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イェンスとルジェーナ  作者: 如月あい
五章 その気持ちに気づく時

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容疑者は

 事件は、ヴェルテード王国のオーシェルマン地区の北東部で起こった。

 一人の男が朝方、道で死んだのだ。

 そこには三人の女性が立ち会わせた。三人とも、男が死ぬ瞬間を見ていた。彼は、急に苦しみだすと、そのまま地面にばったりと倒れた。三人のうち一人が、すぐに男にかけよって、男の介抱をしようとしたのだが、それはうまくいかず、そのまま彼は死んだ。

 男の突然死かと思われたが、巡回していた新米の兵士がその場所に駆け付けた途端、二人の女性が証言した。


「あの人が、殺したんです」


 指された一人――男を解放しようとした女性――は、全力で否定したが、他二人の女性は証言を翻さなかった。困った新米の兵士が悩んでいると、一つ年上の先輩兵士がやってきて事情を聞いた。

 そしてその新米兵士に王城への伝令を命じた。軍の警察部隊に投げようという判断である。

 その間、先輩兵士は女性三人の話を聞くとともに、医師に男の死因を探らせている。



 簡単に要約すると、このような話しが王城のイェンスの部隊に回ってきた。たまたま手が空いていたイェンスとニーヴェルゲン中尉は、二人で捜査のために出動した。

 二人して馬にまたがると、新米兵士の先導に従ってオーシェルマン地区につながる跳ね橋から外に出る。

 イェンスの実家からほど近いところで起きた事件に、イェンスは嫌な予感がしていた。

 彼の知り合いの紫の髪の女性は、まさに今日、イェンスの実家を訪れる予定だった。

 しかしまさか、たまたま事件に遭遇するはずはないだろう。イェンスはそう思っていたのだが、彼の嫌な予感というものは、えてしてよく当たるのだった。



 イェンスとニーヴェルゲン中尉がその場についたとたん、その場にいた兵士は、安堵した表情になった。この奇怪な事件から解放されるという表情だ。

 その場にいた医師は難しい顔をしながら男の死体を何やら調べている。

 そして三人のうち一人、この事件の容疑者は、イェンスの姿を見た瞬間、驚きで目を大きく見開いた。

 イェンスは小さくため息をつき、ニーヴェルゲン中尉は紫色の髪の女性を見て驚いた後に、さっとイェンスに耳打ちした。

「彼女のことは知らないふりをして下さい」

 そして、イェンスがその謎の指示に返事もできずにいるうちに、ニーヴェルゲン中尉は現場に歩み寄り、そして二人の兵士に尋ねた。

「事件の容疑者というのは?」

「彼女です。目撃者はそちらの二人」

 見た目だけでいうならば、ニーヴェルゲン中尉のほうが強面で、いかにも階級が上に見えた。事情を知らない女二人は、ニーヴェルゲンこそがこの場での最高責任者だと判断し、さっと彼にすり寄った。

「私たちは見たんです! あの人が、彼に何かを渡して飲ませているところを!」

「彼はそれを飲んだ後、死んだんです!」 

 後ろからその様子を眺めていたイェンスは、ニーヴェルゲン中尉の意図に気が付いた。

 もしイェンスとルジェーナが知り合いだとほかの人間にばれれば、捜査の公平性に疑問を抱くものがでるだろう。だからこそ、ニーヴェルゲン中尉はイェンスが何かを言う前に先に行動したのだった。

 イェンスは不安そうな表情のルジェーナに向かって小さく首を振り、そして、彼は一歩進み出てルジェーナに問いかけた。

「あなたの名前は?」

 その口調が事務的で、イェンスの表情が硬いことにルジェーナは一度目を細めたが、しかし事態を察した彼女は同じく事務的な態度で返答をした。

「ルジェーナです」

「この男性との関係は?」

「初対面です。それに私は何もしていません」

「そうですか」

 イェンスがあっさりとルジェーナの言い分にうなずくと、証言した二人の女性は妙に慌てて、抗議の声を上げた。

「犯人はみんなそういうものよ! やってないってね! その子が美人だからって、それは無実の証拠にはならないんだから!」

 そう叫んだのは、三十代後半くらいの女性だ。細い体をしている彼女は、ぎゅっと震えるこぶしを握り締めている。反対の手では赤いスカーフを巻きつけた籠を持っているが、中身はほとんど何もないに等しいようだった。

