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イェンスとルジェーナ  作者: 如月あい
間章 シルヴィア・ソレイユ・ミル

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過去語り編≪シルヴィアとイザベラ≫

 私がベラと出会ったのは、師匠が亡くなってから数か月経ってからのことだった。

 出会ったという言い方が正しいのかはわからないけどね。ただ、あの時、私は師匠も亡くして、ちょっとやさぐれていた。師匠と過ごした日々の中で、やっぱり両親が権力者にはめられたということだけは確信していたから。


 私は当時、ある犯罪組織に目をつけていた。奴隷密売人の組織が潜伏している邸までは分かっていたし、その男たちが使っている地下通路も調査済みだった。どうしてそんなことをしたのかというと、その奴隷密売人から、権力者たちが犯罪の実行犯を購入しているんじゃないかという疑いがあったから。

 師匠と二人でかなり調べていたんだけれど、師匠が亡くなって、私はその組織をどうやって壊滅させようか悩んでいた。さすがに殴り込んだら勝ち目はないと分かっていたから、とりあえず軍にその存在を知らせるのが一番だなと思った。

 

 そして、犯罪組織の根城(アジト)でちょっとした騒動を起こして、軍の人間を呼ぶつもりだった日にことは起こった。

 私がそれなりの武器を持って、犯罪組織に潜入しようとしていたの。

 何の武器かって。それは、火炎瓶とか……ナイフとか、ね。

 とにかくそういう日に、王都を歩いていたら、フラフラと世間知らずのお嬢様が歩いているのが分かったの。そして案の定攫われた。

 そうだよイェンス。それがベラ。あの子は髪を隠しもせず、なんだかよくわからないけど、全てに絶望したような表情で街を歩いていた。待ちゆく人は珍しい銀髪に目を引かれても、まさか王族が一人でフラフラ歩いているなんて思いはしない。だから気にしてはいても、話しかけたりはしなかった。

 ところが、悪だくみをする人間というのはどこにでもいるもので、彼女を気絶させて攫っていった集団がいたの。私はその瞬間を見てしまったから、その集団を追いかけた。

 おそらく、人さらい集団は、王女だとは思ってもみなかったんだと思う。私だって王女だなんて思わなかった。ただ、というよりも、その瞬間は、銀髪が王族のあかしだなんてことも忘れてた。

 ただ、その少女を助けなきゃ、と思ったし、それに、助けたついでに騒ぎを起こそうとも思ったの。

 


 でも実際についてベラを前にすると、彼女が王女だと分かってしまったの。

 お母さんが聞いてきた世間話で、人形姫と呼ばれている王女の噂があった。

 人形のように白くて、無表情で無機質。それでいて精巧で美しい。

 イェンスには想像できないかもしれないけれど、ベラって本当に無表情で愛想の欠片もなかった。

 それに、自分が誘拐されたのを分かっていてなお、逃げる気どころか生きる気も無さそうだった。彼女の目はがらんどうで、彼女は心から死を望んでいるように見えた。私にとっては、わがままなお姫様にしか見えなかったけど。

 彼女は家族もいるし、衣食住にも困ってはいない。それなのに、どうしてそんな彼女が世界中で一番不幸な人間だなんて顔をして座っているのか、私には理解できなかった。

 それに、私の両親を殺した黒幕は、王族なんじゃないかっていうのは、そのころから思っていたから、余計にベラに腹が立った。


「死ぬ気?」


 私はあの日、そうやって彼女に声をかけた。そしたら、ベラはびっくりしたように大きく目を見開いた。赤い瞳は、困惑しているようにも見えた。

 私は目立つから髪を隠してたんだけど、そのフードが背中に落ちたの。それを見たベラは、ぽつりとつぶやいたの。

「不思議な色……」

 のんきだ、私はそう思った。

 自分が死ぬかもしれなくて、もしかしたら私が殺すかもしれないのに、彼女はそんなどうでもいいことを気にするんだから。

「バカなのかな。それとも分かっていて、死ぬ気なのかな」

 私はね、常人では絶対に聞こえないぐらい小さな声でつぶやいた。そしたら、まあ、ベラの耳の良さは知っているよね。彼女はあっさりと私の言葉を拾って、そして言ったの。

「死ぬ気なのよ」

 そのあと、どうでもいいとばかりに、あなたは誘拐犯じゃないのね、とも。

 彼女は死を望んでいる。

 私はそれが分かった瞬間、何が何でもあの子を生かそうと思った。それはちょっとした復讐心だったのかもしれない。あるいは、私の心の奥底に眠っている善良な精神がそうさせたのかもしれない。

