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繭華

作者: 蒼猫

 プロローグ


 お母さん。

 お父さん。今日はどこへ行くの?

 私も? やったー。 ねぇお父さん私あれが欲しい。

 白いリボンの付いた麦わら帽子。

 ねぇお父さんアレは――。



 お昼の喧騒。

 今は、給食の時間である。当番で無い生徒たちは自分たちの気の向くまま行動している。

 そんな中、汁物が入る給食用のバケツ型の入れ物を持つ、給食服を着た女の子と話す男の子がいた。

 彼は別に給食当番ではない。率先して手伝っているのだ。なぜ当番でもない彼が当番の彼女の手伝いをしているのか? 至極当然の疑問なのだが、周りの生徒たちは特に気にも留めていないようだ。

 普通こういう行動を取れば周りの生徒から、からかわれるものなのだが、彼は普段からこういう親切な行動を男女問わずしている。そのため、彼の行動は稀有なものでは無くなっていた。

美野(みの)くんはいつもいろんな人に優しいね」

 給食服を着た女の子が、そう彼に話しかける。

「別に僕は優しくなんかないよ」

 照れ隠しなのだろうか……彼は、そう答えた。すると、教室に入り汁物の入った給食用のバケツを配膳台に乗せ終えると、彼は軽く挨拶し自分の席に戻ろうとすると、自分の席の椅子に不動明王の如く立っている女の子が一人いた。

「――いっちゃん」

 彼女、石動(いするぎ)(まゆ)()の様子を見て彼、美野(みの)行人(いくと)は息を吐いた。

「繭華……人の席で何をしているの?」

 その質問に対して彼女は笑顔で答えている。ただし窓から入る光のせいで顔には影が落ちており彼女の怒りに満ち満ちた刺々しい物言いのため、はっきりと彼女が怒っているという事が分かる。

「何をしていると思う?」

「椅子の上に立って僕を見下ろしている」

 その通りなのだが、彼女が言いたいのはそういう事ではないのだろう。それを感じつつもそう受け答えをする彼なわけだが……。

「ち・が・う!」

 彼女の方はさらに不機嫌になっている。

「いいから降りてくれないかな? 繭華」

 その言葉に頬を膨らませて顔を紅潮させる繭華。そして彼女は行人の頭にチョップをする。それを受けた行人はチョップされた場所を撫でてどうしたものかと考えながら話す。

「何が、そんなに不満なんだ? 繭華?」

 その質問に対して、彼女は顔を近づけ行人の顔を両手で挟んで何も話さずただ目を睨み付けていた。

「何をしている?」

「念を送っているの」

「どんな?」

「いっちゃんの浮気性が治りますようにって」

 そこで彼は理解した。ああなるほど、繭華は自分がクラスの女子と仲良く話していたのが気に入らなかったのか、と。

「仕方ないだろう。あの子は力が弱いんだから」

「いつもはそんな事しない! いっちゃんは、あの娘に気があるんだ!」

 繭華と行人は生まれた時からの幼馴染である。家が隣同士という事もあって昔から遊んでいた仲であり、今でもそういった付き合いは続いているし、行人自身も繭華の事は嫌いではない。

 ただ、石動繭華は変である。

 学校でも行人以外、友人が、おらずまた会話もどこか人とは方向が違っている。

 ただし石動繭華は可愛い。

 変という噂が学校中で広まっているにも係わらず何人もの男の子に声をかけられるほど可愛い。しかし、そのことごとくを振っている。しかもその理由が「あなたの色は美しくないから嫌」とか「あなたは変な形の心をしているから付き合えない」という理由である。それでも彼女に告白する男の子が後を絶たないのは彼女が可愛いく魅力的であることに他ならない。

 ただ、なぜか女の子にも人気がある。ただしそれはなんというか話のネタ的な物なのか、はたまた彼女の小動物的な魅力の為なのかは分からないが、ただ友人にしようという物好きはいない。

 そんなわけで彼女とまともに会話らしい会話を出来るのは彼、美野行人だけとなっている。美野行人から見た彼女は? と言えば、まあ可愛い部類に入る。身内目から見ても繭華は可愛いのだ。ただし美人ではない。髪の長さは肩に辛うじて髪がかかるショートヘアーで片方を髪ゴムで縛っており、さらにヘアピンで前髪で止めている。顔は童顔で、身長も決して高くは無い。体の起伏もそこまで良くは無い。しかし、不思議と人を引きつける魅力はある。それが彼女だ。

