第三王女の決意
ベラとルジェーナが誘拐されたその日、二人は念のためにと言って城の医療棟に放り込まれた。
実は王城についた段階で、跳ね橋は上がる時間が過ぎていたのだが、なぜかまだ開いていて、一行は当然のように城内に入ったのだった。
ベラは生まれて初めて、王城の跳ね橋が閉まった後、つまり時計塔の最後の鐘を城外で聞いたと喜んでいた。
町の街灯に点火夫が火をつけて回る様子も非常に興味を持っていて、馬車の中からじっとその様子を眺めていた。ルジェーナにとってあたりまえの景色で、特に意識すべきことでなくとも、彼女にとっては新鮮なのだ。
そして今、ルジェーナは王宮の一室にいる。
ルジェーナは医療棟に放り込まれたあと、ベラの泊まっていけばいいという言葉をありがたく断ったが、ベラはよしとしなかった。
その結果、ルジェーナは王宮の客間の一室を借りることになり、王宮の広く豪華絢爛なお風呂を独り占めするという、恐れ多くも優雅な時間を過ごした。
「ところで、うまくごまかせたの?」
「うまく、と言っていいのかはわかりませんが……」
オーガスタが言葉を濁しながら言う。
ベラの侍女たちは、四名を除いて本当の事情を知らされず、ベラは庭園でぐっすりとお昼寝をしていたことになった。ルジェーナの存在ももちろん知らない。
そして二人は、何事もなかったかのような王宮の一室にある、ルジェーナの部屋のソファに座って話していた。
「あの、シュゼットっていう侍女は?」
「彼女にも同じように説明いたしました。よくあることなのかと聞かれましたので、悩んだのですが、はいと答えておきました」
「そう……それは構わないわ。あの子、勝手に私の部屋に入ったのよね? オーガスタは気づかなかったの?」
「申し訳ございません。私が違う仕事をしている間に、勝手に……」
「セシリーとクララは?」
事情を知っているほかの二人の侍女の名前を出すと、オーガスタは再び首を振っていった。
「その二人もちょうど私が用事を言いつけているところで……」
「そう。わかった」
ベラはそういうと、シスラとオーガスタの出してくれた暖かいお茶を飲んだ。
シスラとオーガスタは、ベラの監視という名目でここにいるのだったが、二人はルジェーナの事情も含めてすべてを知っているので、気にせずに話を続ける。
「それにしてもまさかベラが螺旋階段を登ってくるなんて思ってもみなかったよ」
「まさか、私たちが入ったからくり屋敷と、ルジェーナが突っ込んでいった扉の先が違うところだったなんて思いもしなかったわ」
そういって息をつくベラの髪が、明るい照明の下で銀色に透けた。一連の騒動で染めていた粉が落ちてきてしまっているのだ。
王宮内にある客室なので照明に電気が使われていて、通常よりも明るいのも、彼女の髪をよりいっそう本来の色に近づけていた。
「ねえ、あの場では私たちの声が聞こえたから引き返してきたって言ってたけど……本当は何が理由で引き返してきたの?」
「……やっぱりばれてたか。事情を知らない近衛隊員もたくさんいたから、ちょっと言えなくてね」
ソファの背もたれから少し体を話して前かがみになると、紅茶を手に取った。それに合わせてルジェーナも紅茶をとる。
「首謀者と実行犯がいたんだけど……実行犯二人は首謀者に連射式小型銃で撃たれて死んだの」
「ピストルって……あの、最新兵器って言っていた?」
「そうよ」
ルジェーナは紅茶を飲むと、カップをソーサーにおき、ふとオーガスタのほうを見た。オーガスタは眉を寄せてベラを見つめている。
当然、彼女はベラの無茶ぶりに怒っているのだった。
「パーシバルと私は銃声と、首謀者と実行犯が言い争うのを隠れて聞いていたの」
パーシバルという名前が出たとたん、オーガスタとシスラの厳しい表情が和らいだ。二人のパーシバルへの信頼がうかがえる。
「何を言っていたの?」
「首謀者の声はかすれて聞き取りにくかったけれど……実行犯の男が話した内容はわかるわ。偽物がどうとか、スカーレットの誘拐は失敗した、とかね」
「スカーレット!? 同じ組織だったの?」
