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イェンスとルジェーナ  作者: 如月あい
五章 その気持ちに気づく時

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あなたに会えるまで

 混乱するルジェーナをおいて、ヴィクトリアは再び歩き始めた。ルジェーナはその斜め後ろを保ちながら、質問した。

「どうして私を連れてこられたのか伺っても?」

「妃の命令は、その子どもたちの命令より優位にあり、王の命令は、妃の命令より優位にある。ただし、それぞれの妃と、子どもたちの間には優劣はない。だから、私はあなたを連れてこられたのよ」

 ルジェーナは一瞬、返答の意味がわからなかった。

 しかし少し考えると、連れてこられたの「こられた」という言葉が敬語ではなく可能の意でとられた結果だと理解した。

 つまり、連れてくることができた理由を聞いたと解釈しての返答らしい。

 ルジェーナは、彼女がわざと煙に巻いているのか、それとも質問の仕方が不味かったのか判断できずにいた。王宮にさして縁もなく、ベラと話すとき丁寧語すら使わぬルジェーナとしては、畏まった言葉はあまり得意ではない。

 そのため、その質問は諦めて、ルジェーナはヴィクトリアについて少し考えてみることにした。


 世間では、ヴィクトリア王女というのは清楚でお淑やかに花を愛でるような美少女という認識である。

 ただ、そういう民による王女の噂というのは得てしてあてにならない。

 ベラは公式の場に姿を現さなさすぎて、ひどく醜い王女で、病弱なのではという噂がしめやかに市中に広がっている。

 彼女は醜くもなく健康そのものであるし、彼女から全く弱さという要素が感じられない。


 ヴィクトリアは、顔立ちは清らかそうな透明感がある。

 しかし清楚という言葉で彼女を形容するには疑問詞がつく。

 その理由の一つが、長い髪に黄玉付き造花の髪飾りを編みこむその髪型だ。それも一つではなく、たくさんの花が編み込まれ、葉っぱまで付いている。

 似合っているし、どこぞの森の精のような雰囲気はあるのだが、しかし流行に沿ったオシャレとは言えない。端的に言うと、少しずれている。

 ドレスを見慣れていないルジェーナは、彼女のドレスがどうであるかは判断がつかない。ただドレープはあしらわれていても、ドレスには目立った宝石は使われておらず、装飾品も髪飾り以外は身につけていない。

 髪飾りを除けば、彼女は清楚といえなくもないかもしれない。

 しかし大人しい人間でないことは疑いようもない。大人しい王女様は、おそらく軍人に啖呵を切って人を奪ってくるなどということはできないだろう。

 大人しい王女に出会ったことのないルジェーナだが、なんとなくそんな気がしていた。


 ただ、ヴィクトリアは彼女の姉にあたるはずのカトリーナよりはずっと大人で、冷静である。

 機転も効きそうであるし、判断力もあるように思えた。

 敵に回すと厄介だが、今の段階ではとりあえず味方だと判断していいだろう。彼女からも近衛からも殺気は感じられないし、そもそも敵意があるなら近衛はヴィクトリアにルジェーナを近づけないに違いない。



 しばし歩いて行くと、大きな庭園にたどりついた。カトリーナ王女の住んでいた場所近くの庭園は華美であったのに比べて、この庭園は非対称アシンメトリーかつシンプルだった。

 自然体でありながら、しかしよく見ると綺麗に手入れされている。対称シンメトリーな作りをした庭を見慣れているルジェーナは、こういう美しさもあるのだと素直に感心した。

 クレマチス妃は生粋のヴェルテード王国人であるから、彼女自身の美意識センスなのだろう。


「間に合ってよかった」


 ヴィクトリア王女が立ち止まったのに合わせて立ち止まると、目の前に美しい女性がこちらを見て微笑んでいた。

 彼女こそ清楚という言葉が似合う。

 小麦色の髪を結い上げた彼女は、華奢な髪飾りだけでそれをまとめていた。質素といってもよいいでたちだ。耳飾りも首飾りも腕輪も指輪もしていない。

 しかしその佇まいは気品にあふれていて、質素さは彼女の清よらかな美しさを一ミリも損ねることはなかった。王宮に住むにしては華が足りないようにも思えるが、彼女は静かな水のような透明感がある。

 おそらく彼女がクレマチス妃だと判断して、ルジェーナは一礼し、そして尋ねた。

「どうして……助けてくださったのですか?」

「嬉しいわ。あなたに会えて」

 親子だ。

 ルジェーナは思わず体の力が抜けて息をついた。話がかみ合わない。

 しかしクレマチスは全く意に介した様子はなく、困惑するルジェーナに向かって微笑んだ。

「まだ、あなたに理由を教えることはできないの」

「……まだ、ですか?」

 それはいつかは教えてくれる意思があるのか、そういう意味も込めて問い返せば、クレマチスはゆっくりと頷いた。

「ええ。今はとりあえず、これを渡すだけ」

 そして、クレマチス妃があるものを取り出した瞬間、ルジェーナはその紫色の瞳をこぼれんばかりに大きく見開いたのだった。







 時は少し進み、時計塔が二回ほど鐘の音を響き渡らせた後。

 イェンスはあともう少しで王城につくというところまで来ていた。手綱を握る手には汗をかいている。彼は人を引かないように気を付けながらも、心は紫色の髪の女性へと向いていた。

