始末書と、報告会
”庭園で眠り込んでしまった”イザベラ王女が発見された日。
長時間、それを放置していたとして、近衛隊は長い長い始末書を書かされる羽目になった。王女の強い希望と、パーシバルの命令により、近衛隊は王女が実は誘拐されていて、一般市民の住んでいる住宅街で連射式小型銃を使用したことは伏せられている。
こういった捏造作業は、イザベラ付きの近衛隊員にとって日常茶飯事であったので、まったくもって苦にはならなかった。ただし、今度の庭園で王女が眠りこけていたという言い訳は苦しすぎると誰もが思っていたが。
「これをお返しします」
近衛隊の本部で、隊員が必死に始末書を書き、王女がいなかった事実を隠すために、つじつまの合わない部分をうまく作り上げて合わせている時、イェンスは机に向かっていたパーシバルに銃をホルスターごと返却した。
「一度も使っていませんか?」
「はい。身の丈に合わない武器は、自らの身すら滅ぼすことがあると教えられてきたもので」
「それはヴェーダ家の家訓ですか?」
「その通りです」
「……。今日のことで、いくつか共有すべき情報がありそうなので、応接間にどうぞ」
「わかりました」
パーシバルはそういって立ち上がると、近衛隊の応接間にイェンスを通し、ソファに座らせた。
「少佐、お飲み物はいかがされますか?」
まさに今二人が出てきた部屋から、応接間を覗いたのは近衛の女性隊員だった。
「自分でやるから構わない」
「かしこまりました」
女性隊員はそれで引き下がり、パーシバルは反対側の扉に向かう。イェンスは立ち上がって、声をかけた。
「私がやります」
階級の高いパーシバルにやらせるのは申し訳ないと思って申し出たが、彼は全く気にした様子はなく、淡々と言葉を返した。
「いいえ。ここでの客はヴェーダ大尉ですから」
イェンスはもう一度食い下がるべきか悩んだが、すでにパーシバルは隣の部屋に消えていた。イェンスは再びソファに戻り、じっと待つ。
そして待つ間に話すべきことを整理しようと、軽く息を吐いて力を抜く。
そして数分が経った。
「お待たせしました」
パーシバルはトレイにカップを二つ載せてきた。ルジェーナではないが、イェンスにもその中身がお茶でないことは香りで分かった。
それはコーヒーだ。
薄い高そうなカップに入れられたコーヒーからは、香ばしい匂いがした。ミルクと砂糖が添えられている。カップはティーカップと同じサイズだ。
イェンスは小さなカップに入れて飲む濃いコーヒーは実は苦手だったので、内心ほっとした。
「どうぞ」
すすめられたので、イェンスは一口飲んだ。コーヒーの苦味と香りが広がって頭が冴える気がした。そして意外なほど、おいしい。
「まず……あの屋敷で発見したものについてですが、大量のヴェルマオウと、天落花を見つけました。ヴェルマオウの密輸についてはまだ調査が必要ですが、天落花が出てきたことで、ほぼ間違いなく、跳ね橋事件の関係者だったのだと確信するに至りました」
「天落花だけで確信を?」
「いいえ。これを見てください」
イェンスはあの場所からとってきたカバンから書類をばさりと引き抜いた。そしてコーヒーカップをソーサーごと横に寄せて、机の上に書類を並べた。
「これは……跳ね橋の開閉作業のシフト表……。あの四人が気を失ったのは、つまりは天落花を使った薬品のせいだったということですか?」
「はい。おそらく、前回の事件は実験的なもので、今日が本命だったのかと」
「今回のあなたの手際は見事でした。事前に二―ベルゲン中尉に指示を出されたことで、全員が昏倒するのを防げたようですから。ただ、服を取り換えた後、それを一か所に集めたことで、かなりの人数が急に倒れる事態に陥りましたが」
王宮についてからは、ずっと近衛の本部にいて報告書を書いていたイェンスは、パーシバルの耳の速さに素直に関心せざるを得なかった。
「私の場合は、手配が中途半端で迷惑をかけてしまったようです。その点、セネヴィル少佐はお見事でしたね。ルッテンベルクの跳ね橋だけ一時間遅く上げるように指示しておられたとは。おかげでべ……殿下が城内にいたという無理も通せましたから」
「自分にできる最善のことをしたまでです」
パーシバルはそういうと、ここで初めてコーヒーに口をつけた。ただし熱くて火傷するのを恐れて、彼は一度カップを口元に持ってきて、息を吹いて少しさました。
「それにしても、跳ね橋の開閉作業のシフト表があったということは……軍に内通者がいる可能性が高いですね」
「はい。それが一番の問題だと思っています。このことを誰に報告すべきか、と思いまして」
「開閉作業のシフト表は公開範囲が広いですからね……。正直に言って、誰でも情報を流出できます。ただし、今日を選び、二十人全員に薬物を仕込んでいたとなれば、話は別です。今日、二十人全員と接触できる見込みがあったということですから、それだけの人数の行動を把握できる人間は限られてくる」
「少なくとも大佐クラスでしょうね。軍上層部に上がってくる報告書を誰の許可もなく閲覧できるのは大佐以上ですから」
「そうなると……ヴェーダ大尉が上に報告するのはあまり芳しくありませんね」
「ですが、報告しないと調査に乗り出すこともできません」