 見たところ、ベラは外傷はなさそうだったから、私は彼女の腕をつかんだ。そして言った。

「出るよ」

 そしたらベラは一瞬それに従ってくれそうな雰囲気だった。きっと誰かに強くそう命令された経験がなかったんでしょうね。でもある瞬間、彼女はわれに返ったかのように私の手を振り切った。

「あなた誰? 何故私を生かすの?」

 その質問に、私はとっさに答えていた。

「あなたたちが憎いから」

 ベラはもちろん意味が分からないという顔をした。だから私はもう少しだけ説明してみた。 

「あなたたち権力者に、両親を殺されたの。だからね、イザベラ王女様、あなたが死のうとしてるのを、そのまま死なせてあげるなんて癪なの」

 たぶんここで初めて、私はベラの名前を呼んだ。でも彼女は全く否定しなくて、ああ、本当なんだなって私は少しだけがっかりした覚えがある。

 もし私の思い違いだったら、私はあの時、心から、目の前にいる少女を助けたいと思えたんだと思う。 

「憎いから生かすの? それだけ?」

「ううん。ただ、自分で死ぬって行為を許せないのもある」

「ほんとに助ける気なの?」

「それが王女様にとって助けになるかは知らないけど」


 後から考えても、私に言葉の何が、ベラの心の琴線に触れたのかはわからない。

 でも、彼女は私がそういった瞬間から、急に死にたいって表情を止めた。今みたいに強い意志をもったまなざしで私を見て、言ったの。

「ベラと呼んで。あなたは私を王女だと知らない」

「え?」

「権力者を憎んでいるなら、私と深く関わってはいけないわ」

 寄りにもよって、彼女が私を”救おう”としているという事実は、私をひどく苛立たせた。私が助けようとしていたのに、なぜか立場が逆になっている。

「お姉さんは、通りすがりの善人でなければ」

「お姉さんなんて呼び方はやめてよ! 私に家族はいないんだから!」

 だからかな、私はベラが口にした、そんな呼称にも過敏に反応してしまった。お姉さんと呼ばれた時、ルジェーナが死んでいなければ、私がこうやって呼ばれることもあったのかもしれない……そんな風に思ったの。もしルジェーナが死んでいなければ、お母さんは生きる道を選んだかもしれない、とも。

 でもそんな風に激情にかられた私も、すぐに正気に返って、言った。

 私をシルヴィアと呼んでと。

 そしたら、最初にルジェーナとも名乗ったものだから、ルジェーナは誰なのかって聞かれたの。死んだ双子の片割れだって答えたら、ベラは仲の良い家族なのねってすごく暗い声で言った。

 そしてあの子は、ずっと抱えてきた兄へのコンプレックスと、パーシバルへの恋心を私にぶちまけたの。当時の私は、パーシバルについては詳しく知らなかったから理解できなかったけれど、リシャルト殿下については分かった。何せリシャルト殿下は、誰もが次の国王だと疑わぬほど才気溢れる王子で、見事なまでの銀色の髪を持っていると評判だったから。

 リシャルト殿下にすべて取られてしまうといった彼女は、孤独で、寂しがり屋なんだとすぐに分かった。

 そして、ベラはそうやって私にぶちまけた後、自分で扉のほうに向かって歩いて、こういったの。

「私は生きるも死ぬもどっちでもいいけど、あなたがここから出る手伝いはする。もし私が人質にとられて

も、逃げなさい。侵入できたなら、脱出もできるでしょう?」

 さっきも言ったけれど、どうしてベラが私を気に入ったのか、生かしたいと思ったのかはわからない。でも彼女は初めて会って、暴言を吐いた私を生かそうとした。

 私は、彼女が王女で”権力者”であるからと言って、私の両親の殺害に関係があるわけではないことをふと思い出したの。彼女は王女であることを差し引いても、守られるべき一人の少女だった。


