あの香りを追いかけて⑤
「なんだ!」
「何者だ!」
騒ぐ男たちをよそに、イェンスは思い切り舌打ちすると、すばやくスカーレットに近づいた。そして見つかるのを覚悟でスカーレットの脇に両腕を入れ、そのままずるずると全力で後ろに引っ張った。どうにか木陰に隠すと、もう一度元の位置に戻る。
その場の視線は一か所に集中していて、誰もイェンスの存在には気づいていない。
視線の先には背中に刃物を突き付けられたルジェーナがあった。彼女は、さきほど二人が隠れていた森の中からゆっくりと歩いてくる。後ろの男は寸分の隙なく、ルジェーナの動きを観察している。
「その女はなんだ?」
金を渡した側のグループの男がそう尋ねると、刃物を突き付けている男は、ルジェーナから視線を外さないままに、淡々と答えた。
「さあ? もしかするとそのスカーレット嬢のお友達かもしれないが……そうすると、お前たちが尾行られていたことになるな」
「そ……その女は……さっき取り逃がしたやつだ」
誘拐犯のリーダーらしき男がたじたじになって答えた。
「取り逃がした? 誘拐を目撃されるなと言ったはずでは?」
「いいだろ! そいつから現れたんだ。その女を殺せば万事解決――」
突然、パアンッと何かがはじける音がした。それと同時にルジェーナに刃物を突き付けていた男の体が、崩れ落ちた。男の頭からはなぜか血が噴き出ていて、ルジェーナにも血がおもいきりまき散らしていた。
イェンスと向こう側の男たちはすぐに事態を察知したようだが、誘拐犯達はまったく飲み込めていないようだった。
これ以上の好機はない。
持っていた剣を一気に抜くと、そのままの勢いで踏み込み、後ろから一番左側の男を一閃した。
「うわぁっ!」
背中を着られた男はその場に崩れる。
「誰だこいつ!」
するとすぐに、その隣の男がイェンスに切りかかってきた。イェンスはそれを剣で受け止めた。
ルジェーナが気になり、ちらりと横目で見ると、反対側にいた男たちがいっせいにルジェーナに襲い掛かろうと走ってくるところだった。
「おい、シル! 逃げろ!」
そう叫んだ次の瞬間、三人の男がいっせいに襲い掛かってくるのが視界に入った。イェンスはそれを後ろに飛ぶことで避け、一番最初におそいかかってきた男の剣を受け止めた時だった。
パアンッと二度目の音とともに、イェンスと剣を交えている男の、後ろにいた男が血を吹いた。その聞きなれない音に動揺した男の隙をついて、イェンスは剣をはじきとばすと、男の腹に蹴りを入れ、さらに腹を抱えている男の頭を横から蹴り倒した。
目の前で一人が死に、一人が昏倒した様子を見ていた男は、半狂乱になって剣を振り回した。しかし冷静さを欠いた男に勝利はない。
イェンスは極めて冷静に男を急所を外して切る。
そしてすぐにルジェーナの様子を確かめるべく振り返ったイェンスだったが――
パンッ、パンッ、パンッ、パンッ。
――その音で自分の役目がないことを悟った。
四連続で破裂音が鳴り響き、ルジェーナに向かってきていた男四人が、全員、太ももから血を流してその場にうずくまっている。
ルジェーナは、目の前の起きた出来事が消化しきれずに、腰を抜かしてその場に座り込んでいた。
イェンスはすぐに彼女のそばに駆け寄る。彼女には顔や服に血が付いているが、ルジェーナ本人の血ではない。
「大丈夫か?」
「たぶん……大丈夫。――あ、飲んじゃダメっ!」
ルジェーナの叫び声に振り返ると、太ももを撃ち抜かれた男たちが全員、何故か口から血を吐いてその場に崩れ落ちた。
全員毒を飲んだのだった。
ルジェーナはしばらく言葉を失っていたが、その場に膝をつき、手を合わせて祈りをささげた。
そして、顔を上げて、イェンスを見た。
「これ……何が、起きたの?」
「……狙撃したやつは、たぶん敵じゃないから大丈夫だ」
現在の技術では、連続して撃てるのは六発が限度だ。だからこそ敵であったとしても、そうそう撃ってはこれないという確信がイェンスにはあった。これは軍の最高機密の一つだが、ヴェーダ家の者としてイェンスも聞かされていたのだった。
それにイェンスの予想が当たっていれば、これは敵ではない。
「狙撃? 弓じゃないでしょ! 騙されないんだから!」
イェンスはその質問に答えようとして、答えられなかった。代わりにその質問に答えたものがいたからだ。
「弓じゃないわよ。確かにね」
ルジェーナとイェンスが隠れていた方の茂みから現れたのは、連射式小型銃を持ったベラだった。
「やっぱり……あなただったんですね?」
「イェンス?」
急に敬語を使いだしたイェンスに、ルジェーナは違和感をもって名を呼んだ。しかしイェンスとしては、彼女の反応をうかがうまでは、敬語を崩すわけにはいかなかった。
