第一王子リシャルト
「失礼いたしました。リシャルト殿下」
ヴェルテード王国の第一王子リシャルトは、次期国王に最も近いと噂されている有能な王子だった。その青い瞳と、冷めた鋭い美貌から氷月の王子という異名も恣にしている。
そして、ベラと同じ妃から生まれた兄妹でもあった。
「名は?」
「私はイェンス・ヴェーダと申します」
イェンスは初めて会話をするということもあり、膝をつき頭を垂れて礼をとる。
「立て」
その言葉にならってイェンスは立ち上がり、直立不動で目の前にいるリシャルトを見た。
横幅が長く、くっきりとした目。それに目と近い位置にある淡い色の眉。
ベラと違うところは瞳の色だけではないかと思うほど良く似た男は、ベラの雰囲気をさらに重く、鋭敏にしたような雰囲気を持っていた。
「それにしてもなるほど……イェンス・ヴェーダ大尉か。その名は聞き及んでいる。剣の家の長男で、その類まれなる才能から、若くして大尉だと。直接会話をした覚えはなかったが……どうして私だと?」
リシャルトは話しながら、パーシバルが座っていた方のソファにさっと腰かけた。しかし視線はぴたりとイェンスに合わせて離すことはない。
「その銀髪をはじめとする御容貌とセネヴィル少佐の対応……それに実は一度、陛下の生誕祭にヴェーダとして出席しまして、そこで遠くからお見かけしたことがございます」
本当はベラと似ていると思ったことが一番の理由だったが、それは口にするわけにはいかない。こうして美貌の王子を見ると、ベラもまた美人だと再認識されるから不思議である。
「そうか。すまない。記憶にない」
「いえ。名前を覚えていただけているだけでも光栄です」
イェンスは直立不動のまま、はっきりとした口調で言った。
パーシバルは静かに扉を開くと、リシャルトの分の飲み物を入れるために、隣の部屋に行こうとした。しかしリシャルトは視線はイェンスから離さないままで問いかける。
「どこへ行く? セネヴィル少佐」
「殿下に飲み物をと思いまして」
「構わん。二人ともそこに座れ」
イェンスは座るべきか、立ったままいるべきか悩んでいた。戸籍上は平民であるヴェーダ家は、王族とこの距離で話すことが頻繁にあるとは言えない。
ベラは王女だが、彼女は全く例外である。
「いえ。私はこのままで」
パーシバルはそういって立ったままでいようとしたが、リシャルトは短く咎めるように「座れ」と言った。
有無を言わさぬその物言いに、さすがのパーシバルも従わざるを得なかったのか、失礼しますと一度断ってからソファに座った。
パーシバルが王子の飲み物をあきらめ、ソファに座ったことで、イェンスもそれに倣う。二人で座っても、まだ男が一人すわれるほどゆとりのあるソファは、座り心地こそ悪くないが、居心地は最悪だった。
「リシャルト殿下は郊外のハルツヘルツに視察だと伺いましたが、予定を変更されたのでしょうか?」
イザベラ付きとはいえど、近衛であるパーシバルは、リシャルトの予定を熟知していた。だからこそ、彼の訪問には驚きと動揺を隠せずにいたのだった。
「ああ。一日早く切り上げてきた。近衛を除けば軍の上層部しか知らなかったはずの視察だったというのに、ハルツヘルツには一点の曇りもなく完璧な資料が揃っていた」
リシャルトは声を荒げることはなかったが、その威圧的な声音に、かすかな苛立ちが混ざっていることにイェンスは気づいていた。
そして彼の苛立ちの原因が、イェンスの懸念と一致することに気づき、イェンスは思わず声を漏らした。
「ハルツヘルツ……ハルツ侯爵は、黒か」
それは普通なら聞こえないほど小さな呟きだったが、リシャルトはそれに敏感に反応した。
「どうしてそう思う?」
パーシバルにはイェンスの呟きは聞こえておらず、いきなりリシャルトが質問したように見えた。イェンスは、自分の呟きが相手に届いたことに驚き、そしてさすがはベラの兄だと感心した。
