責任を
ヴェルテード王国の王宮の一室で、第三王女イザベラ・エノテラ・ヴェルテード、通称ベラが身支度をしていた。
彼女は大人しく椅子に座り、今日は染めていない長い銀色の髪を侍女に結われるがままになっている。
ベラのまとうドレスは、腰でデザインが切り替えられているものだ。上側は白い布を使って胸と肩をふんわりと覆っている。切り替えより下は藍色の光沢がある布で、ところどころに小さな宝石があしらわれていた。
横幅の長い目には、それをさらに強調するような黒いラインを引かれ、くっきりとした目のがさらに力を持っている。目に近い位置にある淡い色の眉も綺麗に整えられ、もとより白い肌には申し訳程度に化粧を、唇には真っ赤な口紅がひかれている。鏡に映る赤い瞳は、自分の髪を結う侍女を見つめていた。
「これ、あの二人が見たらなんていうかしらね?」
他の侍女もいるので名前は出さず、ベラは問いかけた。
「驚かれるでしょうね」
髪を結っているシスラは正直に答えたあと、ふと手を止めて言った。
「これが本来あるべき姫様の姿ですよ」
「そうね。でもこんなの毎日やってたら支度に時間がかかりすぎ」
ドレスと髪型を指してベラがそういえば、シスラは再び髪を結いながら、正論を言う。
「こんなのを毎日やるのが王女様ですよ」
「……」
返す言葉のないベラは、再び黙って鏡を見つめ続けた。
いつもは二十分程度で終える支度を、たっぷり一時間半は使って丁寧に仕上げられたベラは、まさしく王女という姿をしていた。
ドレスをまとい、染めていない美しい髪を、髪飾りも使って華やかに結いあげ、化粧もいつもより丁寧に施されたベラは、十人が十人とも声をそろえて美しいと言うに違いなかった。
「さて。じゃあ行こうかしら」
ベラは立ち上がると、優雅な仕草で振り返る。
「オーガスタはついてきて。あと、シュゼット、あなたも来なさい」
ベラの一言で、部屋にいた侍女全員の手が止まった。名を呼ばれたシュゼットは、どうして自分が選ばれたのか分からず、目を瞬いている。
「姫様、お言葉を返すようですが、シュゼットはまだ未熟で、リシャルト殿下の前に出るにはちょっと……」
オーガスタは慌ててそう言ってベラを止めるが、ベラは首を横に振った。
「来るのよ、シュゼット。私の部屋着はほら、シスラに渡して」
シュゼットはぼんやりとその場に突っ立っていたが、シスラはすぐに動いて彼女の部屋着を奪い取った。そして、状況を飲み込めていないシュゼットの背中を押す。彼女は茶色のおさげを揺らしながら、慌てたように歩き出した。
オーガスタも普段とは違うベラの様子に、それ以上の諫言はしない。
ベラが歩いて扉に近づけば、侍女がすぐさま扉を開けた。そして、 ベラは廊下に出ると、ゆっくり、堂々と歩いた。
彼女のヒールの靴は、今日は無駄に鳴ることはない。なんの仕掛けもないが、宝石がふんだんに使用された華奢なデザインのものだった。
三人は同じ建物にあるリシャルトの部屋に行くと、まずはオーガスタが扉をノックした。
すると扉が開かれ、リシャルトの側近が姿を現した。茶色の髪に明るい青色の瞳を持つ彼は、洗練された動きで礼をした。
「お待ちしておりました、イザベラ殿下」
「……」
ベラは全くニコリともせずに側近を一瞥すると、そのまま部屋に入った。
「相変わらず嫌われていますね」
彼は肩をすくめて言うと、オーガスタが代わりに礼を言う。
「おはようございます、レナルド様」
オーガスタが部屋に入った後、シュゼットはレナルドと目を合わせたが、すぐに頭を下げ、静かに後についていく。
第一王子リシャルトの応接間は、彼の性格を現したようにきちんと整っていて、無駄のない部屋だった。
ソファが、四つ真ん中の机を囲むようにして並べられている。
リシャルトは奥側のソファに座っており、ベラはその向かいのソファにゆっくりと腰かけた。普段あまり着ないドレスも完璧にさばき、すっと顔を上げる。
ベラについてきた侍女二人は、壁際に寄った。
「イザベラ殿下。お飲み物はいかがいたしましょうか?」
扉先で無視されたレナルドは、それでも愛想よく微笑んで、ベラに尋ねた。
「ゼルベルスーチョン」
しかし、無表情で即答したベラに、レナルドはしばし固まった。
