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イェンスとルジェーナ  作者: 如月あい
三章 幻影を求めて
32/82

科学者と王女

 王城の北の外れに、大きくて四角い黒い建物が存在する。その建物は七階建てで、他の建物から頭がぽんと飛び抜けており異質な雰囲気を醸し出していた。

 その建物に、真っ白な白衣を着た小麦色の髪の女性が入っていく。髪をゆるく一つにまとめ、黒縁のメガネをかけた彼女は、一見、研究員にしか見えない。

 しかも彼女が使っている入り口は、来客用の正面玄関ではなく、研究員専用通用口だ。首から通行証代わりの名札を下げ、守衛室を通り抜けていく。

 そして階段で三階に登ると、廊下の奥まで歩き【実験中。入室禁止】と出された札を無視して、女性はノックすると、返事を待たずに扉を開けた。


「ひさしぶり! 518400秒ぶりに来てみたわ」


 小麦色の髪の女性は、扉を開けるなり、明るい口調でそう言った。すると部屋の中にいた人物は、即座に怒鳴り声を返す。

「素直に六日と言わんか! まどろこっしい」

 女性の目にはまだ、すぐに折れ曲がる突き当りの壁しか見ていない。部屋に入ると扉を閉め、三歩でいきなり突き当りに出る。そこを左に折れたら、ようやく書類が山積みになった机の角が見えた。その書類は机だけでは収まりきらず、床にまであふれている。

「爺様の計算能力が落ちてないかと思ってね」

 女性はなんのためらいもなく書類のあふれた床を歩くと、ようやく姿を現した男性を見つめた。書類の山でいささか顔が隠れているが、彼は座ったまま顔を上げて女性をにらみつけた。

「人を爺扱いするでない! まだ四十八だ! せめておじ様と呼べ」

 怒鳴り返した男性は、総白髪のため、彼の主張する年齢よりはかなり上に見えた。だからこそ女性はおどけた調子で切り返した。

「え、おじいさま?」

「違うと言っとるだろが!」

 男が声を荒げたことで、机の上の書類の山が崩れて、ぽろりと落ちた。しかし二人ともそれを気にすることなく、男は小さく息をついて書類に目を戻し、女性の方は、本棚の前に置かれた背もたれのない丸い椅子に腰をかけた。


「あら、そんなに怒ると血管が切れるわよ? 天才科学者および発明家のリク・パユさん?」

「これくらいで切れる血管なら疾うに切れとるわい。それとベラに天才と呼ばれると、嘘くさくてならん」

「心からの言葉なのに! それに、ほら見て! 今の私はミラ・パユよ」

 首に下げた名札をベラがかざしてみせると、リクは大きくため息をついて言った。

「お前のようなでかい娘を持った覚えはない」

 名札の偽造に携わったリクでさえも、まさか彼女が自分と同じ苗字を使っているとは思っていなかった。そのため、ミラ・パユはリクの遠い親戚で、時折顔を出す女性という認識が、すでに研究所内に出来上がっているのだ。

 ベラの正体を知っているリクとしては、親戚などと思われるのは厄介で仕方がないが、彼女の有能さを買っているリクはそれには口を出さないでいるのだった。

「あなたの娘はまだ十歳だものね。週に一度は会っているの?」

「874800秒は会っとらんな」

「十日と三時間も?」

「ああ」

 あえて三時間分足してみたリクだったが、ベラはあっさりと計算する。リクは常々、どうして城のものが彼女の有能さに気づかずに、根も葉もない噂を信じているのか疑問だった。

