兄と妹
王都の中心にある王城。そのさらに中心部の王宮の一角で、リシャルト・エノテラ・ヴェルテードは王子としての執務にいそしんでいた。
「そういえば……昨日のヴァルターの報告をお聞きになりましたか?」
近衛かつ側近のレナルド・シャブル―は、コーヒーを飲んでいる王子に話しかけた。王子は持っていたカップをソーサーに置くと、小さくため息をつく。
「ああ。イェンス・ヴェーダのことだろう?」
憂い気な表情をしても、整った顔立ちの王子の美貌は損なわれない。さらりとした銀色の髪をかきあげ、すっと青い瞳をレナルドに向けた。
「ルジェーナというあの娘に忠告していたところ、イェンス・ヴェーダが乱入して邪魔をした……ヴァルターは、そう報告してきた」
「ヴァルターは、とおっしゃっているところを見ると、私がヴェーダ大尉をかばいだてする必要はなさそうですね」
レナルドは少し微笑んで、そしてリシャルトの反応をうかがった。リシャルトはうなずくと、手元にあった書類をぱらぱらとめくった。
「ヴァルターのやり方が多少荒すぎたようだからな。イェンス・ヴェーダの正義に反したんだろう。それに……ヴァルターはイェンス・ヴェーダが気に入らないようだからな」
「かつての自分より出世の早いヴェーダ大尉をねたむなんて、子どもすることですよね」
レナルドが呆れた声でそういうと、リシャルトは苦笑して言う。
「忠誠心が厚いのはいいが、時々、自制が聞かないところがあるからな。熱すぎるというか、なんというか……ん?」
話の途中でリシャルトは扉に視線を向けた。レナルドはそれを見て、すぐさま扉の近くに移動する。すると彼がつくまでに扉がノックされた。
「失礼いたします。イザベラ殿下がお越しです」
レナルドは思わず足を止め、くるりと振り返ってリシャルトを見た。リシャルトは目を大きく見開いていたが、一度コーヒーを口に運ぶと、うなずいた。それを見たレナルドは、扉をゆっくりと開ける。
「おはようございます、イザベラ殿下」
にっこりと愛想良くあいさつしたレナルドだったが、いつもなら完全にいないものとして無視される。今日もそのつもりで心構えていたのだが、ベラと目があった瞬間、彼女に胸倉をつかまれていた。
「あなたなの!? ルジェーナの店に押し入ったのは!」
誰もこの瞬間のリシャルトの顔を見ているものはいなかったが、彼は目を白黒させていた。ベラがリシャルトの前でこのように感情を爆発させたのは初めてのことだった。
「ち、違いますよ! ヴァルターです。でもそもそも命じたのはリシャルト殿下ですよ!」
迫力に負けたレナルドは、あっさりと主人を売り渡し、後ろから飛んできた殺気に背筋をぞくりとさせた。そして後ろで小さくすみませんと言っているオーガスタと目があった。
「そう」
ベラはそう言ってつかんでいたレナルドの服を離すと、王女としてはかなり大股でリシャルトの前まで歩いて行った。そして彼の仕事机にバンッと右手をつくと、首を右に傾けて言った。
「報告があったわ。あなたが近衛を使って手切れ金をルジェーナに渡させたってね!」
ベラは自らの長い銀髪をすべて後ろに払いのけると、机を数度たたいて叫んだ。
「何が気に入らなくて、そんなことしたっていうのよ!?」
殺気だっているベラの前で、リシャルトは二つの理由から、まったく動くことができなかった。
一つは、ベラが自分に対してこんなに砕けた荒い口調で話しかけてきたことがなかったから。
もう一つは、手切れ金を用意したのは、ヴァルターの好意によるものであり、リシャルトは一切関与していなかったからだった。
「あの……イザベラ殿下」
「何だっていうの!? レナルド・シャブルー!」
腹の底から出されたその声に、レナルドは自然と背筋が伸びた。見つめられただけで相手を威圧する視線や振る舞いは、リシャルトにそっくりだ。レナルドはそう思った。
「リシャルト殿下が命じられたのは、ただ、殿下から距離を置けとルジェーナ嬢に忠告することだけです」
「……手切れ金に関しては、ヴァルターが勝手にやったことだと。その責任は彼本人が負うべきもので、あの男には一切ないというのね?」
冷たい声色だった。抑揚もなく淡々としていたが、しかし今までの感情を押し殺したベラの声とは違う。今の彼女からは、冷ややかな怒りがにじみ出ていた。
