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浄玻璃の鏡

 牛頭ごずさんに、シロくんとメイさんがいらっしゃる場所の道順を教えていただきました。

 わたしはヒョウくんを肩にのせたまま、歩いていきます。

 ヒョウくんは疲れてしまったのか、わたしの肩の上で器用にも船をこいでいました。

 シロくんとメイさんは、ふだん法廷で裁判をおこなっているとき以外は、たいてい、それぞれにあたえられた執務室にいるそうです。

 庁舎は中央玄関から入って、大広間、死霊の方々の待機室、ご休憩所、中央塔、会議場など――本館、別館に、さまざまなお部屋をそなえています。

 目的地は、本館の一階の奥まったところです。

 なんども足を運んだことがある法廷ならばいざ知らず、それよりも奥にある空間は、わたしにとって未知といってもいい領域です。


「うう……。こちらで間違いないはず、ですよね……? えーと、まずまっすぐ行って、右に行って、そのまま直進して左に曲がって……」


 あたまの中でどうにか地図をつくってみようとはするものの、なにぶん似たような赤絨毯の敷かれた廊下がつづいているために――ええ、もちろん完全に言い訳ですが――わたしは、道がわからなくなってしまいました。


「ヒ、ヒョウくん……どうしましょう。わたしたち、迷子ですよ!」


 のんきにわたしの肩で寝息をたてているヒョウくんにむかって、わたしはつぶやきました。

 誰かに道をきこうにも、あいにく周囲に人はいません。

 死霊さんたちはこんなに奥まで入ってこないでしょうし、獄卒さんたちもあまり通らない道なのかもしれません。


「戻りましょうか」


 帰り道すら不安が芽生えつつありますが、とりあえず、わたしが踵をかえそうとしたときのことです。

 ――呼ぶ声が、聞こえました。

 わたしはその場に足をとめます。

 まわりには、代わり映えもしない長廊下――樫の木のような色合いの扉が、等間隔に奥までならんでいます。


「……誰です?」


『どうか、ここにいらしてください……』


 ひどく、惹きつけられる男性の声です。

 わたしは、この声を聞いたことがある気がします。

 けれど、どこで……だったでしょうか。

 遠い、記憶のなかで――。

 火に引きつけられる虫のように、わたしはその声が大きくなる方にむかって、進んでいきます。


『こちら……です……』


 わたしは、一枚のなんの変哲へんてつもない扉のまえで、足を止めました。


「ここですかね? おじゃま、します……」


 わたしはそう断りを言って、そうっと扉をあけました。

 扉はふだん使われていなかったのか、きしんだような音をたてて、ひらきます。

 中は、真っ暗でした。

 床には、埃がつもっています。

 どうやら、ずいぶんと使われていなかった部屋のようです。

 わたしが中に入ろうとしたためなのか、廊下にただよっていた火の玉さんが一緒にそろりと入ってきてくれました。

 室内は、ほの白い灯りに照らされます。


「ものおき……ですね」


 ならんだ棚のうえには、巻き物が置かれています。

 かなり古いものもあるらしく、紙の端がぼろぼろに欠けていたり、色がくすんでしまっています。

 しかし、わたし以外に人影もありません。


「気のせいだったのでしょうか?」


 わたしは、首をひねりました。

 声など、勘違いだったのかもしれません。

 許可なく室内に入ってしまったことに、罪悪感をおぼえました。

 足早に出て行こうとしたわたしを、誰かがまた引き止めました。


『こちらです』


 けれど、やはり、周囲には誰もいません。


『私は、御前ごぜんにおります。布を、めくってくださいませ』


 わたしの目の前にあったのは、緋色のおおきな布です。

 なにか、長方形のものが隠されているようでした。

 わたしは布に手をかけて、思い切ってめくります。

 そこにあったのは、鏡でした。

 ふつうの姿見の、二倍くらいの大きさがあります。

 鏡には、大きな亀裂が入っていました。


「かがみ……?」


 その表面は、くもってしまっています。


『ああ……まさかとは思っていましたが……。なんてこと……』


 鏡の男性の声が、おっしゃいました。

 わたしをなじるような声音です。


『せっかく、お父上とお母上が御魂みたまをかけて作ってくださった結界を……壊してしまわれたのですね……?』


「どういう、意味……ですか……?」


 彼は、なんのことをおっしゃっているのでしょう。


『あなたさまのお体は、あなたさまを閉じこめるためにあったもの……。いわば、結界の役割をしていました。それが失われた以上、もはや……』


 彼は、しばらく押し黙り――重い口調で、告げました。


『――逃げてください』


「……逃げる? どこへ……?」


『どこへでもいいのです。天道でも、人間道でも、修羅道でも……。あの男がいないならば、たとえ地獄道でも、楽土にちがいありません』


 それほど、彼がつよく注意される相手とは――いったい、どなたなのでしょう。


『あの男は、あなたさまを追って、すでに幽界にくだってしまっています……! はやく、はやく、逃げなければ――』


「あの男……?」


 わけが、わかりません。

 けれど、彼の声は、わたしを急きたてます。

 なぜか、彼のことを信頼できる相手だと、わたしは本能で感じてしまっているのです。


「あなたは……?」


『……私は、浄玻璃じょうはりの鏡と申します』


 それはたしか、閻魔さまが死者の裁判のときにつかうとされている、鏡のことではなかったでしょうか。

 すべての死人の生前の善行悪行を、映しだしてしまうという。


『どうか、その御手を私に』


 わたしは、鏡にそう乞われて、そのくもった表面にふれました。

 冷たい感触がしたと思うと、鏡の表面が波打つように揺れました。そして、見知らぬ少女を映し出します。

 息を飲むほど美しい少女でした。

 膝ほどもある、ぬばたまの黒髪。

 その頭部には人間ではない証である、ふたつの角がありました。

 少女は、わたしを見て怖気づいたように、一歩、後ずさりしました。

 ――いえ、後ずさりしたのは、わたしのはずです。

 鏡の中の少女が、わたしの動きの真似をしてくるのです。


「やめてください……っ! だれです……?」


 わたしが右に手を伸ばせば、彼女も右へ手を伸ばします。

 鏡がおっしゃいました。


『――私は、真実を映します。たとえそれが、その者にとって、どれほど不都合な事実であっても』


 そのとき、突然、扉がひらかれました。

 わたしは隠れんぼをしていて見つかってしまった子供のように、びくりと身を震わせました。


「……誰か、そこにいるのか?」


 その男性が、こちらにむかって呼びかけていました。



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