「そうよそうよ! それに私たちはちゃんと見たんだから!」

 それに合わせて声を上げた女性は、先に声を上げた女性よりは若そうに見えた。彼女は苛立たし気にそう叫ぶと、彼女もまた赤いスカーフを巻きつけた籠を前でぎゅっと抱えながら、イェンスに挑むような視線を向けた。

「落ち着いてください。捜査の時は平等に話を聞くんですよ。お二人のお話をもう少し詳しく伺いたいので、こちらにいらしてください」

 ニーヴェルゲン中尉は、顔立ちに反して穏やかな声音でそういうと、二人に温和に微笑みかけた。

 女性二人は少しだけ落ち着きを取り戻して頷くと、ニーヴェルゲン中尉の指示に従った。

「君たちは通常業務に戻ってくれ」

 イェンスは二人の兵士にそう声をかけると彼らは敬礼をした後、その場からいなくなった。

 そして、イェンスの声の届くところにいるのが医者と死体とルジェーナになったところで、イェンスは少しだけ医者から距離をとる。

 そして声を潜めて聞いた。

「何があったんだ?」

「分からないの。男は急に苦しみ出して……三人とも驚いて、あの二人は真っ青で何もできなそうだったから、私が彼を診たの。でももう手遅れで……そして、巡回の兵士が来た途端、あの二人が急に私を犯人だって……」


 イェンスは冷静に現場を観察した。ルジェーナが犯人だとは思っていないが、それが彼女に対する先入観ではないかと自分に問いかける。

 急に倒れたという男。そして、二人の女性の証言。

 ルジェーナの言うことが本当ならば、二人の女性の行動は明らかにおかしい。しかしルジェーナが嘘をついているなら、二人の証言は筋が通る。

 しかし二人の女性は何かに怯えているように見えた。死体を見て動揺しているのかもしれないが、それだけでないようにイェンスには思えた。

 こうして考えてみても、ついルジェーナが犯人ではないという前提で物事を判断している自分に気がついた。

 イェンスは小さく首を横に振り、そっと医師に近づいて尋ねた。

「死因はなんだと思われますか?」

「服毒死です。口から独特の香りがしますし、苦しんで喉を自分で引っ掻いた跡もあります」

「自殺か、他殺か……どちらにせよ薬か……」

 イェンスはそう呟くと、大きく息をはいた。ルジェーナは調香師だが、親の影響により薬に精通しているようだった。嗅覚が鋭敏なこともそれと無関係ではないだろう。

 そして彼女はきちんと調べれば、ルジェーナではなくシルヴィアという女性で、母親が夫殺しで処刑になっていることも判明する危険性がある。そうなれば、ルジェーナに対する心象が悪くなり、証言以外に証拠がなくとも実刑がくだるかもしれない。


