あなたの命を頂戴
王城の北の外れに、大きくて四角い黒い建物が存在する。その建物は七階建てで、他の建物から頭がぽんと飛び抜けており異質な雰囲気を醸し出していた。
その中の研究室の一室で、書類のあふれた部屋では、黒髪の青年が、総白髪の男性に向かって大きな声を上げていた。
「リク・パユ殿! いいかげんベラを解放してください」
黒髪の近衛は、怒っていた。それは彼の主かつ婚約者である王女イザベラが、ミラ・パユとして、ここ三日ほどずっと彼の研究室に引きこもっていたせいだ。
「声が大きすぎる……もう少し静かにせんかい」
天才科学者と言われているリク・パユは、いかにも面倒だという顔をしてそう言った。
真っ白な白衣を着た小麦色の髪の女性はその様子を見てまあまあ、と声を上げた。髪をゆるく一つにまとめ、黒縁のメガネをかけた彼女は、一見、研究員にしか見えない。
しかし彼女は、確かにこの国の第三王女、イザベラ・エノテラ・ヴェルテードだった。
「それに、べ……ミラが自分から助手を買って出たんだからな。儂のせいじゃない」
「そうよ、無線受信機器の完成はとても意義のあることなのよ」
ミラことベラは、両手を上げて伸びをすると、怒り心頭のパーシバルに微笑みかけた。彼が自分を心配しているということは分かっていた。ただ、リシャルトが次期国王に指名されたあの宴から、なんとなく気分がさえないのだ。
「だからといって、いくらなんでも引きこもりすぎだよ。もしベラが自分からひきこもっているというのなら、何があった?」
伊達に長い付き合いではない。パーシバルはそんなベラの心情の変化をよく理解しているようだった。おそらくはリクもまた同じだったのだろう。彼は少しだけ安心したような表情になると、近くにある紙を読み込むふりをした。
どうやらベラを助ける気はないようだった。
「何もない」
とっさにそういったベラだったが、パーシバルの青い瞳がじっとベラの赤い瞳を見つめた。彼の青い瞳を向けられると、落ち着かない気分になって、ベラはとっさに視線をそらし、いらいらとした口調で言った。
「ああ、もう分かったわよ。ちょっと……勘違いに気が付いたの」
「勘違い?」
「エノテラ妃は私に興味がないんだと思っていたんだけど、私のこと、嫌いみたい」
ベラはできるだけさりげなく言ったつもりだった。もうずいぶん前に、家族という存在についてあきらめたつもりだったからだ。
しかしながらパーシバルは先ほどまでの怒りを消して黙り込み、リクは書類を読むふりをしていたことさえ忘れて、ベラの言葉に耳を傾けている。
「私が、嫌いなのよ。きっとね。リシャルト殿下は関係ないんだわ」
ベラはずっとリシャルトのせいにすることで心を保っていた。自分に向けられていた嫌悪を、違う場所へと逃がすことで自分の心を守っていたのだった。それに気が付いたベラは、思っていた以上に、自分の心が病んでいくのを感じていた。
気が付いた瞬間はそこまでではなかったのに、時間を経ていくにつれて少しずつその”病み”は進行していく。
「その感情の原因が私か、他人か。それだけの違いなんだけれど……」
「それで、逃げてるの?」
心のどこかでは、パーシバルが自分に同調してくれると信じていたようだった。四年前に裏切られたと思ったのと、似たような心境だ。彼は厳しい視線をベラに向けていた。その視線から逃れたくなって、ベラが後ずさると、パーシバルは一気に距離を詰めた。
ベラの背中が本棚に当たり、これ以上下がれなくなったところで、パーシバルはベラの顔の横あたりに手をついて、ベラの逃げ道をふさぐ。
「近衛として言うには、あまりにも失礼だと思って言えなかった。でも君が僕を婚約者だと認めるのなら、言わせてもらう」
鋭い視線から逃れたくとも、青い目が逃がしてはくれなかった。
「君の努力は称賛に値する。あらゆる分野で、君は抜群の成績を残してきた。リシャルト殿下への対抗心だったとしても、君はあきらめはしなかった」
褒められているわけではないと分かっていた。だからこそベラは、何も言えず、ただパーシバルを見つめていた。
