Case Of Mies
「ミース様、お客様がお見えになりました」
アズダルク城に戻った翌日の朝。
まだ、ベッドで夢の中にいた私のもとに、フォッカーが予期せぬ客人の来訪を伝える。
躰は疲れを訴えていたけど、アズダルクの領主として来客の応対は大事な責務。
急いでベッドから抜け出し、フォッカーに、
「わかりました。急いで身支度を整えますので、領主の間に先にお通しして差し上げて」
「かしこまりました。ミース様」
頭を下げ、寝室を退出するフォッカーの態度が、どこかよそよそしく感じられる。
「どうかしたのかしら?」と思ったが、その疑問はすぐに解決した。
ネグリジェのボタンの上から二つ、留められずに胸元が露わとなっていた。
「少しくらいなら、見ても構わないのに」
彼の煮え切らない態度に悶々とし、これから会談に向かうにはそぐわない感情が込み上げる。
「私ったら朝から何を考えているのかしら? 早く着替えないと」
妄想を振り払うようネグリジェを脱ぎ去り、一糸纏わぬ姿で鏡の前に立つ。
「イザベルに比べたら、それは見劣りはあるけど、私だって満更でもないはずよ」と自分に言いきかせる。
どうしてこんなに、世の男性は私のことを、一人の女性として見てくれないの……
私は、ずっとそのことを不満に感じていた。
私の器量が悪いから?
私が名家の生まれだから?
私が聖騎士だから?
私がアズダルクの領主だから……
私はトラミノという小さな街の名家の一人娘として生を受けた。
私の家は代々、聖騎士に仕えてきた家系で、私も三歳になったころから、聖騎士に仕えるための教育を受けるようになっていった。
そして、歳を重ねるたびに、周囲の子供たちとは触れ合う機会を徐々に失い、物心がつく頃には、友達と呼べるような存在は一人もいなくなっていた。
しかし、それは当然のことだと、幼いながらも理解していた。
大人の期待、家族の期待に応えることが私の責務なのだと。
私は立派に期待に応えて、第十一聖騎士ミースとして、アズダルクの領主となった。
しかし、それでも心のどこかでは満たされない日々が続いていた。
誰か、本当の私をみて。
誰か、本当の私を愛して。
聖騎士でもなく、領主でもない、本当の私を……
私は常に願い、日々を過ごしていた。
そして、この瞬間、今、その願いが現実のものとなろうとしていた。
「失礼。以前にどこかでお会いしたかな?」
目の前の紳士が優しく微笑む。
「いえ、つい昔のことを思いだしていただけです。こちらのほうこそ失礼いたしました」
グリム卿と名乗る壮年の紳士が、今朝の会談の相手だった。
会談の内容は多岐にわたり、アズダルクの治政を預かる身としては、どれも悩ましい課題であったが、彼の知見の広さに、驚くばかりであった。
彼と話していると不思議と時間の経過も気にならない。
彼の声音は何処までも気持ちよく、彼の仕草、一挙手一投足に心を奪われていった。
朝から続いた会談は、気が付いたら夜更けとなっていた。
「フォッカーは晩餐の用意をしているかしら」
ふと、そんな些細なことが気になる。
出来ればグリム卿にはアズダルク城に宿泊して頂きたいと、心から願うようになっていた。
「いけない。もう、こんな時間だ。ミース様、本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。とても有意義な意見交換をさせていただきました」
「こちらこそ、貴重なご意見を伺うことができ、感謝しております。どうでしょうか。今夜はもう遅いですから、アズダルク城に泊まりになられては?」
生まれて初めて自分から男性を引き留めた。
自分の大胆な発言の恥ずかしさで、顔が赤くなる。
しかし、次に続いたグリム卿の言葉に、私は激しく失意してしまう。
「アズダルク城に泊まるなど、とんでもない。私は今夜はアズダルクの街中に宿をとってありますので、今夜はそこに泊まります。また、いつかお目にかかれる日を楽しみにしております」
グリム卿は、私の誘いを丁寧に断り、深々と頭を下げる。
そして、領主の間から、私の前から立ち去ろうとしている。
私はその後ろ姿を見て、心の底で激しい衝動が沸き上がることを抑えきれなかった。
「だめ。いかないで」
気がつくとグリム卿を後から抱きしめていた。
彼の逞しい体躯が私の躰に触れる。
服の上からでは分からない彼の筋肉の隆起が、私の躰の芯から熱く濡れさせる。
「困ります。ミース様……」
「どうか。どうか今夜だけでも私のために。私のことを思って泊まってはくれませんか?」
グリム卿に涙ながらに懇願する。
今夜の私はどうかしている。
アレウス山脈での出来事が私の心理に影響しているのか……
不潔な手で私の躰を穢した許されざる出来事。
もう、あの出来事は二度と思い出したくない。
「だめです、ミース様。それ以上、言わないで下さい。でないと私は……」
「構いません。初めてお会いしたはずなのに、私は貴方に惹かれているのです」
そこまで言うと、彼が突然振り返り、強引に私の唇を奪う。
「あっ」
あまりの心地よさに、思わず声が漏れる。
次は私から彼の唇を求める。
互いに求めある唇。
「私が、彼に求められている」
もう、引き返すことなど出来なかった。
全てを、初めてを彼に捧げたい。
そう願い、再び、彼の唇を求める。
しかし、そこにあったはずの彼の唇がそこにはなく、虚空が拡がるだけ。
「どうして、グリム卿はどちらに?」
その光景の意味することが理解できずに、焦点が定まらない。
「どこ? どこにいったの?」
火照った身体を慰めるように、私は彼を求め彷徨う。
そして、再び、彼の顔だった場所を見つめる。
しかし、すでにそこは虚空ではなく、見覚えのある、思い出したくない顔、オクスレイの顔がそこにあった……
「いやああああ」
私は絶叫し、拒絶する。
「お嬢ちゃん、それはないだろう」
その言葉と同時に、オクスレイが強引に唇を重ねる。
不快極まりない思いに、私は陵辱された。
「どうか、これが夢でありますように……」
彼が果てるときを願い、私は瞳を閉じた。