笑顔も凍る一言だった。
ゼルベルスーチョンは、リシャルトが苦手な銘柄だ。しかもかなり香りがきつい。
「……かしこまりました。リシャルト殿下にはいつもと同じものをお持ちします」
最後はそういって頭を下げると、彼女が所望した茶を淹れるべく、部屋を退出した。
「耳が早いな。私がゼルベルスーチョンを初めて飲んだのはひと月前だ」
リシャルトは大きくため息をつくと、青い瞳を目の前に座るベラに向けた。
「リシャルト殿下があのお茶をお嫌いとは、存じ上げませんでした」
表情を変えず、淡々とそんなことを言ってのけるベラは、まるで人形のようだった。無機質で冷たく、表情が読み取れない。
「……ああ。香りが嫌いだ」
「そうですか。それは失礼しました。次からは気を付けます。でも、寛大な殿下は、もちろん私が目の前でそれを飲むのをお許しくださるでしょう?」
「妹の頼みとあらば」
「ありがとうございます」
「前回はわざわざ薬草茶を手土産に持ってきたし、その前は蜂の佃煮を珍味だと言って持ってきていたな」
「薬草茶は殿下の健康を考えて、蜂は珍味を殿下にも味わっていただきたくてお持ちしました。すべて私の好意です」
好意という言葉をさらりと口にしたベラは、まったくそれを感じさせない、無表情で抑揚のない声と表情をしていた。
「お前の”好意”とやらは随分と刺々しい。昔からイザベラは、私の嫌がることをするのが好きなようだ」
「はっきりと嫌とおっしゃっていただかないと、私はリシャルト殿下と違って物分かりが悪いのです」
「はっきり言おう、イザベラ。その呼び方は止めろ」
「かしこまりました」
後ろで控えているオーガスタと、リシャルトの二人いるうちのもう一人の側近ヴァルターは、兄妹とは思えぬ冷たいやり取りを見ても、表情一つ変えなかった。これはつまり”いつものこと”だった。
しかしシュゼットは、ベラの変貌ぶりについていけず、唖然として口が開いてしまっていた。
シュゼットはベラが人形姫と呼ばれているのを知っていた。しかし実際に会ってみて、それが単なる噂に過ぎないと思っていたのだ。しかし今、まさに彼女は人形姫という言葉がしっくりとくる。シュゼットはそう感じていた。
陶器の人形のように、無機質で、表情がなく、冷たい。
「本題に入る前に、一つ簡単な用事を片付けておきましょう」
「用事?」
いぶかしげにリシャルトが問うと、ベラは首だけを後ろに向けた。
「シュゼット」
「はい!」
「来なさい」
ベラに呼ばれたシュゼットは静かに前に出た。そしてベラのソファの横にまで進み出る。ベラはそれを見届けると、リシャルトに向き直った。その勢いでベラの髪飾りが高い音を立てて揺れる。
「本名は、シュゼット・アドルナートで間違いないわね?」
「はい」
シュゼットからはベラの表情は見えなかった。しかし彼女の声色がいつになく冷たいことには、シュゼットも気づいていた。
「お待たせしました」
扉が開き、レナルドがコーヒーとゼルベルスーチョンをもって部屋に入ってきた。鼻の良いルジェーナならば、コーヒーの香りもかぎ分けられただろうが、この場にいる誰も、癖の強いゼルベルスーチョンの煙のような香り以外を感じ取ることができないほどだった。
しかしレナルドは再び愛想を取り戻して、微笑みながらベラの前にカップを置いた。
「レナルド・シャブルー」
「はい、どうされましたか?」
急に名前を呼ばれたレナルドだったが、微笑みを絶やさずに返事をした。
「妹がいるって言っていたわね」
レナルドが持っていたコーヒーが、かすかにソーサーの上にこぼれた。リシャルトもその様子を見て、小さく息を吐きながら目を閉じた。
「……はい」
レナルドは一度リシャルトを見た後、ゆっくりとうなずいた。
「いくつ?」
「……十六になるはずです」
彼はやや間を空けて答えた。しかしベラは全く手を緩めることなくテキパキと言った。
「そう。シュゼット、あなたは十六ね」
「……おっしゃるとおり、十六です」
シュゼットもまた、目を大きく見開いて、そうしてから歳を言った。
「そういえば……あなたたち、髪や目の色といい、鼻の形といい、よくみるとそっくりね」
ベラはまるで今気づいたかのようにそういうと、紅茶を手に取り、足を組んだ。そして紅茶を一口飲むと、静かにソーサーに置いた。