 対する美野行人は短髪で背はそこそこ高く筋肉質ではないが運動はそこそこ出来るし頭もそこそこ良いが、魅力というには程遠い。顔も取り立てて良いわけでも無い。唯一、彼の魅力と言えば顔が広く誰にでも優しくそして、学校一変人の石動繭華と会話できること位だろう……。

「この浮気者!」

 繭華が、行人に向かってそう言い放つ。特に行人と繭華は恋人同士というわけではないので浮気も何もないと思う行人だったが、繭華にとっては行人が他の女の子と仲良くされるのが気に入らないらしい。とはいえ、この状態が続くのもよろしくないと思う行人は、繭華に交渉することになる。

「繭華さん。とりあえず僕を挟んでいる手を放して、椅子から降りてくれませんか?」

「いや!」

「……なら、篠野屋のジェラードを奢るから」

「うー。いや!」

「ダブルでも?」

「ダメ!」

 さて困ったという顔を見せる行人。今回は根が深いようだ。いつもなら篠野屋のジェラードで大体、交渉成立となるのだが。

「どうしたら許してくれるの?」

「いっちゃんが浮気しなくなったら」

「だから浮気はしていないって」

 こういっても繭華は納得していない様子のようだ。とりあえず早めに繭華の機嫌を直さないとこの状態が冗談抜きに永遠に続いてしまう。

「あーなら繭華が欲しい物一つだけ買ってあげるから」

「本当?」

「本当だから、手を放して椅子から降りてください」

 繭華はそれを聞くと嬉しそうにヒョイッと跳ねて椅子を降りた。

「じゃあ放課後。商店街だよ。嘘ついたら、お空に飛ばすからね」

 普通は嘘をついたら針千本飲ますなのだが、繭華はお空に飛ばすになるらしい。どういう意味があるのかは、繭華以外誰も知らない。とにかく繭華から許しを貰えた行人は、安堵の表情を浮かべて自分の席に座ると今まで体が我慢していたのか腹の虫がグーとなったので、彼は一息はいて配膳台に並べられている給食を取りに行くのだった。



 放課後。

 美野行人と石動繭華は、商店街でも異質なお店にいた。

 内装は吹き抜けの天窓で太陽光を入れるような作りになっており、また、夕方頃になると、淡い黄色味がかった照明で辺りの木棚を照らして独特の雰囲気を持っているお店だ。

 そして本当に何でもあるお店なのだ。

 繭華が見ている物はフェザーアクセサリーやシルバーアクセサリー類で、

「またそれ? 繭華好きだなー」

 行人が率直な感想を述べる。しかし当の本人は一生懸命それを選んでいる様子だ。

 繭華はこういったアクセサリー特にお守りに該当するようなものが好きで良く行人と見に来る。もちろん値段の張りそうな物も、あればお小遣い程度で買えそうな物もある。なぜ「そう」なのかと言えば、このお店には商品に値札が無い。店主曰く、その商品に出しても良いと思うものを貰えればいいのだという。そんなことで経営は成り立っているのか行人は不思議でならなかったが、そんなことをお構いなしに繭華は一生懸命に選んでいた。

