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イェンスとルジェーナ  作者: 如月あい
六章 愛と憎しみが牙をむく

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ソレイユとリュヌ③

「よかったら何が入ってるのか考えながら飲んでみてください。ソレイユが何か言う前に」

 ルジェーナはアドハーブルがイェンスに言ったことを受けて、目の前のカップのふたをとるのを止めた。この蓋がどういう構造なのかルジェーナには全く分からなかったが、カップの中身の香りがかなり遮断されている。いくらルジェーナといえども、茶のすべての成分をこの状態で言い当てるのは至難の業だった。

 イェンスが隣でカップのふたを開けると、茶の香りがふわりと広がった。どんなハーブを混ぜたのか、大体の見当はつくが、さすがに距離があるので完全には分からない。

「よろしければこちらもどうぞ」

 イェンスがカップに口をつけたのをみると、アドハーブルがそういって皿の上のクッキーを進めた。

 ルジェーナはもういいだろうと思いカップのふたをあけ、そしてそれを飲もうと近づけた。

 茶から立ち上る湯気とともに運ばれてくる香りが、ルジェーナの何かを刺激して、ルジェーナは茶を飲むのを止めた。そしておもむろにクッキーを手に取り、香りをかいだ。

「イェンス! 食べないで!」


 とっさに声を上げたルジェーナだったが、すでにイェンスはクッキーを飲み込んでしまっていた。

 イェンスは驚いたようにルジェーナを見たが、徐々に瞼が閉じていき、体から力が抜けていく。

「どういうつもりですか!」

 ルジェーナはとっさに立ち上がって短剣を抜くと、イェンスをかばうようにして立った。

 するとアドハーブルとテールは、なぜか安心したように微笑んだ。

「嗅覚に優れた者を使って試行錯誤した甲斐があったよ。それでも見抜くとはさすがだが」

「クッキーと茶を飲むと薬の相互作用で眠りに落ちる。私は騙せないとおもったから、イェンスに先に飲ませたんですね」

 ルジェーナはどうするべきか悩んでいた。眠ってしまったイェンスを連れ出すには、まず目の前にいる二人を相手にしなければならない。

 しかしながら、相手は「類稀なる能力(オムニポテンス)」と自らを称す一族だ。いくら戦闘能力に優れるルジェーナといえど、一対二は歩が悪い。


「その短剣を下ろしなさい。オフィシエを眠らせたのは、戦闘でケガをさせないためだ」

 テールは優しくそういうと、彼女とルジェーナの間にあった机を一瞬にして横に払った。小さくはないテーブルが、意志をもって動いたかのような現象に、ルジェーナは唖然とする。

「では……なぜ?」

「……さあ?」

 テールが次の言葉を発した瞬間、彼女の顔が目の前にあった。ルジェーナは一歩も動くことができないまま、彼女に片腕をつかまれた。

 とっさに抵抗しようとしたが、続いてアドハーブルがイェンスに剣を突き付けた。その段階で、ルジェーナの負けだ。


 そこからの流れは、あっという間だった。ルジェーナが抵抗できないでいるうちに違う部屋に連れていかれ、閉じ込められる。

 ただ、閉じ込められた部屋は牢というわけではなさそうだった。窓に鉄格子がはめられていなければ、客間と言ってもよさそうだ。

 鍵はもちろんかけられたのだが、彼らはルジェーナとイェンスを害するつもりはないらしい。ベッドが二つに、テーブルとソファ。軽食も置いてある。ある程度の生活は保障してくれる気のようだ。それに、ルジェーナもイェンスもケガ一つなくここまで連れてこられた。

 イェンスと言えば、ベッドの一つに横たえられまだ眠っている。テールが人を呼び、彼をここまで運ばせたのだ。


「どういうつもりなんだろう……」


 ルジェーナはそうつぶやくと、イェンスの眠るベッドにそっと腰を下ろした。そして先ほどまでの会話を頭の中で整理する。

 二人の目にはルジェーナとイェンスに対する怒りや憎しみみたいなものは全く感じられなかった。あれが演技なら素晴らしいが、そのあとの対応を考えても、きっとその線での軟禁はないだろう。