ベラが表情をまったく変えないために、白い肌に浮かび上がる赤い口紅を塗られた唇が、その場にいるほとんどの人間の目を引き付ける。
「王宮で働いている以上、アドルナートが偽名だとは思えないから……そうね、あなたはアドルナート家の養女なのね? でも、実家とも良好な関係で、お兄様とも仲が良い。そうよね、シュゼット・シャブルー?」
シュゼットはなんと答えてよいかわからずに、すがるようにレナルドを見た。レナルドは、そんな妹の様子を見て、小さく息をついてから言った。
「彼女は確かに妹です。ですがシュゼットがアドルナート家に養女として出されたのはもう十年も前のことです」
「十年前でも、定期的に連絡を取り合って入れば、兄弟仲は良好といえるわ。少なくとも四年前まではそうだった。あなたはそう言ったわ」
レナルドは、四年前の自分の発言を思い出し、返すべき言葉を見失っていた。
「そして、最近も連絡を取ったんでしょう? たとえば一昨日、私が寝室から姿を消した直後、とかね」
シュゼットは完全にうつむき、レナルドは目を伏せて頭を下げた。
「素晴らしい記憶力に脱帽です」
レナルドのそんな言葉に、リシャルトは特にそれを咎めはしなかった。もう少し正確にいえば、彼はこの後なんと言い訳をするべきか考えていたので、聞いていなかった。
「オーガスタ」
「はい、姫様」
「シュゼットの教育は終わったのね?」
彼女の意図を素早く理解したオーガスタは、ベラの突然のそんな言葉にも、即座にうなずいた。
「はい。滞りなく。王宮のどこに所属されても、働けるかと」
「そう。ありがとう」
ベラはそれを聞くと、ベラの詰問を眺めていたリシャルトのほうを向いた。
「さて、お預かりしていた侍女はお返しします。基本的なことは教えたはずですから、お役に立てるはずです」
「イザベラ、私はただ、お前に王族としての自覚をそろそろ持たせようと思って――」
「――思って、諜報員として、自分の側近の実の妹を派遣した、と?」
「彼女は諜報員と言うわけではない」
「そうでしょうね。だから申し上げましたでしょう? 私はお預かりしただけだと。お返ししたあと彼女がどうなるのかは存じません。どうなっても、責任は私にはありません」
「あの……姫様……私は……」
シュゼットはしどろもどろになりながらも、謝罪を口にしようとした。しかし、ベラは唇をすっと釣り上げると、凍てつくような笑みを見せて言った。
「お礼なんて要らないわ。私はただ、本来あるべき姿に戻しただけ。謝罪も不要だけれど、どうなっても私を恨まないでね」
シュゼットは黙って頭を下げた。彼女は自分にできることがそれしかないことを悟ったのだった。そして彼女は失礼しますと言って部屋を出た。レナルドはそれを目で追ったが、後を追うことはない。
「イザベラ……お前に預けていたシュゼットから報告を受けた。城の外をふらついたことで誘拐されたそうだな。事件の細かいことは近衛の本部にいたヴェーダ大尉に問いただしたら、話してくれた」
「イェンスが? ……彼は嘘はつかずとも沈黙を保てると思いましたけれど」
「ごまかしきれないと思ったからだろう。それでも、ルジェーナという名の女については、一切触れなかったが」
「……イェンスが話さなくとも、ご存じだったというわけですね。それで、それがどうかなさいましたか?」
「いい加減、軽薄な行動は慎め。近衛を撒いて城外に出るなど以ての外だ。私は近衛を付けることを条件にしたはずだ」
「まったく、おっしゃる通り侍女の選定は大切ですね。表面化していなかった問題がこうして露呈してしまったのですから」
「自分が王位継承権を持っているという自覚はあるのか?」
「ええ。ですが、王位継承権など、形だけでしょう。私が王になることなどあり得ません」
「あり得ないと思っているから、公の場には姿を現さず、あらゆる学問や教養の家庭教師もすぐに辞めさせるのか?」
リシャルトは声を荒げることはなかったが、静かに怒りをにじませて言った。しかしベラは全く動揺を見せず、無表情のまま、小さく首を傾げた。
「家庭教師は自主的に辞めていくのですよ。理由も追及なさっているんでしょう?」
