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イェンスとルジェーナ  作者: 如月あい
三章 幻影を求めて

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彼女が向かう先

 ウェストロイド地区につながる跳ね橋を馬で渡るのは、一人の金髪の青年。濃い藍色の軍服を着ているため、跳ね橋を通過するときも、二人の兵士に敬礼されるだけで中に入ることができた。

 青年の拠点はルッテンベルク側の王城内にあるため、東側に向かって王城内の建物を抜けていく。

 そうして、ルッテンベルク側にある馬の洗い場に着くと、イェンスは自分の馬から素早く降りた。

 一度馬を外の綱木につなぐと、鞍を手早く外して脇に抱える。すると、馬房の中にいた馬番の少年が外に出てきて、青年にむかって元気よくあいさつした。

「ヴェーダ大尉。おつかれ様です!」

 この少年はいつもニコニコとしていて、相手を和ませる雰囲気を持っていた。

 馬もよくなついていて、特に警戒している様子はない。

「おつかれ。よろしく頼む」

 イェンスが少年そういえば、馬もまた、よろしくと言うかのようにブルブルと鼻息を鳴らす。

「はい! ヴェーダ大尉の馬はいつも元気ですね。馬を見ると、人柄がわかる気がします」

「褒めても何も出ないぞ」

「いえいえ、思ったことを言っただけですよ。だって、人によってはもう、ピリピリしすぎて、馬も神経質になってることもありますからね」

 少年は馬に見える位置から近づいて、そしてブラッシングを始めた。イェンスは邪魔にならないように、馬と少年から少し離れた位置に立つ。

「そんなものか?」

「そんなものですよ。ヴェーダ大尉は、”剣の家”なんていう名門の出のわりに、すごく気さくな方ですよね。こう、威張ってないですし。将校の皆さまは、やっぱりちょっと高圧的というか……お貴族様に至っては、階級に限らず僕なんかと話そうともしない人がほとんどですからね」

 軍内部に置いては、階級が上下関係を決める唯一の指針であり、生まれや育ちは全く影響されることがない。しかしながら、そうであっても、軍人以外を相手取るときに、どのようにコミュニケーションをとるかは、やはり生まれや立場によってかなり大きく左右されるものだ。

「ヴェーダ家は確かに何人もの軍人を輩出しているが……法律上はただの平民だよ」

「そう思っていない人は多いですよ。ヴェーダ家の軍における力はやっぱり強いと思いますし、注目も大きいです。ヴェーダ大尉が士官学校で優秀な成績を収めて入隊されたってことも、当然のように巷で噂になるんですからね」

 少年は一度ブラッシングの手を止めてそういうと、ぐっと伸びをした。イェンスは少年の言葉に返すべき言葉が見つからず、代わりに言った。


「そろそろ行かないと。後は頼んだ」

「はい! 頼まれました!」


 少年が元気よく言うと、イェンスは一度大きくうなずいた。そして、斜めにかけたカバンを一度確認する。

 今日の朝、スカーレット・イーグルトンに頼んでいた資料を取りにいったのだ。

 まだしっかりとは目を通せていないが、イェンスはこれを持って警察部隊の本部に向かうつもりだった。そのために馬の洗い場や馬房から離れて歩き始めると、本部のある方角に向かって歩き始める。

 まだ昼前の王城は、人の流れが安定しない。跳ね橋が閉まる直前であれば、人の流れの大半は王城の外に向かうし、朝は逆に王宮に向かって人が流れる。しかしそのどちらでもない今は、それぞれ用のある建物へと歩いていくので、無秩序に人が行きかっていた。

 イェンスは細い路地を抜けて、跳ね橋から王宮につながる大きな通りに出たところで、ふと一人の女性に目を止めた。

 腰まである長い淡い紫色の髪が、歩くごとに揺れている。彼女はその前を歩く、侍女について行っているようだ。

 イェンスは思わずその場から駆け出した。時折人にぶつかりそうになりながら、王宮の方へ向かう彼女の後姿を追う。

 そして追いついたと同時に、彼女が自分の知人だと確信し、そして腕をつかんだ。

「ルジェーナ」

 彼女が振り返った瞬間、大きなぱっちりとした目が、これでもないくらい見開かれてイェンスに向けらた。彼女の長い髪がふわりと舞い、そしてさらさらと重力に従って落ちていく。