「最初から疑うべきでした。私がお嬢さま、と呼んだ時の反応。さらにあなたは小型ガス灯を持てるほどの金持ちで、あのセルヴィン侯爵家の長男にあの態度がとれる。ダメ押しにその連射式小型銃です」
火薬を使った武器は普及しているが、それは主に要塞や大型船に設置している大砲だ。最近やっと、陸軍の一部でライフルを使用しているが、半数以上は連射できないタイプだ。
人が片手でも打てる銃は、十年前に開発されたばかりであるし、さらにそれを連射式にしたものは、このヴェルテード王国中を探しても、まだ十に満たない数しか生産されていない。
軍部の上層部は今、これを大量生産して、国内の警備の強化と軍事力強化を図ろうとしている。しかしその生産技術を守るために、この武器は存在そのものが軍の最高機密なのだ。
しかしそれを軍の人間以外で、かつ私用で使っても咎められない人物は、王族以外にありえない。
「それで?」
ベラが続きを促すようにそう言った。ルジェーナもまた、イェンスが言おうとしていることを理解して、二人の様子をじっと見つめている。
「その若さで銃を所持できるなら、自然と王族だと考えるしかありません。それで最もセネヴィル少佐と親しい人物と言えば、間違いなくヴェルテードの第三王女、イザベラ・エノテラ・ヴェルテード殿下しかいないでしょう。違いますか?」
「流石はヴェーダ家。これの存在を知ってたのね」
ベラは正体がばれたことを気にする様子はなかった。連射式小型銃を太もものホルスターに戻すと、一度イェンスの後ろに視線をやった。
「だから私の正体に気づけた」
「ええ」
「ルジェーナも知ってるの。私に敬語を使うのはよして。あなたたちの前ではただのベラだから」
赤い瞳がまっすぐにイェンスを見た。
公の場に姿を現すことない、謎に包まれた王女イザベラ・エノテラ・ヴェルテードは、少しだけ不安そうな表情をしてそこにいた。
「……わかった。これでいいんだな、ベラ?」
少し悩んだ後に、イェンスがあえてそう名前を呼ぶと、ベラは嬉しそうにうなずいた。そしてなぜかルジェーナもまた、満面の笑顔を浮かべた。
そしてベラは自殺した男たちを見て、作った笑顔を崩した。
「それにしても……せっかく太ももにしたのに、全員自殺されたんじゃ意味がないわ……」
「見事な腕前でびっくりだ」
男たちは図ったように右太ももの同じ位置を撃ち抜かれていた。彼女がどこから撃ったのか正確にはわからないが、一番遠い男とは、二十メートルは距離があったはずである。
「弓も銃も得意なの。ま、銃のほうが馬上から弓で狙うよりも、よほど簡単だわ」
「それは……最新の武器なのね?」
軍の武器事情を知らないルジェーナがそう問いかけると、ベラはあっさりと頷いた。
「ええ。秘密にしてね。私の正体よりももっと重大な秘密よ」
ベラはウインクしながらそう言ったが、ルジェーナは少し顔を青くした。彼女のいうことも嘘ではないが、不可抗力で知ってしまったことに、抵抗があるのだろう。
「そ、それをあんなに堂々と使ってよかったの?」
「パーシバルを振り切ってこなければ、たぶん止められたんでしょうね」
「え、振り切って来ちゃったの?」
「私に嘘をつくのが悪いのよ。タチアナを抱えさせて、あの男がルッテンベルクに出た瞬間に仕掛けを作動させたの」
「そ、そなの……」
ベラが少し苛立った声でそういうと、ルジェーナは少し引き気味でそう言った。わかってはいたことだが、ずいぶんと大胆な女だな、とイェンスは思った。
近衛でないとはいえ、軍人としては王族を守るのは当然の務めである。そういう意味ではイェンスもベラの行動を咎めるべきなのだが、それはできなかった。
イェンスは正直なところ、ベラの援護がなければルジェーナを守ることはできなかったと感じていたのだ。
「いつから嘘だってわかってたんだ?」
「最初からよ。私を面倒ごとに巻き込みたくないっていうのがバレバレ。そりゃ、私に何かあったら困るわよね。あの男の責任問題になるもの。それより、スカーレットは?」
「ああ、彼女ならあそこに……」
イェンスはそう言って、さきほどの繁みまで戻る。後ろからルジェーナとベラもついてきて、三人でスカーレットのそばに寄った。
ルジェーナは当然のように彼女の首に触れると、脈を図る。
「脈はある。気を失っているだけみたい」
「これからどうするかだな……」
スカーレットを担いでいくのはかまわないが、彼女を家に直接送り届けるのは、彼女が目を覚ましてからのほうがよいとイェンスは考えていた。
彼女自身が状況を説明しない限り、下手をすればイェンスが誘拐犯だと間違えられてしまう危険性がある。
