表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イェンスとルジェーナ  作者: 如月あい
二章 眠りへの誘い
14/82

断章 ≪あのひのきれいなおんなのひと≫

 それは多分雨の日の夜。日は沈み、外はまだガス灯もなくて暗かった。

 寒くて痛くて怖かった。

 お父さんのお仕事についてきたけど、一人ぼっちだった。大人の話には入れないし、妹のミリアンはお母さんを独り占め。

 だから森で遊んでいたら、道に迷って、転んで膝を擦りむいて、日も沈んだから暗くって、寂しくって泣いていた。


「どうしたの?」


 その女の人が来た時、風が吹いた。長い柔らかそうな髪が風に舞っていた。

 暗かったから、髪の色は分からない。

 綺麗な女の人だった。

「迷って、転んだ」

 そういったら、女の人はそっと傷口に手を触れて、待っててねと言った。

「行かないで」

 その人の長いスカートの裾を掴んだ。すると女の人は笑って首を振った。

「どこにもいかないわ。ただ、手当てするだけ。私は……薬師くすしだから」

「くすし?」

「薬を作れるのよ」

「薬を?」

「そう。薬を」

 女の人はカバンを開けた。なんだか不思議な香りがする。その女の人はいい匂いだったけど、そのカバンはヘンテコな匂いて、思わず顔をしかめた。

「あら、素直な子ね。でもこれが普通かな? それなのに、あの子ったら……」

「あの子?」

「私の娘よ。あなた、名前と歳は?」

「イェンス。歳は七歳」

「娘の名前はね、シルヴィアって言うの。あなたは娘の一つお兄ちゃんね」

 女の人はそう言って笑うと、膝の傷に優しく何かを塗った。ちょっと痛かったけど、すごく優しくしてくれたから、我慢した。

 そしてそのあとに、白い綺麗な包帯を巻いてくれた。

 時折、ほおをくすぐる長い髪も、やっぱりいい匂いがする。


「どうしてここに?」

「つまらないから」

「お家が?」

「ううん。今はお父さんのお仕事についてきた。お母さんは妹に取られて、お父さんはお仕事。歴史の勉強をしなさいって言われたけど、あんまり面白くない」

「歴史のお勉強。そうなの、大変ねえ」

 女の人は隣に座ると、大きく頷いてくれた。

「お父さんは歴史の勉強をする前に、いつも同じことを言うんだ」

「同じこと?」


「陛下、我が剣を以って、すべての敵を闇にほふり、御身を守ってご覧に入れましょう」


 すらすらと、もう何百回も聞いたその言葉を唱えると、女の人は目を丸くしてこちらを見た。

 そしてふと笑って言う。


「陛下、我が盾を以って、すべての敵を光にさらし、御身を守ってご覧に入れましょう」

「似てる」

 難しい言葉の並びだけれど、音の雰囲気が似てたから、きっとこれは仲間だと思った。

「そうでしょう? 双翼の誓いと呼ばれてるの。イェンス君が知ってるのはつるぎの誓い。私のは盾の誓い。王様に、こうやって私はあなたを守りますって宣言したの」

「王様は、守るべき人なんだよね?」

「そうね。それが、剣と盾の家の使命だから」

「でも、どうして剣と盾なの? どっちが正しいの?」

 女の人は瞬きをして、少しだけ考えていた。


「どちらも正しいし、どちらも間違ってるのよ」


 その言葉は、とても難しくて、あまり意味が分からなかった。

「すべてのコトには、二面性があるの。裏と表。私の娘シルヴィアにも、ルジェーナという影がいる」

「ルジェーナ?」

「私の娘よ。シルヴィアと同い年の姉妹なの。でもね、ルジェーナは遠くに行ってしまって、もう会うことはできないの」

「会えないの? 会えないから、影?」

「ううん。ちょっと違うと思う。会えなくても会えても、影であり、光である。剣と盾と同じ関係性」

 女の人は、まったく子ども扱いしなかった。大人が大人に話すように話してくれた。

 難しいけれど、それが嬉しくて、分からないとは言わなかった。

「表と裏……」


 女の人は、そうだ、と言って手を叩いた。

「私が歴史を少し教えてあげる」

「歴史を?」

「そう。王家にまつわる話よ。王様には何人ものお子さまがいるの。王子様と、王女様が」

「ああ! 少しだけ聞いたことがある。王様には奥さんが三人いて、よく喧嘩してるんでしょう?」

「……そうね。そのとおり。喧嘩は奥さんだけじゃなくて、子どもたちも同じ」

「兄弟喧嘩だ」


 妹のミリアンとよく喧嘩する。でも決まってあいつが泣いて、怒られるのは自分だけ。そんなのって不公平だって思うけれど、お兄ちゃんだからって言われてしまう。


「ええ。そうよ。とくに王子様は、誰が王様になるかで喧嘩しているの」

「一番上の王子様が王様になるんだって、お父さんは言ってた」

 そして、だからこそ、お前が忠誠を誓うのはリシャルト殿下だよとも言われていた。

「それは……あなたのお父さんが一番上の王子さまを応援してるから」

「応援してるから、だけ?」

「それに、彼がとびぬけて優秀だから、でしょうね。王子様の中で一番すごい人が、この国では王様になるのよ。それに生まれた順番は関係ないの」

「一番すごいから、一番上の王子さまが王様になる」

「本来の道筋ならば、そうね。でも、一番がいなくなれば、二番は一番になるのよ」

