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イェンスとルジェーナ  作者: 如月あい
五章 その気持ちに気づく時
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王家の夕食会

 その日は、珍しく第三王女イザベラの私室が騒がしかった。

 一週間前に、パーシバルとともに城を抜け出し、秘密の地下通路の謎を解き明かしたベラは、彼女にしては珍しく銀色の髪の姿のまま、侍女に身支度を任せていた。


 髪飾りをふんだんに使用して髪を豪奢にゆいあげ、ラインの美しいドレスと、彼女の肌の白さを際立てるような赤い口紅を塗れば、王女に相応しい美貌と威厳を兼ね備えた女がそこに現れる。

 彼女は鏡の中の自分に向かって笑いかけると、後ろを振り返って言った。

「完璧。ありがとう」








 時同じくして、王宮の中の王の住む建物の一室では、この国で最も高貴な一家がずらりと並んで座っていた。

 まだ数人足りていないが、まだ始まる時間にはなっていない。そのうちやってくるだろう。

 第四王女カトリーナはそんなことを考えながら、ぼんやりとテーブルに並べられた食器を見つめた。

 月に一度、王主催で、直系の王家の者だけが集まる夕食会が開かれている。嫁いでいった姉姫達を除く十数人の王子王女と三人の妃、そして国王が一堂に会すのだ。

 カトリーナはいつも初めのほうにやってくるので、好きな席を選ぶことができる。円状に並べられたテーブルたちは、一人にあたり一つずつ用意されていて、誰がどこに座ってもよいことになっている。

 とはいっても、毎回似たような席になるのだが。


 この催しはカトリーナが幼い頃から定期的に開かれていたが、家族全員がそろった記憶はほとんどない。この催しは自由意思で参加できるということもあり、それぞれが何かほかの要件を抱えていたら出席しない場合もあるし、カトリーナの異母姉にあたるイザベラのように、徹底して出席を拒否する者もとがめられないからだ。

 しかし事前に欠席の通知をするわけでもないこの夕食会には、人数分の食器と食事が毎回用意される。まず参加することのないイザベラのテーブルや食器も、毎回きちんと用意されていて、カトリーナはまずはじめにそれを確認する。それは、イザベラの食器が存在する限りは、自分が何らかの理由でこの催しに欠席したとしても、自分の席は確保されるだろうという判断基準の一つだったからだった。

 今日は、イザベラ以外の全員がそろっている。そして、今回はたまたまカトリーナの右隣の席が空席になった。食べる人間がおらずとも、給仕係はこの空いている席に給仕するのだが、それがなぜかカトリーナはだれにも尋ねることができなかった。しかし、カトリーナの勝手な予想によると、それは父である国王が命じていて、つまり、彼はイザベラの登場を待っているということなのだろうとそう結論付けていた。


 イザベラ・エノテラ・ヴェルテードが笑っているところを、カトリーナは今まで一度も見たことがない。それはおろか、城の中を歩いている様子でさえ見たことがない。彼女はいつも人形のように無表情で、色が白く、赤い口紅だけが生気を表しているようだったが、それもどこか血をすすった怪物のようにも思えて、異母姉が苦手で仕方がなかったのだった。

 恐ろしい想像で怖くなったカトリーナは首を小さくふった。するとそれによって生まれた風が、カトリーナの香水の香りを彼女自身に運んできた。紫色の髪の女性が作ってくれた香水は、想像以上にカトリーナの好みにあった。そしてそれは、カトリーナがずっと追いかけてきた兄たちの香りとは全くかけ離れていながら、どこか落ち着かせるものでもあった。

 この香りを手に入れてから、カトリーナは少しだけ、自分に自信が持てるようになった。しょっちゅう癇癪を起していたのも少しは収まり、侍女たちにおびえられることも減った。

 だから、今日ならば、あの恐ろしい姉であるイザベラを前にしても笑顔でいられるかもしれない。

 カトリーナがそんなことを考えながら、最初の料理が給仕されるのを待っていたその時だった。


 開かれるはずのない扉がゆっくりとあけられて、近くに座っているものと雑談に興じていた全員が扉のほうを振り向いた。カトリーナの向かい側に座っていた父王は、思わず立ち上がって、扉を注視する。

 扉の向こう側からゆったりとヒールの音を響かせて歩いてきたのは、まさに先ほどカトリーナが想像していた人物だった。

 長い混じりけのない銀色の髪を、ルビーのふんだんにあしらわれた髪飾りで結い上げている女性は、部屋の中の全員の視線に臆することなく、カトリーナに近づいてきていた。

 カトリーナはどうして自分に近づいてくるのかわからず混乱していたが、ようやく、カトリーナの隣の席が空いているからだと気が付いた。

 彼女は相変わらず無表情だったが、久しぶりに直に見る姉は、記憶の中の彼女よりも数段美しかった。なめらかな白い肌に生える赤い口紅も、昔ほど怖いとは思わなくなった。どこか妖艶さすら思わせるその容姿は、カトリーナが思っていたよりも、ずっと人間味がある。