軍の内部の調査は、イェンスが個人でできるものではない。しかしどこに内通者がいるかわからない以上、下手に報告することもできない。
相手にこちらが勘づいていることを知らせれば、証拠を隠滅されてしまう恐れがあるからだ。
「権力があって、かつ、信頼できる人物に報告するしかありませんね。今はその問題はおいておきましょう。イザベラ殿下と私が見たものを先にお話ししておきます」
「お二人が見たもの?」
「声が聞こえたから戻った、と殿下はおっしゃいましたが、それは嘘です」
「……そうだろうとは思っていました。セネヴィル少佐の服に血が付着していましたから」
合流する前に拭ったと思っていた血を見つけられていたことに、パーシバルは少なからず動揺した。しかしその動揺はおくびも外に出さずに、静かに話をつづけた。
「顔は見ていないのですが、男たちが言い争う声を聴きました。片方は実行犯。ヴェルマオウの密輸は、おそらく実行犯側が主導していた……というよりは、そちらが本業だったと思われます。そして話し相手の声は私には聞き取れませんでしたが、イザベラ殿下いわく、首謀者だったそうです。そしてその首謀者は、失敗した実行犯二人を撃ち殺しました」
「撃ち殺した? リボルバー付きの、つまり連射式小型銃で、ですか?」
「銃声の速さと、男の最後の叫び声から判断して、そうだと思われます。小型かどうかは判断しかねますが、おそらくは。仮にライフルの存在を知らなかったとしても、あれはかなり目立つものです。価値がわからずとも、長い銃身は棒のような武器に見えなくもない。それならもう少し相手も警戒したでしょう」
「つまり……首謀者は軍の上層部、あるいは王族だということですね」
イェンスはパーシバルの手前、舌打ちこそ避けたが、自分の金色の髪をくしゃりとかき乱した。イェンスが想像していた以上に、事態は大きくなっている。
いくらヴェーダ家の人間として、ある程度のわがままが許されるイェンスといえど、到底力が及ぶ範囲でないところまで事件は広がってしまっていた。
「それと……イザベラ殿下が男の足音が遠ざかったからと、撃たれた男に近寄って、一つだけ聞き出したことがあります」
「撃たれた男に近寄った? 足音が遠ざかっても狙撃されるの可能性があったのにですか? なんて女だ……いえ、あの……」
ベラの無茶な行動にイェンスは思わず素を出してそう言ったが、本来なら不敬罪で捕まるような発言だと気づき、言葉を濁した。
しかしパーシバルはこの件に関しては全く気にした様子はなく、むしろ深くうなずいて言った。
「構いません。全く持って同感です。それで、聞き出したことというのが”羊殺し”という単語なのですが……何かご存じではありませんか?」
「羊殺し? ……いいえ。申し訳ありませんが」
「そうですか……では、もう一つ聞きます」
パーシバルはここで言葉を切り、深い藍色の目をイェンスに向けた。空気の変化を感じ取ったイェンスもまた、ソファに座り直し、背筋を伸ばした。
「ルジェーナ嬢とは、いったい何者かご存知ですか?」
「……いいえ。残念ながら、歳すら知りません。しいて言うならば……彼女の両親が他界していることと、おそらくどちらかが軍人であることでしょうか」
「どちらかが軍人?」
「はい。彼女の動きは洗練されていて、戦い方も士官学校の教本に出てきそうな、基本を守った型です。あれは我流では身につかないと思いますので、おそらくは」
パーシバルは、イェンスがまだ黙っていることがあるのではと疑い、じっと見つめていた。しかしイェンスは本当に何も知らなかったので、静かに視線を返した。
結果的に二人は見つめあう形になったが、どちらからともなく視線を外した。
そして、扉がノックされた。
二人は外した視線を戻して、再びお互いの目を見た。パーシバルはためらった後、その場から動かずに声を上げた。
「名と、要件をお願いします」
もう一度ノックがされた。そして、不機嫌そうな低い声が聞こえてきた。
「……入れろ」
それはイェンスの記憶の隅に引っかかる声だった。どこかで聞いたことがある。
一方パーシバルは、声だけでその人物が誰かわかり、さっと血の気が引くのが分かった。次に机の上に散らばる書類を見て、三秒だけ考えた。
そしてそれをそのままあえて放置し、パーシバルは歩いて、しかし極力はやく歩いて、扉に向かった。そして扉を開ける。
「お待たせして申し訳ありません」
扉の向こうに立っていたのは、銀色の髪長い髪を一つに結っている男だった。冷たい氷のような青い瞳が一瞬でイェンスを射抜いた。
男はパーシバルに扉を抑えさせたまま、堂々と部屋の中に入ってきた。男の着ている服は白のシャツに黒のジャケット、そして黒のスラックスだった。その上から金糸で刺繍が施された藍色のマントを羽織っている。
一目見れば忘れることのないだろう美貌と、どこかで見たような顔だちにイェンスは茫然としていたが、ようやく彼が誰かを思い至り、ソファからはじかれるようにして立ち上がった。
あまりに勢いよく立ち上がりすぎて、机を軽く蹴ってしまい、コーヒーが少しはね、書類が数枚床に落ちた。
「失礼いたしました。リシャルト殿下」
そこにいたのは、ベラとよく似た面差しを持つ、この国の第一王子その人だった。