「い、いえ……一切ないとまでは申しませんが……」
「そうよね。当たり前だわ。そもそも、いったい全体、どうしてあなたは部下にそんな命令を?」
ここまで来て、ようやくリシャルトは混乱から立ち直った。そして、冷静さを装いながら言う。
「彼女がカトリーナと会っていたのを見た。イザベラが友人だと思っているあの彼女は、きっとお前のことを友人だとは思っていない」
この言葉を聞いて、普段は侍女としてめったなことでは表情を崩さぬオーガスタが、それはまずい、という顔をした。その表情の変化に気づいたレナルドも、慌ててリシャルトを止めようと口を開きかける。
しかし、リシャルトはさらに言葉を重ねた。
それがベラのためだと信じていたからだ。
「カトリーナ自体はさして害のあるやつではない。愚かで無知だからな。ただ、それでもカルミア妃が私たちを目の敵にしているのはわかっているだろう? 少しでも付け入る隙を見せてはならない。そもそもあのルジェーナという女は経歴が怪しすぎる。五年より前の経歴が一切出てこない」
「……なるほど」
ベラの声は氷点下の冷気を纏っていたが、リシャルトはそのことには気付けなかった。
ただ、オーガスタは、目を閉じて何かを祈るような仕草を見せたし、レナルドは小さく呻いて、額に手を当てた。
ベラは一度机を見回して、文房具が立てられている箱を見ると、リシャルトに視線を戻した。
そして、静かな声で言う。
「嫌い、大嫌いよ」
ぽつりと言われたその言葉は、オーガスタとレナルドには届かないが、耳の良いリシャルトには十分に届き、彼の動きを止めた。
「あなたって本当に嫌な奴だわ!」
今度の叫び声は、二人にも聞こえていたため、二人の視線はベラに向かった。
すると、ベラが目にも留まらぬ速さで机の上のハサミを抜き取り、リシャルトにその先をつきつけた。
「姫様!」
「イザベラ殿下!」
流石にまずいとオーガスタやレナルドが叫ぶが、イザベラは、一喝した。
「来ないで! この男に聞きたいことがあるだけよ」
リシャルトは、嫌いと言われた時よりは、ハサミを向けられた今の方が冷静だった。とはいえ冷水を頭からぶっかけられたくらいの気持ちにはなっていたのだが。
それに、軍人でもあるリシャルトは、ある理由から、ハサミを向けられてもあまり動揺していなかった。
「あなたは、アルナウト・ミルおよびユリア・ヴァン・ミルの死に関係している?」
リシャルトは意味が分からないとばかりに眉をひそめた。そして首を大きく横に振る。そしてむしろ問いかけた。
「関係も何も、ミル大佐は夫人に殺され、夫人は処刑された……違うのか?」
ベラはじっとリシャルトの青い瞳を見つめた。しばらくの間、二人は見つめ合っていたが、ベラはため息をつくと、ハサミを乱暴に文房具立てに戻した。
「よかったわ。第一王子を殺さずに済んで」
「……殺気は感じなかったが」
「! 私、あなたのそういうところも大嫌い」
ベラがハサミを下ろしたことに心底ホッとしたレナルドは、ベラの言葉の意味を問うようにオーガスタを見た。
すると、オーガスタはそっと囁いて答えを教える。
「姫様は、もともとその点では疑っておられなかったのですよ」
「なるほど。だからあれは動揺させるための演出だったわけですね……」
「聞こえてるわよ!」
かなり小さな声で話していたが、イザベラにもリシャルトにもそれは届いた。
「げ、相変わらずの耳の良さだ」
レナルドがそういうと、イザベラは振り向くほどは反応しなかったが、代わりにリシャルトが軽く彼を睨んだ。
「さて」
イザベラは、そういうと、右手を机についたまま、リシャルトを見据えて口を開いた。
「あなたの間違いを教えて差し上げるわ。まずその一、彼女がカトリーナに会いに行ったのは、彼女のとある目的のためよ。そしてそれは私も承知しているし、王宮で彼女が何を得て帰ってきたかも知っているわ」
「ある目的?」
リシャルトは反射的に問い返すが、ベラはそれには答えず先に進めた。
「次に、ルジェーナが私を友人だと思っていないことは、私も承知の上よ。あの子はとある理由から権力者が嫌いなの。でも、四年前に私が死にたいと言ったあの日、彼女が私を生かしてから、私は彼女のことを大切に思っているわ」
