脱出劇②
「うん。どうにもならなくなったら……火をつけて鉄格子を吹き飛ばすしかないと思ってね」
笑顔でそんなことを言ったルジェーナを、ベラは穴が開くほど見つめていた。普段二人のうちどちらが突飛なことを言い出すかといえば、比較的ベラのほうがその比率は多い。
しかし実際、その役目を他人に譲ってしまうと、いくらベラでも驚く役に徹するしかないのだった。
「吹き飛ばすって……以前やったように?」
ルジェーナと初めて出会ったその日、彼女はある屋敷の窓を思い切り吹き飛ばした。
ベラにとって衝撃的だったその記憶は、ルジェーナの中にもきちんと残っていたらしい。苦笑いしながらうなずいた。
「そうそう」
「それってどんな原理?」
「熱で爆発を起こす薬品なの。以前のよりは少量だから、鉄格子が窓枠から外れるだけで済むはずだよ」
「でも吹き飛ばしたら大きい音ですぐに気づかれ……ああ、そうか。それで逃げたフリ。一度は逃げたフリをするってことだったのね!」
「もちろん」
「ちなみに今だから聞くけど……どうしてそんなものを?」
「作り方はお母さんに、使い方はお父さんに教わったの。携帯しろと言ったのもお父さん」
ルジェーナの特殊な事情についてすべて知っているベラは、どうしてそんなことを両親から教わったのか、とは聞かなかった。
「お母様は薬師だったのよね?」
ただ、一つだけ確認した。
「うん。でも、お母さんは薬草はもちろん、薬品を使う職業も含めて、全部薬師だと思ってたかもしれない……」
仮にそうであったとしても、爆発物の作り方を娘に教える理由にはならない。また、娘にそれを持たせようとする父親も父親だが。
「でも、あれを作ったのはお母さんなんだけどね。作り方だけ教わって、作らせてはくれなかったから」
ルジェーナは懐かしそうに目を細めて言った。たとえ中身がなんであれ、あの小瓶は彼女が母親から受け取った遺産なのだ。
両親は健在だが、あまり折り合いの良くないベラには、いまだに理解しがたい感情だった。
「使っていいの?」
そっと確認のために聞くと、ルジェーナはふっと笑ってうなずいた。
「もちろん。一回も二回も同じことだよ。でもまあ、ちょっと危ないから、使わないに越したことはないけどね」
その目に迷いはなく、ベラは少し安心して息をついた。
「それなら……あの窓と扉以外の出入り口を見つけたいところだけど」
「そうだね。王都だから……そういう仕掛けが案外、見つかるかも」
「その前に……あの扉、どうにか開かないようにできないかしら。何故か外開きだから……物を置いても意味がないし」
ベラはそう言って、ふと、自分が提供した黒いローブが窓枠からぶらさがっているのを見つめた。
「これ……使えるかも」
「あと四分の一ぐらいに裂いていけば、足りるんじゃないかな」
ルジェーナはそう言って、再びナイフを取り出すと、ぶら下がっているローブの、結び目より少し下のあたりから一気に切り裂いていく。そして片側を切り取ると、さらにそれを縦半分に切り裂いた。
その間にベラは、ルジェーナが切ったローブの切れ端をしっかりと結んでいく。そうしてすべてを結び終えると、ベラはそのローブの端をつかんで扉に向かって無造作に引っ張った。
たるんでいたローブは勢いよく伸びきると、その衝撃を端から端へと伝えていき、結ばれていなかったローブがするすると動き始めた。
「あ」
ルジェーナがそのことに気づいた時には……もう遅かった。
時間はすこしだけ戻る。
とある調香師と、とある王女が、王都のどこかで少し物騒な会話をしている間、ルッテンベルク通りを二頭の馬が駆けていた。
騎手の一人は金髪に緑色の目をした男だ。華やかな風貌で、街をあるく女たちの視線を引き付ける。後ろからぴったりとついてきている方は、さらりとした黒髪がよく似合う、求心的な顔の男だ。こちらは非常にバランスよく整った顔立ちで、硬派な雰囲気を醸し出している。
二人とも軍服を着ており、表情が硬いため、その進路を邪魔するものはいない。みなが進んで道を開けて、風のごとく駆けていく二人を見送った。
王城から数えて四番目の橋のところに来ると、一人が馬から降りて、懐から取り出した白い包みを橋の端に無造作に置いた。そして再び馬に乗ると、王城に背を向けて馬は走り去った。
二人の軍人が去った後、ありふれた斑のある茶色の髪に瞳の男が橋のそばに現れた。すっぽりとかぶるタイプの長袖シャツに、ゆったりとしたズボン。靴は動きやすそうな少し柔らかめの素材。何かの作業をしていそうな格好のその男は、平凡な顔立ちをしていた。
