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イェンスとルジェーナ  作者: 如月あい
二章 眠りへの誘い
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黙っていられない人

 時計塔が時間を告げる。

 風が人々の服を揺らし、彼らは各々に秋の訪れを風の中に感じた。街を流れる水路にも、時折色づいた葉が流れている。


 昼の十二時。王都は最も活気づく時間である。様々な職種の人間が一斉に休憩を取り、食事をしに行ったり、散歩をしたり、あるいは家に帰ったり……そうするために人の流れが道にできる。王都で五つある、街の名を関する大通りならばなおさらだ。

 ルッテンベルク通りの、王城から数えて六番目の橋のあたりでは、人が集まっている場所があった。馬車が二台すれ違えるほど広い橋の上で、一人の商人が布を引いて何かを売っている。その周りに客が群がり、野次を飛ばすなり、値段交渉するなりと盛り上がっていた。

 その人が群がっている場所に、一人の男がやってきた。

 ありふれた斑のある茶色の髪に瞳。すっぽりとかぶるタイプの長袖シャツに、ゆったりとしたズボン。靴は動きやすそうな少し柔らかめの素材。何かの作業をしていそうな格好のその男は、平凡な顔立ちをしていた。

 特に特筆すべき点のない男だったが、彼の視線は鋭く、一人の軍人に定めた。その軍人は休憩がてらにその商いを眺めていた。

 男はすっと近づくと、軍人に軽くぶつかった。

「すみません」

 謝りながら男は軍人のポケットに何やら押し込み、さっと離れた。軍人は何か盗られたかもしれないと懐を探るが、財布があることに安堵した。


 一方、男は自分の目的を果たしたことで気が緩んでいた。六番目の橋から三分ほど歩いたところで、立ち止まり、後ろを確認した。

「どういうつもりですか?」

 淡い紫色の髪の女が、男のすぐ後ろにいて目が合った。しかし女の言葉の意味が理解できず、男は再び前を向いた。自分に言われたとは露ほども思っていなかった。

「あなたですよ」

 しかし男は腕をつかまれて、振り向かざるを得なくなった。

「どうして、あんな薬を押し付けたんですか?」

 振り向くと女はつかんだ腕を離す。

「薬?」

 人の多いこの時間だが、この二人に目を止める者はいない。ただ知り合いにあって呼び止めただけのような気軽さで、女は言った。

天落花(てんおちばな)を使った薬です。あそこにいた軍人さんのポケットにいれましたよね?」

 男は図星を指されたことで、目の前の女が危険であると判断した。しかしこの往来の激しい場所でいきなり殴るわけにもいかない。

「しつこいんだよ!」

 男はとりあえず、痴話げんかを装うためにそういうと、女を思い切り突き飛ばした。普通の女ならば、それだけでよろめいて、簡単に撒けるはずだった。

 しかし、突き飛ばされることを察知していた彼女は、後ろに少しだけ跳んでいた。そのため男から伝わる衝撃が少なく、体勢を保ちきる。

 一方、男は女に自分の攻撃をかわされたことに動揺した。そして、このまま逃げ切るのは難しいと判断した男は、懐から短剣を取り出した。そして女に向かってそのままそれを突き出す。

 しかしその短剣は女に届くことなかった。

「何をしてる?」

 横から現れた金髪の軍服姿の男に腕をひねりあげられて、短剣はぽとりと地面に落ちる。

 人通りの多い場で刃物が出されたことに、気づいた通行人はごくわずかだった。その上、その男を軍服をきた金髪の男が取り押さえているうえで、すぐにその興味は違うものへと移っていく。


「いかなる理由があろうとも、街中で武器を振り回すのは感心しないな」


「……」

 男はどうやって逃げようかと視線を巡らせていた。

「それとルジェーナ。お前はなんでまた、こんなことに巻き込まれてるんだ?」

 ルジェーナは、金髪の軍人が自分の知り合いであることにようやく気づき、ぱっと笑顔を見せた。

「イェンス。その男、橋にいた軍人さんのポケットに、怪しげなものを入れてたんだよ」

「怪しげなもの? ……っておい!」

 イェンスの注意が逸れた瞬間、男は腕を思い切り振った。イェンスはそれを抑えきれずに、少し後ろに後ずさった。しかし男が落とした短剣だけは奪い返されないように足で踏んづけて抑えた。

 男は短剣を一度見たが、すぐに踵を返して走っていく。通りすがりの人間は何事かと見たが、すぐにまた前を向いて歩き出した。

「逃がしたか……」

「大丈夫?」

「……ああ。って、それは俺のセリフだ! というより、お前、また怪しげな奴に声をかけたんだな?」

 前回ルジェーナが声をかけたのはイェンスだった。イェンスがもし、ヴェルテードで正式に違法薬物として認定される前の毒薬を所持していなければ、軍服を着ていたので怪しいとは言えなかったかもしれない。ただし、そんな人間に、真っ向から怪しげな薬を持っていますが、何者ですかと聞くのは得策ではない。