 そして、繭華が選んだのは、円形の紐のようなもの円形内が網のように編まれており、羽やビーズが垂れ下がった不思議な物だった。

「それで良いの?」

 行人がそう尋ねると繭華は頷きそれをカウンターまで持っていくと何か手続きをしているようだそして、行人に近づくと手を出してお金をせがむ。

「いくらだったの?」

「3千円」

 繭華がそういったので行人はポケットの中から財布を出し、そこから3千円を渡した。

 お金の支払いが終わると店員から一言二言、言われた後に繭華が行人の所まで嬉しそうに近づく。行人はやれやれと思いながら、繭華とそのお店を出る。

「まったく今朝の繭華の夢のせいでとんだ出費だよ」

「何言ってるの? 私が見たのは今日いっくんが優しくした子が大火傷をする夢だよ?」

「そのあと僕が繭華に焼きもち焼かれてそれを買う羽目になった」

「それはいっくんが悪いんだよ!」

「はいはい」

 行人は何か安心したようなそんな表情を浮かべていた。

「それにいっちゃんが人にいい顔し過ぎなのが問題なんだよ!」

 繭華がリスのように頬を膨らませて怒っていると、行人は繭華の頭に手を置いた。

「繭華みたく誰とも仲良くしないよりはマシだろ?」

「私はいっちゃんだけいれば他の人は別にどうでもいいよ?」

「……そういうなって」

 そうしたやり取りをしながら二人は家路を歩いていた。



 朝。

 日差しを受けて美野行人は、目を覚ました。

 夏とはいえ朝なので、昼の体が溶けそうな暑さはまだない。

 彼は、ベッドから降りるとカーテンを開けて幼馴染の石動繭華が住んでいる隣の家を眺めた。そこには楽しそう何かを話して朝食を食べている彼女の姿が窓の奥に映っていた。

 彼は背伸びしながら階段を降りる。

 美野行人は一人暮らしである。両親は海外で働いており稀にはがきと一緒に海外から変なお土産を送ってくる。そのため彼の家はその変なお土産で廊下が占拠されており、彼はいづれは片づけなければと思いながらも送られている物に両親の思いが籠っていると感じてしまうため、捨てることが出来ないのである。

 キッチンに入るとそこは綺麗に片づけられていた。先ほども言ったように捨てられない両親の変なお土産はがあるため美野行人の家は散らかっている。ただ彼が生活するために必要最低限の場所にはそれらを彼は極力置かないようにしてあるのだ。

 彼はキッチンにある冷蔵庫を開けるとそこから牛乳を取り出し、買いだめしたシリアルを適当な大きさの皿に盛る。そこに牛乳をかけてスプーンを取り出し、テーブルまで持っていき、冷蔵庫から野菜ジュースを取り出しコップに注ぎ、牛乳と野菜ジュースを冷蔵庫に終い食卓に着いた。

 彼は作業的にそれらを食べ終えると、キッチンの洗い場で皿とコップ、スプーンを洗うと彼は皿を置くためのカゴの中にいれる。その後、洗面台へ向かうと歯を磨き顔を洗い彼は学校へ行く準備を始めた。昨日アイロンがけした制服に袖を通すと彼は家を出て鍵を閉め、隣の家の前で幼馴染の繭華を待つ。しばらく待っていると繭華が慌てた様子で出てきた。線が整っていない制服を着ていて、全体的に丸みをおびている。

 行人はその姿を見ながらやれやれと思いながらも、いつもの繭華らしい行動に気持ちが和んだ。そして繭華と行人は一緒に学校へと登校する。

 ここまでなら何一つ変わりのない普通の日常なのだ。しかし、彼らの場合は少し違う。

 それは彼等の朝は初めに行人のこんな質問から始まる。

「繭華。今日は夢を見た?」

 彼がこんな質問をするのには、理由がある。それは、普通の人が聞いたら何を馬鹿な事をと思うようなことなのだが、

「見たよ」

 この言葉に行人は息をのむ。『繭華が夢を見る』という事それが行人にとっては問題だった。

「……どんな?」

「えっと……隣のクラスの峰岸さんさんが車にはねられる夢」

「お前、またひどい夢を見るなー」

「えーでも夢だよー。私の勝手じゃん」

 繭華には勝手でも行人や周りには勝手じゃなかった。何故なら繭華の夢は――。



 ――現実になるのだ。



 予知夢のようなものだ。

 繭華の見る夢は現実になる。

 悪い予知ばかりするので行人も気が気ではないのである。ただし絶対に回避できないわけではない。なぜか行人だけは繭華の夢に干渉できる。とは、いってもそれには条件がある。それは前日、行人が行ったように予知に関係した人間と関係性を持つことである。ただしどの程度の関係性を持てばいいのか行人にもわからない。昨日場合を例に挙げれば行人は繭華が怒るぐらいにその人と関わり合った。

 昨日の場合はそれで事なきを得たのだが、行人はその前にかなりの失敗をしている。それは、繭華が予知夢を見始めた頃から徐々に分かっていったことなので無理はない。

 その失敗から、得られた経験を元に行人はある程度、繭華の夢に対処できるように辛うじてなっていた。例えば繭華の夢は、繭華が次に眠る前に解決しなければならないということも経験から知った。

 もし繭華が見た夢のあと、この場合だと朝礼が終わった一時限目に眠ってしまったらそれで繭華が見た夢は確定してしまうのだ。そして次の予知夢を見るので行人にとっては気が休まるものではない。そのため行人は常に眠気さまし用の製品をかばんに忍ばせている。