「軍の内部に内通者がいるかと。そしてそれはハルツ侯爵と少なからず関係があると思われます。抜きうちの視察では、多少の不備は見つかって然るべきです。大きな不正は常に隠していても、日常の小さなルール違反は見過ごしているものですから」
「つまり、視察の情報が漏れていて、準備されたということだな?」
「はい」
ここまで断言してから、リシャルトもまた軍に所属していることに気づいた。下手をすれば、彼自身への批判にもなりかねない。
リシャルトは妹のベラと違い、かなり不愛想で表情が読めない。そのため、彼が不機嫌なのか、それとももともとそういう顔なのかイェンスには判断がつかなかった。
「……まったくもって同感だ」
そのため、リシャルトが大きくうなずき、足を組んでソファのひじ掛けに肘を置いたことで、イェンスは一気に緊張感から解放された。
少なくとも、彼の気分を害したわけではないと分かったからだ。
リシャルトはひじ掛けに肘をつき、そしてふとテーブルの上に散らばる書類に目を止めた。そしてすっと前に出てその書類をとり、一瞥する。
「これは?」
リシャルトは書類から目を離し、イェンスとパーシバルを順番に見据えたあとそう聞いた。イェンスはパーシバルが答えてくれることを期待したが、期待は裏切られる。
「……ヴェーダ大尉から報告を」
氷のような冷たさを持つ青い瞳がイェンスをまっすぐととらえた。
「先日、跳ね橋の開閉作業の際に、四人が失神し、跳ね橋が上がらないという事件があったのはご存知でしょうか?」
「もちろんだ。報告が上がってきていた。原因は究明中と聞いたが?」
「その原因の有力候補と思われるのが、天落花を使った眠り薬です。もともと固形のものが、所持していると気化し、それを吸うと意識がなくなるのだとか。細かいところは、現在、城の薬品研究棟の人間が調べておりますが、その薬物を密かに服などに入れられたのだと考えられます」
「服に入れられて気づかないのか?」
「残念ながら気づいていない兵がおりました。まだ確認中ですが、おそらく最初の被害者四人も、城外にて同じようにされたのかと」
「嘆かわしい限りだ。確かにここ十数年は戦争もなく、緊張が緩むのも分かる。その上、治安の良さは近隣諸国では一番と誇っていいほどだ。だが、軍人が不穏な意図を持って近づく輩の気配に気づけないとは」
イェンスとしてはその意見に全く同感だったが、常に緊張を持っていられる人間は少ないものだ。もちろん軍人にそういう人間が多いことは否定しないが、やはり全てではない。
「平穏は時に、人の感覚を鈍らせますからね」
「そうだな。それで、犯人は分かったのか?」
「たまたま、私は同胞に薬を忍ばせるところを目撃しました」
ルジェーナとベラの関わりは全て省略した。嘘はついていない。
ベラとの関係をバラした方が、話せることは多くなるが、シスラの反応を見る限りそれは良策とは言えまい。
そもそも、第一王子として真っ当な矜持を持っていそうな男に、あなたの妹の友人です、と気軽に言えるような大胆さが、イェンスにはなかった。
「そしてその不審者の後をつけましたところ、ある家にたどり着きました。そして潜入すると、大量のヴェルマオウと、天落花、それからその書類が見つかったのです」
「……そういうことか。つまり、先ほど内通者がいることに反応したのは、どちらも同じ人物ではないかと疑ったからだな?」
「ご明察の通りです」
流石は、最も次期国王に近いといわれている男だ。イェンスが話した情報は多くないが、的確に情報を読み解き、事態を把握している。
だからこそ、次の質問も、非常に的確かつイェンスとパーシバルを動揺させるには十分な一撃だった。
「それで……警察部隊所属のヴェーダ大尉がここにいる理由はなんだ?」
イェンスは言葉に詰まった。嘘をつくのは得意ではない。黙ることは得意だが、作り話をすると必ずばれる。
「ヴェーダ大尉とは、陛下の生誕祭の時に、王宮の庭園でお会いしたことがありまして」
すると、ここでパーシバルが話し始めた。生誕祭の時に勝手に夜会を抜け出して庭園を歩いた記憶はないが、ここはパーシバルに任せるしかない。
