脱出劇①
ヴェルテード王国、王都にある王城のさらに中にある王宮。
王宮の中の一つの棟にある一室で、三人の人間がしばし動けずに固まっていた。
原因となったのは、金髪のイェンス・ヴェーダ大尉の読み上げた手紙だった。
「お前の紫の髪の連れは預かった。近くにいたので小麦色の髪の女もいる。二人を返してほしくば、今日最後の鐘がなるまでに、例の白い包みをルッテンベルク通りの四番目の橋の王城側に分かるようにおいておけ」
通路側の扉の前でイェンスが手紙を読み上げた瞬間、部屋の奥にいたパーシバルが、イェンスに近づいた。そしてその手紙をひったくる。
「小麦色の髪……!」
「ベラ……殿下の可能性は高いでしょうね」
「どうしてルジェーナ嬢が誘拐されて、あなたのところに連絡が来るんですか?」
パーシバルのもっともな疑問には、イェンスが簡潔に経緯を説明することで応えた。
ルジェーナが見つけた不審人物について。そしてその人物が兵に押し付けたものを回収し、ルジェーナの嗅覚で後を追ったこと。そして根城の検討だけつけて戻ってきたこと。
「どうして一般人と一緒に不審人物の後を追ったんですか!」
「申し訳ありません」
「言い訳はけっこうです! 大尉が止めていれば、ベラ様が巻き込まれることもなかったというのに……!」
「あいつは止めて聞くような女ではありません。いつもいつも面倒ごとに自分から首を突っ込んで……まったく……」
一度は言い訳をこらえたが、二度目は抑えが聞かず、ついイェンスは反論してしまった。ルジェーナがおとなしく引き下がってくれるタイプでないことは確かなのだ。
「姫様も似たようなところがおありですからね……。自分から面倒ごとに首をつっこまれるようなところもありますし……」
シスラもその言葉を聞いてベラについて思うことがあり、ため息をついた。
「とにかく、ヴェーダ大尉とルジェーナ嬢が見つけたという根城に案内していただけますか?」
「わかりました」
「ちなみに今、白い包みとやらは?」
「研究棟にあります。例の跳ね橋事件との関連性も疑われたので、今、確認してもらっているのですが……」
パーシバルはそれを聞くなり、再び西側の扉を荒々しく開けて指示を出しに行った。
「あ!」
シスラは急に声を上げると、イェンスを見て言った。
「どうしましょう! オーガスタさんだけにどうやって伝えたらいいのか……」
「オーガスタさんだけ?」
「もし侍女全員に伝えれば、口の堅い近衛とはまったく違う生き物ですから、きっと城中の噂になります。そんなことになれば、リシャルト殿下がお許しになりません。姫様の自由はまったくなくなってしまうでしょう。それにそもそも城の者が全員味方とも限りませんから、何を言われるか……」
前半までは自分の身を案じているのかと思ったイェンスだが、シスラが本当にベラのことを心配しているのだとわかり、少し安心した。
少なくとも誰かが他の人間を欺く役を引き受ける必要があるので、主任侍女のオーガスタには伝える必要がある。それに、問題のベラがいる場所もでっち上げなければならない。
「さっき庭園がどうとかと言っていたのは、あのシュゼットという新人侍女にベラ……殿下が城内にいると思わせるためですか?」
「はい。まさかあの子がオーガスタさんの指示を待たずに、勝手に姫様のお部屋に入るなんて思いもしませんでしたから……。姫様の部屋には無断で入るなといった意味を、きっとあの子は理解できなかったのですね」
「彼女が勝手に部屋を抜け出すことを知っている侍女は何人いますか?」
「私とオーガスタさんを入れて四人です。今現在、姫様に仕えている侍女はあのシュゼットを入れて十人おりますので、半数以上が姫様の実態については知りません」
「たった四人……」
「道連れの誓いをしたメンバーだけですからね」