この言葉にはリシャルトのみならず、レナルドも驚いた顔をした。そしてレナルドは再び答えを求めるようにオーガスタを見る。
「私を答え合わせに使うのはおやめ下さい」
「いや、オーガスタさんなら知ってると思って」
「……姫様が生きておられるのは、ルジェーナ様のおかげですよ。それは事実です」
ベラはオーガスタが答えるのを待ってから、更に言葉を続けた。
「ルジェーナの経歴が出てこないのは当たり前だわ。私は彼女が何であり、何のために動いているか知っているわ。そして、あなたが彼女の秘密を暴こうとすれば、彼女は目をつけられて殺されるかもしれない」
「……それは、アルナウト・ミルの死に関係が?」
ハッとしたように言うリシャルトに、ベラは鼻で笑って答えた。
「優秀なあなたならこれだけで分かるでしょう?」
その声が今までになく棘があり、少し収まりかけていた怒りを大いに孕むことに、リシャルトでも気がついた。
ベラの赤い瞳は今、炎よりも強い輝きを持ってリシャルトを射抜いていた。
「私たちは無知で愚鈍で、無能だけどそれが何だっていうの! 四年前に言ったように、私はあなたが大嫌いよ! もうずーっと。あなたさえいなければって何度思ったことか!」
これは、リシャルトにとっては何の脈絡もなく、言われたことのようなものだった。彼は話についていけなかったし、妹に、存在しなければ良かったと思われるほど嫌われていたとは知らず、動揺していた。
「四年前? 何の話だ?」
「忘れたの? それとも、まさかレナルドは律儀に秘密を守ってたの?」
ベラが振り向くと同時に、真偽を問うリシャルトの鋭い視線もまた、レナルドに突き刺さる。
レナルドはさっと青くなると、ベラに言った。
「そんなこと、伝えられるわけありませんよ! リシャルト殿下が、どれだけイザベラ殿下を大切になさっていると思ってるんですか!」
「大切に?」
通常であれば、レナルドの言葉はリシャルトの株を上げさえしても、下げることはないものであった。
ところが、リシャルトに関しては少々冷静さの足りないイザベラには、それを素直に受け止めることが出来ない。
「大切な妹の友人奪うのが、兄の役目だとでも!? 母上の関心も、周囲の期待も、なにもかも奪って行った兄上が、今さら兄面しないでほしいわね!」
「イザベラ、お前は何の話をしている?」
「わからないの!? あなたが優秀すぎて嫌いだって言っているのよ! 私が何をどれだけ頑張っても、あなたには何一つ敵わない! みんな口を揃えて言うのよ! リシャルト殿下なら……ってね! 私は人並み以上ではなくて、いつもあなた以上か以下かでしか評価されない! それに、何でもできるあなたは、できない他の人を見下しているんだわ! そして、自分がいつも正しいと思っている。そうよね、あなたは有能で、なーんでもできるんですもの! あなたのカトリーナへの評価を聞いて確信したわ! あなたは私のことだってバカにしてるのよ! できの悪い妹の面倒を見てあげている、そんな風に思ってるんだわ!」
イザベラは全力で叫んだため、完全に息切れしていた。しばし呼吸を整えることに専念している間、リシャルトは初めて聞いたベラの本心に、何を言って良いのかわからずに呆然としていた。
レナルドは、ベラの本心を四年前に聞いていたが、まさかここまで根深い恨みだとは思っておらず、言葉を失っている。
しかしオーガスタだけは、ベラが本心を言い切ったことに安堵していた。この兄妹の一番悪いところは、相手に本音を伝えられないことだと知っていたからだ。
「最後に一つ言っておくわ。ルジェーナ……いえ、シルヴィア・ソレイユ・ミルについて、調べたり、ミル大佐の事件を掘り起こしたりしないでちょうだい」
リシャルトはルジェーナの本名を聞いても、驚かなかった。彼の中で、既にそれは予想されていた事実であるからだ。
「もしあなたが動いていることを黒幕に察せられて、ルジェーナの身が危険にさらされるようなことがあれば……」
「あれば?」
「私はきっと、あなたを殺すわ」
普段、滅多に他人の気迫に負けることのないリシャルトは、この瞬間ばかりは完全にベラに負けていた。
彼女の中に潜む激しい怒りが、殺気となって彼に突き刺さる。
「それと、パーシバルもこのことを知らないわ。事情を知っているのは、オーガスタと、イェンスと私だけ。もし、情報が漏れることがあれば、あなたか、レナルドのどちらかが漏らしたとすぐに分かるから」
