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イェンスとルジェーナ  作者: 如月あい
二章 眠りへの誘い

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脱出劇④

 イェンスは部屋に入ると、ルジェーナが消えた扉に真っ先に向かい、そしてそれを思い切り引いた。


「はっ!」

「ぐぁっ!」


 女の叫び声と、男のうめき声が同時に聞こえ、イェンスはすぐに部屋の外に出る。

 するとまず目に入ったのは、淡い紫色の髪の女性だ。薄暗い廊下でも、その髪色は瞬時に目に入る。

 彼女は声を上げながら、目の前に向かってきた男の手を蹴り上げ、男の武器を弾き飛ばした。

 女の足元にはすでに一人、意識を失った男が倒れている。

 そしてイェンスが手を貸す間もなく、女は武器を取り上げられて呆然としている男の腹に蹴りを入れ、踵落としでトドメを刺した。


「お前……何者だ?」


 全く無駄なく立ち回り、男二人をのした女は、後ろから声をかけられてすぐに攻撃態勢に入った。しかしすぐにそれがイェンスだと気付くと、構えを解いて困ったように笑う。


「ただの調香師……だよ?」


 そのほほえみが、誰かと重なった。

 彼女に関して忘れている記憶が、イェンスにはある。しかし思い出そうとすればするほど、その記憶はイェンスから遠ざかってしまう。

「その割には、動きに無駄が無さすぎる」

「お父さんが過保護でね、護身用にって言って体術を一通り教えてくれたの」

「……この前人質に取られた時も、本当は自分でどうにかできる算段だったのか?」

「一応は。ベラが安全策であの男を狙撃した時は、むしろ驚いちゃった」

 ルジェーナの大胆さは、まったくの能天気ではなく、それなりに勝算があっての行動だということをイェンスは理解した。しかしだからといって、彼女の首を突っ込みたがりな気質を容認できはしない。

「強いからって過信するなよ。命取りになる」

「……女だから、とは言わないんだね?」

 一瞬間を空けて、ルジェーナはそう問いかける。イェンスは通路の先のほうの様子を見ながらも、肩をすくめて言った。

「軍には女でも強いやつがいるからな。とはいえ、同じ鍛え方をすれば肉弾戦はどうしても男のほうが勝るから、ほとんど場合は狙撃手か諜報員だが」

「そっか」

 ルジェーナはゆっくりと前に歩き始めた。イェンスは後ろを警戒しながらついていく。

 そして一度立ち止まって耳をそばだてる。足音は聞こえない。ゆっくりと慎重に顔を出すと、たまたまこちらを向いた男と目線がかち合う。

 次の瞬間、高い笛の音が狭く窓もない通路に響き渡った。

 ルジェーナはそのまま体を隠さずに笛を吹いた男に向かっていくと、男が持っていた棒でルジェーナに襲い掛かる。それを紙一重でかわした後、重心を崩した男の棒をつかみそれを思い切り押した。すると男は勢いよく後ろの壁に頭をぶつけ、その場に崩れ落ちる。意識はあるようだが、すぐには動けないはずだった。


「イェンス、こっち!」

 ルジェーナは自分が探している香りの方を指さすと、見張りの男が立っていた扉をためらいなく開けた。

 部屋の中には誰もいないようだった。

「早く入れ!」

 イェンスはそう言ってせかすと、ルジェーナごと自分の体を部屋の中に押し込み、素早く扉を閉めた。

「……この部屋に追っている香りはあるのか?」

 部屋に入った瞬間、イェンスでもわかるほどの強烈な薬草の匂いが鼻を刺激した。

「うん。たぶん……だけど」

 この部屋は天井がやけに高く、この建物の地上階と下の階を吹き抜けで作っているようだった。そのため到底手の届かない高いところに窓がいくつかあり、そこから明かりが漏れている。

