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イェンスとルジェーナ  作者: 如月あい
一章 出会い
3/82

無鉄砲な彼女

 ルッテンブルク通りから伸びている脇道の一つを更に進んだ一番奥。その場所に構える背の高い店には、香水専門店と書かれた札がかかっている。

 その店は薄汚れたレンガでできた建物で、窓ガラスは長年の汚れと傷で中の様子を伺えないほどに曇っている。こんな建物の中で香水を売っていることも驚きだが、この店の店主が年若い美女であるとは、誰も想像できはしない。

 

 イェンスはまだ、自分の前を先導して歩くルジェーナという女を完全に信用してはいなかった。彼女の淡い紫色の髪が左右に揺れるのを見つめながら、周囲を警戒して視線を巡らせる。

 左手にはぎっしりと家々が立ち並んでいる。ただし、こちら側には窓しかなく、入り口は逆のほうにあるようだ。そして右側には水路があり、その向こう側には家がある。

 つまりこの場所は待ち伏せして誰かを襲おうとするなら、今イェンスが通ってきた道の手前、角を曲がる直前で潜む必要があるのだった。


 そんなイェンスの分析を知らぬルジェーナは、古ぼけた自分の店の入り口の前で立ち止まると、鍵を取り出した。

 そしてドアノブを上にあげながら、体に引き寄せるように引くと鍵を穴に入れて回した。

 新型の鍵だ。見た目は古い店でも、防犯には気を使っている。

 かちゃりと音がして鍵を開けると、ルジェーナはドアを少し強めに押し開けた。きしきしとドアがきしむ音がする。彼女はそのまま店の中に入ると、扉を抑えてこちらを覗いた。

「どうぞ」

 イェンスはもう一度周囲を確認した。不審な影はない。

 一度息をついて、店の中に入った。


 店の中に入ると、イェンスにとっては意外なことがいくつかあった。


 まずは店の外観からは信じられないほど店の中が明るいことだ。斜めにかかる屋根につけられた南向きの三つの窓から、太陽光が差し込んでいる。日が沈むまでに三時間あるとはいえ、驚異的な採光量である。建物がたくさんある場所でも、周りに高い建物がない分、採光を妨げられないようになっていた。

 窓の前は簡単な手すりのついた廊下のようになっており、右側の窓の下にドアが一つ、そのドアとは違う側面にもう一つドアが見える。


 次に、香水だけを売っているのかと思っていたイェンスの予想を裏切り、店の中には様々な薬草や花にあふれていた。むしろ薬屋のような印象を受けるほどだ。


「それで、これは何なんですか?」

 イェンスはポケットに手を入れて謎の薬物を取り出そうとした。しかしそれはルジェーナの声によって止められた。


「待ってください。それを説明するより先に、こちら側に来てもらえますか?」


 ルジェーナは手招きすると、イェンスを自分の方に導いた。イェンスは回り込んでカウンターの裏側に行くと、ルジェーナがカウンターの下を指差して言った。

「ここに」

「ここ?」

「いいから、はやく」

 どこか焦ったような声に押されてイェンスはカウンターの下に潜り込んだ。案外丁寧に掃除されている床には、さして埃はない。カウンターの下には横たわる金属の棒が無造作に置かれており、何故かそれも丁寧に手入れがされているようだった。しかし、掃除してある割には、こんなところに棒を置きっ放しになっているのが不自然だ。

 イェンスは棒をまたいでカウンターの奥にある扉の方に向きなおると、この棒の意味を問うために顔を上げた。

 ルジェーナもこちらを見ると、唇に人差し指を当てた。そして反対側の手でカウンターの下にある棒を指さして小さくうなずく。

 イェンスが両手で棒をつかんだと同時に、扉がキシキシと音を立てながら開いた。それに続いて微かな足音が床から伝わってくる。

 足音を殺していて分かりにくいが、おそらく大柄の男だ。なぜなら七歩で歩みをとめたからである。

 そしてそんなイェンスの予想はぴたりと当たっている。


「こんにちは」

 朗らかな口調の男である。声は低めのテノールだが、威圧的な雰囲気ではない。しかし顔立ちは強面なので、ルジェーナは少しだけ緊張しながら、それでも商売人として笑顔を見せた。

「こんにちは。この街一番の薬屋からようこそ」

「私は初めて来たはずですが」

 男の声が微かに低くなった。

「そうですね。でも、ミミツジの葉を扱っているのはそこだけですよ。それにお得意様ですからね」

「それは……確かにそうですね。私は香水を買いに来たのではありませんから」

 男はまだ警戒を解いていないようだった。ミミツジの葉の香りがどんなものかイェンスにはさっぱり分からなかった。

 男も当然わかってはないが、話を合わせていた。

「何をお求めでしょう?」

 ルジェーナは単刀直入に聞いた。

「アーギルの花弁と、夢時雨の根を」

 男はすばやくそう回答した。

「よくご存知ですね。アーギルは確かに花弁は香料にならないし、夢時雨は逆に花弁しか香料としては使えません」

「ええ。ですからここでなら安く譲っていただけるかと思いまして」

 男がもう一歩どちらかの足をカウンターに向かって踏み出した音がした。イェンスは思わず金属の棒をつよく掴みなおし、息を殺した。冷たかった金属の棒は、あっというまにイェンスの体温であたたまっている。