「イザベラ」


 父王は彼女の名前を呼ぶと、しばらくイザベラを見つめた。カトリーナはほかの家族が普段では考えられないほど間抜けに口を半分開けて、イザベラを見つめていることにふと気が付いてしまった。そしてそんななか、なぜか彼女の生母であるエノテラ妃だけが、全く興味がないとばかりに食器を見つめていることにも気が付いた。

「ご無沙汰しております。最近は、非常に気分がすぐれているので、参加させていただこうかと思ったのですが……ご迷惑でしたか?」

「いいや。そんなことはない。……座りなさい」

 王は言葉少なめで、突然現れた娘になんと声をかけてよいかわからないようだった。しかしそんな王に気を使うでもなく、イザベラはカトリーナの右隣の席まで歩いてくると、彼女についてきていた侍女に椅子を引かせた。そして座る前に、ふとカトリーナと目があうと、彼女は無表情のまま尋ねた。

「隣に座っても構わないかしら?」

 変わらぬ白い肌に宝石のような真っ赤な瞳をしているというのに、昔よりもなぜか人形味が薄れているように思えた。無表情でも、微かに、彼女の中にある感情みたいなものが透けているからだろうか。

 そしてそのまなざしが間違いなく自分に向けられていると分かったカトリーナは、とにかくコクコクとうなずいた。するとイザベラは彼女にとって右側に座っていたリシャルトには許可をとらず、そのまま席に着いた。

 カトリーナは、ふと、嫁いだ姉二人以外は全員がそろった、初めての夕食会であることに気が付いた。イザベラが座ると、給仕係によって食事が出されたため、ぶしつけな視線は和らいだ。しかしながら誰もがイザベラの挙動を気にしているというのは、隣に座っているカトリーナにはひしひしと伝わってきた。特にカトリーナの母親であるカルミア妃や、兄のルカーシュは、愛想のよい笑顔を浮かべながらも、探るような視線をイザベラに向けている。

 しかしイザベラはまったくもってそんな視線など気が付かないとでもいうかのように、美しく正しく料理を口に運んでゆく。部屋に引きこもっていたから、実はテーブルマナーがぐちゃぐちゃなのではないかとひそかに思っていたカトリーナは、なんだか拍子抜けした気分だった。むしろ、自分ももっと気を付けなければと思うほどには、彼女の所作は優雅で無駄がなく美しく、王女として完璧なふるまいをしていた。

 唯一彼女に欠点があるとすれば、それは愛想がないことだ。

 さきほどカトリーナに向けたかすかな微笑みが幻であったかと思うほどには、彼女は無表情のまま食事を口に運んでいる。

 いつもならばカルミア妃かエノテラ妃のどちらかが王に話しかけ、そこから会話が発展していくのだが、今日は二人とも奇妙なほど沈黙していた。エノテラ妃は穏やかな表情を浮かべている割に、なぜかイザベラに視線を向けることもなく食事を楽しんでいる。いつもならばリシャルトに話しかけることもあるのだが、今日はリシャルトの方すら彼女は向こうとはしなかった。

「イザベラ」

 この場で、最初の沈黙をやぶったのは、リシャルトだった。

「はい」

「気分がすぐれているなら、最近は外にでも出ているのか?」

「出かけることもございます。ですが無理はできないので、ほどほどにして切り上げますが」

「ほどほどにしないと、近衛たちが困るだろうからな」

 カトリーナには到底、イザベラが近衛たちを困らせるほど長く部屋を空けるとは想像ができなかった。しかしリシャルトはなぜか、ほどほどにという言葉を強調して発音した。それに合わせてイザベラも、ゆっくりとうなずいて見せる。

 そして彼女は自然な動作で食器を置くと、すっと顔をあげて父王を見た。

「近衛といえば……パーシバル・セネヴィルのことなのですが」

 イザベラはそこまでいうと、言葉を一度切った。

 カトリーナはその間に、パーシバル・セネヴィルという男が誰であったかを頭の中で考えた。パーシバル侯爵家の長男で、イザベラの婚約者候補の一人だと答えが出てきたときにはもう、イザベラは次の言葉を発していた。


「彼と正式に婚約をしたいと思います」


 イザベラがそういった瞬間、父王が驚きを隠せないといった雰囲気で手を止めた。エノテラ妃もまた、視線を食事に落としたまま、動きを止める。

 しかし父王が何かを言う前に、ルカーシュはなぜか安堵したように息をつくと、にっこりと笑ったままイザベラに言った。

「おめでたい話だね。今日はそれを報告しに?」

「はい。私も十八になったので、そろそろ正式に王位継承権を放棄する意向を示す時が来たと思いまして。もともとあってないようなものですが、明確にするということは、大切なことだと思われませんか?」

 イザベラはそういうと、自分の実の母親のエノテラ妃ではなく、なぜかカトリーナの生母であるカルミア妃を見た。するとカルミア妃は少し目を丸くしたあと、こぼれんばかりの笑みでうなずいた。