 ルジェーナは自信のなさそうな返答とは対照的に、かなり確信的な歩みをもっていくつもある棚の一つに近寄った。そしてしばらく観察したあと、そのうちの一つを開ける。


「やっぱりこれ……でも、どうして」

「何があったんだ?」

「私が探してたのはアーリアの根。でもこれはとりあえずいいの。それより……ヴェルマオウの匂いがするのが問題だと思う」

「ヴェルマオウ? 違法薬物か。証拠品として少し持っていく必要があるな」

 イェンスはルジェーナに近づこうとして、部屋の真ん中にある書類に目が留まる。

 それを取り上げてパラパラとめくると、目を大きく見開いた。

「これは……嘘だろ……」

「どうしたの?」

 彼女はアーリアの根はそのまま棚に戻し、ヴェルマオウだけ、小さな瓶に入れてふたを閉めてから、イェンスに放り投げる。

 イェンスはそれを受け取りながら、鋭い声で聞いた。

「ここに天落花(てんおちばな)はあるか?」

 切羽詰まった様子のイェンスに、ルジェーナは驚きながらもうなずいた。

天落花(てんおちばな)? うん。あるよ。ここであの謎の薬物を作ってたのは間違いないみたい。どうやって固形にしたのかはわからないけど」

「やっぱりそうか」

 イェンスはそういうと、机においてある資料をざっとそのままつかんで端をそろえた。そしてそれを椅子に置いてあったカバンに入れると、そのまま斜めにかけて後ろに回した。

「ルジェーナは見つけたいものは見つけたんだな?」 

「うん。でも、どうしたの?」

「ここからすぐに出るぞ。これ以上、お前は関わらないほうがいい!」

 イェンスはそう叫ぶと、扉に向かおうとした。しかし彼が扉にたどり着く前に、扉は大きく開かれて、剣や棒を持った男が五人部屋になだれ込んできた。


「いたぞ!」


 一人の男が叫び、四人が一斉にイェンスとルジェーナに向かってきた。

 イェンスはまず部屋の中央にあった机を下から持ち上げて、ルジェーナの前に勢いよくひっくり返した。机は上に置いてあったものをまき散らしながらひっくり返り、壁に当たって斜めになった状態で止まる。

 ルジェーナと男たちの間に壁ができると、イェンスは剣を抜いて、まずは一人と向かい合った。剣と剣がぶつかって音が鳴り、手には衝撃が伝わってくる。

 イェンスは少しだけ力を抜くとそのまま男の体を左側に受け流し、男の背後に回って背中に蹴りを入れる。そのあと後ろから向かってきた男をかわすためにしゃがんでから、低い姿勢のまま足を払い、二人目を転倒させる。

 そのまま息をする間もなく、次の三人目がイェンスに向かって剣を振り下ろしてきた。イェンスは地面に転がって左に一回転すると、立ち上がって男に思い切り切りかかった。男はよけようとするが間に合わず、肩から背中にかけて剣を食らい、負傷した部分を抑えて崩れ落ちる。


 一方、ルジェーナに向かっていったた二人の男は、一人はテーブルをまたいで走ったところ、足を取られて自分ですっころんだ。もう一人はそれを見て、テーブルを迂回しようとしたが、ルジェーナが丸い親指ほどの玉を顔面に投げつけた。

 玉は男の顔に当たってはじけると、黄色の粉をまき散らし、男はそれをとっさに吸い込んでむせた。そしてルジェーナに向かっていこうとしたが、一歩踏み出したとたん、体がしびれてそのまま床に崩れ落ちる。


「シル! 大丈夫か!?」

 呼びかけられた名前に、ルジェーナは驚いて目を見開いた。しかし次の瞬間、我に返ると笑顔でうなずいた。

「……大丈夫! そっち側に行くね!」

 ルジェーナはテーブルの下に潜り込んで反対側に出ると、開いている扉から外をのぞく。

「まだ、誰もいなそう!」

 イェンスはうずくまる男を振り切って、ルジェーナのそばに駆け寄ると、一度廊下を覗いてから部屋に出た。ルジェーナもそれに続き、扉を閉めた。 

 二人は一度深呼吸をして、呼吸を整えてから、目線を合わせた。

「さっきの部屋に戻る?」

 ルジェーナがそう問いかける。イェンスはカバンの中身を外から手で押さえて確認するとうなずいて歩き始める。

 さきほどの部屋に戻るのは、さして注意を払う必要がなかった。

 ここまでの道は一本道だった上に、どこにも扉がなかったため、人が急に現れることはない。イェンスは後ろを警戒しながらも、急ぎ足で部屋まで戻ると、先ほど閉めた扉を押し開けた。