 記憶中の女性と、ルジェーナの姿がすっと重なった。 


 イェンスはどうして今まで気づかなかったのかと自分で自分に問いかけるほど、彼女は、彼女の母親にそっくりだった。


「イェンス」

「どうしてここに?」

 イェンスの問いかけに、ルジェーナは困ったような顔をした。先を歩いていた侍女も、驚いてこちらを見つめている。

「調香師としての仕事よ」

「仕事? 王城内で……いや、王宮でか?」

「ルジェーナ様」

 侍女が鋭く名を呼ぶと、ルジェーナははっと気が付いたように首を横に振った。

「これ以上、話せないわ。依頼人との約束だから」

 ルジェーナはそういうと、すでに緩んでいた腕の拘束をほどき、再びイェンスに背を向けて歩いていってしまう。

 イェンスは追いかけるべきか否か悩んだが、彼女が王宮に向かうのならば、追うことはできない。今のイェンスは、王宮に入る正当な理由を持ち合わせていないからだ。

 諦めたイェンスは当初の予定通り、警察部隊の本部がある建物へと向かった。

 歩きながらも、ルジェーナがどうして王宮に向かったかについて考える。もしベラに会うのならば、ベラが自ら迎えに来るはずだ。それに、表向きは普通の、むしろ引きこもりの王女を演じているので、堂々とルジェーナを友達として王宮に引き入れることはない。

 それに、ルジェーナの素性をベラは知っているに違いないとイェンスは半ば確信を抱いていた。

 だからこそ、それにまつわる彼女の無茶をベラは止めないし、むしろ手を貸すのだ。

 

「イェンス!」


 考え事をしながら歩いていると、聞き覚えのある声がイェンスを呼び止めた。

 声の方を向くと、小麦色の髪をした女性がそこにいた。彼女は今まさにイェンスが会いたかった人なので、この幸運に思わずイェンスはぱっと笑顔になった。

「嬉しそうな顔ね? またこんなところに、って言われると思ったのに……」

 ベラが気味が悪そうにいうが、イェンスにはそれにいちいち反応している余裕は無かった。笑顔を引っ込めて用件だけ伝える。

「ちょうどよかった! ルジェーナを見たんだが、侍女服をきた女に連れられて王宮に向かった」

「なんですって! ルジェーナが? どういうことかしら……」

 赤い目は細められ、すっと形の良い眉が顔の中心に寄る。

「やっぱりベラも知らないんだな?」

「ええ。でも……あ、いや……」

 ベラは何かをいいかけて、そして言葉を飲み込んだ。まるでイェンスに言ってはいけないと思い出したとばかりに。

「ベラは……シルヴィアだと、知ってるんだな?」

「! それをどこで……?」

「思い出したんだ。俺たちは、会ったことがあったから。それにあいつの母親にも。まだあいつには言ってないが、そういうわけだから、何も言葉を選ばなくてもいい」


 しばらくの間、ベラは黙っていた。しかしイェンスが知っているということで、彼女の中で気が変わったようだった。

 ベラは悩んだ末に、自分の推測を話し始めた。


「でも侍女に連れられてるならきっと王族の誰かね。もし調香師としての仕事なら、二人の妃か、あるいは第四王女カトリーナ、第五王女のヴィクトリアと考えるのが自然ね。第一、二王女は嫁いでいて王宮にいないし、私は当然除外だから」

「二人の妃?」

 国王の妃は三人である。イェンスの記憶が正しければ、カトリーナが第二妃、ヴィクトリアが第三妃の娘だ。

「ああ。エノテラ妃はありえないわ。彼女は国王か息子からの贈り物しか身につけない主義なの。選んでもらうことを至上の喜びとしてるのよ」

「エノテラ妃は確か……」

「私を産んだ人」

 言い淀んだイェンスをよそに、ベラはあっさりとそういった。彼女の口ぶりは、まるで赤の他人について話すかのように淡々としている。

「とにかく、あの人自分で調香させるような女じゃないのよ」

「……。それなら、カトリーナ殿下とヴィクトリア殿下はどんな人なんだ?」

「噂は知ってる?」

「カトリーナ殿下は着飾ることが好きで、はつらつとした美人で、ヴィクトリア殿下は花を愛でるおしとやかで清楚な王女だと」

 王族というものは、公の場に出れば、必ず周囲が批評会を始め、それが徐々に浸透し尾ひれがついて市井にも出回る。

 ちなみにベラは、公の場にほとんど姿を現さないために、引きこもりだの無気力だのという噂が止まず、姿を見たものがほとんどいないためか、容姿については完全に語り手の妄想にかかっている。

「まあ、噂は当たらず遠からず。カトリーナは幼稚で無知。はつらつというよりは高飛車。母親に似て着飾るのは趣味みたいね。ヴィクトリアは、おしとやかというより、不思議な子よ。話が通じないの」


 ベラの批評を聞くと、先日の図書館で、ミーナが第四、第五王女について触れなかった理由が分かる。諜報部隊の彼女は、普通の人間よりも情報通なので、王城達についてより正確なことを知っていたに違いない。