「いなくなる?」

「いなくならないようにするのが、あなたの役目」

「ふうん」

 不思議なことに、このきれいな女の人から聞く話はすっと頭に入ってきた。分からない難しいこともあるけれど、この人は嘘はついていない。


「昔はね、王都は大河リーニュしかなかったの。そこに、王様がやってきて、小さな国を作ったわ。今の王都は、もともとは王都だけで国だったの」

「それで?」


 膝の痛みがすっと和らいでいた。話を聞いていると、いつのまにか雨も止んでいる。森は暗いけれど、もう怖くはなかった。


「でも北側にも南側にも敵がいて、王様は困ったの。だからね、どちらから攻められても、どちらかに逃げられるようにしようと思ったの。それで、城を大河リーニュの真ん中に作った。王宮もその中に。それで、跳ね橋を五つ作って、その跳ね橋以外は、橋をかけてはいけないって言ったのよ」

「だから、北と南は船でしか行けない」

「そう。そうよ」

「でも、両方からやってきたら、どうするの?」

「その時は、お城に逃げて、跳ね橋をあげるつもりだったんですって」

「町の人はどうなるの?」

「町の人は困るわね」

 女の人は困った顔をした後、優しく笑って言った。

「でも大丈夫。王様は、南の人たちと仲直りして、仲間になったから」

「そうなんだ! 北の人は?」

「北の人は、大喧嘩になったけど、王様が勝ったの」

「王様はすごいね」

「そうね。でも、大喧嘩だったから、みんなとても傷ついたわ。勝った方も、負けた方も。喧嘩はね、する前に防ぐ努力が必要なの」

「どうやって?」

「お話しするの。それが第一よ。でもどうしても無理なら……」

「無理なら?」

「守りたい人を守るために、全力を尽くすべきだわ。たとえ、何を犠牲にしても」

「ぎせい?」

「……いつか、分かるわ」

 わからない単語を、その人は説明はしてくれなかった。

 でも、誤魔化しもしなかった。

 二人でそんな風に話していると、ランプを持った誰かが近づいてきた。

「ユリア! こんなところにいたの? ……って、その子は?」

 髪の色も目の色もわからないけれど、優しそうな男の人だった。

「イェンス君。剣の家のね」

「ああ、ここまで仕事で来てるんだ。それなら挨拶しないとね」

「それで、アルナウトは何をしに来たわけ?」

 女の人は、座ったまま腕を組んで、少しだけ首をかしげた。

「もちろんユリアを探しに来たんだよ」

「ふうん。そう」

「迷子だったの?」

 迷子仲間だったのかと思って聞いてみると、女の人は首をふるふると振るって言った。

「家出してたの。アルナウトが迎えに来るまで帰らないって決めてたから」

 そういうと、女の人は片目をぱちっと閉じてにっこりと笑う。

「帰りましょう」

 女の人は立ち上がると、こちらに手を差し伸べた。

「え?」

「一緒に帰ってあげるわ。あなたのおうちまで」

 その手をつかむと、とても暖かかった。

 そして、ぽんと頭に手を置くと、がしがしと髪をなでられた。

「行くわよ、アルナウト」

「帰ってくれるんだね」

 男の人は、ほっとしたように言った。

「まだ許してないけど……この子に免じてね」

「それは……感謝しなきゃいけないな」

 男の人はこちらを見て微笑んだ。

 それを見て、女の人もにっこりと笑う。風がまた吹いて、女の人の髪が、さらさらと揺れた。







「――ス! イェンス!」

 ヴェルテード王国の王都にある一つの街、ルッテンベルクの第三兵舎。その談話室で、金髪の男が肩を揺さぶられて起こされていた。

「ジュール……ありがとう」

「いいえ。どういたしまして。お前がこんなところで寝るなんて珍しいな」

 談話室のソファで眠り込んでいたところを、同期が起こしてくれたのだった。

「いい夢でも見てたのか? すごく気持ちよさそうに眠ってたけど」

「ああ……そうだな。初恋の人の夢だった」

「初恋の人!? どんな人なんだ?」

 ジュールは、あまり恋愛ごとに興味のなさそうなイェンスが、そういう話をすることに驚きながら尋ねた。イェンスは全く恥じることなく、夢の内容を振り返る。

「実は細かいところは、あんまり覚えてないんだ。夢の中では全部思い出せるけど。でも……すごくきれいで、髪の長い女の人だった」

「女の人? 女の子じゃなくて?」

「子どもがいるって言ってたからな。俺の一つ下の」

「だいぶ年上だなー」

「今思えばそうだな。でも……たぶん、あれが初恋だと思う」

 

 夢に見るほど、きっとどこかであれを理想としているのだと、イェンスは感じていた。

 さらりと流れるあの髪が、非常に印象的だった。

 どんな匂いだったか忘れたが、非常にいい香りのする人だった。


「どこの誰かわかるのか?」

「……思い出せないんだ。でも、思い出さないほうが、きれいな思い出のままでいられるかもしれない」

「それもそうだな」


 ジュールはそう言ってうなずくと、ベッドで寝ろよ、と一言つけて去って行った。


「娘の名前だけでも……思い出せればいいんだが」


 イェンスはぽつりとつぶやくと、ソファから立ち上がって、寝室に向かったのだった。 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