「道連れの誓い?」
シスラがさらりと口にした不穏な単語を、イェンスは思わず問い返してしまった。するとシスラは、ふっと口元をほころばせて言った。
「姫様にお聞きになってください。それは姫様とルジェーナ様の出会いにもまつわる物語ですから」
「二人の出会い……か」
出会って一か月しか経っていないイェンスの知らない絆が、あの二人にはある。だからこそベラはルジェーナと行動をともにし、一緒に捕まってしまったのだろう。
「近衛隊は知っているんですよね?」
「もちろんです。姫様はよく近衛の方々を撒いてしまわれるそうですが……姫様が外出なさるときは、極力、近衛の方が後ろからあとを追うようにしておられますから」
「侍女だけが実態を知らないのはどうしてですか?」
「それは――パーシバル様!」
シスラが答えようとすると同時に、奥の扉があき、パーシバルが軍服の上にマントを羽織って立っていた。
「準備が整いました。馬はこちらから出しますので、案内をお願いします」
「それについては確実性を高めるために、一つ作戦が」
「聞きましょう。ですが、その前に、ヴェーダ大尉にもこれを」
ベラ奪還のためにパーシバルが差し出したものは、イェンスの予想を超えたモノだった。
ヴェルテードの王宮で、ベラとルジェーナの誘拐事件が明らかになったころ。
ヴェルテード王国の王都にある五つの街の一つ、ルッテンベルクの某所では、二人の女性が囚われていた。
二人は気を失っていて、冷たい床にそのまま放り出されていた。
そんな二人のうち、まず、淡い紫色の髪の女性が目を覚ました。
目を開けると、無機質な壁が目に入る。頭の痛みに思わず手でそれを抑え、寝返りを打つと、小麦色の髪の女が倒れていた。
「ベラ……!」
意識が覚醒し、自分の状況を思い出したルジェーナは、部屋をまず見回した。
閉塞感溢れる部屋には、少し高い位置に鉄格子の嵌められた横長の窓がある。扉も窓がついていないので、部屋の中の様子は、かなり高い位置にいる人間でない限り覗き込むことはできない。
「う……ルジェーナ……」
「ベラ、大丈夫?」
ルジェーナはできるだけベラに近づいて囁くように尋ねる。二人が起きたことは極力相手に悟られないほうがよいと判断したためだった。
「ここ、は……?」
「わからない。でも、どうやら、閉じ込められていることは間違いなさそう。油断したわね」
ベラがゆっくりと身を起こして、髪をかきあげた。
「でもなんで、店に入ってすぐ眠くなったのかしら……?」
「たぶん、窓から放り込まれてたんだと思う。これと同じものを。天落花自体は店にもあるから……気づけなくてごめん」
さきほど少しくすねてきた薬物の入っている瓶を振ると、ルジェーナは申し訳なさそうに言った。
「仕方ないわ。木を隠すなら森の中ってね。それにしても……」
二人とも拘束もされていなければ、着衣の乱れもない。ベラははっと我に返ってローブをめくり、スカートの上からふともものあたりを触る。
「武器もそのままか……。いや、わからなかった……?」
ベラの小さなつぶやきを聞いて、ルジェーナも懐を探った。常に持ち歩いている瓶や薬草など、そのまますべて所持している。
「ベラが狙い? それとも私かな? でも……薬物入りの瓶は持ってるんだけど……」
「私じゃないと思う」
「理由は?」
「王女を誘拐するなんて、私怨でないかぎりは、政治的な理由があるとしか思えない。そうすると、いくら私の評判が芳しくなくとも、王女としてもう少しましな待遇をされると思うわ。たとえばベッドに寝かせてくれるとか」
冷たい床を指で小さくたたくと、ベラは冗談めかしてそう言った。
一国の王女を誘拐するとなると、相手への要求も大きいものが予想される。つまり相手に何かを要求してから、それが用意されるまでに時間がかかる。
