ソレイユとリュヌ①
王宮で新しい国王が発表されたより三日前。金髪の軍人イェンスと紫の髪の調香師ルジェーナは、王都を抜け、北東部の異民族が住む町まで来ていた。
ルッテンベルクからは、王城を通り抜けて馬を走らせて一日半ほどで着く。
イェンスがいなければそう簡単に王城の通行許可書はとれなかったはずなので、ルジェーナはとても感謝していた。
一方、イェンスは軍の仕事をどうやって休もうか悩んでいたところ、ニーヴェルゲン中尉の入れ知恵により、仕事にかこつけてこの地を訪れることにした。名目はでっち上げなのだが、警察部隊である以上、とある事件に関係あるとの情報が……と一言書き添えると、比較的許可が下りやすい。
信憑性を高めるためにミーナも協力してくれて、ミーナがもたらした情報により、イェンスは秘密裏に査察に行くことになっていて、とある事件に関係のある女性を伴うということになっていた。
真面目に働いてきたイェンスとしては、このような抜け道があることに驚いたが、ニーヴェルゲン中尉は、こういう小技を覚えておくと便利ですよ、と飄々と語った。
「あれかな?」
簡易な柵が巡らされた町が姿を現し、二人はそこで馬をとめる。
門の前では二人の人間が見張りに立っているが、軍人といった雰囲気ではなかった。そして二人とも、濃い紫色の髪をしていた。
見張りの二人はイェンスとルジェーナに気がつき、そしてルジェーナを見て驚いたような顔をした。やはりその髪の色が気になるようだ。
「行こう」
ルジェーナはそういうと、馬から降りて馬を引いて横を歩く。そして会話ができるほど近づくと、見張りをしている男女に声をかけた。
「こんにちは。ソレイユと申します。亡き母のことで伺いたいことがございまして参りました」
ソレイユと聞いてイェンスは記憶を辿る。それは彼女の呼名だったと思い出すと同時に、ここではそれを名乗るのが正式なのかと学んだ。
「オムニポテンスは?」
問いかけたのは見張りの女だった。するとルジェーナはしばし考えて、言った。
「……あなたは薬草を扱うお仕事ですね。今日はユリグドの球根を植えられたようで、まだ香りがあなたに残っています」
見張りの女は目を見開き、そして一つ頷いた。
「なるほど、ソレイユ、あんたはその名を負う資格があるらしい」
「はい」
「だが……その隣の男は? 明らかに部外者に見えるが」
イェンスは自分がよく思われていないことを察し、町には入れないかもしれないと思った。閉鎖的な町は、異分子を受け入れることを拒む。イェンスは金髪であるし、類稀なる能力は持っていない。
「彼のことは……そうですね、オフィシエとお呼びください。彼には母の件で手伝ってもらっているので、できれば一緒に入らせていただきたいのですが」
見張りの男と女は、渋い顔をした。ルジェーナははっきりとユリアの娘だとは言っていないので、目的が不明瞭だからだろう。
しかし、ユリアの娘と名乗りたくないルジェーナの気持ちも分かる。ユリアがどのようにして町を出たかによっては、それは自分たちを危険に晒す行為だからだ。
「あの……アドハーブルという青年はここの町の方ではありませんか?」
イェンスがそう助け舟を出すと、ルジェーナは驚いたようにこちらを見た。
「彼と知り合いなのですが」
「アドハーブル? あの子と知り合い?」
見張りの女がハッとしたような顔で見張りの男を見た。そして、何かを思い出したように手を叩くと、男に向かって言った。
「アドハーブルを呼んできて。そういえば、あの子、近日中にこの村の関係者と金髪の男が来るかもしれないって言ってた」
「分かった」
見張りの男はそういうと、さっと駆け出して行く。その走る速さは速すぎて、イェンスは視認するのがやっとだった。
「あの男はハピッドと呼ばれてる」
「なるほど……確かに速いですね……」
ルジェーナは納得したように頷くが、イェンスには何のことだかさっぱり分からない。
そしてしばらく待っていると、先ほどの男が、見覚えのある青年を連れて戻ってきた。
「お久しぶりです」
青年はまずイェンスにそういうと、ルジェーナを見た。青年は相変わらず人好きのする笑顔を浮かべている。
「彼女はあの時の……つまり、あなたの?」
「はい。あの件ではお世話になりました」
「いえいえ、この目がお役に立てて何よりです」
ルジェーナはしばらく不思議そうに話を聞いていたが、彼が目撃証言をしてくれたことを思い出したらしい。