 しかしルジェーナはそういう人間だった。

「だってしょうがないじゃない。見つけちゃったんだから」

「しょうがなくない! お前は一般人だという自覚はあるのか!?」

「一般人でも、気になるものは気になるの!」

 イェンスの怒鳴り声は、昼時の大通りの喧騒に負けて消えていく。

 空はきれいに晴れていた。太陽は明るく街を照らし、白い雲はのんびりと漂っている。

「で、どうする気だ?」

「え?」

「すっとぼけても無駄だ。また、私は調香師よ、とかなんとか言って、あの男を追いかける気なんじゃないのか?」

 イェンスは腰に左手を当てて、右手で男が去ったほうを指さした。

 もう姿はまったく見えないが、ルジェーナが人を探すのに、視覚は大した問題にならないということはイェンスも承知していた。

「すごい……。完全にばれてる」

「行くな、って言っても無駄なんだよな?」

「だって、おかしいと思わない?」

「世の中の不思議に首を突っ込む前に、もう少し自分の身の安全について気にしてくれ」

 二人の話は平行線だった。決着がまるでつく様子がない。

「ヴェーダ大尉。お知合いですか?」

 そんな二人に話しかけたのは、イェンスとともに街を巡回していた二ーベルゲン中尉だ。お昼を食べるために二人は第三兵舎に帰ろうとしていたのだが、イェンスがルジェーナを見つけて、突然走り出したのだった。

「すみません。急に走ってしまって。彼女は知り合いです」

 二―ベルゲン中尉は、しばしルジェーナを見つめた。ルジェーナもその視線に気づき、少し首を傾げた。

 すると、彼はふっと笑って、そしてイェンスを見る。

「休憩時間は次の鐘がなるまでですよ」

「はい。……え?」

 本来は休憩時間は一時間だ。しかし鐘が鳴るのは二時間おき。


「城に戻る前に喧嘩を仲裁していて、休憩時間が取れなかった……。そう、報告書に書いておきますから」

 二ーベルゲン中尉は、穏やかに微笑むと、その場を立ち去ってしまった。そういうさぼり方を心得ているのは、さすが三十歳のベテラン兵士である。会話を聞いていて、イェンスのやりたいことの後押しをしてくれたのだった。


「どういうこと?」

「二人で追跡して来いってことさ」

「なるほど。……え、イェンスも来てくれるの?」

「お前ひとりで行かせるよりはマシだからな。ついでに聞きたいこともある」

「それじゃあ、追跡開始……の前に、一つだけ!」

 ルジェーナは突然、くるりと踵を返すと、男が立ち去った方向とは逆に走り出した。そして王城から数えて六番目の橋に来ると、さきほどの軍人を探した。

 彼はまだ商いの様子を眺めていた。

 イェンスはルジェーナについて行こうとして、相手が同じ年ぐらいの軍人だと気づき、やめた。

 同年代のほとんどの人間よりイェンスのほうが位が高い。ルジェーナが先ほど言っていたのは、あの男が薬を押し付けたということだったが、もしかするとあの軍服を着ている男が軍人でなかったり、軍人ではあるが違法な薬物の取引にかかわっている可能性もある。

 彼がもしそういう人間であった場合は、イェンスの存在は相手を警戒させ、事態を悪いほうに運んでしまう危険性が高い。


「すみません」


 少し離れたところからイェンスが見守る中、ルジェーナは無邪気に話しかけた。

「さっき、お兄さんのポケットにごみを入れたいたずらっ子がいたんですけど、大丈夫ですか?」

「え?」

 話しかけられた軍人は、ルジェーナが指したポケットを探し、身に覚えのない白い包みを見つけた。

「それです。よかったら捨てておきますよ」

「本当かい? ありがとう」

 男はそれを確認もせずにルジェーナに渡す。

 それを見ていたイェンスは、あの男が違法取引にかかわっている可能性がないことを確信した。しかし、軍人としてはあまりの注意力のなさに、違う方向性の不安を覚えた。

 ルジェーナは受け取った包みをそのまま握ると、さっとイェンスのそばへと戻った。そして自分より十五センチほど高いイェンスを見上げて言った。

「じゃあ、いこっか」

 ルジェーナはそう言って歩き出したが、イェンスは歩き出すことができなかった。彼はその瞬間、確かに彼女に見惚れていた。

 しかし本人はそれに気づくでもなく、淡い紫色の髪が揺れて遠ざかっていく様子をただ視線だけで追いかける。そしてはっと我に返って、視線だけでなく足も使って彼女を追いかけた。


「疲れてるのか……?」


 そして、見当違いな一言をつぶやいた。



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