 そんなリクの内心を知らないベラは、目を大きく見開いて言った。

「私の方が高頻度だなんて! 家に帰りなさいよ、王城に住まないで」

「娘は今、反抗期真っ只中だ」

「早くない?」

「十八になっても反抗しとるやつもいるから、個体差だろう」

 それが誰のことかすぐに理解したベラは、リクを軽く睨んだ。リクは肩をすくめて視線をそらすと、机の上に置いてあった書類に手を伸ばす。

「そういえば、どこぞの王女がついに婚約するという噂がまことしやかにささやかれておるが……本当のところどうなんだ?」

「こんな研究室の奥にまで聞こえてくるなんて、下女たちの情報網ってすごいのね」

 半ば本気で驚いたベラがそう言うと、リクははっと鼻で笑って言った。

「お前さんの独断か」

「リシャルト殿下には報告したわ」

「肝心の陛下あいつには、まだ報告しとらんのだろう?」

「リク爺様はなんだかんだで陛下の味方なのね」

「あれが友人でなければ、色々と面倒な決まりの多い王城で研究する必要性がないからな」

 ベラの笑顔を十数年は見ていない国王ちちおやは、この研究室にいる彼女を見れば、心の中でリクに恨み言を言うに違いなかった。

 しかしそういうことを表面に出すことができないために、同族である娘には、子どもに無関心な父親だと誤解されている。

 故あって、国王と長い付き合いのあるリクは、ベラと他の王族の確執は、国王の不器用がそっくりそのまま遺伝したからだと確信していた。

 残念なことに、ベラと母を同じくする兄リシャルトもベラ以上に不器用なのだ。

 国王の優秀な遺伝子は、その才能だけでなく、欠点をも子供たちにそっくり分け与えてしまったのだった。

 そのため、数多くいる王子王女の中でも、特に親子、兄妹関係がうまくいっていないのがその三人であった。たいていは同じ母親から生まれた兄妹は仲が良いのだが、ベラは誰よりもリシャルトを嫌っている。


「噂話を広めたのは、確実に承諾してもらうため。リシャルト殿下が気になることを言ったものだから、念のために」

「気になること?」

「私にも王位継承の望みがあるようなことを。形式上はあるけれど、そんなのは無いに等しいと思っていたの。でも、もし少しでも次期王にと思われているなら、パーシバルとの婚約を素直には受け入れてくれない可能性もあると思ってね」

 ベラの読みは実はかなり真相をついていたが、リクは沈黙を選んだ。

「噂で確定事項のように流れれば、陛下も覆しにくいと思ったの」

「つまり、王位を継ぐ気は全くないんだな?」

「ない。向いてないもの」

「……そう思うのか」

 リクはつぶやいて、小さくため息をついた。

「そう思わないの?」

「それだけ頭が切れて、感情もコントロールでき、敵に一切の情けをかけぬ非情さがあれば、王位につけると思うがな」

「……それならリシャルト殿下で十分よ。すべてにおいて私に勝ってる」

 ベラの吐き捨てるようなセリフに、リクは何も言えなくなった。

 彼女の言い分に、否定すべき点が見当たらなかった。

 リシャルトは確かに有能で、王としての資質を備えている。そして、リシャルトはすべてにおいてベラより優秀であった。

 もしリシャルトがいなければ、間違いなく彼の浴びた脚光はすべてベラのものとなった。あるいはせめて順番が違っていれば、ベラが今のようにひねくれることもなかったはずだ。