 そこからは、ミル家の血が騒いだとしか言いようがないのかもしれない。私は彼女に憎しみの感情を向けるのを止めて、彼女を連れて無事に出ることを優先することにした。

 






「なるほど……それで火炎瓶を放り投げて爆発させ、さらに部屋に火種を放って隠し通路を通って逃走するに至るのか……」

 私は詳細を語っていないというのに、なぜかイェンスはそう言って頭を抱えた。

「なんで知ってるの?」

「ベラから聞いた。助けたのがベラじゃなきゃ、放火犯で捕まりそうな行為だが」

「まあ、たぶん、ベラじゃなくても私は同じことをしたけど……そういう意味では助かったかな」

 どうやらベラはかなりイェンスを信用しているらしい。そうでなければ、私とベラの出会いについてイェンスに語ったりはしないだろう。

「……あれ。ベラも、イェンスが私のことを知ってるってことを知ってるの?」

「ああ……悪い。黙っててもらってんたんだ」

「そっか。それならもっと早くイェンスに打ち明ければよかったかな」

 私はそういって、ベラの勝気な笑みを思い浮かべた。

「ベラは助けてあげたっていうのに、数日後に私のところに来て、私を脅したんだよ」

「友達にならなければ、素性をばらすぞって?」

 どうやらイェンスはこの話まで知っているらしい。ベラは一体どこまで話したんだと少しあきれながらも、イェンスが彼女の信頼を勝ち得ていることを素直にうれしくも思った。

 ベラはまだまだ子どもで、頭がいいわりに、周りが見えていない時がある。パーシバルのことも、もっと素直に彼の好意を受け入れればいいのに、傷つくのが怖いから期待しないように自分に自分で圧力をかけているのだ。


「シル、一つだけ……気になることがある」

「なに?」

類稀なる能力(オムニポテンス)の血を引くから、ルジェーナは嗅覚が鋭いって言ったよな? オムニポテンスの血を引くもので、聴覚が発達しているものは?」

「……あ」


 言われて始めて、私はその可能性に気が付いた。

 漠然と、彼女が王族だからと思っていたのだが、それにしてはベラの聴覚は尋常ではない。尋常ではない嗅覚を持つ私がいうのはなんだが、彼女の聴覚は類稀なる能力(オムニポテンス)の一つだろう。


「やっぱりいるのか……実は、リシャルト殿下も耳がいいんだ。ベラほどかはわからないが」

 ベラ一人だけではなく、リシャルトもそうだとなれば、それは血筋の可能性はかなり高い。しかしそうなると腑に落ちないこともある。

「そうなの? でもそうなるとエノテラ妃殿下が血を引くことになるんだけど……」

「何かおかしいのか?」

「妃殿下の髪色って、私はお会いしたことないけれど、紫ではないでしょう? 一族の者は血が濃ければ濃いほど、紫色の髪になるの。私は混血(ハーフ)だから、淡い色だけれど力も強い。でも、髪色に影響がないほど血が薄まれば、力も薄まるのが自然なの」

 もし紫色の髪の女性が王妃になったのだとしたら、国中が大騒ぎになるだろう。紫色の髪は珍しいが、受け入れられはいる。しかし、やはり物珍しい目で見られることも多く、さらに私たちは常人ではありえない特化した身体能力を有している。

 それを悟られぬようにと、王都よりも北東にある町で、一族は暮らしているのだ。

「妃殿下は確か……金色の髪だったはずだ」 

 イェンスはそうつぶやくと、自身の金色の髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。困ったことがあると髪をかきむしるのが彼の癖だ。

 私はそれを見つめながら、イェンスの名を呼んだ。

「どうした?」

 そういって答えてくれるイェンスの緑色の瞳を見つめ、私はずっと考えていたことを口にした。


「知りたいことがあるの。オムニポテンスについて。だから……その……ついてきてくれない? 王都の北東部にある、彼らの町へ」


 私は、イェンスの答えを知っていたといっても過言ではない。彼は絶対に断らないだろうという確信があった。


「ああ。俺も、ちょっと聞いてみたいことがある」


 それでも、期待通りの反応が返ってくると、嬉しいものは、嬉しかった。


「ありがとう、イェンス」

「どういたしまして」


 だから私は、にっこりと微笑んで、心からの礼を口にしたのだった。





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