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イェンスとルジェーナ  作者: 如月あい
六章 愛と憎しみが牙をむく

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断章≪王子ルカーシュ≫

 初めに王位に就きたいと思ったのは、間違いなく兄リシャルトへの対抗心だった。

 母上は、私を愛しているが故に、私に王位に就いてほしいと思ったようだったが、私はそれに応えたくて就きたいと思ったわけではない。

 幼い頃から、母上はリシャルトに勝てと言っていた。それは父の関心が明らかに私よりもリシャルトに向いているからであった。

 私は比較されるたびに、負けるものかと何事にも励んだ。ただ、心のどこかで、リシャルトと正々堂々と勝負するのは分が悪いと悟ってもいた。

 そして、何度か、王位に就こうという野望は捨てるべきだと自分に言い聞かせたこともあった。

 母上があまりにも露骨にリシャルトに対して冷たく嫌な態度を取るので、リシャルトは母上をひどく警戒していた。しかしリシャルトの器の大きいところは、それを私やイルメリ姉上、パトリク、カトリーナとの関係性には持ち込まなかったことである。

 リシャルトは厳しく、優しいとは言えない性格だったが、情に厚い人間だった。敵意をむき出しにしていた私にさえも、厳しく接しながらも、よく気にかけ面倒を見てくれていた。

 私は人格でも負けた気分になって、そういうリシャルトの情の深さも嫌いだと思うようになった。

 それでも、その感情はまだ、殺したいと思うほどの憎しみとは全く違っていた。私はリシャルトを嫌いながらも、彼の有能さを認め、心の奥底では尊敬していたかもしれない。


 しかし、ティファナとの出会いによって、私の兄への感情は全く異なったものになった。


 ティファナと初めて出会ったのは、私が十二歳の時だった。

 彼女は愛らしく美しい少女で、私の一つ歳上だった。夜会で出会ったとき、彼女は私に微笑みかけた。その瞬間、私は恋に落ちた。

 彼女は美しい少女だった。赤い瞳に白い肌、そして、彼女は赤い口紅が似合う大人びた少女だった。

 そして聡明で、会話でも楽しませてくれた。私が母上から譲り受けて使っていた香水も、よく似合うと褒めてくれた。

 ティファナの出自を調べたら、彼女は侯爵家の出身で、これなら大丈夫だと安心した。身分さえ釣り合えば、父上は許してくれると確信していた。今は安定しているから、と姉上たちにも結婚を急かしてはいなかったのだから。

 彼女が私の婚約者候補に名を連ねていないのは知っていたが、そのときの私は愚直にも、私の婚約者候補に一人名前が入るだけの簡単なものだと思っていた。


「ヴェルナー」

「どうされましたか?」

 幼い頃より気心の知れた側近は、すぐに私の呼びかけに応えた。

「ティファナに贈る髪飾りはなにがいいだろうか?」

「そのことなのですが……」

「どうした?」

「実は、これを見ていただけませんか?」

 そういってヴェルナーが取り出したのは、一枚の紙だった。私はそれを読み、そしてある一点で目を留めた。

「これ……は……?」

「リシャルト王子殿下の婚約者候補の一覧です」

 ティファナの名前が紙にある。つまり、彼女はリシャルトの婚約者候補だったのだ。

 しかしこの時はまだ、私は少し取り乱しただけだった。ティファナとリシャルトが仲良くしているのを見た覚えはない。彼女はまだあくまで候補なのだから、リシャルトに頼めばどうにかなるだろうと思ったのだ。

 しかし、リシャルトにそのことを切り出した途端、リシャルトは険しい顔になった。そして彼は言ったのだ。


「ティファナ嬢は私の婚約者候補だ。お前が手を出すことは禁じる。これから話すのも控えろ」


 この時、私は確かに絶望した。何より悔しいのは、リシャルトの言葉がなに一つ間違ったことを言っていないからだった。

 ティファナは美しく、リシャルトが恋をするのも無理はない。

 しかし、恋に破れた私は最後にせめてこの想いだけでも打ち明けたかった。十四歳になっていた私は、ティファナも参加した夜会で、こっそり彼女に話しかける機会を待っていた。

 彼女はやはり美しく愛らしかった。ただ、今宵の彼女はいつもとは違った。私が話しかけないで遠目から眺めていると、さっとリシャルトに寄って行った。

 そして二人はそっと夜の庭園へと歩いて行ったのだ。

 私は驚いた。それによく見るとリシャルトはティファナに対してなぜかひどく冷めた顔をした。

 私に牽制したにしては、何かおかしい。

 

