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イェンスとルジェーナ  作者: 如月あい
間章 シルヴィア・ソレイユ・ミル

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過去語り編≪師との出会い≫

 お母さんが連れていかれた後、私は叔母さんの家でお世話になっていた。ミル家の人は、みんなお母さんの無実を信じてくれていて、特に叔母さんは私によくしてくれた。

 おばさん一家が家族として受け入れてくれたことは嬉しかったけれど、でも、幸せそうな叔母さん一家の隣で暮らすのは、私にはとても辛いことでもあった。

 お母さんは処刑されたと聞かされただけで、骨も帰ってこなかったし、お父さんを殺した容疑者として死んだ以上、ミル家の墓に入れることもできなかった。

 そうやってお母さんが死んでしまったあと、私がお父さんとお母さんの死について調べたいと言ったら、叔母さんは大反対した。それが不思議で、法律に関して調べてみると、大した証拠もないのに処刑するのは異例のことだってすぐにわかった。

 例にないことができるのは、超法規的権力だけだということもすぐにわかった。だから叔母さんが私に危ないことをしてほしくなくて止めているんだってこともわかったの。

 その時かもしれない。

 私は、おばさんの家を出ようと思った。でも全くあてもなく出てしまったら、余計に真相に遠ざかることは分かっていた。どうやって糸口を見つけようかと考えていたら、ふと、お母さんが昔話してくれた人のことを思い出したの。

 お母さんはお父さんと出会って、お父さんのそばにいるために宮廷薬師になることを選んだ。でも調香師の夢を完全にはあきらめきれなくて、調香について教えてくれた師匠がいたという話を聞いたことがあったの。

 ねえ、イェンス。この前、私が連れて行かれそうになったとき、私のことをルジェーナ・アストロガノフって言っていたのを覚えている? 今の私のあのお店は、もともとクリスタ・アストロガノフというお婆さんが営んでいた薬屋(・・)なの。

 え、話が矛盾してるんじゃないかって?

 そんなことないよ。クリスタ師匠は、薬師で調香師だったの。でも、売るのは薬だけって決めていたんだって。香りは、売ることはしたくなかったんだって。

 

 話を戻すとね、私は一度クリスタ師匠に会ってみようと思って、ルッテンベルクに来たの。そして人を訪ねて歩いて、私はあの今の店にたどり着いた。

 店の中に入ると、何百種類っていう薬草の香りがして、少しだけ安心したの。それはお母さんが仕事から帰ってきたとき、似たような香りをまとわせていたから。

 クリスタ・アストロガノフは、お婆さんだった。白髪で、背は低くて、でも腰は曲がっていなくて、ちょっと目つきは鋭い。

 彼女は私を見ると、とても驚いたような顔をしていた。


「初めまして、クリスタ・アストロガノフさん。私は……ユリアの娘です」


 私がそうやって名乗ると、クリスタ師匠はやっぱりという顔になって、カウンターの向こう側でこっちにおいでとばかりに手招きしたの。私がふらふらと近寄っていくと、じっと私の目と、そして髪を見た。

 その時は私、まだ髪を染め続けてた。おばさんがそれを勧めたから。

「そっくりだ。これは本当に驚いた……髪は染めてるのか」

 クリスタ師匠はそういうと、そのあとに私がどうしてここに来たのかと尋ねたの。

 私はお母さんの香りを再現したいから、アドバイスをもらえないかって言ったの。さすがに両親の死の真相を明らかにしたいなんて話を最初からしたら、止められるとおもったから。

 でも私の話を聞いたクリスタ師匠は、まず私に聞いてきたの。


「ユリアについてどう思ってるんだい? あの子が盾の大佐(アルナウト)を殺したと思うかい?」

「いいえ……思いません」

「そうかい。じゃあそれを踏まえて聞く。お前さんは私に何をしてほしくて来た?」


 私が本当に望んでいたことなんてお見通しだったみたい。

 私はあきらめて、お母さんは無実だと思っていること、どうしてお父さんが死んだのか、どうしてお母さんが濡れ衣を着せられたのか、私は知りたいと思っていることを話した。お母さんが連れていかれたときの出来事についても詳しく話したわ。髪を染めさせられたこととかも。


 そして、その手がかりの一つとして、連れて行った男の一人がつけていた香水の話もしたの。

 お母さんが連れていかれてしまったあと、私はその香水の香りの記憶をもとに、主な香料を割り出したの。そうしたら、それはとても高級な香料だと分かった。お母さんに対する超法規的な処刑のこともあるから、犯人が強い権力を持った人間ではないかと思っている話もした。


「だと思ったよ。協力してやらんこともないよ。もしシルヴィア、お前がその名前を一度捨てる覚悟があるならば」

「名前を捨てる?」

「適当に違う名前を名乗るんだ。ついでに私の名前、アストロガノフもあげよう。そして、香水屋を開く。香水屋なら、香料を扱っている薬屋とも懇意になれる。そうやって徐々に宮廷薬師とのコネクションを作るようにする。王城に徐々に近づけば、その香水を使っている()も割り出せるかもしれない」

「女? お母さんを連れて行ったのは男なのに、ですか?」

「女だ。それも、その男と深い関係にある女だよ。移り香だ」


 移り香だと断定したのは師匠なの。さっき話したとき、私は移り香だったって言ったんだけど、その瞬間はそんなことは考えてもみなかった。でもね、師匠は、人に罪を着せるようなあくどい権力者は、絶対に自分の手を汚さないって言ったの。実行犯にはならないって。