 証言してくれるという紫の髪の青年を見つけてからというものの、イェンスは後悔と不安と焦りから最悪の未来を想像し、そして息を吐くということを繰り返していた。

 結果的には、ルジェーナの無実を証明できることになった。

 しかしあの場で、それがたとえ法を犯すことになろうとも、ルジェーナを奪い返すのが最善だったのではという考えがイェンスの頭から離れない。


 冤罪。


 その二文字は、ユリアの死を嫌でも連想させた。

 たとえ彼女自身が受け入れて、自ら選んだ結果であったにしても、彼女はありもしない罪をねつ造されて殺されたのだ。

 その娘のルジェーナが同じ道をたどることになるのではと思うと気が気ではなかった。しかしもし、処刑という形でルジェーナが殺されそうになるのならば、イェンスは十分間に合う時間に証人を連れてきたと言える。

 通常、刑の執行にはどんなに早くともひと月はかかるものである。

 そう考えたからこそ、ニーヴェルゲン中尉もイェンスの暴走を止めたのだ。


 しかし、イェンスはもう一つの道筋を想像していた。

 それはルジェーナが人知れず葬り去られてしまうという筋書きである。そうなると、偽りの証言をしたあの女たちも合わせて抹消されてしまうだろう。おそらくルジェーナという人間の痕跡が、書類上からすべて綺麗に消し去られてしまうに違いない。

 その場合は、ひと月どころか、一分一秒が惜しく、イェンスはすでに遅すぎたという恐れも十分にありえる。


「大丈夫ですよ! きっと!」


 馬上からなかば叫ぶようにかけられたその言葉に、イェンスはふと現実に引き戻された。

 叫んだのは、証言してくれるといった紫色の髪の青年だ。

 彼は協力するにあたって、イェンスに一つの質問をした。

 そして彼はイェンスの答えに納得したらしい。だから彼は今、イェンスと馬を並べている。


「信じてあげてください! 彼女を」


 事情は全く知らないはずの青年の言葉は、イェンスの迷いを晴らした。

 確かにルジェーナはそう簡単に殺される女ではないはずだ。彼女はあのミル大佐の娘で、盾の家ミル家の人間だ。それに、今の彼女には守るべきものは何もない。彼女は自分の命を自分の命ためだけに使うだろう。どうしても殺されそうになれば、逃走するなりなんなり、きっと彼女は最後まであがくはずである。

 今ここでイェンスが最悪の未来を想像したところで”今”に何の影響も与えられない。それならば、集中して、今できることをやるまでだ。


 三人は程なくして王城の跳ね橋の前まで来た。イェンスとニーヴェルゲン中尉は軍服を着ているため止められなかったが、彼はそういうわけにはいかない。


「どういうご用件で?」

「とある事件の証人だ。イェンス・ヴェーダが身元を保証する」

「お名前は?」

 見張りの兵士が手に持っているノートにペンを走らせながら尋ねた。すると青年は愛想の良い笑みを浮かべて応えた。

「アラム・アドハーブル・スコジェパと申します」

 イェンスはその名を聞くのは先ほどと合わせて二回目だったが、珍しい音が並ぶので覚えにくい。

 名前が長すぎると思っていたら、通常の姓と名の間に「呼名こな」というものを挟むのが彼の出身地では通常のようだった。

 彼の場合はアドハーブルがそれにあたる。

 そのせいで彼の名は通常より長く感じられるのだ。

 イェンスが感じたことを見張りの兵士も感じたらしく、名簿に自分で名前を書いてくれとペンを渡した。

 手続きはそれだけで済んだ。仮の通行証を受け取るとそれをアラムに渡し、三人は跳ね橋を渡る。軍人が身元を保証すれば、王城の中には比較的簡単に入れるものだ。


 中に入ると、まずはいきなり行く手を阻む水路を渡り、三人はレンガ造りの大きな建物へと足を運んだ。幸運にも、オーシェルマン側の王城には、司法にまつわる建物が多く並んでいる。