その間も人質は生きていてくれないと困るため、王女のように一般的には苦労せずに育ったと思われている人間は、生きていけるように最低限の配慮はするものだ。それに、自殺を防ぐために武器は取り上げるのが鉄則中の鉄則である。
「私怨なら……売り飛ばされる可能性が高いから、拘束もされていないのはおかしいもんね。それに、ただ嫌がらせをしたいなら、本当に身ぐるみ剥いで放置したほうが、後々楽だろうし」
「となると……あなたがイェンスに白い包みを渡していたところから見られていたんでしょうね。そしてまさか、半分をルジェーナが持ってるとは思わなかった。それなら、軍人を襲撃するよりは、あなたを人質にして、持ってこさせるほうが楽だわ。ただ……私まで人質にしちゃって、哀れな誘拐犯だけど」
誘拐犯の意図とは無関係に、結果的に一国の王女を誘拐したことになる。先日、王女が事件に巻き込まれることで、刑罰が重くなるということを実感していたベラは、大きくため息をついた。
「ルジェーナは武器になりそうなものは持ってるの?」
「ナイフは持ってるよ。採集用にいつも持ってるから」
「なるほど。舐められてるわね……私たち」
ベラはそういって立ち上がると、窓に近づくように歩き出した。すると彼女の踵の高いヒールがやけに大きな音を鳴らす。
「やば……」
ベラはそういうと、何のためらいもなく靴を脱ぎ、そろえてルジェーナのそばに置いた。ルジェーナはその靴をじっと見つめると、吸い寄せられるようにその靴を手に取った。
靴をひっくり返すと、つま先のほうから踵に向かって傾斜が大きくなり、底全体が高くなっているウェッジヒールだった。このタイプはピンヒールに比べて音が鳴りにくいのだが、この靴は非常にうるさい。
ルジェーナはそれを常から疑問に思っていて、思わずそのヒールの部分に触れた。すると、親指の部分に少し出っ張ったボタンのようなものがあることに気づいた。
「これ……普通の靴じゃないよね?」
「普通じゃないわ。カバーを取ってみていいわよ」
ベラの許可を得たルジェーナは、そっとそのボタンの部分を押しながら、ヒール部分を本体から引き離すようにする。するとかぱりとカバーが外れて、本体についているむき出しの刃が現れた。
「もともと、氷の上を滑れるようになっている靴なの。それを改良してもらって、普通の靴に見えるようにしてもらったのと、いざというときはその刃を取り外せるようになってるのよ」
ルジェーナはもう一度丁寧にカバーを付けると、それを床に戻した。
「その改良が原因で、音がうるさいの?」
「ええ。たぶん本当はもっと静かにできたんだと思うんだけど、近衛のためなんでしょうね」
「近衛?」
「近衛を撒いてばっかりだったから、音が鳴れば探しやすくなると思ったんじゃない? まあ、今日も撒いちゃったから、製作者の努力は無駄骨」
ベラはそういうと、窓のある壁に近づいて、ぐっと首を上に向けた。ジャンプすればベラでも鉄格子には手が届きそうな高さだ。
ベラはおもむろに黒いローブを脱ぐと、それをばさりと広げて部屋の隅に投げ捨てた。
そして後ろに下がり始める。
「気を付けてね」
「大丈夫」
ルジェーナはベラのやろうとしていることを察して、彼女の靴とともに扉の近くぎりぎりまで下がる。
「よし」
小さい声で気合を入れると、勢いをつけて思い切りジャンプした。そして両手で鉄格子をつかむ。ベラはそのまま腕の力で体をひっぱりあげて、顔を窓まで引き上げて外をのぞく。
そして鉄格子の向こう側に誰もいないことを確認すると、腕が伸びきるまで力をぬき、手をパッと放して地面についた。
「ここは地下……半地下ぐらいかしら」
脱いだ靴を履きながら、ベラは自分の推測を伝える。
「鉄格子の向こうは外?」
「ええ。目線とほぼ同じくらいの高さに地面があるから、間違いないはず」