「初めまして。先日は証言をしてくださったそうで、ありがとうございます。私はソレイユと申します。彼のことはここではオフィシエと呼んでください」
「いえ。大したことでは。それに、分かってるんだろう? そんなにかしこまらなくていいよ」
「……ご存知なんですね?」
アドハーブルの会話は、話者しか分からないような主語のない会話だ。見張りの男女は困惑したような表情で尋ねた。
「いったい、この二人とどういう関係なんだ?」
するとアドハーブルは、ニコニコ顔を少しだけ困ったように、そして呆れたようなものに変化させ、ルジェーナを見た。
「君は警戒心が強いね。話して平気だよ。ここの者は身内を裏切らない」
ルジェーナはアドハーブルにそう言われ、心が動いたようだった。
「私は……シルヴィア・ソレイユ・ミル。母はユリア・ヴァン・ミルです。母の無罪を証明するために、お聞きしたいことがいくつかあります」
ルジェーナがそう打ち明けた途端、見張りの男女ははっと目を見開き、互いに目配せをした。そして女の方がルジェーナをじっと見て、そして息を吐く。
「言われてみれば面影があるかもしれない……ヴァンの娘は生きてたんだね……」
「母をご存知ですか?」
「この町で生まれた者は、みんな知り合いだよ」
ルジェーナの問いに男が応えた。そして、先ほどまでの緊張した雰囲気とは変わり、昔を懐かしむような穏やかな表情だ。しかしその中に、一種の後悔と悲しみの感情が混ざっているのを、イェンスは感じ取っていた。
「ヴァンの話をするなら、長のところだろうね。このアドハーブルの母親だよ」
「じゃあ、僕が案内します」
「頼んだよ」
そういうと、見張りの男性は門を開けてくれた。ルジェーナとイェンスは二人で目を合わせると、アドハーブルの後ろについて歩いていく。
町の中は、王都と似たような建物が、王都よりもずっとまばらな間隔でぽつりぽつりと立っていた。
時折出てきた町の人間は、全員が紫色の髪だった。ルジェーナの髪よりももっと色が濃い。
そしてこれまた全員が、歩くイェンスに一度は視線を向けた。そして、イェンスと目が合うと、さっと目をそらしたり、逆にじっと見つめてきたりする。ただ、どの人も歓迎ムードでないことは明らかだった。
しかしイェンスを案内しているのがアドハーブルだと分かると、何か言いたそうにしていた人々も、何も言わずに黙ってイェンスを見送るのだ。
「この街に、オムニポテンスの人以外が最後に来たのはいつなんですか?」
その視線に耐えきれなくなり、イェンスは思わずアドハーブルにそう尋ねた。するとアドハーブルは歩みを止めて、イェンスを振り返った。彼の濃い紫色の目がイェンスをじっと見つめる。
ルジェーナはアドハーブルのそのしぐさに、眉をひそめた。そしてちらちらとこちらを見る人々に視線を向ける。ルジェーナと目があった人々は、何かを思い出すようにじっとルジェーナを見つめた。そしてある人は何かに気が付いて、目を大きく見開き、ある人は何かを思い出すようにぎゅっと目を閉じた。
「六年前が最後です」
アドハーブルはイェンスだけを見てそう言った。イェンスは六年前という言葉にどきりとした。六年前と言えばルジェーナの父であるミル大佐が亡くなった年だ。ミル大佐が死ぬ前にここに来た可能性はないとは言えない。
いやむしろ、アドハーブルのそのまっすぐな視線が、それを証明しているのではないか。そのうえで、ルジェーナには言うなという無言の圧力をかけられているのではないか。そんな気がイェンスはした。
「六年も前なのね……」
肝心のルジェーナは、アドハーブルの様子には気が付いていなかった。彼女の中には自分の父親がここに来たという考えはないようだった。
「そういえば……あなたも何か……超人的な力を持っているんですよね?」
イェンスは話題を変えるために、思いついた疑問を口にした。するとアドハーブルは出会った時と同じような、愛想のよい笑顔で言った。
「目がいいんです。彼女のことを見たときも、実はとても遠いところにいたんですよ」
「あの時も……」
どのぐらいの距離から見ていたのか、イェンスは興味があった。しかしそれを聞く前に三人は目的の建物にたどり着いた。
長のところ、と見張りの女が口にしただけあって、その建物は大きかった。彼女の母親が長だというならば、ここはアドハーブルの実家なのだろう。