「ところで、チダン花はご入用ですか?」


 何気ない口調でルジェーナが問いかけた時だった。堅い金属音のあと、何かが空を切る音がした。とっさにイェンスが顔をあげると、太陽光に照らされた刃が、ルジェーナの首の右側に突き付けられていた。

「どこまで知っている?」

「穏やかじゃないですね」

 ルジェーナはまったく焦らず、のんびりとそんなことを言った。

 カウンターの下にいるイェンスはどのタイミングで飛び出していくか計算しながら、棒を持つ手に力を込める。

「答えろ」

「実は最近、気になるモノを見たんです。隣国ではすでに違法薬物として取り締まられているけれど、この国ではまだその範疇には入っていないモノを。でも危険物取締法には違反しているから、どのみち捕まるでしょうね」

「何故、これがその材料だと知っている?」

「現物を、要するにセントルラの毒薬を見たって言ってるじゃないですか。確かにごまかすためにいくつか他の香草なんかも混ぜてあるけれど、実際にその薬の薬効を作っているのはその三つの材料でしょう? その三つを混ぜたら非常に毒性の強い薬ができます。しかも、そのどれも水に溶けやすい」

「だからどうしてその三つが材料だと分かる?」


「香りだけで分かるんです。私は調香師ですから」


 ルジェーナはそう言った瞬間、かすかに左足に重心を乗せ、ふらりと倒れるように力を抜いた。それを見逃さなかったイェンスは、すかさず棒を持つ左手を押し下げ、右手は逆手に持ち替えた。そして左手は棒を持ったまま背中のほうに引き、右手を押し出すようにしながら立ち上がり、棒で剣を受け止める。

 棒を押し出して剣をはじくようにし、その反動で一歩後ずさる。そして棒を右斜めまえに突き出しながら右手を左手の方にスライドさせると、そのまま男をひっぱたくように横に棒を振るった。

 男は急に現れた棒に打たれまいと、左ひじを曲げ、持っていた剣を下に向けてイェンスの棒を受け止めようとした。しかしイェンスが両腕で握って振るった棒を受け止めるには、片手では力が足りず、そのまま剣は払われて棒に巻き込まれて男の手から離れた。

 手から離れた剣はルジェーナの眼前を通り過ぎ、イェンスから見て右側の壁に激突し、いくつかの瓶を粉々にしながら床に落ちる。


 派手な音ともに、その場に広がる強烈な香りに辟易しながらも、イェンスは男を捉えるために今度は棒を真正面に突き出した。

「ぐっ」

 男の胸に棒が入り、男はうめきながらその場にうずくまる。それでも男はすぐに立ち上がって逃げよう試みたが、今度はルジェーナが手元にあった瓶を投げつけた。

 それはまっすぐと男の頭に当たり、男はその場に倒れた。つまり気絶した。

 イェンスは左手に棒をもち、右手を付いてカウンターを飛び越えると、持っていた捕縛用の縄で男を拘束する。


「ほら、言ったとおりでしょう? 店に来れば分かるって」


 男を拘束し、イェンスが一息ついた瞬間、ルジェーナのどこか得意げな声が耳に入った。その呑気な様子に、思わずイェンスは怒鳴り返す。

「ほらじゃない! どうしてこんな無茶をしたんだ! 危ないだろ!」


 ルジェーナの首筋には、細く赤い跡が線を引いている。動いた際に切れたのだ。

 イェンスは持っていた布をルジェーナの首に当て、彼女の右手を掴んでそれを抑えさせた。

「あ」

 イェンスは思っていたよりも近づいてしまったために、彼女の薄紫色の瞳に自分の苛立った顔が写り込んでいるのを見つけてしまった。

「でもまあ、本職の軍人さんがいましたし」

 慌ててイェンスが身を引くと、ルジェーナも明後日の方向を向きながら、布をしっかり抑えたまま軽い口調でそんなことを言う。

「いくら軍人といえど、素人を庇って戦うのは難しいことなんだ!」

「でも上手くいきましたよ?」

「それは結果論だろ!? もし大怪我をしたらどうするつもりだ!」

 ルジェーナがまったく自分の身を大切にしていないように思えて、イェンスは無性に腹が立ち、彼女を怒鳴りつけた。しかしルジェーナは小さく肩をすくめて言う。

「心配してくださってありがとうございます。でもあの薬屋の尻尾も掴めたし、違法薬物の正体もセントルラの毒薬だって分かったし、いいことづくめでしょう?」

 一瞬、実は調香師というのは嘘で、本職は傭兵か何かなのではとイェンスは考えた。が、すぐにその考えを否定した。

 一連のルジェーナの言動を見る限り、彼女のたぐいまれなる嗅覚は認めざるを得ないし、この店に並べてあるのは確かに香水であるというのも、瓶を割ってみて分かった。


「とにかく、二度とこんな真似するなよ」


 いつもよりかなり低い声で脅すように言ったが、ルジェーナは首を横に振った。

「無理です。こういう性分なもので」

「無理とはなんなんだよ、無理とは!」

 イェンスは呆れたようにそう言いながら、じっとルジェーナを見つめる。

 ルジェーナもまた、何かを考え込むようにじっとどこかを見つめていた。


「片付けなきゃ」


 少しイェンスが考え込んでいると、ルジェーナはどこからか取り出したバケツに、割れてしまった香水の瓶の破片を左手で投げ入れた。瓶の破片がバケツの側面にぶつかり、ガランと音がしてから底に落ちた。