「イザベラ殿下はご存知の通り、表に姿を現しませんから、あの日も庭園を歩いていらっしゃったのです。すると、人混みに酔ったヴェーダ大尉もまた散策しておられました。しかし私はイザベラ殿下の身をお守りするのが責務。またあまり顔が見えなかったこともあり、つい素性を問いただしてしまいました。それ以降、ちょっとした交流が私どもにはあるのです」
ありそうな、しかし全くの嘘をスラスラと並べ立てるパーシバルに、イェンスは驚きと尊敬を抱きつつも、少し呆れていた。
「そのため、軍の上層部に内通者がいる可能性があると大尉は気づいた時、軍の上層部に顔の効きそうな私を相談相手に選んだそうです」
「つまり、それだけの信頼関係と、友情があると?」
果たしてそれはどうだろうかと思ったイェンスの隣で、パーシバルは平然と肯定した。
すると何故か、リシャルトは口の端を釣り上げて笑った。こんなところまでベラと似ているとはと思いながら、イェンスはなんだか嫌な予感がした。
「このコーヒーは、セネヴィル少佐の飲みかけか?」
「はい、そうですが……」
「そうか。それなら毒見は済んでいるな」
そういうと、リシャルトはパーシバルのカップを持ち上げ、そして残っていたコーヒーを飲んだ。
そして静かにカップをソーサーの上に置いた。
イェンスは彼の意図がまったくもって理解できなかったが、パーシバルは初めてここで動揺を見せた。パーシバルは視線を泳がせた後、ベラとそっくりに笑うリシャルトに捕まった。
「悪くない。……が、これはセネヴィル少佐が淹れたんだろう?」
「……はい」
「確かお前は以前に言っていた。近衛隊で一番コーヒーをうまく入れられるのは自分ではない。自分の腕も悪くないが最高ではないから、歓迎すべき客には自分の淹れたコーヒーは出さないと」
イェンスは驚いてパーシバルを見た。ベラのこともあって嫌われているだろうと思ってはいたが、まさかそんなところで地味な嫌がらせを受けているとは思いもよらなかったのだ。
しかも、意外とおいしかった。
「ところが、ヴェーダ大尉にはお前がコーヒーを淹れた。つまり二人の間に友情があるわけではない。それならば、共通項はイザベラしかない。違うか?」
リシャルトは質問していながらも、答えはとっくにわかっているのだ。ベラとそっくりな笑い方をしながらも、ベラとは違ってその青い目が笑っていない。
「さて……ヴェーダ大尉。どうやらお前は沈黙はできるが嘘はつけない人間らしい」
「……」
「先ほど報告を受けたが、報告はそれで全てか? 私に報告されるべき、最も重大な話題が忘れ去られているように思うが」
「最も重大な話題とは、いったい何のことでしょうか?」
イェンスは尋ねながらも、ちらりとパーシバルの方を見た。
これ以上はイェンスは嘘をつけない。それに、嘘をつく必要性も感じないほど、リシャルトは事態を正しく推測しているに違いなかった。
「もちろん、イザベラだ。跳ね橋を上げる時間を一時間ずらしたほどのことだ、ほぼ間違いなくイザベラが絡んでいるに違いない。それにヴェーダ大尉もかかわっているからこそ、たいして親しくはないセネヴィル少佐とここで向かい合っていたのではないか?」
イェンスは悩んだが、これ以上嘘をつくことはできない。
「……虚偽を申し上げまして大変失礼いたしました。ヴェーダ大尉から真相を話していただきます。そのほうが信用もあるでしょう」
また自分が話すのか、とイェンスは驚いてパーシバルを見た。しかし彼はまったく話す気がなく、じっと動かずリシャルトのほうを見ており、リシャルトも早く話せと言わんばかりにこちらを見つめている。
イェンスはしぶしぶ、ベラが関わった事の全容をリシャルトに話して聞かせた。
実はベラとイェンスは知り合いで、跳ね橋事件が天落花にまつわることだとベラは知った。そこで気になったベラはこっそり調べようとしたが、たまたま人さらいにあってしまい、パーシバルとイェンスで捜索して彼女を取り戻した。誘拐犯はベラが王女だと知らず、また、彼らの根城にはヴェルマオウと天落花があった。
