閻魔さまの十王会議
「もう、ぼくからお前に教えることは、なにもない。お前は、ぼくの特訓によく耐え抜いた。とうとう、ひとり立ちするときがきたんだ」
大豆洗い先生は、わたしにむかってそう言いました。
「大豆洗い先生……!」
わたしは感動に、胸をふるわせました。
小豆を洗って、はや10分……。もはや、すべての洗いの手順をマスターしたわたしに、敵はいません。
大豆洗い先生は言いました。
「おまえに、名を授けよう――その名も、〈小豆洗い〉だ」
わたしは、師匠から名前をもらいました。
妖怪・小豆洗いの誕生です。
師匠から『おはぎ』の作りかたまで教わって、なんとか作りおえることができました。
炊事場の壁にそなえつけられた死者時計が、お昼の時を告げています。
『死ぬ~、死ぬ~』
と、冥府の底からひびくような怨嗟の声が、12回くりかえされました。
どうやら、お昼の12時をまわったようです。
ちなみに死者には文字盤がなく、中央に暗い穴があいているばかりなので、うっかり回数を聞き逃したら大変なことになります。地獄の官吏さんたちにとても不評らしいです。
「大豆洗い先生、ありがとうございました! このお礼は、またいつか……っ」
「いいんだ。弟子が困っているところを助けるのが、師のつとめさ」
大豆洗い先生は、鼻の下をかきながら格好良いことを言いました。
もういちどお礼をいうと、わたしはヒョウくんに案内されて、厨房を出て行きます。
わたしの手にある風呂敷包みには、『おはぎ』が6個入っています。
《 あずき洗おか、ひと取って喰おか 》
わたしは師匠直伝の歌をくちずさみながら、閻魔庁庁舎にむかいました。
* * *
庁舎のながい廊下には、死霊さんたちが列をなしていました。
死霊さんは、古典的に下半身が透けている方もいらっしゃれば、生前とまったく変わらないすがたをなさっている方もいらっしゃいます。
彼らを統率しているのは、獄卒という――地獄の鬼さんです。
その列の先頭にいらしたのは、わたしも顔見知りの方でした。
「まあ、牛頭さん。こんにちは」
牛頭さんは、牛の頭部と人間の男性のからだをもった、体長2メートルをこえる妖怪さんです。
つねに半裸で、その胸の筋肉を周囲にみせつけています。
「ああ、だれかと思えば、おとぼけ女じゃないか」
牛頭さんは、気安い口調で、わたしにそう返してくれました。
彼はわたしにむかって歩きながらも、仕事を忘れません。列から離れていこうとする死霊さんを、容赦なしに鞭で叩いています。
「一か月前は、お世話になりました」
わたしは、ぺこりと頭をさげました。
わたしは死んだばかりのころ、どこに行けばいいのかわからず、地獄をさまよっていました。
ほんらいの地獄という場所は――とてもひろくて、おそろしいところです。
血の色をした池だまりや、足をつきさす棘の道。
幽世の大半は、生物がとうてい住めそうにない荒野です。
わたしがふだんいるたくさんの生き物のたましいが眠るこの町は、幽界のなかでもほんの一部にすぎないのです。
わたしのように、迷子になってしまった死霊さんを、むかえにきてくれるのも獄卒さんたちのお仕事らしいです。
わたしは、ここに連れてきてくれた牛頭さんに、とても感謝しています。
まあ、それを牛頭さんに伝えれば「変わった女だ……」と、またしてもすげなく返されてしまうのでしょうけれど。
わたしとヒョウくんを見て、牛頭さんは首をわずかに傾げました。
「閻魔さまに、ご面会か?」
「ええ、そうなのです」
にこにこしながらそう答えると、牛頭さんはすこし躊躇するようなしぐさをしました。
「知らなかったのか? 閻魔さまは、いまこの庁舎にはいらっしゃらないぞ」
「えっ、そうなのですか?」
わたしは、目をまるくしました。
「ああ、今日は【十王会議】の日だからな。持ちまわりで開催地が決まっているから、今回は秦広庁にいらっしゃるはずだ」
十王とは、閻魔さまをふくめた冥府の王さまのことです。
この地をおさめていらっしゃるのは閻魔さまだけですが、こことはべつの幽世に、それぞれの地を支配する十の王さまがいらっしゃいます。
それぞれ死者の罪をさばき、つぎの世にいく道をあたえていらっしゃるのです。
たとえば、死後6日を経て送られるのは、秦広王さまの世界です。
秦広王さまの審議が終わってどこかの地獄に落とされることが決まっても、死後13日めには初江王さまの審理が待っています。
そうして、めぐりめぐって、ひとは十回の審議にかけられるのです。
いちど地獄におちても、次の王が罪はかるいと判断すれば、楽土に送られることもあります。
ちなみに、閻魔さまは死んでから34日目におこなう裁判を、担当していらっしゃいます。
ふと思い返してみれば、ふしぎなことに……わたしは閻魔さまの審議の前にいるはずの、四王さまに、お会いしたことはありません。
神がしるした“天命録”に、名がなかったからです。
ほんとうに地獄で迷子状態だったのですね。
しょんぼりしつつも、手にもっていた風呂敷包みを見おろしました。
閻魔さまに召し上がっていただけないのは残念ですが、シロくんも、メイさんもいらっしゃいます。
閻魔さまには夜にはまた会えるのですから、そのときにお渡しすればいいのです。
すこし落胆したものの、気を取りなおしました。
「牛頭さん、シロくんとメイさんがどこにいらっしゃるか、ご存じですか?」