 私は嫌な予感がして二人を追った。夜の庭園で二人がキスをしていたら……そんな嫌な想像もしたが、しかしそれでも好奇心には抗えない。

 ティファナとリシャルトの姿を捉えたとき、私はまずほったした。二人は庭園でもある程度の距離を保っていた。

 赤と青の瞳が交錯する。

 私は柱の陰に隠れて様子をうかがっていると、まずはティファナが動いた。

「リシャルト王子殿下……ずっと……お慕い申し上げておりました」

 彼女は一度も私に向かってはっきりとそう宣言したことはなかった。だから、私は内臓がよじれるような思いでその告白を聞いていた。

 せめて、彼女の思いをリシャルトが受け取ってくれ。

 私はそんな風にも考えていた。

 リシャルトは何も言わなかった。しかし一歩彼女に近づくと、すっと彼女の顎に手を添えた。

 その瞬間、ティファナはすっと花咲くような笑みとともに静かに目を閉じた。私も、リシャルトがそれに応えるのだと分かっていた。見たくはなかったが、見たかった。私はまったく動けずにその場にいた。

 しかし彼はすっと顔を近づけると、キスはせずにそのままじっとティファナを見つめて言った。


「レナルドのみならず、ルカーシュまで誑かしておいてよく言う」


 凍るような冷たい声だった。

 ティファナはハッと目を見開くと、リシャルトのあまりにの気迫に一歩後ろに下がった。


「そ……んな、ルカーシュ様とはお友達です」

「お友達?」

 ルカーシュはあともう少しで出て行くところだった。

 ティファナとルカーシュは、確かにお友達という程度の関係だった。キスどころか、彼女に触れたこともほとんどない。プラトニックな関係だったのだ。


「そのお友達をお茶に誘い、夜会ではダンスに誘う。時には、自分から贈り物をする。そして贈り物をしたからと贈り物を受け取る。女同士の友情なら微笑ましいかぎりだ」

「ルカーシュ殿下からお聞きになったのですか?」

 すっとティファナの顔が青ざめた。

「ルカーシュ? ルカーシュにもしていたんだな。レナルドから聞いた。ルカーシュは何も言っていない」

 するとティファナは、何故か少しだけ安心したような顔になる。

「私は、男女でも友情は成り立つと思っています」

「弟の友人なら無下にできないと思ったのかもしれないが、私はお前みたいな計算高い女が嫌いだ」

 ティファナはその言葉を受けると、何故かクスクスと笑いだした。衝撃的すぎて壊れてしまったのかもしれない。

 狂ったように笑うティファナに、リシャルトは冷たく突き放すように言った。


「二度とルカーシュに近づくな。もちろんレナルドにも、また、他の弟たちにも、だ」

「どう、して……?」

「お前は――」


 そのあとのリシャルトの言葉は低く押し殺されていて、聞こえなかった。そしてそれに囁くように返したティファナの声も。


 そして、リシャルトはティファナを置いて歩き始めた。そんなリシャルトに、ティファナは叫ぶ。


「ならば死にます!」


 リシャルトは足を止め、後ろを振り返った。

「殿下が認めてくださらないのならば……!」

「勝手にしろ」


 リシャルトはそう言い捨てて去って行く。そしてティファナもまた、ふらふらとその場を去った。

 その数日後、ティファナは病死した。もっと正確に言えば、病死したことになった。

 ティファナの父親が醜聞を恐れてもみ消したのだが、実際はティファナはある毒薬を飲んで死んだのだ。

 悪魔の滴という名の毒薬を。

 




 ティファナが死んでからしばらくの間は何をする気にもなれなかった。ティファナがいないという現実を受け入れることさえ難しかった。

 そしてその悲しみは、徐々に怒りへと切り替わっていく。もしリシャルトが素直にティファナの愛に応えていれば、こんなことにはならなかったのだ。

 リシャルトが憎いと思った。心の底から。殺したいほど。

「王にお成りください」

 ヴェルナーはそう言った。

「リシャルト殿下さえいなければ……」

「私は王になれる……か」




 私はこのときから、リシャルトを殺し、自分が王になる計画を立てていた。ただしまだあの頃の私は未熟だったといえる。

 リシャルトの暗殺計画を、あろうことかアルナウト・ミルに悟られてしまった。そして彼は、私を諭すようにいったのだ。

「おやめください。正々堂々勝負しなければ、本当にほしいものを手に入れることはできません」

 彼の言葉は私にはまったくもって響くことはなかった。正々堂々勝負したところで、本当にほしいものは既に失われている。

 ただ、アルナウト・ミルに計画がばれたのはまずかった。彼に計画を邪魔されぬように、私は様々な策を練らざるをえなくなった。

 用意周到に練った策は、しかしアルナウト・ミルの予想外の行動によって打ち砕かれてしまった。





「ヴェルナー……なぜあの男は死んだんだ? それほどまで、リシャルトが大切だとでも言うのか!」

 私は酒の入ったグラスを床にたたきつけ叫んだ。ヴェルナーは落ち着いた声で、そっと言った。

「彼が大切にしていたのは、人質にとった家族の方でしょう」

「……家族、か。あの男も馬鹿だ。私は決して許しはしないのに。あの男のせいで、リシャルトの周囲の警戒は強まってしまった……」

「では、計画通りに?」

「ああ。そしてユリア・ミルが容疑を否定して抵抗するならば、娘にも同じ嫌疑をかけて牢に放り込むんだ」


 思えば、ミル夫妻には私の計画を狂わされてばかりだった。

 アルナウト・ミルはさんざん脅しておいたにも関わらず、家族を守ってリシャルトを切り捨てるでもなく、リシャルトを守って家族を切り捨てるでもなく、自分の命を盾にして、リシャルトと家族の両方を守った。