「ただ一つ、家族……いや、人付き合いに関しては、君は逃げてばかりだ」
「そんなこと……」
「いいや、ある。一度も向き合ったこともないのにあきらめるのか? エノテラ妃殿下はともかく、ベラをきちんと大切にしてくれているリシャルト殿下にも全く向き合ったことがないだろう? 王族にとっての”家族”というのが複雑であるのは分かってる。でも、君は向き合うことさえしていない。陛下だって、君に多くの自由を許してくださっているのに、それに感謝を述べたことすらない」
つらつらと述べられるその言葉が苦しくなって、ついにベラは視線を彼から外した。するとリクと目があった。ベラは助けを求めるように彼を見たが、リクは首を横に振ったあと、ため息をついて言った。
「わしは資料室に文献を取りに行ってくる。しばらく留守を頼む」
「ちょっと……!」
慌てて引き留めようとしたが、リクはさっと部屋から出て行ってしまった。二人だけになった部屋には、しばしの沈黙が訪れた。
「ベラ」
「……何?」
「ぶつかったってどうしようもないこともある。自分がどれだけあがいても、他人に届かないこともある。でも、自分が何もしなければ、絶対に誰かに気持ちが届くことはない」
「でも、今更よ……。もうすぐ私は王家を離れるのに」
下を向いたままそう答えると、ふっとパーシバルの気配が遠ざかるのを感じた。どうしたのかと思ってベラが顔を上げると、パーシバルはベラに背を向けて立っている。
「パーシバル?」
「……君にとっては、僕との結婚でさえも”逃げ道”?」
先ほどまでの声とは全く違う、無機質で抑揚のない問いかけだった。その後ろ姿が、今にもどこかに消えてしまいそうで、考えるよりも先に、ベラは後ろからパーシバルの腕をつかんだ。
「違う! それだけは逃げじゃない……本当よ」
うつむいたまますがるように腕をつかんでいると、パーシバルが振り返って、小さく息をついた。
「……すまない。僕はそこまで望んでいるわけじゃない」
「そこまで?」
「いや……。それより、ベラの話だ。君が人と上手く距離をとれない一番の原因は、エノテラ妃にある。おそらくエノテラ妃と関係の薄い人間とは、それなりに関係が築けるんだろう。でももし、セネヴィル家に嫁いで、僕の母や父とうまくいかなかったら、君はまたすぐに逃げるのか? 僕たちの婚姻は解消できるものじゃない。それにきっと僕はもう、君をは――」
パーシバルは不自然に言葉を切ると、なぜか深いため息をついた。ベラが次の言葉を待ち続けるも、彼は一向に話を始めない。
「――いや、いい。僕は……その……君にちゃんと向き合ってほしい。せめて一度は向き合って、それでもだめなら考えればいい。でも一度も向き合わないのは、恵まれた境遇に甘えすぎだよ」
頭の中では、パーシバルの言い分が正しいことを認めていた。確かにベラは家族との接触を避けてきた。エノテラ妃が自分に対して無関心であると思っていたときも、自分を見てもらおうとする努力を簡単に放棄した。国王に対しては、もはや彼が自分のことをどう思っているのかわからないほど、疎遠であると言っていい。
そして非常に悔しいことに、リシャルトが自分を大切にしてくれていて、自由を許してくれているという事実は、認めざるを得ないものだった。そしておそらくその時点でベラはリシャルトに負けている。彼はベラがどれだけ彼を嫌おうとも、決して態度を変えなかった。関わろうとすることを諦めなかった。
「分からないの……。今更、何を話していいかも分からない……拒絶されたら、私はたぶん、立ち直れなくなる。知ってるわ。自分でわかってるの。私は弱くてわがままなのよ。恵まれた境遇に甘んじていることだって……」
分かってはいても、行動に移せない。最新兵器で自分の体は守れても、自分の心を守る術はないのだ。
「分らなくてもいい。もしだめなら、その時は……僕が――」
パーシバルがそう言って、ベラに手を伸ばしかけた時だった。
「――ベラ!」
派手な音とともに扉が開けられて、息を切らしたリクが戻ってきた。パーシバルとベラは慌てて距離をとると、部屋に入ってきたリクを見つめた。すると彼の後ろには、茶みがかった銀髪の美少女が、真剣な表情で立っている。
