上条家の長女と驚愕事実
生まれてこの方、私は自分の家族というものを見たことが無い。
死別したわけではないらしいが、私が三歳の頃に預けられた篠原の家には、彼らのいた痕跡どころか写真一枚なく、子供心に両親は私を置いて遠くへ行ってしまったんだろうと思っていた。
私を引き取って育ててくれた義理の両親は優しい人たちで、五年前に義父が他界した後も義母は私に不便がないよう一生懸命愛情を持って育ててくれた。昔から町内会のアイドルとして慕われている義母は、今でもその天然な性格とキャラクターで色んな人をノックアウトさせている、何とも頼もしい女性だ。見た目は未だに二十代だけど。
そんな生活の中、私が家族という存在を思い出す時と言えば朝、鏡の前に立ったときだ。琥珀色の髪はいつもピヨピヨとあちこち跳ね放題で、きれいに纏まったことがない。義母も全体的に色素が薄いが、私とは少し質が違う。義母は私の寝癖を見るたびに「悠君そっくりだね」と言って頭を撫でては、少し寂しそうに微笑む。そう言われても、そのはるか君とやらの顔すら知らない私にはどう答えたらいいか分からず、私はいつも黙って俯く。義母のその表情を見るのは、あまり好きじゃなかった。
「春愁ちゃん、今日は学校何時に終わるの?」
「ん?今日は午後から先生たちの用事があるから、早めに帰れると思うよ」
朝、いつものように自分で起きて一階へ降りると、すでにテーブルの上には朝食の準備がされていた。
ハチミツたっぷりのハニートーストに、ミルクたっぷりのカフェオレ。それと8等分にカットされた新鮮なトマトとレタスのサラダと、我が家の朝ごはんは毎日ほぼメニューが確定している。
「何か用事でもあるの?」
私がカフェオレに手を伸ばしながら尋ねると、義母さんは自分の朝ごはんをテーブルに置いてにっこりと微笑んだ。
「春愁ちゃんには秘密にしてたけど、実は今日春愁ちゃんのお兄さんが家に来るの!」
「……」
にっこにこと心底嬉しそうにはしゃぐ義母さんに、思わず私はその場でフリーズした。
「……」
「何年ぶりかしらねぇ、一樹君が帰ってくるのって」
「……」
「時々様子を見には来てたんだけどね、その度に春愁ちゃん、剣道の試合とか学校の用事とかで会えなくって、お兄さんとても残念がっていたのよ」
「……」
「あら?春愁ちゃん、どうしたの?」
すっかり固まってしまった私を見て、きょとんと義母さんが小首をかしげる。その愛らしい様子からは、とてもじゃないが四十歳をすぎているとは思えない。しかも似合ってるから怖い。もし私が本当にこの人の子供だったら、この遺伝子が受け継がれていたのだろうか。
というか…
「……私って、一人っ子じゃなかったの?」
「え?違うよ?あのね、春愁ちゃんには十一歳も離れたお兄さんがいるんだよ」
「……」
言ってなかった?と聞き返す義母さんに、私はこくりと頷くだけで精一杯だった。初耳です、義母上。
いや、確かに我が家の生活には色々と不自然な点がいくつかあった。まず、義父さんが亡くなってから母子家庭のはずの我が家で、義母さんは仕事を持たずずっと専業主婦を続けている。株や投資などいった高度な経済技術力を持たない彼女に安定した収入などあるはずはなく、じゃあ今までの生活費や私の学費はどこから捻出されていたのかというと子どもの私にはその出所はわからない。
だが少なくとも、義母さんは今までちゃんとどこかから生活費を貰っていたということだ。それも私と義母さんが二人で一戸建ての家に住めるくらい不自由なく暮らせるような額を。もしかして義父さんの遺産か保険金かと思ってたけど、この間図書館で調べたら、とてもじゃないがこれから先、一生遊んで暮らせるほどじゃないらしい。
だとすると、金の出所は別の場所となる。
「…兄さんって、何してる人なの」
そして初めて知った、兄の存在。てっきり一人っ子だと思っていた私に、血を分けた兄がいたとは。十一歳離れてるということは、今年で二十五歳ということだろうか。
「ふふっ。一樹君はね、世界を守るヒーローなんだよ!」
「…………そっか」
夢見る少女のようにほんのりと頬を赤く染めてそうのたまうお義母様に、私はどうコメントしたらいいか分からず取りあえず頷いた。だが、私の聞きたかったのはそういうことじゃない。もっと具体的な職業のことだ。しかしこの天然な義母にはおそらく私の言いたいことの八割ほども伝わっていないのだろう。いつものことではあるが、やはりこの手のノリには少々戸惑いを隠せない。というか、時々本気でついていけなくなる。
「じゃあ、今日は早めに帰ってくるね」
これ以上実の兄(未確定)に対する印象を悪くする前に、話題を終了させておいたほうがいいと思い、私はそう言って話を切り上げた。義母さんは思った以上に私が嫌がらなかったのが嬉しかったのか、にこにこといつもの二倍くらいの笑顔を浮かべて頷いた。
「一樹君、きっと春愁ちゃんと会えるの楽しみにしてると思うよ」
「…そうかな」
「そうよ。だって、一樹君は春愁ちゃんのこととっても大事に思ってるもの」
どこにその根拠があるのか分からないけど、義母さんはそう自信たっぷりに言った。そう言われても、両親の顔すら分からない私にはその「一樹君」なる人物に大事に思われてる実感は皆無だ。むしろ初対面に近い兄に会うと考えただけで、どうしようもない疲労感すら感じる。出来ることなら会いたくない。何だか凄く嫌な予感を感じるのだ。まるでこの再会を機に、私の生活が大きく変わってしまうのではないかという漠然とした不安だ。
そしてこういう時の勘ほど、よく当たる。
(面倒だな…)
私は嬉しそうに鼻歌を歌っている義母さんに気づかれぬよう、そっとため息を吐いた。なるべく面倒ごとは遠慮したいところだが、こうも手放しに喜ばれてしまっては、今更邪険に扱うことも出来ない。
(…何か、事件とか起きないかな)
ともかくもまだ中学二年という子どもの私に出来ることと言えば、兄の訪問予定が何かしらの事情で変更になることを祈ることだけだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
NEXT>>>