「何故、パーシバルには言わない? あの男は信用出来ないのか?」
「信用出来ない男と婚約したりしないわ。私がパーシバルに何も言わないのは、あなたには理解できない理由から、よ!」
「理解できない理由?」
「私はもう帰るわ。ここに用はないから」
ベラは答えずに、さっと扉へと向かった。レナルドが扉を開けようとしたが、それを手で制して彼女は扉の向こう側へと消えていく。オーガスタも慌てて後を追おうとしたが、リシャルトに呼び止められた。
「オーガスタ」
オーガスタは悩んだが、結局、留まることを選択した。
「はい」
「イザベラは……ずっと私のことを嫌っていたということか? 私が……その……」
リシャルトなりに、嫌味にならぬ言葉を選ぼうとしたが、彼はうまい言葉を見つけられなかった。
そのためオーガスタが言葉を引き継いで言った。
「リシャルト殿下が極めて優秀であらせられるので、姫様は、何をしても認めてもらえないと思っていらっしゃいました。また、エノテラ妃殿下が、リシャルト殿下ばかりを気にかけるのが、幼心ながら寂しかったのでしょう」
「だが、それは……私にはどうすることもできない。違うか?」
「はい。仰せの通りでございます。それに、私どもはリシャルト殿下が姫様を大切に思っていらっしゃることも分かっております。だからこそ、ルジェーナ様のことを先走って行動なさったのだとも。ですが、姫様にとって、真実が正義ではございません。姫様にとってみれば、リシャルト殿下が原因で、様々なものを失ったのに、さらにルジェーナ様という親友まで取りあげようとしているように映ったのでございましょう。イザベラ様の主張がたとえ、少々幼い自分勝手な意見に思えても、姫様はそうやって考えなければ、きっと寂しさに耐えきれなかったのだと思います」
「つまり、私はイザベラにとって、いつでも悪者だと? いつもあんなに無表情を突き通していたのは、イザベラの性格ではなく、私が嫌いだったからというわけだな?」
リシャルトは自分で自分の言葉にショックを受けていた。イザベラの愛想のなさには困っていたが、彼女はそういう性格なのだと納得させていた。
逆に言えば、それほど厳密に、イザベラはリシャルトに自分の素顔を隠し続けていたのである。
「姫様は、確かに王家の皆様には無表情を貫くと決めておられました。ただそれは、おそらく姫様の意地なのです。たとえ顧みられなくても、自分は気にしていないと思わせたい故なのですよ。姫様はまだ子どもで、未熟な方でいらっしゃいますから。……それに、リシャルト殿下では、きちんと姫様の信頼を勝ち得ておられますよ」
「信頼?」
オーガスタは、リシャルトの問い返しに深くうなずきながら応えた。
「ルジェーナ様の秘密を共有しているのは、私と、イェンス様、そしてリシャルト殿下とレナルド様だけです」
厳密には、あと三人の侍女がこのことを知っていたが、オーガスタはイザベラの発言に合わせてそう言った。
「彼女の秘密は、命にかかわることですから、容易に明かしたりはなさりません。これは信頼に他ならないでしょう」
その言葉を聞いて、リシャルトは先ほどの疑問が再び頭によぎった。
「パーシバルに言わないのは……何故だ?」
これまでよどみなく話していたオーガスタは一瞬躊躇った。それを見ていたレナルドが横から助け舟を出した。
「これは私個人の意見ですが……おそらくイザベラ殿下は、パーシバル・セネヴィルを巻き込みたくないのですよ。イザベラ殿下は、ミル大佐と夫人の死には、皆が知っている事実とは異なる真相があると考えておられるのでしょう? しかしあれほど大きな事件の真相を捩じ曲げるならば、強大な権力が必要になります」
「そしてそれは……そうか。軍の上層部か、それ以上の権力……イザベラは王家を疑っているんだな? さきほどまでは、私すらも容疑者だった」
情報を整理しながら話すリシャルトだったが、ここまで言って、ふと、最初の疑問に立ち戻った。
「それで、どうして巻き込みたくないんだ?」
その問いに、レナルドは思わず天を仰ぐような動作をした後、小さな子に言い聞かせるようにゆっくりと言う。
「危険だから、ですよ。イザベラ殿下は、彼を危険に巻き込みたくはないんです」