 しかし現実は、違う。一番最初に生まれた王の子供が、一番出来が良いのは火を見るよりも明らかだった。


 王妃の興味も、国王の興味も、またほかの兄弟の嫉妬や羨望もすべてリシャルトが引き受けた。ベラに残ったものは何もない。少なくともベラはそう感じていた。


「そんな話はいいわ。研究はどう?」

「お前さんが連射式小型銃(ピストル)試用(・・)してくれたことで、だいぶ良いデータが取れた」

「距離が近ければライフルと変わらないくらいの威力があるわね。狙いも定めやすいし」

「お前さんの腕が異常に良すぎて、参考にはならんな」

「ふうん……それで、次はこれの研究?」

 ベラが足元に落ちていた紙を拾い上げると、それに目を通した。そこにあるのは無数の数式と、簡単な図のみだったが、それだけでベラにはそれがどんな道具か想像できた。

「なんの紙だ?」

「音声系の機器のようだけど」

「ああ……無線受信機器ラジオだな」

 リクはベラから紙を受け取ると、ざっと目を通しながら言った。

「ラジオ?」

「電波に乗せた音を受け取って、それを再生する機械だ」

「今度から開閉室に設置される通話機器テレフォンとは 別のもの?」

 跳ね橋の開閉室にある通話管は、いくつかの欠点がある。それを一挙に解決するのが通話機器テレフォンだ。

「違うな。あれは有線で機器を繋ぎ、音声を電気信号に変えて送受信する」

「通信する相手の機器の数だけ線が必要ってこと? それじゃあ実用化は厳しいじゃない」

「確かに理論上はな。だからこそ、解決策として交換所を設けることにした。その準備が整ったからこそ、ようやく開閉室に設置できるというわけだ」

 リクの説明は明らかに足りていなかったが、ベラはすぐに理解に至った。

「交換所……? あ、なるほどね。一つの場所に全ての線をまとめて、その都度一つ一つを繋ぐのね」

「そういうことだ。まずは全員、交換所に発信し、その後、交換手が通信したい相手に繋ぎ直す」

「でも、どうやって相手を判別するの? 同じ名前なんていくらでもいるでしょう?」

「機器に番号を振る。交換所一つにつき、三桁の番号を、そこにつないでいる個々の機器には七桁の番号を。それを組み合わせて、十桁の数を各々の番号とするわけさ」

「考えたわね。それで王城の北側に新たな建物が出現したというわけか」

「 開閉室の周りも工事をしていたようでな、知り合いの兵士に次は何を作ったのか聞かれたわ。発明したのは五年も前だというのに!」

 リクの発明は、時に技術や環境の問題で実用化に時間がかかることが多々ある。

 ベラの連射式小型銃ピストルも、ベラがライフルを小型にして、連射式にしたら便利なのにと無茶を言ったおかげで、リクが自ら作製してくれたものだった。それを応用して軍の不器開発部も生産に乗り出してはいるが、まだまだ大量生産は難しく、王族や軍の上層部に渡せるくらいしか生産できていない。


「それで、ラジオってなあに?」

無線受信機器ラジオは、音ののった電波を再生する機械だ。電波で受信するから線がいらない。一つの場所から多くの人間に同じ情報を伝えたい時に役に立つ」

「それ、実用化できそう?」

「やる気と時間次第だな」

「価値のわかる人間がいるかどうか、ね。でも実用化できるってことは、既に研究は完成してると言っても良いのね?」

「ふむ。そういう言い方もあるだろうな」

 リクが頷いたとたん、ベラが赤い唇をにっと釣り上げて笑った。リクはその笑みを見た途端、次にベラが言うであろう無茶を予想した。

「ね、それを応用したら、小型の無線通信機が作れるんじゃない?」

「小型の無線通信機? つまり一対多数の一方通行でなく、一対一で双方向に連絡のとれる機器を作るということか? 通話機器テレフォンが何故、有線だと思っとるんだ、まったく!」

「それは、距離がかなり遠いからでしょう? でも半径一キロ位に絞って、その機器を持ってる人間なら、誰でも受け取れるようにすればいいじゃない」

「盗聴は構わんということか?」

「ええ。少なくとも、しばらくは盗聴できる機器を持つ人間もいないでしょうから」

 リク・パユは伊達に天才と呼ばれているわけではない。ベラの提案をしばし考え、そして紙に簡単な図を描き始めた。

「大きさはどのくらいを求めとるんだ?」

「そうね、片手で持てるくらい」

「片手! 無茶ばかり言いおって。通話機器テレフォンも据え置き型だというのに」

 大げさに身をのけぞらせたリクは、ペンを机に放り投げてため息をついた。ベラは椅子から立ち上がると、机を間に挟んでリクの真正面に立った。

「でもそのくらいのサイズでないと意味が無いもの」

「できなくはないだろうが……そもそも無線受信機器ラジオも実用化しとらんのに、受信と送信を両方兼ねる機器とは頭が痛いな……」

「何が問題なの?」

「何が! それはもちろん、どうやって片方を受信機、片方を通信機として切り替えるかだろうな。切り替えは技術的にはできる。ただし、お互いの顔が見えない位置で話す時、どうやって相手に自分が話す、相手が話すと伝える?」