 自分が割ってしまった自覚のあるイェンスは、次を拾おうとする彼女の腕を掴んで止めた。

「指示をくれればやる。怪我をこれ以上増やされても困るからな」

 ルジェーナは何かを言いかけたが、イェンスの目を見て小さくためいきをついた。

 そして立ち上がると、溢れた香水を避けるようにしてカウンターの裏に回り込む。

「窓を開けてくるので、とりあえず瓶の破片を拾ってください」

 彼女はそう言い残してカウンター裏の扉を開けた。

 あの扉の向こう側に階段があって、上のむき出しの廊下に出れるようになっている。

 イェンスはルジェーナが扉の向こう側に消えていくのを見送った後、言われた通りに散らばった瓶の破片をバケツに放り込んで行く。どうやら割った瓶のいくつかはかなり純粋な香水だった。香りがとにかく鼻につく。調香師として慣れている彼女には耐えられるのかもしれないが、香水とは無縁のイェンスにとってはむせ返りそうな匂いだ。


 それをどうにか堪えてイェンスが瓶のかけらを拾っていると、上の方からミシミシと木が軋む音がした。

 思わず左上を見上げると、ルジェーナが長い棒を持って窓を押し開けている。

 窓が開いた瞬間、ぐっと香りが強まって部屋の中を駆け巡ったような感覚に陥った。風が部屋に巡ったことで溜まっていた空気が循環したようだった。

 それによってたくさんの香りを一気に吸い込んでしまったイェンスは、耐えきれずにむせた。

「けほっけほっ……」

「大丈夫ですか?」

 むせていると、上からルジェーナの声が降ってきた。

 イェンスは大丈夫だと答える代わりに左手をあげ、一度立ち上がって新鮮な空気を吸った。

 そして再び落ちているガラス片をバケツに放り込む。だいたい拾い終えるたところで、ルジェーナが下に降りてきて、雑巾で溢れた香水をぬぐいとっていく。

 手伝おうかと思ったが、やはりやめておくことにした。なにせ香水の扱い方に慣れていないので、下手に手伝って床を傷めては本末転倒だからだ。

「だいたいこれでいいです」

 ルジェーナは瓶を割った経験があるのか、手際よく片付けた。たまにイェンスも指示を受けたが、後半はほとんど彼女一人で片付けたと言っていい。


「すみませんでした。瓶を割ってしまって」


 不可抗力とはいえ商品を壊したのは事実だ。イェンスはそう思って謝ったのだが、何故かルジェーナは不思議そうな顔をして首をかしげた。


「あれ、戻ってしまったんですね」

「え?」

「口調ですよ。さっきみたいに話してもらった方が、分かりやすくていいです」

 

 ルジェーナがにっこりと笑って言う。

 思わぬところをつかれたイェンスは、しばし言葉を失った後、大きく息をついた。

 言われてみれば、自分の古くからの友人を除けば、こうやって敬語を忘れて話したのは久しぶりだ。

 いつもは冷静と言われているイェンスも、彼女のような無茶をする人間には黙っていられなかった。


 でも不思議なのは、彼女は強く生きるという意志を感じられるのだ。

 無鉄砲ではあるが、計算のある無茶。多少ケガをしても、命は助かるだろうという見込み。

 そんな危なっかしいルジェーナの前では、何故かイェンスは自分の感情を上手くまとめられなかった。

 放っておけば良いのに、そうはさせてくれない何かが彼女を司っている。

 だからだろうか。

 次の瞬間に自分から出た言葉は、イェンス本人も驚くものだった。


「じゃあ、お前も崩した口調で話せよ」

「え?」

 ここでイェンスは目線を下に下げて、驚いた様子のルジェーナは見ないことにした。

「それでおあいこだ」


 口調こそ淡々としたものだが、イェンスの体は内側が燃えるように熱くなっていた。まるで溶岩をそのまま飲み込んだかのようだった。

 体全体が脈を打つ。

 体の全てが耳になったかのように感じられるほど、鼓動の音がうるさかった。

 緊張しているのだ。とイェンスは分析した。


 もっと正確に言えば、目の前の女の反応が怖いのだった。


「そうですね。ううん、そうだね」

 はっとして視線をあげれば、イェンスを惹きつけてやまない笑顔がそこにある。

 

「そうするね! よろしく、イェンス」

「ああ、よろしく――」


 ――ルジェーナ。そう呼ぶのは何故かためらわれて、イェンスは心の中で言うに留めた。


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