「ヴィクトリア? 爺様、いったいどうしたの?」
リクとヴィクトリアという組み合わせを見て、ベラは思わず眉をひそめた。
「あいつが……国王が殺された」
「殺された!? 冗談でしょう?」
リクの言葉にベラは反射的にそう叫んだが、リクもヴィクトリアも真剣そのものだった。
「冗談ではありません。ルカーシュお兄様が殺して、その罪をリシャルトお兄様に擦り付けたんです」
「そんな! まさか、リシャルト殿下は捕まっていらっしゃるんですか?」
パーシバルが思わずと言った風に問いかけると、ヴィクトリアはうなずいた。
「待って。どうしてルカーシュが犯人だと? 捕まったのはリシャルトでん――兄上なのでしょう?」
「内通者がいるもので。できれば殺人の前に教えてほしかったですけれどね。私は今からリシャルトお兄様を解放しにいきます。イザベラお姉様も共犯者扱いされる可能性があるので、城から出て、しばらく身を隠してください。お得意でしょう?」
確信的な口調でそういわれてしまえば、ベラはごまかすことができなかった。現にベラの変装もヴィクトリアにはまったく効果がないようだ。
「兄上はどこにいるの? 貴族用の牢のどこかよね?」
「中央棟の東にある建物の三階です。エノテラ妃殿下は居住棟でそのまま軟禁状態のようですが」
リシャルトのいる棟は、かなり厳重に警護がなされているはずだ。おとなしく真正面からいっても自分の立場を不利にするだけである。ベラはもともと立場などないようなものなのでよいが、ヴィクトリアはこの件には全く無関係で、おとなしくさえしていれば、被害を被ることはないはずだ。
「私が行くわ。あなたはおとなしくしてなさい」
「え?」
「私が兄上を助けに行く」
「ですが、お姉様は私と違って狙われているんですよ?」
「悪いけど、私はあなたの数百倍強い。まあ……リク爺様のおかげでもあるけど」
ベラはそういうと、リクに視線を向けた。すると彼は黙って弾薬と小型銃をベラに手渡した。そしてさらにもう一つ、筒状の何かを手渡した。ベラはそれを見ると一度息をのみ、そしてリクを見た。リクがうなずいたのを確認すると、ヴィクトリアに向き直る。
「それにどうせ大人しくしていても捕まるわ。それなら私が兄上を解放しにいたほうが、状況は今より悪くなることはない。あなたまで捕まったら……面倒だから」
異母姉妹は初めて互いに真正面から向かい合った。そして、しばらくの沈黙ののちに、ヴィクトリアが小さくうなずいた。納得はしていないようだったが、彼女の表情の中には、不満だけではない、何かがあった。
「パーシバル、あなたは――」
ヴィクトリアをクレマチスのところへ送り届けて。
ベラはそういうつもりで彼を見た。しかし青い静かな瞳に見つめ返されて、先ほどまでの会話を思い出す。
ベラはずっとパーシバルを巻き込みたくないと思っていた。しかしながら、それさえも逃げなのかもしれない、と思い当たったのだ。パーシバルがどうしたいかと問いかけたこともなかったことに気が付いたのだ。
「――近衛としては私についてこなくていい」
「ベラ!」
パーシバルがベラを咎めるような声を出したが、ベラはすぐに言葉をつづけた。
「その代わり、婚約者として、私を守ってくれる気があるなら……ついてきて。命令じゃない、お願いよ――」
ベラは太ももにつけているホルスターにさっとピストルを戻すと、パーシバルをまっすぐと見つめて言った。
「――あなたの命、私に頂戴」
赤と青の瞳が交差する。側にいるはずのヴィクトリアやリクのことを忘れて、二人はしばしの間見つめ合っていた。
実際には短い時間、しかし二人にとっては永遠にも思える一瞬が過ぎ、パーシバルがふっと笑みを零す。
「元よりそのつもりだよ」
「……ありがとう」
ベラがリシャルトのために動き始めた一方、カルミア妃は部屋でただ泣き崩れていた。
彼女はルカーシュの使いから、リシャルトが国王を殺したという話を聞かされたのだった。
カトリーナは、父の訃報を受け、母カルミアがこうなることを直ぐに想像した。そして来てみれば、案の定、カルミア妃は泣いていた。