男は自分の持っていたカバンをなぜか橋で取り落とし、カバンを拾うと同時に橋におちていた白い包みも拾い上げる。
そして、くしゃくしゃと丸めた白い紙をごみにように捨て、歩き始めた。
しばらくして、道行く通行人の一人が、白い紙に気づいてそれを拾い上げた。
「なんだこれ!」
彼はいやに大きな声でそう言った。
隣にいた連れの女はそれを覗き込んで言った。
「女は明日解放する。メモにしては……物騒だね」
この女も声がでかい。
「ごみは持って帰らないと」
男はそういうと、その紙を懐にしまった。そして王城に向かって歩き出す。
さきほどまでは軍服を着ていた金髪の男イェンスと、黒髪の男パーシバルは、そっと橋に戻ってきていた。金髪の男は顔が隠れるような鍔の広い帽子をかぶっており、シャツ一枚に黒のスラックスというラフな格好。黒髪の男は眼鏡をかけて、紺色のローブを羽織っていた。
二人は声のでかい二人の会話を聞いて、橋を渡り王城に向かって歩き始める。
そして白い紙を拾い上げた通行人の後を追った。
その男女はあるところまで来ると、急に角を曲がった。金髪と黒髪の男がそれを追っていくと、その男女はひろったはずの紙を水路の向こう側に投げる。そして急に踵を返すと、金髪と黒髪の男とすれ違った。
「向こう側か……」
金髪に帽子の男はつぶやくと、そのままさっと水路を飛び越えた。黒髪の男は無言で、あっさりと水路を渡る。
かなり水路の幅はあるので、普通の人間ならば飛び越えるのは難しい。しかし二人の男は軍人としても極めて優秀な部類の人間だったので、いとも簡単にそれをこなした。
次に会ったのは、鼻歌を歌っている白髪交じりの男だった。
彼は炒った豆を食べながら歩いているのだが、時折豆を地面にこぼしてしまっていた。イェンスとパーシバルは彼を見て、知らない人であるかのようにその男とすれ違った。
しかし二人はしっかりと、豆の落ちている道を選んで歩いていく。
そして二人がかなり早足で道の奥に進んでいくと、先ほど白い包み紙を拾った、平凡な顔立ちの男が角を曲がるのが見えた。
二人は一度目を合わせると、同時に後ろを振り返り、家々の屋根を見つめた。そして、二人同時に全速力で走り出す。
「やば……」
イェンスは帽子が脱げそうになって、慌ててそれを抑えた。
パーシバルは、全力で走っていたが、その姿は限りなく美しく整っていた。
そして二人は角を曲がり、ぎりぎり平凡な顔立ちの男を視界に収める。
「例のものは持っていますね?」
「はい」
パーシバルの問いかけに、イェンスはやや緊張気味に答えた。腰のホルスターには、連射式小型銃が収まっている。
「使うことのないように祈っています」
「でも、いざという時はためらわず引き金を引いてください」
「……承知しました」
イェンスはそう言って、腰に手を当てた。
二人のそんな会話が繰り広げられていることも知らずに、男は極力普通に見えるように歩いていた。ただし本当にただ歩いているので、尾行には全く気づけない。
たまに後ろを振り返ることもあるが、そうなるたび、二人は物陰に上手に隠れていた。そしてばれることなくひたすらに尾行を続ける。
「あの家は……やはり先ほど来た家です」
男がたどり着いたのは、イェンスとルジェーナが一度来た家だった。つまりあの男は二回もイェンスに尾けられていたことになる。
つまり、あまりこういうことに慣れていない人間だとイェンスは判断していた。これはこの前のスカーレット嬢誘拐事件の時と同じく、実行犯と計画者が別である可能性が高い。
「入り口は?」
冷静に犯人像についてイェンスが分析していると、パーシバルはいつもより早口でまくしたてるように問いかけた。
「反対側です。こちら側は壁で……ん?」
説明していると、イェンスは排気口の鉄格子に、黒い何かがまとわりついているのを見つけた。
「どうしましたか!?」
「いえ……窓はあちらです」
しかしイェンスは、ゴミか何かだろうと思って、気にしなかった。排気口の近くに、黒いローブのつめられた小瓶が置いてあったが、気づきもしなかった。
そして二人は、排気口には目もくれず、窓のある路地へと進み、さきほどルジェーナとイェンスがそうしたように、窓をはさんで壁にぴたりと張り付いた。
そして中の様子をうかがおうとした瞬間――
「え?」
「ん?」
――爆発音とともに、金属の何かが派手に床にたたきつけられる音がした。