「それはきっと大丈夫」
しかしそんな心配を、ベラは笑いながら否定した。
「もうすぐパーシバルの隊の何人かが来るわ。あれだけ派手にやったんだから。湖にいれば聞こえてるわよ」
「ええ、確かに聞こえていましたよ。ベラ様」
後ろから聞こえた氷点下の声色に、ベラは笑みを一瞬にして凍りつかせた。そして恐る恐るといった風に振り向くと、黒髪の青年がさわやかな笑みを浮かべていてそこにいた。
イェンスは、黒髪だったんだな。とそんなことを考えていた。
「ぱ、パーシバル……タチアナは?」
「さきほど、湖のところで合流した部下に預けました。数名の同僚がもうすぐここに到着するはずです」
「そ、そうなの。じゃああなたはスカーレット嬢をよろしくね。私は状況を伝えるために――」
「――見ればわかります。ほら、あそこ――」
パーシバルが指さしたほうを見ると、三人の男が、まずは生きている誘拐犯の捕縛に取り掛かっていた。
「――すでに作業にとりかかっていますし、あれだけ派手にやれば、聞こえます」
さきほど自分で言った言葉を返されたベラは、気まずそうに笑ったあと、なぜか助けを求めるようにイェンスを見た。
「ねえ、どう思う?」
「どう、とは?」
ここで話を振ってくれるな。そう思ったイェンスだったが、彼女を無視したら無視したで、パーシバルの反応が怖い。
「誘拐犯というか、実行犯は、本当にただ誘拐犯に見えたわよね? でも……」
「主犯の男たちは、撃たれたことに対して冷静に対処してた。そして、逃げられないと悟り、全員毒を飲んで自殺。これは普通じゃない。その上、おそらくあの男たちは……」
「……銃に対する知識があった。つまり、王国軍に関係者がいる可能性が高い。それもかなりの上層部……」
イェンスはふと思い立ってその場を離れると、死んでいる四人のそばへと寄った。そしてその懐を探り、毒物をまだ持っていないかどうかを確かめる。
すると、ルジェーナもそばに寄ってきて、すっと顔を死んだ男の顔のそばに近づけた。
「悪魔の滴……」
香りからそう判断したルジェーナは険しい顔をしてそうつぶやいた。
「悪魔の滴? ……ミル大佐の時と同じか」
「ミル大佐の時と同じ?」
鋭い切り返しに驚いてイェンスが顔をあげると、ルジェーナの淡い紫色の瞳がまっすぐとイェンスを射抜いている。その瞳は、誰かと重なった。
昔、誰かもこんな目をしていたはずだ。
「……イェンス!」
「! ああ……悪い。ミル大佐もこれと同じ毒薬を飲んで亡くなったんだ。王宮で薬師をしていた夫人が犯人として捕まったが……不明点がありすぎて気持ち悪い事件だ」
「ヴェーダ家と対をなす、盾の家ミル家の人物。非常に有能で功績の多い軍人だったのに、なぜか彼は毒殺された。そして、その一番の容疑者が夫人だった……。こんな感じの事件だったよね? でも不明点って?」
ルジェーナは通常よりも早口かつ切実な様子で話している。その必死さに、イェンスはつい、自分の考察を話し始める。
「薬師の夫人がいたのに、どうして毒に気づけなかったのか。それに、夫人がもし毒を作ったとしたなら、どうして自分でも入手できるような薬草を使わなかったのか。彼女が疑われた決定打は、王宮での彼女の薬室から、悪魔の滴に使われる薬草が無くなっていたことだった」
「アカツルハナの根でしょ? アカツルハナが希少価値が高くて、だからその根も王宮くらいでしか扱えないから」
「確かそうだった。でもおかしいだろ? どうしてそんな痕跡の残るものを使って毒殺する? 薬師なら――」
「――もっとほかの、一般に出回っているような毒薬も使えたよね。その通りだと思う」
ルジェーナの真剣な横顔を見て、イェンスは言いようのない不安に襲われた。自分が話したことが、彼女の何かを変えてしまったのではないか。そんな不安に。
「ルジェーナ!」
向こうからベラの叫び声が聞こえた。
「スカーレットが目を覚ましたわ!」
「わかった! すぐ行く!」
ルジェーナも叫び返し、すっと立ち上がった。イェンスはもう少しだけ彼らについて調べようとそのまましゃがんでいた。
「さっきね」
「ん?」
イェンスは顔を上げて、息をのむ。
「シルって呼んでくれてありがとう」
泣いているような、笑顔だった。
それはあっという間に消え去って、ルジェーナはイェンスに背を向けてベラのもとへ行ってしまう。
イェンスがとっさに伸ばした腕が空を切り、力なく地に落ちる。
「あーもう! なんなんだよ!」
不安、空虚、そして苛立ち。
いくつかの感情がないまぜになって押し寄せてきて、イェンスは金色の髪をくしゃくしゃとかき乱したのだった。