「誰だ!」


 部屋に入った瞬間、鋭い叫び声が聞こえてイェンスは思わず身構えた。しかし後ろにいたルジェーナがイェンスを押しのけるようにして前に出る。

「私です! ルジェーナです!」

 よく見ると、相手は深い藍色の軍服を着ていた。相手は剣を抜いて構えていたが、二人の顔を確認すると、安心したように息をついた。


「お久しぶりです。ルジェーナさん。ご無事だったんですね。その節はお世話になりました」

 先頭にいた男が朗らかにそういうと、後ろにいた男たちも全員剣を下して構えを解いた。

「お久しぶりです、オーヴィニエさん。大尉になられたと聞きました」

「さすが、お耳が早い。ありがとうございます。そして隣の方が……ヴェーダ大尉ですね? イレール・オーヴィニエと申します。イザベラ殿下付きの近衛隊に所属しています」

「イェンス・ヴェーダと申します。ところで……近衛隊の方がこれから中の調査ですか?」

 ベラが外にいるというのに、彼女の警護を放置して近衛隊が調べるのは普通ではない。彼らにとって最も優先されるべきは王女の安全であるはずだからだ。

 ところが、イェンスがそう尋ねると、オーヴィニエはなぜかはっとしたような表情になり、一歩イェンスに近づいた。


「お二人はイザベラ殿下とご一緒ではなかったんですか!」

「いえ……見てのとおり二人です」

 意味の分からなかったイェンスは肩をすくめながらそう言った。それにルジェーナも続けて言う。

「それに……二人なら地上にいるはずですよ? ベラを一度地上に出したあと、パーシバルさんに預けてから、中に入りましたから」

 ルジェーナがそう言ったとたん、その場に降りてきていた五人の男は一気に動揺を見せた。そしてそのうちの一人が窓のそばに近寄ると、上を向いて叫んだ。


「急げ! まだ殿下と少佐は建物の中におられる! そちらからも、もう一度よく探すんだ!」

「はっ!」


 ばたばたとあわただしい音が上からして、そして聞こえなくなる。

「どういうことですか? 二人は地上にいないんですか?」

 ルジェーナが混乱した表情で尋ねた。イェンスもルジェーナも、二人は地上で待っているものだと思っていたのだ。しかしその期待はあっさりと裏切られる。


「おられません! お二人とも合図の後にいなくなってしまわれたんです!」

「ですが……城に帰った可能性も」

「いえ。少佐の命で、この家は合図をしたらすぐに突入できるよう、四方八方すべてを取り囲んでいました。殿下だけならともかく、少佐が我々の目を盗んで行動する意味はまったくありません!」

「それはそうですね……」

 パーシバルはそんな悪趣味な悪戯をするような性格ではない。ましてやベラが誘拐された後である、念には念を入れて、できるだけ多くの近衛を集めて警護させるはずだった。


「合図があれば突入とおっしゃいましたが……合図とは?」

「突入の合図として、銃声が鳴りましたが……殿下も少佐もおられませんでした」

 何も知らない民間人が住んでいる住宅街で、最新兵器(ピストル)を使用していいのかとイェンスは心の中で突っ込んだが、口には出さない。

 規則というものは、権力に簡単に屈するのが世の常である。

「それで?」

「とりあえず窓と扉から侵入したのですが、窓から侵入すると、その部屋ではすでに気絶させられた男が三名のびていて、その部屋を出ると広い廊下にでましたが、そこで玄関から突入した仲間と合流してしまいました。しかも建物の中にはほかに出入り口は見当たらず、右側にはすぐに突き当りで、左側の奥には玄関の扉があるだけでした。つまり一つの部屋と、無駄に幅の広い廊下だけしか発見できなかったのです」

「そして、この排気口を見つけて、今、突入してきたというわけですか」

「はい。とりあえずお二人は外に出られますか? 我々はこのまま内部を捜索します」

「そうします。手伝いはなくても、上がれるので大丈夫です」

 オーヴィニエ大尉はイェンスを見てうなずき、次にルジェーナを見て、再びうなずいた。そして部下に指示を出すと、全員で扉の向こうに向かっていく。

「上がれるよな?」

「ベラが大丈夫だったからね」

 ルジェーナはそういうと、軽く助走をつけてジャンプし、排気口の枠に手をかけた。そしてベラとは違い、腕の力で一気に体を引き上げるとそのまま上に足をかけて登り切る。

 イェンスもルジェーナが排気口から離れるのを少し待ってから、助走をつけて手をかけ、勢いよく体を持ち上げた。こちらもまた、華麗に登り切ると、さっと立ち上がって手を払う。そして後ろに回していたカバンに目をやって、中身がこぼれていないか確かめた。


「ねえ、ちょっと変じゃない?」

「変?」

 イェンスはカバンから目を離して、ルジェーナを見た。


 この建物は上から見ると、長方形を二つくっつけたような形になっており、それは”コ”の字の下の棒を取り除いたような形だった。

 そしてその”コ”の字の縦棒の部分に、排気口はあり、地下へとつながっていた。

 

「オーヴィニエ大尉の話によると……窓から侵入して、その部屋の扉を開けたら、右側は行き止まりだったんだよね?」

 

 ルジェーナは建物を差しながらそう言って、歩き始めた。そしてまずは扉も窓も通気口ない壁に突き当たると、そこに手を置いた。


「それがこの壁のことだとすると……」


 次に彼女は左に折れて、建物の側面に回り込む。その面は窓のある壁だ。ここは大人がだいたい十歩は歩ける長さがある。窓は半分の五歩。


「この窓までが五歩なら……」

 