 ユリア・ミルは容疑を否定するどころか、そんなこちらの思惑をあざ笑うかのように沈黙し、そして獄中でさっさと自殺した。

 彼らは私には決して理解できないもののために死んだ。おそらく、私はティファナのためだとしても死ぬことはできなかっただろう。そんな私には、愛する家族のために死んでいった二人の行動が、全くといっていいほど理解できなかった。


 しかも、アルナウト・ミルはどうやら何かしらの策を講じたようだった。娘のシルヴィアは一年も経たないうちに失踪した。彼女を預かっていたアルナウトの妹は、失踪届けを出したので、本当に行方を知らないようだ。

 アルナウト・ミルの親友かつ戦友のエドガール・ヴェーダも、アルナウトから何か指示を受けているのか、全く動きがない。強いていえば、エドガール・ヴェーダと接触し何か手紙を渡した少女が目撃されたが、それはアルナウトの死後のことである。

 関係はないと思いたいが、ここまできた以上、王になる前にアルナウト・ミルとユリア・ミルの死の真相が暴かれるのはまずい。


「ヴェルナー。シルヴィア・ミルの行方は掴めたかい?」

「申し訳ありません。総動員して黒髪・・の娘の行方を捜しているのですが……まだ」

「そうか。それと、この前エドガールと接触した娘の身元は?」

「スカーレット・イーグルトンです」

「イーグルトン……なるほど。流石にイーグルトン家に潰れてもらうわけにはいかないな……」

「スカーレット本人だけを……黙らせたいのですね?」

「もし可能なら、自然と、そう……事故死の方がいい」

「かしこまりました」

 ヴェルナーはいつも通りだった。しかしその日、私は母上から受け継いだ香水をたまたまつけていなかった。

 今思えば、あの夜、気がつくことができて幸運だったというべきだろう。

「ヴェルナー?」

「どうされましたか?」

「どうして、お前からその香りがする? 今日、私は香水をつけていないというのに」

 その時のヴェルナーは見事なまでに固まっていた。彼は質問に答えることなく、失礼しますといって部屋を出て行った。

 母上から受け継いだ香水をつけられるのは、私とイルメリ姉上だけだった。

 まさか母上に不義を働いたとは思えないし、母上がそれを許すとは思えなかった。母上は心底、父上に惚れていたからだ。

 そうなれば、イルメリ姉上しかいない。しかも香りが移るということは、かなり親密な関係にあるということだ。

 私はイルメリ姉上に問いただし、そして彼女はさめざめと泣きながらそれを認めた。そして驚いたことに、国内貴族と結婚してからも、ヴェルナーとの関係を辞める気は無いと言い切った。

 王女の務めを果たすために結婚はする。しかし、恋をして何が悪いと開き直られた。

 この時、私は嫉妬に狂っていた。姉上も、ヴェルナーも、私が二度と手に入らぬものを手に入れているのだ。しかも私とは違い、身の程をわきまえることもなく、筋違いの恋に身を焦がしている。

 ただ、ヴェルナーを失うわけにはいかなかった。ヴェルナーは有能な右腕だった。

 そこで私は、イルメリ姉上を遠くに追いやることを決めた。策を巡らせて、彼女を他国へ嫁がせたのだ。

 ちょうどその頃、カトリーナに私たちの香水が欲しいと言われたが、それは適当な理由をつけて断った。女の使用者を増やしたくなかったのだ。また同じように私の側近に手を出されれば、香水の香りが移る。

 この香水は高価で、私を含めて三人の人間しかつけることができない。もしその移り香をつけた人間が、私のために働いたとすれば、鼻のきく人間には見破られてしまうかもしれない。

 






 こうしてどうにかアルナウト・ミルとユリア・ミルによって狂わされた暗殺劇の尻拭いは、大方完了した。

 そして、準備が整った今、当初の目的であった、リシャルトの暗殺へと心が向いている。

 しかし冷静に考えてみると、まだリシャルトが国王にと指名されたわけではない。だから決行するのは、明確にリシャルトが国王にと指名されたその時だ。

 父上は、明らかにリシャルトとイザベラを特別に扱っている。リシャルトには大きな信頼を寄せているし、イザベラには自由を許している。

 それが何故か。一番有力な説は、エノテラ妃の母親が北東部の異民族の血を引いていて、わずかながらその血がリシャルトとイザベラに流れていることである。

 父上はどうやら、北東部に住む異民族に思い入れがあるらしい。それはユリア・ミルの出身でもあるため、私は二重の意味でその一族が気に入らなかった。

 次期国王がリシャルトであった場合、計画は実行される。そしてそれがうまくいけば、憎き北東部の異民族もろとも抹消できるはずだった。






 そして、私は今、ここにいる。

 

「とうとう決行の日がやってきた……ヴェルナー」


 隣にいるヴェルナーにそう告げた。これが、計画の始まりの合図だ。

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