「……皆、イザベラ殿下に必要ないといわれたから、とだけしか言わないが」
「それなら、そうなのでしょう」
ベラの取り付く島もない返答に、リシャルトはしばし固まった。彼の頭の中に、ふっと一つの懸念が浮かび上がってきたからである。
「イザベラは……まだ死にたいのか?」
その場にいる全員が、少し緊張した面持ちでベラの返答を待った。
「いいえ。全く。生きる理由がありますから」
後ろで控えていたオーガスタ、そしてレナルドやヴァルターは、彼女の返答に胸をなでおろした。
一番安心していたのは、実は問いかけたリシャルトだったが。
「ならいい。だが、あまりに軽率なら行動は看過できない。……これ以上、目に余るようなら、セネヴィル少佐の責任問題にもなりかねん」
「ああ、それなら責任を取ってもらいましょう。その話をしに来たのですから」
「本気で言ってるのか?」
「本気です。私は正式に、パーシバルと婚約します」
「こん、やく……?」
予想していたのとは違う方向に話が進んでいることに、まだリシャルトはついていけていなかった。普段はまず相手に主導権を握られることのないリシャルトは、完全にベラのペースに乗せられていた。
「今日うかがった本題はこれです。まずはご報告をと思いまして。ですがもし、婚約時期がかぶってしまうようでしたら……それは配慮しますが。そのようなご予定は?」
「……ここまで来て、どうして婚約しようと? 今までは婚約者はまだいらないと言い続けていただろう?」
「私も月並みに結婚したくなりました。陛下が私に望んでいるのも、次期後継者としての姿ではなく、パーシバルの花嫁としての姿でしょう。義兄弟姉妹もみんな歓迎してくださいます。何せ、たとえ形式上の継承者でも、王位を継ぐ可能性のあるものが一人消えるのですから」
相手が侯爵家長男のパーシバルでなければ、結婚してもベラが王位を継ぐ可能性はある。しかし侯爵家の長男と結婚するならば、当然、ベラは嫁ぐことを前提としているはずだ。つまり王位継承権は婚約の段階で放棄したも同然なのである。
「お前が月並みに結婚? 何を企んでいるんだ? あれほど拒否していただろう?」
「たくらみ? いいえ。純粋に結婚したいと思ったのです。パーシバルを……愛していますから」
しばらくの間、部屋の中に沈黙が降りる。
側近二人とリシャルトは、ベラの言った愛しているという言葉を全く持って信じることができないでいた。彼らはベラがパーシバルと二人でいるときに見せる”感情の起伏”も”気安さ”も一度も見たことがなかった。
「それは……結構なことだ」
だからこそ、リシャルトはそれがベラの方便だと信じて疑わなかった。
「それに、私はまだ、婚約する予定はない。だが……」
「それなら何の問題もありませんね。私から国王陛下に報告いたします。では、これで失礼します」
ベラは半分も飲んでいないゼルベルスーチョンを置いて立ち上がった。そしてゆっくりとソファから離れ扉へと向かう。レナルドがリシャルトを見て、そして扉に向かいそれを開けた。
足に絡まる長いドレスでも、ベラの歩く姿はまったく乱れない。普段着ていない様子はおくびも見せず、ベラは堂々と部屋の外に出た。
そして長い廊下をしばらく歩き、リシャルトの部屋の扉が閉まったのを確認したところで、後ろについていたオーガスタは口を開いた。
「多少、シスラとの妥協点とズレがあったように思いますが、よろしいのですか?」
「まあ、勢いで言っちゃったから、しょうがないわ」
ベラはにっと笑うと、ウインクしてそう言った。オーガスタはそれを見てため息をついたあと、すっと真剣な表情になる。
「それと……シュゼットのことは、気づけずに申し訳ございませんでした」
「気にしないで。誰も気づいていなかったってことは、わかってるから」
ベラはふっと柔らかな笑みを見せた。
そしてその後、思い切り眉根を寄せて、口元をやや乱暴にぬぐった。
「それにしても……あのお茶、ほんとに不味いわね」
「……口直しのお茶をお淹れします」
「ありがとう、オーガスタ」
さきほどまでとは打って変わって明るい声色で言う主に、オーガスタは安堵とともに、兄王子の心情を慮って一抹の寂しさを感じていたのだった。