「ええ。どうやらスカーレットは彼らに誘拐される理由があるみたいね。もしかすると……本人にも無意識のうちに」
「それで、ベラのことは……?」
「ばれてない。ばれてたら、もっと大騒ぎだったはず」
ベラは断言したが、本当のところはわからない。首謀者がベラとルジェーナの顔をみたかどうかも、定かではないからだ。ただし、顔を見てベラが王女だと看破できる人間はかなり限られている。
「あと……死にかけていた実行犯の男が遺した言葉があるの」
「遺した言葉?」
「羊殺し」
ルジェーナは、その言葉を聞いた瞬間、一つの花が頭をよぎった。一つの茎に螺旋状に葉がつき、複数の花がブーケのように身を寄せ合って咲き誇るかわいらしい花だ。
シスラとオーガスタは、その言葉の意味が分からずに首を傾げた。
「ルジェーナは、何が思いつく?」
「羊殺しなら、カルミアかな?」
「!」
何気なくルジェーナが言った言葉に、より強く反応したのは侍女二人だった。シスラははっと息をのみ、オーガスタはじっとベラを見つめた。
「話に入ってきてもいいわよ。二人とも」
ベラが許可をすると、壁際に立っていたオーガスタが一歩前に出た。
「姫様は……すでにわかっておいでなのですね?」
「そうね。向き合わなきゃいけない時が来たと思ってるわ。ルジェーナは、カルミアって言っても、あんまりピンと来ない?」
「カルミアが? ……あ! そうか……わかったかもしれない。だって、さっき連射式小型銃って言ってたもんね。つまり、そんな最新兵器を使えるのは、軍の上層部か、王族のどちらか。そしてカルミアといえば……第二妃の花」
ヴェルテード王国の現在の国王には、三人の妃がいる。嫁いだ順番に第一妃、第二妃、第三妃と呼ばれているが、そのほかに、国王から授けられる”花”がある。
ベラの母親である第一妃の花は”エノテラ”。そのため、ベラの本名にはファーストネームの次に母親の花の名前が入っている。つまり、同じ花の名前がはいるリシャルト・エノテラ・ヴェルテードは、母をともにする兄弟であることがわかるのだった。
そしてその第二妃の”花”がカルミアである。
「姫様は……第二妃殿下が関係していると思っていらっしゃるんですか?」
「いいえ、シスラ。あの人がもし陥れようとするならば、リシャルト殿下を狙うに決まってるもの。第二妃殿下は、この国が長子相続じゃないってことをあんまり理解していないし、単純なバカだから、こんな回りくどいことはしないと思う」
ヴェルテードの王位継承権は、国王の一存で決めることができる。長子相続だと断言する国王もいれば、現在の国王のように、誰が王家継承権一位なのか明かしていない王もいる。
基本的には男子に継がせることが多いが、女王が立ったこともあるので、ベラにも継承権はある。ただし、第一王子はまだ婚約者も決まっていないのに対し、第一王女は国外に、第二王女は国内貴族に嫁がせていることを考えれば、その可能性はないとベラは考えていた。
実際、ベラも婚約はしていないものの、パーシバルという婚約者候補がおり、国王はベラがうなずきさえすればすぐにでも婚約、結婚させる気だからだ。
もしベラを次期王にする気があるのならば、夫となる人物はもう少し慎重に選ぶはずだった。
「では、姫様は誰だと思っていらっしゃるんですか?」
「第二王子ルカーシュか、第三王子パトリクだと思う……」
ゆったりとしたサイズのソファが、ベラが立ちあがったと同時に少し音を立てながら動いた。ベラは窓辺まで歩くと、窓枠にもたれかかり、腕を組んで言う。
「もともとルジェーナは、あなたの両親を陥れたのが高貴な身分の人間だと疑っていた」
ルジェーナはソファに座ったまま、首だけをベラのほうに向けた。
窓の向こう側に見える月が美しい。
「うん。お母さんを連れて行った兵士から香ったのが……高級な材料を使った香水だったから。それにね、今回、見つけたの。あの屋敷で、その香水の原材料の一つ……アーリアの根を」
「本当に!? 他には何かなかったの?」
