断章 ≪告白≫
『すまない、ユリア』
そう言って、いってしまったアルナウトの顔が今でも脳裏に焼き付いてる。もうこの世で二度と再現されることのない声、香り、姿……。そのすべてがいとおしくて私は冷たい床を掻いた。
私は最愛のあなたを毒殺した容疑で捕まっている。
それでも私が牢獄の中で拘束されていないのは、あなたの妻だからなのかしら。それとも私が優秀な薬師だったから?
もしあなたと出会わない私の人生があったなら、私はきっと調香師になったのに。私はかつて、そう言った。
でも、今ならはっきりと言える。
私の人生にあなたがいないなんて、そんなのあり得ない。だから何度生まれ変わったって私はきっと調香師になれないわ。きっとあなたはいつの時代も軍人でしょうから。
ねえ、アルナウト。
あなたはきっと、私をも助けてくれる気だったのよね。あなたはいつだって”盾”を背負っているのだから。
あなたは誰もが慕うミル大佐。
そのミル大佐を殺した犯人を突き止められずに死んでゆく私を許してね。検討はついていても、証拠がない。
でも、私たちにはシルヴィアがいる。最愛の娘が。
まだ十四歳だけれど、あの子は頭が切れるから、きっと真実を見つけてくれるわ。
捕まる直前に遺書を書いたの。あの子なら絶対に見つけられるように香りを付けて。
あなたにいつもつけさせていた、あの香水よ。
アルナウトと私だけの香り。本当は、シルヴィアにもあげたかったけれど、残りの香水が入った瓶は、ルジェーナのお墓に埋めてしまったわ。あの子はいつかその香水を作りたくなる。ううん、いつかじゃない。きっと私が死んだらすぐにでも。
でもそれがあの子の生きる理由の一つになると思ったから。だから埋めた。
遺書にはね、あなたが殺されたこと。そして私がその容疑をかぶって殺されることを書いた。
私はここで自ら命を立つけれど、おそらく私は処刑されたことになる。ミル大佐を殺した毒で。
あの子はそれによって憎しみを持ち、きっと真相を見つけてくれるわ。
あなたはそんなことを望まないかもしれない。
でも私は、あの子に見つけてほしいの。私の代わりにあなたの敵を討ってほしい。
私が討つこともできたかもしれないけど、でもそれは、きっとシルヴィアの未来を奪うから。
ねえ、これって矛盾してるかな?
「ミル夫人」
心の中で話つづける私を止めたのは、一人の若い兵士。
「なあに?」
彼の手には私の食事を並べた膳がある。スープもこぼれていない。
「あなたは本当に……ミル大佐を殺したのですか?」
なるほど。彼もアルナウトの死に疑問を抱いてくれているのね。彼になら話してもいいかもしれない。
私の牢の近くにほかの囚人はいないし、彼は食事を丁寧に運んでくれる人だから。
そして私は同時に、今だと悟った。
まだ裁判の前だからこそ、私が隠し持っているモノも取り上げられていない。湯あみを一度もしていないから、気づいていないのね。
武器はもっていないか確認されたけれど、そんな小さな薬には気づけなかったようだから。
でももし取り上げられてしまったら、私は死に方を選べなくなる。
そうなるわけにはいかないの。
私が容疑を否定してもいけないわ。
シルヴィアの命がかかっているからね。
黒色に染めた髪を私は救い上げた。このまま死ねば、娘も黒髪に違いないと思ってくれるはず。
あなたと結婚してから、ずっとあなたと同じ色にこだわり続けた私の執念が、こんなところで役に立つなんてね。
何せ、アルナウトも同じ色だから。私たちの家から遠い、王都にいた人は、娘も黒髪だと思い込んでいるんだもの。
でも死ぬまでの時間が長ければ長いほど、私の髪は本来の色を取り戻してしまう。
さあ。いきましょう。
死ぬのなんて、怖くない。
だってあなたのもとにいけるし、それはシルヴィアを救うのだから。
「娘が真相を明かしてくれるわ。香りはすべてを教えてくれるのよ」
私はそう言って、懐に持っていた毒を口に含んだ。
するとそれまではっきりとしていた世界は一気に暗闇に包まれ、一瞬の苦しみがやってきた。
「ミル夫人!」
私を呼ぶ声がする。
でも、さようなら。