 それも大量に。

 繭華が眠りそうになったらすぐに使えるようにするためである。行人にとって繭華が「なんか眠いね」などと言おうものなら審判の鐘が鳴ったのに等しいほどの恐怖なのだ。

 とにかく行人の一日はまず繭華の夢で犠牲者を出さないことを第一に考えて行動しなければならないのである。

 それが昨日繭華が言っていた「いつもはそんな事しない! いっちゃんは、あの娘に気があるんだ!」、の正体であり、つまり行人は決して女たらしでも八方美人でもなく、ただただ善意で行動しているに過ぎないのだ。だが繭華はそのことをまったく知らない。自分が予知夢を見ることも行人がそれに奔走していることも全てだ。そのため昨日のようにやきもちを焼くのだ。

 それは行人があえて言わないのだから仕方がない。

 さて、今回の行人の仕事は、【隣のクラスの峰岸さんさんが車にはねられる】を回避することにある。問題なのは時間だ。もし朝だったらもうすでにということになる。しかし繭華に感ずかれるわけにもいかず行人は平静なふりをしながら繭華の夢の詳細を聞き出そうとする。

「で、その夢の続きはどうなるんだ?」

「えっとね……車にはねられた峰岸さんさんが救急車で運ばれるの」

「ふーん周りに人は?」

「いっぱい、いるよ。猫に、あと夕飯の買い物をしている人がいたからスーパーなのかな? それで峰岸さんさんが救急車に運ばれた後病院に行くんだけど、そのまま死んじゃうのそんな夢」

「やっぱりひどい夢だな。お前峰岸さんさんになんか恨みでもあるのか?」

「無いよ! それに夢なんて現実に起こらないから夢なんだよ」

 行人は心の中でお前の夢は現実に起こるから問題なんだよと突っ込みたい気分になったがそこはあえて我慢し、繭華の夢の分析を始めた。

(夕方頃で近所のスーパーといえば堺屋だ。あそこのタイムセールは僕もよく利用する。確かに交通量もそこそこ多いから事故が起きるとすればそこだな。問題なのはどうやって峰岸さんさんと関係性を持つかとどうやったら事故を回避できるかだ)

 考えを巡らせる行人。すると、思索に耽っている行人に繭華が服の裾を引っ張った。

「何?」

「いっちゃん聞いてる?」

「……ごめん考え事をしていた。何だったの?」

「もういいよ!」

 腹を立ててぼそぼそと不満を漏らす繭華。そして、

「いっちゃんなんか羽が生えてどこかに飛んじゃえばいいんだ!」

 いつものわけの分からない悪口? を言って舌を出し腰に手をあて、あっかんべーと行人に向かってした。

 行人は繭華のその行動を見て呆れていた。そして、学校に登校するまで彼等のこのようなやり取りは続けられていくのだった。



 教室に到着すると行人は、まず授業の内容を見る。

「どうしたの? いっちゃん?」

「ごめん繭華。先に席に着いてくれないか?」

「? なにかあったの?」

「教科書を忘れた。隣の教室に借りに行くよ」

「ふーん」

 行人はそういうと、繭華と別れて隣の教室へ向かう。

(さてと……)

 隣の教室に入ると、中には生徒達が各々、友人たちと雑談に花を咲かせていた。その中で行人は女の子達が談話をしている中に割って入り、

「ごめんちょっと良い?」

 すると女の子達の目が行人に集まり、立っていた髪の短い女の子が訊ねてきた。

「美野くん? どうしたの?」

「峰岸さんさんにお願いがあるんだけど……」

 行人がそう言うと座っている女の子が首を傾げながら、

「何?」

 と聞いてきたので行人は笑いながら答えた。

「ごめん実は次の時間の教科書を忘れてさ、借りにきたんだ」

「次の授業って何?」

「古典だよ」

「ふーん。はい美野君ってよく忘れ物しているね。この間は七瀬さんに借りてたよね?」

「うーん。僕も直そうと努力しているんだけどね」

 苦笑いを浮かべながら、行人は古典の教科書を受け取ると、その場を立ち去った。

「さて、第一関門は突破といったところかな」

 廊下でそう呟く行人。自分の教室に入ると繭華が目に入った。繭華は教室の端で窓の外を――空を眺めていた。いつもの光景に安心しつつ行人は自分の席である繭華の後ろの席に座る。そして、先ほど借りた峰岸さんの古典の教科書を机に置くと、鞄からノートや辞書を用意し始める。その中には自分の古典の教科書も入っていたが、行人はそれを繭華に気づかれないように鞄を閉じた。

 学校に予鈴が響き渡る。

 行人は席に着き教科書を開いている。しかし繭華はチャイムなど聴こえていないかのように空を眺めていた。そして一時限目を終えると、借りていた教科書を隣のクラスの峰岸さんに会いに行く行人。