だいたいこんな内容を丁寧に話した。
ルジェーナの話題を出すか悩んだが、ルジェーナについてはリシャルトに聞かれるまでは沈黙を通すことに決めた。そのため、ベラの行動動機があいまいになってしまったが、パーシバルもそれについて特になにも言わなかった。
また、ベラが何度も城下に出ていると悟られてはならないと思い、ベラとの出会いについては、深く触れずに置いた。
そしてすべてを聞き終えたリシャルトは、何故か納得したようにうなずいて、イェンスに問いかけた。
「なるほど。つまり本当は、イザベラとヴェーダ大尉の間には友情が存在するということだな? だからこそ、ベラはヴェーダ大尉の仕事を見て、その多大なる好奇心を抑えきれなかった、と」
「私が是と申し上げるのは恐れ多いですが……イザベラ殿下はおそらくそのつもりで、楽に話してよいとおっしゃっているのかと。そして、跳ね橋事件を調べていることを知り、協力してくださったのだと思います」
イェンスは嘘はついていない。ルジェーナについて黙っているし、いうなればベラが巻き込まれた事件はほかにもあるが、問われたことには正確に答えていた。
それでも、氷月の王子とよばれるリシャルトの、その青い目に見つめられるのは妙に落ち着かなかった。すべてを見透かされているような気分になるからだ。
長い沈黙の間、誰も動かなかった。
動けばイェンスは自分がまだ黙っていることを、目の前に王子に悟られてしまうと確信していた。
「いいだろう」
リシャルトがそういうと、ソファから立ち上がった。
「報告はわかった。内通者に関しては、諜報部隊の第一小隊に調査を依頼する。何かわかったことがあれば、そこに報告すれば、私にまで話が上がるはずだ。資料は預かってもかまわないな?」
「はい」
イェンスが返答すると同時に、リシャルトはその場にあったすべての資料をかき集めて、横に投げ出していたカバンに詰めた。そしてそれを入れると、そのカバンをもって扉に向かって歩いた。
パーシバルがはじかれるように立ち上がり、扉を開けに急ぎ足で向かう。
するとリシャルトは、急に扉の前で振り返ると、イェンスを見た。
「誘拐犯については、ヴェルマオウの密売についての罪だけを問うように。わかっているとは思うが――」
「――もちろん、イザベラ殿下については伏せます」
イェンスが言葉を引き取るように言うと、リシャルトとパーシバルは目を丸くした。しかしそのあとリシャルトはふっと笑うと、一度うなずき、パーシバルが扉を抑える中、部屋から出て行った。
取り残された二人は、完全にリシャルトの気配がなくなると、二人でソファに戻った。
イェンスは気疲れからぐったりとしてソファにもたれこんだ。
「なかなか……度胸がありますね。さすがは剣の家の者」
パーシバルはあきれたように言いながら、自分のコーヒーカップを見つめた。
「度胸?」
「リシャルト殿下に、結局ルジェーナ嬢のことは黙っていらっしゃいましたし、最後には殿下の言葉を遮って発言されるとは……」
さも頭が痛いとばかりにこめかみに指を当て、パーシバルはため息をついた。
「ああ、それで、二人とも驚いておられたんですね」
「あなたにとっては彼は王子殿下ではなく、単に軍の上司だったのでしょうね。緊張はされていたようでしたが、まったく恐れがない」
「そうかもしれませんね。私は良くも悪くも貴族ではありませんから」
イェンスはそう答えながら、リシャルトとの会話を思い返す。
「あ……」
「どうしましたか?」
「いえ。なんでもありません」
一つだけ、心に浮かんだ疑問があったが、イェンスはかぶりを振った。パーシバルから見れば、堂々としたというイェンスも、さすがに王子相手に話をするのは大きな疲労が伴ったのだ。
だからこそ、自分の中に生まれた疑問には都合よく目をそむけることにした。
どうしてあの王子は、イェンスに対して「それですべてか」と最後に問わなかったのか、という疑問を。