 まだ人柄が曖昧なベラはともかく、下二人の王女は王位を継ぐことはありえないとミーナは判断したのだ。


「といっても、実は二人とはイザベラとして会ったことはあまりないの」

「イザベラとして、ということは、他の誰かとしては会ったんだな?」

「ええ。カトリーナには、ミラ・パユという研究員として。ヴィクトリアには、下女に扮しているときに」

 下女に扮していることもあるのか、とイェンスは突っ込もうとしたが、それ以上に気になる名前を彼女は口にしていた。

「ミラ・パユ? それは、あの天才発明家のリク・パユの親戚と言われてる人物だろ? って、まさか……」

「ミラは私よ。リク爺様は私が唯一、師あるいは先生と認める人間。彼に頻繁に会いに行くのに、親戚っていうのが一番怪しまれずにすむから」

 リク・パユの名は、ヴェルテード王国軍の人間ならば知らぬものはいない。天才科学者かつ発明家と名高く、武器はもちろん、通信機などありとあらゆるものを発明している人間だ。

 彼なくしては、王国軍の軍事力が二十パーセント低下するとまで言われるほど、彼の発明は様々なところに影響している。

 しかしリクは気難しいことで評判で、たとえ軍の大将が会いに行っても、門前払いすることもあると言われている。

「そうそう、もし私に連絡したいときは、ミラ・パユの名前で、彼の研究室の郵便受けに手紙を出してくれたらいいわ。そしたら私が受け取るから」

 どうしてリク・パユとそんなに親しい関係なのか、イェンスは非常に興味があったが、それをこらえて頷いた。

「それはわかった。それで、結局、ルジェーナは誰に会ったんだと思うんだ?」

「そうね……おそらくは、カトリーナか、第二妃カルミアかな。あとそういえば……第二王子のルカーシュも香水をつけていたかも」

「つまりカルミア妃とその子ども二人が香水好きなんだな?」

「そうね。実際のところ、その誰かだと思うわ。ルジェーナが仕事を受けたってことは。羊殺しの一件もあるし……」

 ベラがそれとなく言った言葉で、イェンスはパーシバルの言葉を思い出した。

「羊殺しの意味、知ってるのか?」

「どうして……いや、もちろん言ったのはパーシバルね」

 ベラは少しだけためらった後、じっとイェンスを見つめてから、辺りを見回し、そして低く押し殺した声で言った。

「カルミアには羊殺しって意味があるの」

「……そういうことか」

「パーシバルは知らないから、黙っていて」

「セネヴィル少佐を巻き込みたくないんだな?」

 深い緑色の瞳が、すっとベラを捉えた。その目は真剣そのもので、ベラの気も自然と引き締まる。

「そうよ」

 いつもならば咄嗟に否定してしまうベラだが、不思議なことにイェンスの前では素直に頷くことができた。

「それと先に言っておくわ。私、パーシバルと婚約する」

「おめでとう、でいいのか?」

 からかうこともなく、真剣な表情でイェンスはそう問い返した。それを見てベラは思わず笑みをこぼし、少しだけ首を傾げた。

「それはどうかしら? 向こうは少なくとも、ただの政略結婚のつもりだと思う」

「……好きなんだよな?」


「ええ。好き、大好きよ」


 赤い瞳はまっすぐに前を向いていたが、誰かを思い出すかのように遠くを見ていた。


「本人には言ってないから、秘密ね」

 ベラはウインクしながらそういうと、クスクスと堪えきれないとばかりに笑い出した。イェンスは全く意味が分からずに、ベラをただ見つめている。

「どうしてかしら? イェンスにはすごく素直になれるかも。パーシバルについてこんなに素直に話せたのは初めて」

「ルジェーナには?」

「ルジェーナにも言ってない。誰にも。イェンスにだけ」

「……そうか」


 ベラがもしパーシバルに素直に気持ちを伝えれば、きっと幸せな結婚ができる。イェンスはそう思ったが、ベラが受け入れるとは思えずに沈黙を選んだ。


「そう、それと、明日ルジェーナに確かめるから、時計塔の二回目の鐘が鳴った時に、ルッテンベルク通りの跳ね橋近くで待っていてね。じゃあ、また明日」

「え、ちょっと待て……!」


 勝手に予定を入れられたイェンスは、ベラに反論しようとした。

 しかしすでにベラはイェンスとは逆方向に歩き出し、ぽんと肩に手を乗せると、そのまま歩き去って行く。

 その後ろ姿をため息とともに見送り、警察部隊の本部へと歩き出したイェンスは、たった三歩で足を止めた。


「まずい……運命の人発言の訂正、まだできてなかったよな……」


 次にパーシバルに会ったときには、その話をしなければ。

 ベラとパーシバルのすれ違いの一端を担うイェンスは、自分の証言の重さを感じ取って、思わず髪をぐしゃぐしゃとかきむしったのだった。

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