レナルドは、そうですよね、と言うかのようにオーガスタに視線を向けた。彼女はそれに首肯した。
「だが……危険ならなおさら、パーシバルに手伝わせるべきだろう? イザベラこそ守られるべき対象だ」
レナルドとオーガスタは二人で目を合わせると、やれやれと言った様子で首を横に振る。オーガスタはこれ以上は埒があかないと判断しすっと一歩進み出ると、優雅な動作で礼をとった。
「これ以上は姫様にお咎めを受けるかもしれません」
「下がっていい。引き止めて悪かった」
「いえ。では、失礼いたします」
部屋から退出するオーガスタを見届けると、リシャルトはすぐに口を開いた。
「それで、一体どんな理由が?」
「イザベラ殿下は、セネヴィル少佐のことが好きなんですよ」
「スキ……好き?」
それはリシャルトにとって、まったく予想もしていなかったことだった。
まずそもそも彼は、イザベラに愛という感情があったとはとても思えなかったし、彼女は自分と同じで、合理的な理由でしか動かないとどこかで信じていたのだった。
「どうしてそんな予想外だったという顔をされるんです? あんなにヒントを差し上げたのに、ピンとこない殿下に私の方が驚きたいです」
「ヴァルターがいないと遠慮がないな」
ヴェルテード王国で、リシャルトにこのような率直な物言いができる人間は少ない。
彼の見た目が、それを躊躇わせるからだ。
しかしリシャルトは見た目の冷たさに反して、狭量な人間ではない。それを知るレナルドは、おどけたように肩をすくめて言った。
「ヴァルターの様に、妄信的に忠誠を誓いましょうか?」
「いや、それは困る。とにかく話を戻そう。つまり……イザベラは本当に、好きだから婚約したいと? いや、それはないな……イザベラは兄弟と関わる理由が欲しかった。おそらくは、ルジェーナ嬢のために」
「その点に関しては賛成です。好きだからという理由だけで行動できるほど、イザベラ殿下は素直ではありませんからね」
「素直ではない……?」
レナルドは、イザベラはリシャルトと同じくらい不器用で、自分に向けられた感情には極端に疎い。
イザベラは孤独から身を守るため、リシャルトは、彼に向けられる負の感情から身を守るため、無意識的にそうしているのだと考えられる。
しかしその自衛方法は諸刃の剣ともいえる。二人が揃ってそうだから、この兄妹の関係はここまでこじれているのだ。
ただし、リシャルトと違いイザベラの不思議なところは、自分に関わらない人間の機微は読めるらしいことだった。そういう面では、イザベラの方がリシャルトよりもっと捻くれてややこしい人間だとも言える。
「あのイザベラ殿下は、素直にセネヴィル少佐に好きだから結婚してと言える方じゃないということです」
「それは確かに、一理ある」
「それに……あの時、リシャルト殿下が、セネヴィル少佐に責任をとらせると言ったことも関係あるのでしょう。婚約するといえば、ある程度は看過されると踏んでいたでしょうから」
「本気で言ったつもりはなかったが……私は本当に警戒されているのだな」
「そうですね。それにしても……このこと、ヴァルターには?」
「……しばらくの間、黙っておく。関与もしない」
ヴァルターの件はレナルドの予想通りだったが、関与しないという決断したことは意外だった。
そのため理由を問うようにじっとリシャルトを見つめた。すると彼は冷めたコーヒーを飲み、カップをソーサーに戻してから、遠い目をして言った。
「イザベラは、主犯の人間に心当たりがあるはずだ。だから先ほど私にハサミを向けた時も、本気で威嚇はしなかった。今、私が下手に刺激するのは誰のためにもならない」
「では……何もしないと?」
レナルドが問いかけると、リシャルトはそれには首を横に振る。
「イザベラにやめさせられた家庭教師に話を聞け。私はとんでもない思い違いをしていたのかもしれない」
「思い違い?」
「彼女の能力について、だ。イザベラが何をどれだけできるかを調べて欲しい。それでようやく、父上の言葉を理解できそうだ」
「かしこまりました」
レナルドもあることに気づき、そして頷いた。
「それと、レナルド」
「はい」
リシャルトは、動き始めようとしたレナルドを呼び止めた。
そして、彼にさらにもう一つの命令を下した。