「ありがとう峰岸さんさん。助かったよ」

「ふふ、美野君は抜けているね」

 優しく微笑む峰岸さんに行人は苦笑いを浮かべた。

「お礼と言ったらあれだけど今日何か奢るよ」

「え? いいよ別に大したことしてないじゃない?」

「僕がそういう気分なんだよ。下心とかないから素直に受け取ってくれると嬉しいな」

 すると峰岸さんは左上に視線を向けて考え始めた。

「じゃあ、篠野屋のジェラードで手を打とうかしら?」

「うん分かったじゃあ今日の放課後に」

「はいじゃあ楽しみに待ってるよ」

 そんなやり取りを終えると、行人は峰岸さんと別れた。そして、彼はこの後どうしようかと考えている。

 篠野屋は堺屋とは逆の方向だ。だから繭華の見た【峰岸さんが堺屋に行くこと】は一時的とは言え阻止はできたのだが、問題なのは【峰岸さんが車にはねられる】ということ。それは、まだどうなるか分からない重要な問題だ。篠野屋にも無論、車は通る。なので行人は峰岸さんが、車にまだはねられる可能性を捨て切れていなかった。ただ篠野屋は路地にあるので希望的観測ではあるが、少なくとも【車にはねられて峰岸さんが死ぬ】ということは回避できたのではないかと行人は考えた。だが、あくまで希望であるので楽観視はできなかった。

 そのため行人はまだ学校で峰岸さんとの関係性を深めなければと思っていたのだ。

 教室に帰ると、繭華が机を枕にしていたので行人は焦り、繭華の元に駆け寄った。しかしその心配は杞憂に終わった。ただ机を枕にして外を眺めていただけだったのだ。行人は息を整えて平静を装いつつ繭華に話しかけた。

「何を見ているの?」

「空」

 抜くような息を吐くと行人は、繭華にカフェインの入った眠気覚ましのトローチを渡す。「食べる?」

「食べさせて」

 繭華がそう言うので、行人はやれやれと思いながら、繭華がアーンと口を開いている中にトローチを舌の上に置こうとすると、繭華は行人が指を抜く前に口を閉じてしまう。引き抜こうとするともう舐め始めていたため舌独特の柔らかい感触と唇の感触が行人の指に伝わり行人は抜いた後、繭華の唾液の付いた指を眺めた。トローチの甘い香りと繭華から発せられる女の子特有の石鹸と体の匂いが合わさった香りが合わさって独特の香りをそこから発して行人はドギマギした。

「美味しい」

 無垢な笑顔を行人に向ける繭華。行人は顔から火が出そうな勢いで赤くなりその熱を冷ますように席を立って無言でトイレへと向かった。繭華は何が起きたのか分からないらしく子供のように、首を傾けた。



 トイレの手洗い場で手を洗う行人。

 繭華の口の感触が残る指を水が流れていた。行人は大きくため息を吐いた。それは繭華の「無防備さ」にである。繭華はいわゆる女の子のしとやかさというものとは無縁である。だから先ほどのような行動が出るのだが、行人はそのたびに今のようにドギマギすることになるのだ。

 もしこれで繭華が他の男子と付き合っていたらどうなる事やらと思う行人。親心というか、なんというかそんな気持ちが働くのだ。自分じゃなかったら間違いなく勘違いされるであろう行動。

 それが彼女、繭華の魅力になっているのもまた事実なのだが行人はそこに危うさのようなものを感じていた。

 行人は手を洗い終えるとハンカチを出して手を拭う。しかし行人にはその案件より重大な問題がある。

 繭華の夢の回避。それをどうするかという問題だ。今のところ峰岸さんと関係性を作ったと言えるほどには、まだ遠い行人。とにかく彼の今日一日は峰岸さんのために使われるのだ。しかし彼には面倒くさいなどという感覚は無く、どこか義務感で繭華の夢を相手しているようだ。