 イェンスは不安げに自分を見つめるルジェーナを見て、自分の髪を無造作にかきむしった。

 イェンスはルジェーナを信じている。しかし二人の証人がいて、かつ男が毒を飲んで死んだことが明らかだというのなら、状況はルジェーナが犯人であると言っている。

 しかも彼女を表立って庇えば、イェンスはこの捜査から外されて、ますますルジェーナを助ける機会を失うことになる。

 一番いいのは、目撃者を見つけることだ。ルジェーナが何もしていないという目撃者がいれば、それで完全に白にはならないにしても、審議の時間は長引く。

 それにイェンスにはどうしても、あの二人の女性が何か秘密を抱えているように思えてならなかった。


 とりあえず聞き込みをしよう、イェンスがそう決めた時だった。

 馬の蹄の音が聞こえて、イェンスは振り向いた。すると十人あまりの男が馬と馬車でかけてきて、さっとイェンスたちのそばで止めた。

 その中央の人物は馬上からイェンスとルジェーナを見下ろすと、言った。

「その女、ルジェーナ・アストロガノフの身柄は、この我らが引き受ける」

 高らかにそう告げた男は、オマール男爵家の出身で、身分はさして高くないながら実力で大佐まで上り詰めた人物だ。

 風貌はさして人目をひくものではない。四十前後の年に見合う体型と顔立ちをしていて、髪の色もありふれた茶色だ。

 しかし軍服をきっちりと着こなし、威圧的な雰囲気をまとってそう言えば、大佐の風格というものが自然と滲み出るものだ。イェンスはその気迫に負けぬように、背筋を伸ばした。


「お言葉を返すようですがオマール大佐、殺人事件は警察部隊の管轄です。そんな横暴がまかり通るはずがありません。大佐は諜報部隊の所属ではありませんか」


 ここで退くわけのいかないイェンスは、ルジェーナより半歩前に進み出て、冷静な口調で言う。

 するとオマール大佐の後ろにいた男たちが五人ほど馬を降り、イェンスとルジェーナを囲んだ。彼らは無表情に二人を見つめている。

「君はイェンス・ヴェーダか。噂には聞いている。大変優秀で、弱冠二十二歳にして大尉だとか」

 オマール大佐はそういうと、フンと鼻で笑って言葉を付け足した。

「君がヴェーダでなければ、果たしてその階級があったかは甚だ疑わしい。全くいけ好かない男だ。鼻持ちならず、傲慢だな。私がこの場で最も階級が高いことは明白だ。より階級の高い者に従うのは、軍内の絶対の掟だろう?」

 オマール大佐の言葉の前半部分に関しては、イェンスも同意だった。ヴェーダでなければ、イェンスはまだ今の地位にいなかっただろう。そしてイェンスには、オマール大佐がイェンスのことをどれだけ嫌っていることが手に取るようにわかった。

 しかしながら、この理不尽に声も上げず従うことはできない。ルジェーナの処遇が気になるイェンスは、それに素直に頷くわけには行かなかったのだ。イェンスはさらに言いつのろうとして、ニーヴェルゲン中尉に後ろから腕をつかまれた。

「おっしゃる通りです。ただ、我々としても自分の管轄の事件がほかの人にゆだねられるというのは穏やかではいられません。その理由をお聞かせ願えないでしょうか」

 落ち着いた口調で丁寧に問いかけたニーヴェルゲン中尉を見て、オマール大佐は少し考えた後に言った。

「その女は、とある別の重大な事件の容疑者である恐れが浮上している」

「別の重大な事件? そんな無茶苦茶な……」

 イェンスが驚いて小さくつぶやくと、それを耳ざとく拾ったオマール大佐は目の端を吊り上げて言った。

「口調に気をつけろ、ヴェーダ大尉」

「申し訳ありません」

 彼に対しての言葉ではなかったが、聞かれてしまった以上仕方がない。

 イェンスは非常にあせっていた。ルジェーナがほかの事件にかかわっているというのはおそらく嘘だ。オマール大佐の目を見ていたイェンスは、彼が嘘をついていると直感的に感じていた。

 そうなると、彼にはほかの目的があることになる。他の目的といって思いつくのは、彼女がミル大佐の娘で、かつミル大佐殺しで捕まったユリアの娘であるということぐらいだ。つまり彼はルジェーナの素性をわかっていて連れて行くということになる。そうなればルジェーナがどうなってしまうか分からない。そもそも、ミル大佐を殺した犯人は軍の上層部、あるいは王族の誰か、もっというのならばカルミアの名を持つ誰かだと推察される。もし彼がそういう人間の指示に従ってルジェーナを連れて行くのだとしたら、六年前の事件を掘り起こそうとする不穏分子として、ルジェーナは抹殺されてしまう危険性がある。