「ううん。ヴェルマオウが大量にあったぐらいかな」
ヴェルマオウの香りとアーリアの根の香りぐらいしか、特に気になるものはなかったので、あの場所にはあれ以上の収穫はなかったとルジェーナは確信していた。
「ヴェルマオウ……違法薬物ね。ヴェルマオウの密売にスカーレット・イーグルトンの誘拐、か……」
「密売は実行犯、誘拐指示はおそらく事件の首謀者……つまり、カルミアに連なる王子だと思ってるんだよね?」
「ええ。だからこそ……今まで避けてきた王家の人間と向き合ってみようかと思って」
「ごめん……ベラ」
ベラと王家の確執を知っているルジェーナは、とっさにそう謝った。しかしベラはソファに戻ってもう一度腰かけると、頬杖を突きながら言った。
「何言ってるの。あなたが私に生きろと言ったあの時から、私はあなたの味方をするって決めてるんだから」
「ありがとう」
視線はそらしながら、それでもはっきりとした口調で言い切るベラに、ルジェーナは少し微笑んで礼を言う。
すると話を聞いていたシスラが、オーガスタのほうを一度見た。オーガスタが小さくうなずくと、シスラは前に出た。
「あの……姫様。どうしてもパーシバル様にこのことをお話する気には――」
「――ならないわ」
にべもなく即答したベラに、シスラが食い下がる。
「ですが、パーシバル様なら協力してくださいますし、きっと姫様のことも守ってくださいます!」
「守ってくれはするかもね。でもきっと、ルジェーナのことは違うわよ。私に危害が及ぶとなれば、あっさりとルジェーナを切り捨てるにきまってるわ」
「そんなことありません! 姫様が望んだことを、尊重してくださります!」
「王女としてそれが正しい判断ならね」
棘のある言い方だった。
ルジェーナはベラがパーシバルに求めているものを察していた。それはおそらく本人でさえもはっきりとは気づいていないことだった。
そして彼女はなんだかんだと理由をつけながらも、実際はパーシバルが危険に巻き込まれることを忌避している。
もし今問いただしても、ベラは絶対に認めないが、ルジェーナはそういう確信があった。
「ですが、姫様とルジェーナ様だけで調べるには、あまりに大きすぎる案件です」
「慎重にやる。調べてることをばれたらアウトよ」
「姫様……では、イェンス・ヴェーダ大尉はいかがですか? 姫様も信頼されているんでしょう?」
「それは……どうなの、ルジェーナ?」
ベラはルジェーナに話を振って、自分は紅茶に口をつけた。
自分の気持ちははっきりとはわかっていないが、ルジェーナがどう思っているかは理解しているのだから、ベラという人間は複雑である。
もう少し素直になればいいのに、そう思いながらルジェーナは首を横に振っていった。
「イェンスを私の事情には巻き込めないよ。信頼しているけど……危険すぎるから」
まだ付き合いの浅いイェンスを、どうしてこんなに信頼しているのか、ルジェーナは自分でも不思議な位だった。
彼はいつでもルジェーナのために怒ってくれる人間だった。ルジェーナが無茶をすれば、助けてくれて、叱ってくれる存在。それは軍人としての正義感だけではなく、イェンスという人間の人柄に起因するものだ。
「それもそうですね……。申し訳ありません。ルジェーナ様のお気持ちも考えずに」
「いえ、いいんです。ベラを心配するのは当然ですよ」
「あら、私はルジェーナ様も心配しているんですよ! お二人はいろいろと無茶をされますからね」
シスラがムッとしたような声を聞いて、ベラとルジェーナは思わず目が合い、笑い出してしまった。それがさらにシスラの機嫌を損ねたのは言うまでもない。
「でもやっぱり……パーシバル様にはお話ししたほうがいいのでは……? 王子殿下まで絡んでしまうような大事では、近衛の力も必要だと思います。侍女の私たちでは至らない部分もありますし……だからといって、パーシバル様以外の近衛に話す気にもなれないでしょう?」
シスラはどうしてもあきらめきれずに、もう一度丁寧に繰り返した。それを見て、ベラもソファの背もたれに腕を回し、足を組んでしばし目を閉じた。