物に当たったらしく、部屋の花瓶は割れ、ソファは曲がり、絵画は破られている。
「お母様……」
「どう……して、どうしてなの!! どうしてあの方がっ!」
母の絶叫が、部屋に木霊する。侍女たちは全員下げているので、それを受け止められるのはカトリーナしかいなかった。
母が父王を愛していることは分かっていた。しかしいつも綺麗に済ましていた母が、ここまで乱れるとは想像もしていなかった。
「リシャルトお兄様は、どうして……?」
リシャルトが国王を殺したという話だったが、カトリーナには理由が全く分からなかった。もしかすると、国王になりたくなかったのかもしれない。しかしもしそうであったとしても、わざわざ国王を殺す必要はない。
しかし外部犯を疑うことは難しい状況だとカトリーナにも分かっていた。国王の警備は国で最高レベルなのだ。特に私室は。
開けた場所で狙撃された方がまだ納得がいく。
「リシャルト? 違うわ!」
突然、カルミアがヒステリックに叫んだ。カトリーナはびっくりして体を震わせると、カルミアがテーブルの上のカップを壁に向かって思い切り投げつけた。
「妃殿下! カトリーナ殿下! 大丈夫ですか!」
派手な音がして扉の向こうから声がかかると、カルミアはもう一つのカップを扉に向かって投げつけた。
「うるさいっ! 退がれと言っているでしょうっ!」
残りのカップ全てを叩き割りそうな母の勢いに、カトリーナは思わず母の腕を掴んでそれを止めた。そして扉の向こう側に向かって叫ぶ。
「下がりなさい! これは命令よ!」
カトリーナがそういうと、しばしの沈黙ののち、かしこまりましたという声が返ってきた。
カルミアは今度は床に崩れ落ち、声を殺すこともなく泣きわめいた。いつもはきれいに整えられている髪の毛も、ばらばらとほつれている。
「あの子が……殺したのよ」
「え?」
「ルカーシュが殺したに決まってる!」
押し殺すような低く小さなささやきとは正反対に、派手な動作でカルミアは自分のドレスの裾を引き裂いた。ドレスのレースとともに心も引き裂かれたような気分のカトリーナは、母の言葉を受け入れられずに問い返した。
「どうして……そんなことが、言えるの?」
「どうして?」
はっと鼻で笑ったカルミアは、カトリーナがぞっとするような暗い表情をして言った。
「あれが自分の息子だから。私が誰よりも愛したあの人の子どもだからよ!」
このとき突然、カトリーナは自分の母親の愛情が誰に向いていたのかを理解した。母親はルカーシュもカトリーナもほかの兄弟もかわいがってくれていたが、父王に一番似ているルカーシュを愛していた。
しかしそれは、やはり国王を愛しているがゆえに、無意識的に息子を代わりにしてしまっていたのではないだろうか。
「あぁぁ! 憎いの! 我が子が! あの子が殺したのよ! 私が殺したの! 私があの子の即位なんて望むから!」
カトリーナは無知を理由に、政治的なことにはいっさい関わろうとはしなかった。しかし、政治的なことでさえも、人間が動かす以上、そこに情が入るのは仕方のないことだ。カルミアがルカーシュの即位にこだわったのは、国王に息子を認めさせることで、自分を見てほしいという欲求の表れだったのだ。
泣き叫ぶ母を見ていると、ルカーシュが殺していない、と言ってあげることはできなかった。
いつの間にか、カトリーナの頬にも涙が伝っていた。はらはらと静かに泣きながら、兄が父を殺すだろうかと真剣に考えてみた。
カトリーナは優しいルカーシュが好きだった。
しかし好きだからこそ、カトリーナは残酷な真実と向き合わざるを得なかった。
ルカーシュが父王を殺して、リシャルトに罪をなすりつけた理由は、自分が即位したかったからだ。
もしそうであれば、カトリーナはその理由を知っていた。
ルカーシュがどうして、国王になりたいのか、ということを。そして、ルカーシュが本当に憎んでいる相手が誰であるかも。
考えれば考えるほど、ルカーシュが殺したという筋が通ってしまうことにカトリーナは気が付いていた。カトリーナは暴れる母親をよそに、静かに泣き続けたのだった。