彼は迷いなく建物の前まで進むと、門の見張り番に何やら言って、ルジェーナとイェンスを手招きした。門の前にいた見張り番の少年は、非常に興味深げにイェンスを見た。彼の髪もやはり紫色だ。閉鎖的な町では、やはりイェンスの髪色は非常に珍しいらしい。しかし彼がほかの人々と違ったのは、彼の視線には嫌悪がなかったことだ。ただ純粋に好奇心だけをイェンスに向けている。
「こんにちは」
イェンスはこの子なら大丈夫かもしれない、そう思って、できるだけ穏やかな声でそう言った。すると、少年は目を丸くして、小さな声でこんにちはとつぶやいた。
「私はソレイユ。あなたの名前は?」
少年の反応を見て、ルジェーナはそう問いかける。
「僕は……」
少年は言いかけて、ふとアドハーブルのほうを向いた。すると彼は人好きのする笑みでうなずいた。
「大丈夫。二人とも、僕が身元を保証するから」
「僕はエトワールだよ」
「エトワール……星か」
ルジェーナがそうつぶやくと、少年は大きく目を見開いた。
「Chouette! 外の人でも分かる人もいるんだね」
少年の最初の言葉はイェンスにはわからなかった。ただどうやら、少年はルジェーナが、彼の名前の意味が分かったことを称賛しているようだった。
「私は……お母さんが教えてくれたから」
「そっか。なるほど。……その、お兄さんは……なんて呼ぼう?」
「オフィシエ」
さきほどルジェーナが言った言葉を言うと、少年は目を輝かせた。
「l'officierか! そうなんだ。強いんだね」
「一応、大尉の位はもらってる」
「大尉? そっか……le colonelとは知り合い?」
エトワールという少年がその質問を口にした瞬間、アドハーブルが今まで浮かべていた笑みを消した。そして慌てて話題を変えようと口を開きかけた。
しかし、ルジェーナのほうが数舜早く、彼女はエトワールに尋ねていた。
「Qui est-ce?」
ルジェーナが発した”キエス”という単語だけは耳にとらえられた。ただ、その後少年がすばやくいった言葉は、イェンスの全く知らない言語だった。
だからこそイェンスには全く話の流れがつかめない。ただアドハーブルが焦ったような表情をしているので、彼にとって都合の悪い話だということだけは分かった。
「まさか……お父さんが?」
ルジェーナが少年の話を聞いた後にそうつぶやいた。アドハーブルはそれを見てため息をつくと、ルジェーナに言った。
「随分と勉強されたんですね」
「母が教えてくれたので」
「そうですか……それも含めてお話しします。中へどうぞ」
アドハーブルはそういうと門をくぐって中へと入っていく。エトワールと名乗った少年は、少し不安げな表情でアドハーブルを見た。アドハーブルはその視線を受けると、ふっと笑ってうなずく。
ルジェーナは歩いていくアドハーブルについていったが、イェンスは一度、エトワールの前で立ち止まった。そして、驚いているエトワールに向かって笑いかけた。
「ありがとう、話してくれて。町の人はみんな、俺を警戒しているみたいだから」
「ううん。こっちこそありがとう。ちょっと……話してみたかったんだ」
少年はそういってはにかんだ。イェンスはその反応にほっとした。そして先に前を歩く二人を追いかけた。
建物の中に入ると、広い応接間に通された。真ん中にテーブルが、そして座り心地よさそうな椅子がその周りを囲んでいる。
イェンスとルジェーナは勧められた通りとなりあって座ると、アドハーブルは少し待つように言って部屋を出ていく。
「オフィシエってどういう意味なんだ?」
「大尉って意味。その後に大佐と知り合い? ってエトワールがイェンスに聞いたから、詳しく話を聞いたの」
「それはミル大佐のことだったのか?」
イェンスは半ば確信しながらその問いを口にする。
「おそらく。断定できたわけじゃないけど、黒髪の大佐だと言ってたから」
それは確かに、ミル大佐である可能性は高いだろう。ただ、彼が六年前に来てから、どうしてそのあと外部の人間が町に入っていないのかは疑問だ。
「どうしてミル大佐はここに来たんだろうな……。六年前といえば、その……」
「死ぬ直前だった。多分そうだと思う。私、本当はお母さんがここに来たんじゃないかって思ったんだけど……」
「死ぬ前に?」
「うん。里帰りして挨拶したのかなって」
「ヴァンは来なかったよ」
三人の会話に割って入ったのは、一人の迫力のある美女だった。