 つまり、何か負の感情とは別の理由から、イェンスとルジェーナを軟禁しているのだ。

 規則正しく上下するイェンスの胸を見つめると、ルジェーナはそっと自分の左手で、イェンスの左手首を押さえた。そして目を閉じて脈を図る。

 呼吸の乱れも脈の乱れもどうやらなさそうだった。つまり、イェンスはただ眠っているだけだった。深い緑色の瞳はまぶたによって隠され、さらりとした金色の髪が無造作に散らばっている。ルジェーナはその髪をそっと直すと、小さく息をついた。

「……起こすしかない、かな」

 気持ちよさそうに眠るイェンスを見つめているのは、不思議と穏やかな気分になれた。できればこのまま見つめていたい気もする。普段、どちらかといえば自分を守ってくれる男が無防備に眠っているというのは、ルジェーナに不思議な優越感をもたらした。

 ただ、この状況でイェンスが眠ったままというのは非常に都合が悪い。

 ルジェーナはため息をついてベッドから立ち上がると、腰に下げていた袋をベルトから外した。短剣も含めて装備品は何も奪われていないのだった。

「この香水の効果、試してみたかったのよね……」

 ベラと共に眠らされるという不覚の事態を招いた後、睡眠薬に対抗できる気付け薬を作ろうと思い立った。ただし、飲み薬では眠っている人間に飲ませるのが困難であるため、香りを吸い込むことで意識を覚醒させるタイプにしたのだ。

 まず、ルジェーナは自分の鼻から下をもっていたスカーフで覆った。

 次に袋の中から小さな香水瓶を取り出すと、続いてマッチを取り出した。

 そして部屋にあるカップに、置いてあった水を注ぐと、もう一つのカップには香油を少し注ぐ。香油を注いだカップにマッチの火を近づけて引火させる。そして、香水瓶の蓋をあけ、水に数滴垂らし、そのカップを香油のカップの上まで持ってきた。すると香油と瓶の中身の香りが宙にゆらりと舞い上がる。鼻を刺すような刺激臭だ。

 ルジェーナはそれをできるだけ吸わないようにしながら、ゆっくりとイェンスに近づいた。そしてイェンスの顔の近くにカップを近づけると、ゆっくりと二つのカップを重ねたまま回した。

 それから五分ほど経っただろうか。イェンスのまぶたがピクリと動いた。ルジェーナはゆっくりと二つのカップをイェンスから離すと、もともとテーブルの上にそれを置いた。そして香油が燃えているカップに持っていた布をばさりとかぶせることで消火した。

 熱せられなくなった香油と薬入りの水は、先ほどよりは香りを潜めている。

 ルジェーナは鉄格子越しに窓を開けると、一度新鮮な空気を吸った。そして、ゆっくりとイェンスのいるベッドに近づいていく。

 まだ目をつぶっているイェンスを起こそうと、ルジェーナがその肩に触れようとした時だった。


 勢いよく腕を引っ張られ姿勢を崩すと、上から見下ろしていたはずのルジェーナは、あっという間にベッドに引き込まれ、天井を向いていた。腕はベッドに固く固定されている。

 驚くルジェーナの目の前には、鋭い殺気を放つイェンスの顔があった。

 あと少しで互いの鼻がくっつきそうな距離。ルジェーナは心臓がどきりと大きく脈打つのを感じた。

 沈黙の間にも、紫色の瞳と緑色の瞳は互いの姿を映す。そして一瞬の後に、眠りから覚めたイェンスは、状況を理解した。

「し、る? ……っ! 悪いっ!」

 イェンスは自分が組み敷いている相手を認識すると、慌ててルジェーナから飛びのいた。

 慌てすぎたイェンスは、そのままベッドから転がり落ちる。その衝動で、ベッドの側の机に置いてあったガラス細工が吹っ飛び、高い音を立てた。

 イェンスから殺気は一瞬で消え去ったが、その代わりに顔を赤くしたり青くしたりしていた。いまだに自分の行動を消化できていないようだ。

 ルジェーナは未だにドキドキとしている心臓を抑えながらもゆるゆると首を振って、そして言う。

「ごめん。軍人の寝込みに近づくのは危ないって、お父さんで知ってたはずなんだけど……」

 寝ている時でも警戒心を忘れない。それが軍人としての掟だ。だからあまり無防備に近づくと、不審者として反撃されることもある。そう、それが娘であっても。

「いや、今のは俺が悪い。大丈夫か?」

 イェンスは立ち上がると、ベッドの上に座るルジェーナの腕を見てはっと息をのむ。

 彼女の細い腕は、イェンスが掴んだ場所が赤くなっていた。

「加減できなかった、ごめん……」

「謝らないで。加減したら、本当に刺客だった時に危ないから」

 ルジェーナはそう言いながら、ふと、父親であったアルナウトの言葉を思い出した。


『たしかに、普通の軍人は、ここまで警戒する必要はない。王族と違って、個人が襲われることは少ないから。ただし、剣と盾の家の人間は、王の側に侍ることを想定して、こういう訓練をさせられるんだよ』