 行人が教室に帰ろうしたとき教員室からプリントを持った峰岸さんが出てくる。彼はすぐに行動した。

「手伝うよ。峰岸さん」

「美野君? どうもありがとう」

 峰岸さんの持っていた大量のプリントを持つ行人。

「やっぱり美野君って噂通りだね」

「?」

「みんなに優しいってみんな噂しているよ」

「……僕は別に優しくは無いよ。」

「そんな、謙遜して」

 しかし行人の顔には謙遜の色など無く本当に自分は優しくなど無いと思っているようだった。

 そして丁度教室に差し掛かったので峰岸さんがきれいな笑顔を見せて、

「美野君ありがとうここで良いよ」

 と言ってプリントを持って彼女は彼女の教室に戻って行った。行人はそれを見届けると踵を返して自分の教室に帰ると、繭華が幸せそうな顔してまだトローチを舐めていた。

 その顔があまりにも幸せそうだったので行人は繭華の鼻をつまんで引っ張った。

「!? 何するのいっちゃん! 痛い! 痛いよ!」

 手を離すと繭華は自分の鼻が伸びていないかの心配を始めてその後、苦言を漏らした。

「もう、いっちゃん人が幸せ太陽さんな時に悪戯しないでよ」

「無防備なお前を見ているとなんかそんな気持ちが湧くんだよ」

 行人がそう言うと繭華は「うー」っと唸って、行人をじろりとした目でにらんだ。行人は、謝るわけでもなく繭華の頭を撫でた。すると「ふにゃ」っと気持ちよさそうな声をあげて繭華は脱力した。すると先ほどまで睨んでいた瞳に怒りは無くなってしまい今あるのは猫のようにもっと撫でてほしいとねだる繭華の頭があった。

 基本的に繭華が本気で怒ることは行人が他の女の子と仲良くしているとき位で、その他は大抵、頭を撫でると許してしまう。単純なのか心が広いのか良くわからないところだが彼女はそういう娘である。

 そうこうしている内に二時限目チャイムが鳴り響き行人は繭華を撫でるのをやめて授業の準備を始めた。撫でるのをやめたとき繭華が「あ」っと残念そうな声をあげたが行人は聴こえてないふりをした。



 二時限目、三時限目と授業が進む度に行人は毎回峰岸さんに接触を試みていた。ただしあまり露骨にならないように細心の注意を払ってだ。

 そうあくまで付き合うことが目的ではない。関係性を作っていくことが目的なのだ。

 しかし、学校という閉鎖された空間ではなかなか思うように事は運ばない。そして、午後の授業が終わると繭華が話しかけてきた。

「いっちゃん。一緒に帰ろう」

「悪い今日は、先約があるから一緒には帰れない」

「えぇー」

 とても残念そうな声を上げる繭華。だが、繭華もタダでは引き下がらない。

「先約って何? また、浮気でもしているの?」

「そんなんじゃないって」

 当たらずとも遠からずといったところの繭華の勘。ただし、行人も折れるわけにはいかない。

 それに行人は繭華と付き合っているわけではない。あくまで幼馴染として相手をしているのに過ぎないのだがどうやら繭華の中では行人と付き合っていることになっているらしい。

「明日は病院だろう? その時一緒に行くんだからから今日は勘弁してくれ」

「嫌だ! 私は、いっちゃんと一緒に帰るんだ」

 そう言って譲らない繭華。しかし行人には大変な事態が待っているわけだからここは引けない。

「今日は本当にダメなんだよ。お願いだから言うこと聞いてくれよ、繭華」

 すると今度はボロボロ泣き出す繭華。

「うぇーん。いっちゃんは私のことが嫌いになったんだー」

「なんでそうなるの?」

 行人は当惑した。別に繭華のことは嫌いではないのだ。それは確かで、間違いないのだがそのことを伝えても伝わらなかった。そんな状況にやきもきしながらも行人は泣いている繭華の頭を撫でた。

「別に繭華のことが嫌いになったわけじゃないよ」

「……本当?」

「本当。信じてよ」

 上目づかいで行人の目を見る繭華。しばらくすると何かを納得したように頷き繭華は行人に再度確認する。

「本当に浮気じゃない? 私のことを嫌いになったんじゃないの?」

「大丈夫。僕は繭華の事を嫌いになったりしないよ」

 行人がそう言うと何か安心したように「えへへ」っと笑う繭華。そして、行人の頭を撫でると、繭華は先ほどまでの様子が嘘だったかのように教室を出た。繭華を教室から見送った行人は安堵するように息を吐き、峰岸さんのいる隣のクラスへ向かう。

 今日でどのくらいの関係性を築けたのか? 峰岸さんを繭華の夢から回避させることができるのか? そう言った事が行人の頭の中を廻っていた。考え事をしながら歩いていたせいだろう教室に入ろうとした時に誰かにぶつかる行人。咄嗟にそちらのほうを見て謝る。