「……あの鉄格子は潜り抜けられないよね」
ルジェーナはじっと窓を見てつぶやき、ベラは続いて窓に視線を向ける。窓は小さく、外からみるとただの排気口にしか見えないに違いない。人の視線はそんなに下を向けられることもないので、のぞき込んでくれる通りすがりの人などいない。
「でもやっぱり、実際見てみるべきかな……」
「ルジェーナも上る?」
「うん」
今度はベラが自分の投げ捨てたローブを回収しながら隅に下がった。
そしてルジェーナは助走をつけ、彼女もまた、鉄格子にぶら下がる。ベラと違ったところは、彼女はひざまでのブーツを履いていて、短いズボンをはいており、さらにベラよりも身体能力が高かったところだ。
腕の力で体全体を引き上げると、そのまま足を壁につけて顔のほうにひきつけ、右足を鉄格子に突っ込んで右腕を鉄格子の向こう側に通して体を安定させる。
路地には人気はまったくなく、見張りすらいない。片足と片腕を排気口から出している人間がいても、まったく何の変化も起らなかった。
ルジェーナは首だけよじってベラのほうを見ると、彼女の持っている黒いローブを指した。ベラはそれを持ち上げたあと、無言で、そして靴の音を立てないように慎重に歩き、黒いローブをルジェーナの左手に握らせた。
「どうするの?」
ベラが小さな声で聴くと、ルジェーナは小さく聞いた。
「これ、破いていい?」
「いいけど……」
その返答を聞くなり、ルジェーナは左手でナイフを取り出し、左足も鉄格子にかけた。そして鉄格子に回した右手で黒いローブをつかみ、口で反対側の端を加えると、ナイフでローブをたるんだ真ん中から切り裂いていく。ある程度さけたら、今度は口からローブを離し、右手で持っていたローブを鉄格子に結び付けると、反対側の端を下に垂らした。
ベラが立ったまま手を伸ばせば届くくらいの長さになったのを見て、ルジェーナはしばし考えて首を振る。
「もう少し破かないと足りないか」
「それなら任せて」
ベラはそういうと、片方の靴を脱ぐ。そしてカバーを外すと、鋭利な刃になった部分を取り出して、背伸びしながらローブの裂け目にそれを当てた。するとローブはするすると切れていく。
「ちょっとそのまま待って」
ルジェーナは一度ベラの作業を止めると、一度鉄格子に結んだローブを外して、ナイフで細かく裂き、懐に持っていた小瓶をローブの先に結わえ付けた。そしてそれごとローブを鉄格子に何度か巻き付ける。巻き付けただけで結びはしなかった。
そのローブにくくりつけた小瓶を鉄格子の向こう側、地上の道に置く。
瓶のふたを外し、むすんだローブの先端を瓶の中に押し込んだ。
「最後まで切って、それをつなぎ合わせてくれる?」
「了解」
指示された通りに切ってさけた二つを結び合わせる。念のために二重にして結ぶと、床に届くほどのながさの紐になる。それを見届けたルジェーナは鉄格子から足を両方外し、一度ローブを軽く引っ張って強度を確かめた後――
「さすが……ベラの服は丈夫だね」
――そんなのんきなことを言いながら、ルジェーナはローブをぱっと離して下に飛び降りた。
「上に登る労力を減らしたかったの?」
下から上につながるローブを見て、ベラは眉をひそめてそう問いかけた。
「ううん。いざという時、逃げたと思わせるためだよ」
「逃げた……? ああ、なるほど」
勘の良いベラは、ルジェーナの意図を理解して、ふむふむとうなずいた。
「導火線になるからね」
しかしその言葉でベラはルジェーナの意図を見失う。
「どうかせん?」
聞いたことはあるが、この場に似つかわしくない単語を耳にして、ベラは思わず問い返す。するとルジェーナはにっこりと笑って言った。
「うん。どうにもならなくなったら……火をつけて鉄格子を吹き飛ばすしかないと思ってね」