「その通りだわ。それに、おめでたいわね。婚約披露につけられるような装飾品を作らせるわ。よかったら使って頂戴」

 カトリーナにとって生母のその反応はごく自然なものだった。彼女はルカーシュが王位に就くことを心から望んでいる。王位継承権に兄弟姉妹で優劣のつけられないヴェルテード王国では、本人がはっきりと継承権を放棄する宣言をするか、他家に嫁ぐ表明をするかをしないと、王位につく可能性が残ってしまう。

「ありがとうございます。兄上(・・)も祝福してくださりますか?」

 イザベラが隣にいたリシャルトにそういうと、彼はしばらくの間沈黙していた。カトリーナの位置からは顔の表情が見えないのでわからないが、きっと驚いているのだろう。

「……ああ、もちろん」

 しかししばらくするとはっと我に返ったように、不自然に大きな声でリシャルトはそう言葉を返した。

 クレマチス妃とその娘のヴィクトリアは、静かに成り行きを見守っていた。彼女たちはイザベラの発言に別段、うれしそうな様子も、不快そうな様子も見せなかった。

 そしてカトリーナがもう一度イザベラに視線を戻すと、赤い瞳がこちらに向けられていて、カトリーナは思わず息をのむ。しかし何も言わないわけにはいくまいと、カトリーナは口を開いた。

「おめでとうございます、イザベラお姉さま」

 お姉さまという単語を口にした瞬間、なんとも言えない奇妙な間が二人の間に生まれた。カトリーナは何もおかしいことを言っていないのに、自分がひどく奇妙なことを口にしたような気分に陥ったし、イザベラは初めて姉扱いをされて素で反応に困ってしまった。

 すると彼女は、ルジェーナたちといる時のような、自然な微笑みをこぼしながら言った。


「ありがとう、カトリーナ」

 

 ありがとうと言われただけであったのに、不意に浮かべられたその笑みに、カトリーナは不思議な動悸を覚えた。相手は女かつ自分の姉であるのに、ドキドキさせられてしまう。

 未だに少し怖い気もしたが、イザベラが得体の知れない人物ではなくなったということを、カトリーナは他人事のように感じていた。


「陛下。婚約を認めていただけますか?」


 イザベラがそういうと、国王は少し渋い顔をした。カトリーナが知っている限りでは、イザベラさえ承諾すれば、パーシバル・セネヴィルとの婚約はほとんど決まったも同然であった。しかしなぜか、ここまできて国王が渋面を作っている。

「父上。イザベラの相手には、パーシバル・セネヴィルしかおりません。彼に嫁ぐことが、妹の幸せであると私は確信しております」

 顔は見えないが、リシャルトもまた、イザベラを擁護するような言葉を口にする。すると、今度は王が非常に驚いたように目を見開き、そしてぽつりと言った。

「それで、いいのか?」

「……はい、陛下」

 カトリーナには意味のわからないやりとりだったが、ルカーシュにはわかったらしい。いつもの愛想の良さをかなぐり捨てて、何かに苦しむような表情を一瞬だけ浮かべた。しかし彼はカトリーナが見ていることに気がつくと、いつもの優しい兄の表情に戻る。

 その幻のような鬼の表情が、カトリーナの心に小さなトゲのように突き刺さる。

「分かった」

 父王の声を聞き、そちらを向くと彼はじっとイザベラだけを見据えて言った。

「承諾しよう。ただし、婚約披露の時期に関しては私が決める。よいな?」

「はい。ありがとうございます」

 イザベラもまた、父王をじっと見つめた。そして少し悩んだ後に、王はイザベラに言った。

「幸せになれ、イザベラ」

 赤い瞳が限界まで見開かれ、無表情だったその顔に驚きの色が見えた。しばらくの間、イザベラは声を失っていたが、ふと思い出したように、小さな声でありがとうございますと返した。

 そしてその反応を確かめると、王はエノテラ妃に視線を向けた。

 ここでエノテラ妃は、ようやく自分が祝いの言葉を口にしないのは不自然であると気がついた。

「おめでとう、イザベラ」

 イザベラに似た美しいエノテラ妃は、イザベラの方を見ながらも、彼女の目を見ることなく微笑んで言う。

 カトリーナは聡い方ではないが、エノテラ妃とイザベラの関係が、どこか歪んでいるのがはっきりと分かった。

「ありがとうございます」

 イザベラもまた、無表情の仮面を取り戻し、硬い声で言葉を返す。


 そのあとの夕食会は、比較的穏やかなものだった。

 生まれて初めてまともにイザベラと話すカトリーナとヴィクトリアは、二人が想像していたよりは、イザベラが冷たい人間ではなかったのことに驚いていた。

 何より驚いたのは、イザベラが香水に妙に詳しかったことだ。部屋の中にこもっている彼女は、人工的な香りを好まないと勝手に思っていたカトリーナは、思わぬところで共通の趣味を見つけて単純に喜んだ。


 カトリーナはイザベラに気を取られていて、最後まで、険しい顔をしたままの人間が数名いることに、気づくことはできないでいたのだった。


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