まったく信じられなかったが、民衆はその知らせで半分くらいがそんなこともあるのかもしれないと噂した。

 民たちの噂では、実はルカーシュ殿下がすでに国王陛下から次期国王に指名されていて、それをねたんだリシャルト殿下の犯行だというのだ。

 しかしスカーレットの情報網によれば、指名されたのはリシャルト殿下であったはずである。しかもそのことは王城内ではきちんと告知されてていた事実だったとも。

 それでも民衆がそうやって騒ぐのは、王城外にその話が伝わる前に、陛下が亡くなってしまったからだろう。

 またエノテラ妃殿下が口をつぐんでおり、リシャルト殿下が脱走したことも、民の噂を助長させる結果になった。

 リシャルト殿下が脱走した理由はまだわかるのだが、エノテラ妃殿下が口をつぐんでいるというのは解せない。どうして息子をかばわないのだろうかとスカーレットは思ったが、そんなことを商家の娘が考えたところで分かりはしないだろう。

 また、リシャルト殿下とともにイザベラ殿下も失踪したらしく、彼女も陛下を暗殺した共犯で、リシャルト殿下とともに逃げたのではないかという説まであがっている。


「人通りが……どことなく少ないわね」

「それはもう……みな、いつ市街戦になるかと戦々恐々としていますから」


 歩きながら感じたことを護衛に言えば、彼からそんな言葉が返ってきた。

 民が騒ぐ一番の理由はそこだった。

 彼らの根も葉もないうわさによれば、リシャルト殿下はこの王都のどこかに潜んでいて、ルカーシュ殿下が彼を見つけ次第、彼を捕まえるために軍を差し向けるらしい。そしてリシャルト殿下も私兵を動員し、結果、市街で戦いが起きるだろうという予想のようだった。

 そのため買い物できるうちに買い物をしておこうと、市民はいつもより多く食材や日用品を買い込み、できるだけ家から出ないようにしようと引きこもるものが多くなっていた。

 過剰に反応しすぎだと笑い飛ばせればよかったのだが、こればかりはスカーレットも否定することができなかった。

 リシャルト殿下は聡明だという話であったし、人格者で、誰よりも王位に近いといわれていた。それが本当であるならば、きっと市街戦は避けようとするだろう。

 しかしルカーシュ殿下は、調べれば調べるほど冷徹な一面が見え隠れする人だ。彼はおそらく民衆の前でリシャルト殿下を取り押さえたいはずだ。つまり市街戦をあえて選ぶ危険性がある。


「こんなとき、あの二人ならどうするのかしら……」


 イーグルトン家は皮肉にも、この状況で非常に繁盛しているといっていい。過剰なまでの購買運動は平民のみならず貴族にも蔓延しているからだ。

 しかしながら、貴族の中でも本当の上位貴族や、軍に所属しているものがいる家は、この騒動から身を引いている。そしてそれは、おそらく、彼らはリシャルトの無実を確信していて、水面下で策を練っているからだと推察された。 


 そして、スカーレットにできるのは、こうやって推測することだけだった。


 ヴェルテード一の商家だといえども、王家の内乱に干渉する力はない。もしあったとしても両親がそれを許さないだろう。 

 イーグルトン家はこの国の経済の要でもある。政治の要がぐらついている今こそ、どうにかイーグルトン家は火の粉を被らぬようにしなければならないのだ。

 それは重々承知していた。それでも、ルカーシュ殿下が国王になるというのは、どうしてもスカーレットには認められないことだった。スカーレットが独自に調べた結果、彼がルジェーナの両親の死に関わっていることはほぼ間違いないからだ。


「お嬢様!」

「何?」

「あれは、ルジェーナ様では?」


 護衛が上げた声に反応してそちらを見ると、そこには、スカーレットがずっと探していた紫色の髪の女性がいた。

 人ごみの中でも目立つ彼女の隣には、金髪の青年もいる。


「ルジェーナ!」


 スカーレットは名を呼びながら、彼女のもとまで走った。







 一方、ルカーシュは彼を信奉する貴族と自らの息のかかった正規兵および私兵を動員して、”逆賊”であるリシャルトを打つと王宮で宣言していた。

 また、リシャルトに与した軍人たちも処刑に処するという方針を打ち出した。

 ルカーシュの見立てでは、この二つの案はあっさりと通るはずだった。この場にいる人間は、全員がルカーシュを信奉しているからだ。


「ルカーシュ殿下。恐れながら……軍人たちの処刑には賛同しかねます」

「……なぜ、賛同しかねるんだい?」

 ルカーシュは苛立ちながらも、どうにか平静を装ってそう尋ねた。すると発言した男はびくりと体を震わせたあと、恐る恐るといった様子で口を開く。

「もし全員罰せられますと……王都にいる王国軍の六割を失うことになります。裏切り者が予想外に多く……全員を罰してはこれからのルカーシュ殿下の治世に差し障るかと……」


 六割。


 その数字を突き付けられて、ルカーシュは苛立たずにはいられなかった。王国軍の六割がリシャルトの味方に付いたということだ。表面上は正義であるルカーシュではなく。

 数字だけで見るならば、ルカーシュが反逆者のようだった。

 実際のところ、確かにルカーシュが王に(あだ)なす反逆者ではあるのだが、そうではないことになっている。


「しかし裏切者を罰しないわけにもいかぬだろう! お前は、裏切者をルカーシュ殿下に仕えさせろというのか!」

「い、いえ……ですが……」

「私も彼に賛成だ。さすがに王国軍の六割を罰せば、民から恐怖政治を敷く王だと思われる可能性もある。ここはルカーシュ殿下の寛大なお心を見せるべきだ」


 こんなとき、リシャルトならばどうするのだろうか。もしルカーシュが負けたら、リシャルトはルカーシュに組したものをすべて処刑するだろうか。

 そうやって考えてみると、答えは簡単に出た。

 リシャルトは決して処刑はしないだろう。降格や異動などの罰は与えて王都から遠ざけるかもしれないが、殺しはしないに違いない。そしてそうしたほうが、民に禍根を残すことも少ない。


 何をやっても勝てない。

 

 そんな思いが、ルカーシュの心を重くした。

 想像の中の兄にでさえ、ルカーシュは負けてしまっているのだ。

 しかし戦いはもう、引き返せないところまで来てしまっている。

 

「旗頭のエドガールに全責任を負わせる。それ以外の兵には、降格や異動などの罰を。そして私は……剣も盾もいらない国を作る。それで良いな?」


 今度は、反対の声は上がらなかった。

 さきほど苦言を呈したものも、それならば大丈夫とばかりにうなずいている。この決断がルカーシュの中にいるリシャルトの声に従ったのだと皆が知れば、いったいどんな表情をするだろうか。


「剣も盾も、兄上も壊れればいい……」


 ルカーシュの低く小さなつぶやきは、誰にも悟られることなく、騒然とした会議の場に溶けて消えていった。



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