 だから、実行犯の男からした、その普通の人間がつけることはできないだろう香水は、高貴な女性からの移り香だろうって、そう言った。


「ですが……どうして香水屋を営み、宮廷薬師とのコネクションを作るには相当な歳月を要しますよね?」

「そうだね。でもだからいいんだろう? 怪しまれないようにしなきゃいけない。私は弟子の娘を殺すわけにはいかないんだ。お前さんが死んだら、もう誰も真相を追求するものはいなくなる。何があっても生き延びなきゃいけない。そのために十年を犠牲にしたとしても……。だから言ったろ? その覚悟がないなら、やめておけってね」


 それはとても遠回りだと思った。でも、少なくとも、叔母さんの家で世話になっているよりは、進展が望めるとも思った。だから私はその言葉にうなずいて、叔母さんの家からこっそり抜け出してきたの。必要最低限の者だけ持って。クリスタ師匠には、死んだようにみせかける必要があるといわれたから、手紙も書かなかった。叔母さんに迷惑をかけた自覚はあるけれど、でも……あの時はそれ以上のことを考えられなかったし、それに叔母さんを危険なことに巻き込むわけにもいかなかったから。

 

 それでね、私はその時、長かった髪を一度ばっさりと切って、髪の色も戻した。

 クリスタ師匠には、なんていう名前にするのか決めたのかって聞かれたから、ほとんど迷わずに答えたの。

「私、今日からルジェーナになります」

「ルジェーナ?」

「はい。私の死んだ双子の片割れの名前です」

「……! そうかい。その子はいつ?」

「私の記憶があいまいなくらい昔のことですよ。だから私は二人分を背負って生きています。今までも、今も、そしてこれからも」


 クリスタ師匠は、私に調香について教えてくれたし、薬屋に加えて、私の名前を登録して香水屋の看板も出してくれたの。師匠のおかげで営業許可証も降りたし、私は今日までこうやって食べるには困らないくらいの稼ぎを得た。

 クリスタ師匠は旦那様もお子様もなくされていたから、天涯孤独だったの。私のことを孫のようにかわいがってくれた。厳しいことも言われたけれど、両親がいなくなった後、その厳しさと、新しいことを覚える忙しさが私の悲しみを和らげてくれた。


 もしかすると、師匠はなんだかんだ言って私が母の真相を追うのをあきらめるのを待っていたのかもしれない。何度も聞かれたの。叔母さんのところに戻らなくていいのかって。

 でも私は 戻らないって言った。

 クリスタ師匠は私と出会って二年足らずで亡くなってしまったけれど、最後まで私のことを気遣ってくれた。そして最期の時のことだった。


「いいのかい? 戻らなくて……」

「戻らない。私はルジェーナだよ」

「シル……お前って子は本当に……頑固なところがユリアに……そっくりだ」

「師匠……」

「あの子の……無実……証明して……おやり」


 最期は私の意思を尊重してくれた。心配そうに、でも、ふっと優しく笑って、クリスタ師匠は逝ってしまった。







「シルの師匠は、ユリアさんと、そのクリスタさんなんだな」

「ええ……。ねえイェンス」

「なんだ?」

「クリスタ師匠は……本当は、私に何を望んでいたんだろうね」

 

 こんなことをイェンスに尋ねるのは間違っていると分かっている。でも、私は聞かずにはいられなかった。

 師匠については分からないことがたくさんある。

 たとえかつての弟子の娘だとしても、初対面の少女(わたし)をどうして助けてくれたのか。私が真相を追う手助けをしてくれる中で、なぜ最期まで、おばさんのところへ戻らないかと、平穏な生活に戻らないかと聞き続けてくれたのか。

 

「揺れてたんだろうな」


 木に背を預けて、空を見つめたままのイェンスがそういった。


「揺れてた?」

「クリスタさんは、ユリアさんの無実を証明したかった。でもそれと同時に、シル、お前の幸せも願いたかった」

「……」

「お前の両親の死の真相を明らかにするのは、茨の道だ。父さんすらも、断念せざるを得なかったくらいには」

「……そうだね。でも……私はやるよ。あきらめない。それは……お母さんの遺志だったからってわけじゃない。私の意志だから」

「知ってる」


 イェンスはそういうと、すっとその緑色の瞳をこちらに向けた。そのまなざしが優しくて、私は思わず胸を押さえた。

 私は自分で十分すぎるほどわかっていた。私は間違いなくイェンスに惹かれている。でも、今の私は、それを認めるわけにはいかなかった。すくなくとも建前くらいは、否定していなければいけなかった。

 誰を犠牲にしようとも、それがミル家の家訓にそむこうとも、私は生きなければいけないのだ。


「イェンス」

「何だ?」

「ベラの話も聞いて。そしてそのあとに……」


 イェンスを巻き込むことは、守りたいものを危険にさらす行為だ。自分が弱くなる原因にもなりうる。知っている。そんなことは分かっている。


「そのあとに?」

「……頼みがあるの」

 

 それでも私がイェンスを頼るのは、ほかでもない。

 私はやっぱりイェンスを突き放すことがもう、できないからだ。



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