「ごめん。大丈夫ですか!?」

 するとお尻をさすりながら少し不満交じりの独り言を漏らしたのは、峰岸さんだった。

「いたた。もう美野君ちゃんと前を見ないと危ないじゃない! それに遅い!」

「ごめん繭華に捕まってた……」

「石動さん? そうならしょうがないわね」

 何かを察したかのように峰岸さんはため息を吐く。それを見ながら先に立ちあがった行人が峰岸さんを助け起こすために手を差し伸べていた。それを快く受け手を握り起き上がると、峰岸さんは悪戯ぽい笑顔を見せた。

「遅れた罰として、今日は篠野屋のジェラードのダブルを頼もうかしら」

 行人はそれを聞いて両手を上げながら降参のポーズをを取って軽く言った。

「いか様にも、お嬢様」

 それを聞いて峰岸さんはくすりと笑った。



 行人と峰岸さんは、篠野屋の前にいた。

「うん。やっぱり篠野屋のラズベリーのジェラードはいつ食べても美味しいわね」

 弾んだ声で峰岸さんはカップに入ったジェラードをスプーンで掬って舌鼓を打つ。その隣で行人はアイスクリームコーンの上に乗ったバニラのジェラードを頬張っていた。

「そう言えば美野君ってコーン派なんだね?」

 峰岸さんの質問に対して行人は不意を突かれてしまい素っ頓狂な声を上げた。

「ふぇ? いや別に特に気にしたことはないんだけど……」

 ついでに言うなら行人の頭の中でそんな質問が来るとは想像もしていなかったのだ。

「知ってる? アメリカのある記者が調べた結果なんだけどコーン派とカップ派のどちらかが多いかというと……どちらだと思う?」

 正直、行人にとってはどうでもよかった。なぜなら彼にとっては峰岸さんが事故にあわないかが重要な問題だからだ。しかし、これも関係性を強めることになると思い真剣に考えることになった。

「うーん……そうだな……カップ派?」

「ブー、はずれ。若干コーン派が多いんだって。なんでだと思う?」

「コーンがあるほうが美味しいから?」

「違うわ。コーンが宣伝するときに写真映えがするからよ」

「それだけなの?」

「ええそれだけ。だからもしカップが写真映えしたなら、そっちが売れるということなのよ」

「……」

 行人はその言葉に考えさせられることになった。「もしカップが写真映えしたなら、そっちのほうが売れる」。それはまるで自分を指しているようだった。もし自分が関わらなければ峰岸さんは今日死ぬはずだったのだ。今は生きているしこれからも生きてほしい。だが行人は過去の過ちも思い出していた。もし自分が関わっていなければいや、繭華と出会っていなかったら自分はどのような人生を歩んでいたのだろう。そんなことを考えていたとき手元のジェラードが重力に引かれて落ちた。

「もう美野君ボーとし過ぎ」

「ごめん。じゃあそろそろ帰るか……」

 行人が帰ろうとした時に峰岸さんに別れの挨拶の代りにこう言った。

「車には気をつけてね」

「なーに美野君先生みたい」

 峰岸さんは軽やかに微笑むと見えなくなるまで行人は、その後ろ姿を目で追った。



 行人の姿はスーパー堺屋にあった。すると何か辺りが騒々しい。その時、突然目の前が暗くなった。

「だーれだ」

「繭華?」

 声の感じと自分にこんなことをするのは繭華しかいないと思いそう答えると目の前の視界が開けたので行人は後ろを見るとそこには買い物袋を持った繭華がいた。

「買い物?」

「うん。お母さんがね今日カレーを作る筈だったんだけど材料を買い忘れてきてその、お遣い。でもなんか凄いことになってるね」

「何があったの?」

「なんでも猫が飛び出してきてトラックが壁に激突したんだって」

「トラックの運転手は?」

「無事だよ。ただ猫のほうはダメだったみたい」

 それを聞いて行人は人込みを乗り越えて事件現場を眺めた。母猫なのだろうか……。一匹の猫が車に引かれて無残な姿を晒していた。行人は心の中で「ごめん」と謝った。

 きっとこの猫は峰岸さんの代りに死んだんだと行人は思った。そしてなんとなくだが察した。峰岸さんがなぜ車に引かれなければならなくなったのか。たぶん峰岸さんは猫を助けるために車の前に飛び出すことになったのだ。それが今日繭華が見た夢の正体なのだと。それを行人が変えた結果峰岸さんは助かり、猫は死んだ。行人の心は痛んだ。普通の人なら人間と猫の命など比べるべきものではないというのだろうが、行人にとってはそれは同じ命だったのだ。大きいも小さいも無い。