 開け放された窓から勝手に中に入る。近衛兵が何事かとこちらを見たが、イェンスの姿が見えると、事情を理解したとばかりに敬礼された。

 イェンスとしてはむしろ止めてほしいぐらいだったが、ルジェーナは止まらない。

「この扉までは七歩はあるでしょう」

 扉の前に立ったルジェーナは、そのまま扉を押し開けた。

 そこまで言われれば、イェンスにもルジェーナが言わんとしていることがわかる。

 イェンスは続いて廊下に出ると、わずか二歩で突き当たる右手の壁の存在に気づいた。扉を後ろで閉めると、途方に暮れた顔をした近衛隊員と目が合う。


「ヴェーダ大尉……我々はどうしたらよいのでしょう? オーヴィニエ大尉の指示は受けたものの、ここにはどこにも入り口などないんですよ」

「入り口はおそらく……」

 イェンスがそう言いかけると、ルジェーナが突き当りの壁をこぶしでたたいた。しかし何も起こらない。

「ここがどうにかすれば開くと思うんだけど……だってここがこんなに狭いなんておかしいんだから」

「……おそらく、ベラとセネヴィル少佐は見つけたんだな。だから二人はここにいないんだろう」

「でもどうやって見つけたんだろう? ベラは確かに耳がいいし……こういう仕掛けが好きだから、普通の人より見つけるのは得意だけど」

 イェンスはこの短い期間で知ったベラという人間の行動パターンを分析してみる。

 ベラは自分の耳を信用していた。だからとりあえず壁をたたいてみたに違いない。それならばパーシバルはどうか。まず彼が最初に扉をあけて部屋の外に出た。彼ならば、安全を確認し、そしてベラが廊下に出るまで扉を抑えて開けているはずだった。


「まさか……」


 イェンスは思い立って、扉を思い切り開け放した。そこには開け放された窓のある、あの部屋があるだけだ。


「シル、もう一度そこの壁を押してみてくれ」

「え? うん。でもこれ……うそっ」

 突き当りの壁が、石同士がぶつかるような音を立てながら動き、ルジェーナの体を壁の向こう側へと運んでいく。そして石の回転扉が回り切ると、ルジェーナの姿は完全に見えなくなった。


「シル! 大丈夫か!」 

 イェンスは扉を抑えたまま、できるだけ大きな声で叫んだ。

「大丈夫!」

 少しくもぐってはいるが、ルジェーナの声が聞こえてきた。

「戻ってこれるか!?」

 イェンスが叫ぶと、再び音がして、勢いよく壁が回り、再びルジェーナが姿を現した。


「大尉……これは?」

 目の前の光景を呆然と見つめていた近衛は、はっと我に返ってイェンスに尋ねた。

「回転扉だ。この扉をあけながらあそこの壁を押すと、作動するらしい」

 近衛はその返答に大きくうなずくと近くにいた隊員に声をかけた。

「おい、ヴェーダ大尉に代わって扉を抑えていろ。第二部隊は全員突入。第三部隊はここでひとまず待機。一時間たっても誰も戻ってこなければ、王城に連絡の上、突入するように!」

「はっ」


 そしてイェンスの代わりに、若い兵が扉を抑えた。そして次々に回転扉を使って石の壁の向こう側に近衛隊員が消えていく。


「ねえねえ、イェンス」

「……なんだ?」

 大きな淡い紫色の目が、イェンスを見た。

「あの石の壁の向こうに行ったら、ベラの香りが残ってたよ」

「聞くだけ無駄だと思うが……それでどうしたいんだ?」

「追いかけるの」

 至極当然とばかりに胸をはってルジェーナは言う。イェンスは金色の髪をくしゃりとかき乱すと、大きくため息をついた。

「なんで追いかけるんだ?」

 その答えはすでに分かっていたが、イェンスはあえて問いかけた。


「香りを追い求めるのが仕事だもの。だって私、調香師だから」


 このセリフを言ったルジェーナは、イェンスには到底、止めることができないとすでに彼はわかっていた。

 イェンスは室内で見ることのできない空を仰ぐと、首をぶるぶると振った。

「親の顔が見てみたい」

「それは無理。死んじゃったから」

「え……?」

 あまりにもあっさりと言ったルジェーナは穏やかに微笑んだ。

「だから私は……誰にも死んでほしくないんだ」

 淡い紫色の髪が揺れた。

 そして彼女は、イェンスが止める間もなく、再び石の回転扉へと向かっていったのだった。



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