 ルジェーナが寝ている父親に悪戯しようと近づいたら、今のようにあっさり組み伏せられてしまった。ルジェーナは父の殺気を浴びて思わず泣き出し、それを見た母ユリアは激怒したが、アルナウトはこの習性だけはもう変えられないとはっきり言ったのだ。


「それより、この状況をどうしようか?」

 永遠とイェンスに謝罪されても困るので、話題を変えるためにルジェーナはそう言った。

「……俺は眠らされてたんだな? で、シルが薬を使って俺を起こした」

「やっぱり香りがキツイ?」

 起きたばかりにしては状況把握の的確なイェンスに、ルジェーナは思わずそう問いかけた。

「ちょっとな」

 イェンスは眉をひそめると、部屋を見回した。そしてポツリと呟く。

「客人としては扱ってくれてるんだな」

「みたいだね」

 ルジェーナはベッドから立ち上がると、先ほどのテーブルのところまで戻った。そして椅子に腰掛ける。

 それを見たイェンスも、ルジェーナに倣って椅子のところまで歩き、彼女の向かい側に腰掛けた。

 

「それにしても、ベラは……リシャルト殿下よりも音を聞くことに優れてたんだな……。そして、それを母親の前で披露してしまった」

 イェンスもルジェーナもベラとその母親エノテラとの確執を知っていた。ベラはルカーシュが優秀な子どもだから、自分に興味がなくなったのだと信じていたが、実のところそれは大した理由ではなかったのではないだろうか。

「じゃあエノテラ妃は無関心ではなくてむしろ……」

 ルジェーナが表情を曇らせてつぶやいた。イェンスはそれに頷くと、彼の推論を述べる。

「ベラのことが嫌い、なのかもしれない。受け付けられないのかも……」

 実際に会ったことのない人の感情など、正確に推し量ることはできない。しかし、ベラとテールから聞いたエノテラ妃の人物像をすり合わせると、その人物のぼんやりとした枠組みは分かるものだ。