 諜報部隊のオマール大佐は実力主義の人間だ。イェンスは貴族ではないといえど、彼らからしたら貴族のような特権階級に思えるのだろう。事実、イェンスの軍での昇進の仕方は普通のそれよりも早すぎる。彼は彼のような人間は貴族社会を嫌っているし、リシャルトが軍に入ってから改善されたとはいえ、いまだに残る軍内部の貴族の特権というものも看過できないようだ。そして、そういう人間は、自分の実力を認めてくれる人間に狂信的に忠誠を誓いやすい。


「くそ……」

 どうすればいい。イェンスは絶対に聞こえないように小さく悪態をつきながら、心の中で自分に問いかけた。

 どうすれば、ルジェーナを守ることができるだろうか。


「君は……ニーヴェルゲン中尉か。こんなに若くて未熟な男を上司と呼ぶのはさぞつらかろう」

 黙り込んだイェンスを見て、オマール大佐はふと思いついたようにそう言った。

「君が望むのなら、うちの隊に引き抜いてやってもいい。私は正当な評価を下し、上に願い出る」

 イェンスは思わずニーヴェルゲン中尉を見た。するとなぜか彼は微笑んで、緩やかに首を横に振った。

「ありがたい話ですが、私は今の階級に満足していますし、ヴェーダ大尉の階級についても、相応の評価であると感じています」

 その言葉はイェンスの胸を熱くさせた。オマール大佐に言われたことで詰まっていた胸のつかえがとれたような気分だった。

 しかし反対に、オマール大佐は明らかに不機嫌になった。そして部下に無言で指示をすると、ルジェーナを拘束させた。

「大佐!」

「なんだ? そんな目をしたところで、私はヴェーダの名には屈しないぞ。それに……その女に惚れたのか? 妙にかばいだてしているように見えるが」

 オマール大佐にそういわれた瞬間、イェンスはなぜかルジェーナと目があった。緑色の目と紫色の目が一瞬交錯した。そして、ルジェーナは小さく首を振ると、オマール大佐を見て言った。

「どうぞ取り調べてください。私は潔白です。もし私が裁かれるというのならば、それはねつ造された罪にほかなりませんから」

 イェンスはルジェーナの名前を呼びそうになって、できなかった。

 なぜか落ち着いた様子のルジェーナが、じっとイェンスを見つめていたからだ。彼女の目に魅入られたイェンスは、呼吸すらも忘れて、そこにたたずむことしかできなかった。

 しかしそれも一瞬のことで、すぐに彼女は視線をそらし、長い紫色の髪をばさりと振って踵を返した。

 そして促されるままに、証言したほかの二人の女性とともに馬車に向かって歩いていく。

 イェンスははっと我に返って彼女を追いかけようとしたが、再びニーヴェルゲン中尉に止められた。

「いけません。ここで彼らともめるより、本当の目撃者を探すべきです」

「ですが!」

「私には、彼女が濡れ衣を着せられるのを黙ってみているわけにはいかない理由があるんです」

「理由?」

「それは後でお話しします。ですが少なくとも、私も彼女が犯人だとは思っていません。あの二人の供述には怪しい点がありすぎます」

 ルジェーナを連れて行かれて冷静さを失っていたイェンスだったが、ニーヴェルゲン中尉もまた、自分と同じ判断を下したことで少し落ち着きを取り戻した。

「とにかく、本当の目撃者を探しましょう。この時間なので人通りは多くなさそうですが、足を止めなかっただけの可能性だってあります」

 ルジェーナの話を聞く限りでは、ほかに目撃者がいる可能性は大いにあった。要は、ルジェーナと死んだ男が接触していなかったということが証明できればいいのだ。彼女が毒を渡したという事実がなかったということを。それは容易な作業ではないが、このまま何もしないわけにはいかない。


「分かりました。それと……ありがとうございます」

 何をとは言わなかったが、それだけで十分に伝わったようだった。

 彼は口元をふっとほころばせると、人を安心させる笑みを浮かべて言った。

「私はただ、思ったことを言っただけですよ」


 ニーヴェルゲン中尉がいてくれた良かった。

 イェンスはそう、心から思ったのだった。 




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