「だから無線受信機器ラジオなのね。発信者がいて、それを不特定多数の受信機が受信するから」

「ああ。だが双方向ともなると、やはり先ほどの問題が浮上してくる」

「それは……確かに難しい問題ね。何か、ないのかしら。画期的な方法が」


 ベラは腕を組むと、視線だけで天井を見つめながら考えた。その様子を見ていたリクは、彼女の真剣で、しかし楽しげな表情を見て、深くため息をついた。

「王女であることが惜しいな」

「……ありがとう。私は良い生徒で、助手でしょう?」

 ベラは小首をかしげてそういうと、照れたように笑って椅子に戻った。

「無理難題を押し付けるおてんば娘でもあるがな」

「ふふ、そうね。ああ、もし……私が王女でなければ、学校に行ける生活をしたかったわ」

 ベラは穏やかに微笑んだまま、そんなことをぽつりと言った。

「きちんと、一位以外の人間も評価されるような……そんな学校に、ね」

 彼女の言葉が明らかにリシャルトを意識していることをリクはすぐに悟った。彼女は背もたれのない椅子に座ったまま、何かを考えるように天井を仰いでいる。

「ベラなら……作れるかもしれんが」

「作る?」

「学校をだ」

 思わぬことを言われたベラは、目を何度か素早く瞬いた後、一度大きくうなずいた。

「それは……面白いかもしれない。……私がやるべきことを終えたら、挑戦できるかしら」

 ベラはまた椅子から立ち上がって、ゆっくりと扉の方に向かって歩き始めた。

「やるべきこと? そうだ……何のために無線通信機がほしいんだ?」

 後ろからリクが呼び止め、ベラは足を止める。

「言えないわ。師として尊敬しているし、なんだかんだ私のわがままを聞いてくれるリク爺様には感謝してる。でも……爺様に話したことは、やっぱり陛下に洩れる危険性があるもの」

 

 イザベラ・エノテラ・ヴェルテードという人間は、根本的に家族というものを信用していなかった。彼女には三人の母と、一人の父親、彼女を除き八人の兄弟姉妹がいたが、ベラは孤独だった。 

 そんなベラを嫌というほど知っているリクは、書きかけていた図案を机に投げ出して、かすかに身を乗り出した。


「それなら……パーシバルにはすべてを話すのか? お前さんの絶対的な味方だろう?」

「……パーシバルには、違う理由で話せないのよ」

「好きだからか?」

「好き?」

 ベラは一度言葉を切り、じっとその赤い瞳でリクを見つめた。リクはその目から視線をそらすことができなかった。

 彼女は笑っていたが、同時に、悲しげに目を伏せた。

「さあ? どうでしょうね。今日はこれで帰るわ。また、すぐに遊びに来るから」

「ちゃんと研究を手伝いに来るんだぞ!」

「分かってるって。いい案を持って来るわ」


 ベラはひらひらと手を振って、部屋から出ていく。

 取り残されたリクは、机の上に片肘をついて、頭に手を当てた。

「馬鹿な奴だ……。自分に関してだけ、妙にあきらめるのが早すぎる」

 そして手元に残った、ベラからの”注文”を書いたメモを見た。リクは数度指で机をたたくと、再びペンを走らせ始めた。

「無茶しなければいいがな……まあ、パーシバルがどうにかするか」




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