 そしてそうやって導かれた”結論”が、必ずしも人を幸せに導くとは限らないのが”現実”だ。 


 しんみりとした部屋の空気を変えたのは、ドンドンと激しく扉を叩く音だった。

「大丈夫!?」

 アドハーブルの声だ。ルジェーナもイェンスも、その声の主を認識し、そして二人で割れたガラス細工に目をやった。

 この街にはベラ並みに耳が良い人間がたくさんいる。それならば先ほどの騒動を聞いていてもおかしくない。ルジェーナはここで、はっと思いつき、イェンスのほうを向いた。

「扉のそばにいて」

 そして小さな声でそういうと、イェンスはいぶかしげな顔をしながらも、そっと扉のそばに寄って行った。そして、扉があいたら死角になるほうの壁にぴたりと張り付いた。

 その間も、壁を叩く音はやまない。

「どうしたんだい!? ソレイユ!」

 そして、アドハーブルの心配の対象が自分だと確認したルジェーナは、先ほど使ったカップ二つを持つと、それを思い切り床に叩きつけた。そして全力で叫ぶ。

「やめて! 何するの!」

 イェンスは一瞬、目を丸くしたが、それだけでルジェーナの意図を理解してくれたようだった。あきれたような表情を見せながらも、小さくうなずいた。

 扉の鍵が回される音がして、ルジェーナはさっと床に倒れこんだ。それと同時に扉が開けられて、アドハーブルがルジェーナに駆け寄った。

「ソレイユ!」

 倒れこんでいるルジェーナに目を取られていたアドハーブルは、後ろにいたイェンスに反応できなかった。

「動くな」

 イェンスはそう言うと同時に、持っていた剣をアドハーブルの首筋に突きつけた。アドハーブルは倒れているルジェーナから一歩離れた場所でゆっくりと手を挙げる。

 ルジェーナは素早く起き上がると、唖然とした表情のアドハーブルに微笑みかけた。

「ごめんなさい、お芝居に付き合ってもらって」

 そして微笑みかけながら、彼女もまた短剣を構えた。

「襲われてたわけではないようだね」

「イェンスは紳士なので」

 アドハーブルは呆れと安堵の混ざった表情を見せると、少しだけ肩を竦めてみせた。

「紳士は人の首筋に剣を突きつけたりしないと思うけどね」

「そうですね」

「それで、僕を人質にとって逃走する気かな?」

 アドハーブルがルジェーナに問いかけると、ルジェーナはきっぱりとそれを否定した。

「いいえ。ただ一つ聞きたいんです。どうして私たちを閉じ込めたんですか?」

「それを聞いて……どうする?」

 ルジェーナは閉じ込められる理由が全く分からなかった。

 いや、分らなくなったと言ってもいい。アドハーブルは確かにルジェーナの身の安全を心配していた。となれば、ルジェーナの味方をしてくれる気ではあるようだ。それにイェンスも別室に分けられていないところを見ると、彼もまた保護対象であると考えられる。

 イェンスもまた考えているようだったが、ある瞬間、何かを思いついたように小さく息を呑んだ。

「まさか……王都で何かあったのか?」

 ぴくりとアドハーブルの眉が動いた。ルジェーナは一歩彼に近づくと、じっと彼の紫色の瞳を見つめて問いかける。

「何があったんですか?」 

「……ヴェルテード王が王宮内に触れを出した。次の王を、リシャルト・エノテラ・ヴェルテードにすると」

 リシャルトが次の国王に選ばれるということは、ルジェーナにとっては意外性の欠片もないことだった。それはイェンスにとっても同じであったようだったが、彼はその言葉だけで話の大筋が見えてきていた。

「そうか……。つまり、ルカーシュ殿下が動くんだな? 目的は王位……」

「まさか、リシャルト殿下の暗殺を?」

「それなら……僕たちが想定する事態の中では、一番マシなシナリオだよ」

 アドハーブルは暗い声でそう言った。

「ここまで来たら話す。だから剣を引いてくれないかな?」

 イェンスは一度ルジェーナを見たが、ルジェーナが頷いたのを見て、剣を鞘へと戻した。アドハーブルは軽く体をほぐすように動くと、イェンスの方を向いた。

「それで、どうして二人を閉じ込めたかについては分かりましたか?」

「一連の騒動から守るため……だな」

「正解。あの二人の死は、この街に大きな影響を与えた。そして同時に、ヴァンの娘を死なせてはならないという使命感も与えている……」

「でも、リシャルト殿下の暗殺だなんて放ってはおけない! もし彼が亡くなったら……」

 声が高ぶるのは、ルジェーナ自身も自覚していた。

「私のお父さんの死が無駄になる……」 

 こぼれた本音は、部屋に一瞬の静寂をもたらした。こぶしを強く握りすぎて爪が手のひらに食い込んでいる。


「それに、私は真実を知りたい。どうしてお父さんが、お母さんまで、死ななければいけなかったのか」


 部屋に響いたその声は、アドハーブルの心を少なからず動かしたようだった。あるいは彼はすでに、この結末をある程度予想していたのかもしれない。

 彼はおもむろに部屋の奥にあるベッドに近づくと、二台あるうちの片方のベッドを無造作に押した。すると、ベッドのあった場所の床の色が違うことにイェンスとルジェーナは気が付いた。


「この道は、王都にも(・・・・)繋がっている。ソレイユが本当に真実を知りたいというのなら……協力しよう」

「さっきは閉じ込めたのに、そんなに簡単に協力してくれるの?」

「閉じ込めたのは町の総意だよ」

 それは言外に自分の意志ではないと言っているようだった。アドハーブルは肩をすくめると、不敵な笑みを浮かべて言った。

「それに、この道は一本道じゃない。王都にも、つながっているだけだ」

「王都にもつながっている……間違えたら違う場所に出てしまうということ?」

「そう」

「どうせ出してくれる気なら、素直に街から出してくれたほうがありがたいけどな」

「町の総意だから、それはできない。ただ……ソレイユ、君は従妹だからね。これをあげるよ」

 アドハーブルはそういうと、懐から小瓶を取り出し、ルジェーナに手渡した。ルジェーナは開けるまでもなくその中身が分かった。

 香水だ。

「これが道しるべ?」

「簡単だろう?」

 挑戦的に言われたその言葉に、ルジェーナは反射的にうなずいた。これは自分にとっての最も得意分野と言っていい。


「もちろん。だって私は……調香師だから」


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