そして、彼女がもう一度目を開けたとき、真正面に座っていたルジェーナは、ベラの赤い瞳に力強い光がともっているのを見た。
「……そうね。こうなったらリシャルト殿下と話しをする理由があるに越したことはないものね……」
「姫様?」
オーガスタが、ベラが自分の中で完結させてしまって決意を聞き出そうと、いぶかしげな表情で名を呼んだ。ルジェーナもまた、ベラの決意が彼女の何かを失わせてしまうような気がして、少しだけ前に乗り出すようにしてベラを見つめた。
そんな中、ベラはパンと一度手を打って、そしてにっこりと微笑んだ。赤い口紅が光る。
「いいわ。パーシバルを巻き込みましょう」
「本当ですか?」
シスラだけが、素直にその言葉を喜んだ。
しかし、続いたベラの言葉に、シスラの表情は凍り付く。
「パーシバルと婚約するってリシャルト殿下に報告する。あ、もちろん、パーシバルには事情は伏せるし、政略結婚だから我慢しなさいともいうけどね」
ベラはひどく楽し気にそういって、そのあと視線をシスラとは反対方向にそらして小さな声でつぶやいた。
「あっちがその気なら、こっちだって実力行使よ。どのみち王女と近衛のままなら……いつ婚約したって変わらないんだから」
そのつぶやきが聞こえたルジェーナは、小さくため息をつき、オーガスタを見た。
オーガスタもまた、今にも頭を抱えたいといったような表情で、ベラを見つめている。
「そ、そ、そんな風にパーシバル様を巻き込んでほしいわけではないんです!」
「婚約してほしくないってこと?」
「違います! 心からそれを望んでいます! ですが、姫様、パーシバル様にきちんと想いを伝えて、パーシバル様の想いを受け取ってからでも遅くはありませんわ!」
「伝えるものも受け取るものもないから、いつだって一緒よ!」
こういう時だけ妙にこどもっぽくなるベラに、ルジェーナは再びため息をついて立ち上がった。シスラがベラに食い下がって説得している間に、ルジェーナはオーガスタのもとへ行く。
「これは……荒れますね」
「はい。間違いなく。どうしてこう……こじらせてしまわれるのか」
「二人とも素直じゃないし、何より鈍すぎるんですよね」
達観した二人のそばで、シスラとベラの言い争いは続く。
「もう! どうしてそんなに素直じゃないんですか! 本当はパーシバル様のことをお好きなのに!」
「なんですって!? 私が、誰を好きですって? そんなことあるもんですか!」
ベラは自覚があったとしても、誰かに自分の好きな人を素直に打ち明けられるタイプの人種ではなかった。だから売り言葉に買い言葉でとっさにそんな反応をしてしまう。
さすがにそれはシスラも心得ていたので、ベラの返答にはひるまずに反撃に出た。
「それが違うにしても、少なくともパーシバル様は姫様のことを好きでいらっしゃいます!」
「もっとありえない! パーシバルが私を守るのは、単に私が王女だからに決まってるじゃない!」
パーシバルはベラとの恋に関しては、象並みに足取りが鈍いので、フォローは全く期待できない。もしこのままベラがパーシバルと婚約を進めるのは政略だと言い切れば、パーシバルはそれを信じてしまう。そして、パーシバルが抱えている思いをベラに告げることは一生、ない。
「傍観するのも潮時ということでしょうか」
「でも……あの二人、頑固ですよ? 私たちが間にはいったら、余計にややこしくなるんじゃ……」
「ごもっともです……どうしたものか……」
オーガスタは大きくため息をつくと、お茶を淹れ直してきますと言って、その場を離れた。残されたルジェーナは再びソファに戻り、シスラとベラの言い争いの観客になった。
「月がきれいね……」
現実逃避しているルジェーナは、美しい月をただひたすらに眺めていた。
結局、その口論はオーガスタが淹れなおした紅茶がすっかり冷めきるまで続いた。
そして疲れた二人の妥協点である『パーシバルとの婚約を正式に公表すべきか否かをリシャルトに相談する』というところに落ち着いたのだった。