 彼の証言を有効化するために、三人はまず建物受け付けで要件を告げ、所定の用紙に記入していく。

 アラムは綺麗な字を書く青年だった。歪みがなく、大きさもバランスも完璧だ。単語と単語の間に開ける空白でさえも、計ったかのようきっちりとしていた。

「この事件、処理に困っていたので助かりました、ヴェーダ大尉」

 記入していると、受付に現れたのはイェンスの顔見知りの男だった。彼は裁判官の一人で、警察部隊にいるイェンスとは仕事上のよきパートナーである。

「報告が上がってるんですね?」

 ニーヴェルゲン中尉は安堵の声をあげた。事件がここにきっちり伝わっているのならば、少なくともルジェーナは王城にいるということである。

「ここに書いたように冤罪で捕まった女性がいるはずなのですが、どこにいるかご存知ですか?」

 イェンスがはやる心を抑えてそう尋ねると、彼は少しだけ困った顔をした後、声を潜めて言った。

「実は……取調室に連行される寸前で、クレマチス妃殿下にさらわれて行ったんです」

 イェンスは瞬時にクレマチス妃の出自について考えた。彼女の家はウェストロイドに屋敷を構える貴族で、古き良き名家の出身である。クレマチス妃はその家の長女で、正妻の子どもである。もしかするとミル家とは関わりがあるかもしれないが、ルジェーナと名前を変えているシルヴィアに気づけるとは思えない。

 そもそも、クレマチス妃が少し調べてルジェーナの身元がバレるくらいならば、ルジェーナは既に死んでいるだろう。

 そうなれば、ルジェーナとしての彼女と知り合いなのだろうか。

 しかしイェンスはそんな話を一度も聞いたことはなかった。


「クレマチス妃殿下に? 妃殿下自ら王宮の外に足を運ばれたのですか?」


 イェンスが思考を巡らせている間に、ニーヴェルゲン中尉は更に問いを重ねた。

「いいえ、迎えに来られたのはヴィクトリア王女殿下です。私も初めてご尊顔を拝見して、非常に美しい方でした」

「お褒めの言葉ありがとう。世辞でも嬉しい」

 ふわりと良い香りがした。

 不思議と、女性のさらさらと長い髪が風になびく情景がイェンスの頭の中で浮かび上がった。

「いえいえ、本当に美しくあらせられる……え?」

 彼がピシリと固まった。そしてその後彼はなぜか顔を真っ赤にして礼をとった。

 イェンスが彼の視線の先をたどると、茶味がかった銀髪に花の髪飾りを大胆に編み込んでいる美少女がこちらに向かって微笑んでいた。

「イェンス・ヴェーダね?」

「はい」

 イェンスは名を呼ばれ礼をとる。

「私はヴィクトリアよ。あなた、私と一緒に来て。ルジェーナが待ってるわ。そこの二人は彼女の冤罪を晴らすために処理をよろしくね」

「か、かしこまりました!」

 ヴィクトリアは当然のようにそういうと、黄玉をはめ込んだかのような澄んだ瞳を、イェンスに向けた。

「なるほど。剣の家の者も悪くない」

 何に納得したのかそういうと、彼女は踵を返して、自分の引き連れてきた近衛に何やら指示を出した。

「行ってきてください、ヴェーダ大尉」

 ニーヴェルゲン中尉はそういって頷き、それに続いてアラムも微笑んだ。

「ここは任せてください」

 二人にそう言われ、イェンスは力強く頷いた。

 そしてさっと歩き始めるヴィクトリアについて後ろを歩く。


 聞きたいことはたくさんあった。しかし、ヴィクトリアにそう気軽に話しかけるわけにもいかない。

 彼女は王族である。ベラは彼女が望むから気軽に話しているが、本来こちらから王族に声をかけるのは失礼にあたる。

 ただ、イェンスは自分がヴィクトリアに認められているのだということは感じていた。

 ヴィクトリアのすぐ後ろをついてイェンスが歩いているが、近衛は誰もそれを止めない。もしヴィクトリアが許していないのなら、イェンスとヴィクトリアの間に誰かが割って入るはずである。


 ヴィクトリアは不思議な子だ。とベラはそう言っていたのが思い出される。

 見た目はともかく、大人しいという世間の噂は実際の彼女とは異なるようだ。

 髪色がほとんど同じであるため、ベラに似ていると思ってもいいはずなのだが、二人はあまり似ていない。異母姉妹とはこうも違うのかとイェンスは内心でそう一瞬だけ思ったが、周囲を振り回す気ままさは似ているかもしれないと考えを改めた。

 ずっと考えながら歩いているため、もう自分がどこにいるのかよくわからなくなっていた。しかし、すでに王宮に入ったことは記憶している。


 そんなイェンスにとって、その瞬間はある意味で突然、訪れた。

 ヴィクトリアが立ち止まり、そしてイェンスの目に彼女の姿が映った瞬間、気がついたら駆け出していた。

 一気に縮まった距離に、目を丸くするルジェーナ。

 何も考えられなかった。

 ただ、彼女が何かを言う前に、イェンスはルジェーナを強く抱きしめていた。

 彼女の存在を、確かめるように。






『彼女は、あなたにとって何ですか?』

 アラムの問いに、否、今まで自分すら含めた何人もが口にしたその問いに、イェンスはようやく答えられた。


『好きな人です。何よりも大切で、守りたい』


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