 どんな生き物にも生きる権利はある筈なんだと思いつつ、安堵してしまっている自分が腹立たしいかったのだ。すると繭華がぼそりと、

「神様がいるなら運命なんて変えてくれればいいのに」

 と独り言を呟いた。

 その言葉を聞いた瞬間、行人は泣きそうになった。ただ繭華の前では泣けず、我慢して絞りとるように「帰ろう」と繭華に言ったのだ。



 繭華と行人が夕方から夜になりかけの道を歩いていた。

「結局朝の夢ってなんだったんだろうね。いっちゃん」

「さあね。でもまあ夢なんだから気にしなくてもいいよ」

 行人は自分に嘘をついた。

 気にしなくてもいいと言いつつ彼は、あの猫のことを気にしていた。行人が峰岸さんに関わったからあの猫は死ぬことになったのだ。自分が殺したようなものだと行人は感じていた。

 だが、もし何もしなければ峰岸さんが死んでいたのだ。それだけは避けたかった。

 峰岸さんが死ぬことではなく、繭華の夢が現実になること。

 行人にとってそれは最も避けたいことなのだから。

「着いたね」

 繭華が家の前でぼそりと言った。

「そうだね。じゃあまた明日」

「うん。また明日」

 そう言って繭華と行人はそれぞれの家に帰った。

 行人が自分の家に入ると中は月明かりだけが頼りになるほど暗かった。行人は玄関の電気をつけ二階の自分の部屋に入るとそこで明かりをつけ、繭華の家を覗いた。そこには繭華が家事をしている姿があった。行人はそれを見た後、自分も夕食を取ろうと思い下に降り台所にストックされたカップラーメンにお湯を注ぐためにやかんに水をいれてコンロにかけた。そして、テレビをつけると丁度あの事故のニュースがやっていた。



 トラックが壁に激突 死傷者なし。

「……運転手の話によると急に飛び出してきた猫を避ける為にハンドルを切りそこなったとのことで、死傷者がいないのが不幸中の幸い……」



 そこでテレビを消す行人。

「嘘だ」

 行人は言い捨てるようにそう言った。そして、外を見ながら行人は今日死んだ猫に向けて呟いた。

「もし怨むなら僕を怨んでくれ。けっして繭華を怨まないでください」



 美野行人はぼんやりと天井を眺めていた。今日は繭華と行人が病院に行く日。

 行人は病院の待合室で消毒液の独特の匂いを感じつつ繭華が診察を終えまで待っていた。

 彼は今退屈していた。かれこれ一時間ただ繭華の診察を待っていたのだから仕方ない。

 そんな行人は同じ待つでも、行列に並んで待つのと、こういう病院で待つのとは時間の経過の仕方が違って感じるなあと考えていた。



 僕は目を覚ました。

 昨日の出来事が嘘だったかのように空は快晴だ。

 僕はいつものように窓の日差しを受けて起きる。僕の手には、まだ繭華の手の温もりが離れない。それだけが昨日のことを現実だと僕に伝えていた。

 僕にとって繭華は何なのだろうか?

 幼馴染?

 腐れ縁?

 そのどれともつかないような感情が僕の中にあったがそれが何か僕には分からなかった。

 僕はそんな気持ちを抱きながらいつものように準備をしていた。そして一通り準備を終えると僕は簡素な朝食を食べて、登校する支度を整えると繭華の家の前で待っていた。

 繭華が出てきて「おはよう」というと繭華はなにかぼんやりしているようで、いつものようには返さなかった。僕は気にせず繭華と一緒に歩き始めた。そしていつものようにあの質問をする。

「繭華。今日は夢、見た?」

「見たよ」

「ふーん。どんな夢?」

 その時だ。

 繭華の唇が僕の唇に重なった。

 不意な出来事だったため僕はどういうことなのか分からなかった。ただ全身の神経が唇に集まるようなそんな感覚。繭華の石鹸と女の子の甘い匂い、形容できない柔らかな感触、熱い息遣い全てが感じられた。

 ほんの一瞬だったんだろう。だけど僕にはその時間が永遠に感じられた。

 そして繭華が唇を離すと、少し頬を赤らめて、

「こんな夢」

 と言って返した。

 そのまま逃げるように繭華は走り去った。僕はひとり残されて空を眺めた。その時はっきりと感じた。世界の色が変わるのを。

 僕にとって繭華は……。

『もし僕に羽があったなら、きっと飛べるだろう。ただ、高くはない。その羽はきっと彼女のためにのみあるのだから』


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