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妖怪小豆洗い

 お食事処に入ると、シロくんが長机の前で地獄新聞を広げて読んでいました。

 地獄新聞は社会派の記事を多くあつかっているらしく、わざわざ小難しい表現をつかって読者を翻弄ほんろうしている――としか、わたしには思えない――新聞です。

 お子さまなのにその頭脳、おみそれしました。

 わたしの視線に気付いたらしく、シロくんは胡乱うろんげな眼差しをわたしにむけます。


「どうしました?」


「い、いえ……」


 日本で暮らしていたころ、新聞といえばテレビ欄と4コマしか読んでいなかったわたしは、シロくんを直視できません……。

 閻魔さまはご親切にも、わたしを椅子に座らせてくれました。


「あ、ありがとうございました。閻魔さま」


 わたしがお礼を言うと、閻魔さまはうなずきます。

 その様子を、シロくんは新聞ごしに憎々しげに見ていました。


「兄上……どうして、そこまで乙葉さんにかまうのです? わざわざ抱いて運んだりして。ぼくには、乙葉さんには、ちゃんと足がついているように見えますがね」


 年に似合わず、嫌味たらしい口調です。


「――シロ」


 閻魔さまにたしなめられて、シロくんは口を閉じました。

 なにか感情をこらえているように、唇を引き結んで顔を真っ赤にさせています。

 シロくんはつかんでいた新聞を乱暴に机に叩きつけて、出ていってしまいました。


「シロくん……!」


 わたしが立ち上がろうとすると、閻魔さまに手で止められました。


「でも……っ」


「あいつの配下が、あとを追うから」


 ――だから、大丈夫だ、と言うことなのでしょう。

 わたしは、シロくんが座っていた席を見下ろしました。

 そこには、まだ手がつけられていない食事が残されていました。

 悲しいことに……わたしは、シロくんに嫌われてしまっています。



 * * *



 わたしはいつものように朝餉あさげをおえると、閻魔さまを【妖怪通り】につうじる、お屋敷の門口までお見送りしました。


「――お気をつけて、いってらっしゃいませ」


 閻魔さまにそう声をかけます。

 ふいに、ざわりと、わたしの肌が総毛立ちました。

 間近で、なにか、気配をかんじたような気がしたのです。

 けれど、わたしのまわりには――わたし以外のだれもいません。

 閻魔さまはわたしを一瞥いちべつすると、わたしの周囲にも視線をめぐらせて、こうおっしゃいました。


「……ああ。みなの者、あとはまかせた」


 ――ああ、皆さんいらっしゃるのですね。

 わたしは、すぐそばで、たくさんの生き物の存在をかんじることがあります。

 しかし、いくら視線を横や後ろにむけても、なにも見えません。

 いつもお世話になっている皆さまのことが、わたしの目には映らないのです。

 わたしはこのお屋敷で、閻魔さまとシロくん以外の方を、目にしたことはありません。

 まいにち食事を用意してくださったり、ご親切に看板を用意してくださっている方が、どなたなのかも知らないのです。


 閻魔さまが歩くたびに、ぽつぽつと、暗い家々からあらわれた火の玉さんが、戸口をすりぬけて出てきます。


「……みなの衆、おはよう」


 たくさんの生き物のたましいを従えて、閻魔さまは今日もまた、庁舎にむかわれます。



 * * *



 閻魔さまをお見送りしたあと、わたしにやることは残されていません。

 死んだばかりのころは、まいにちが夏休み気分で、好きなだけだらけた生活をしていました。

 けれど、しばらくもすれば、それに耐えられなくなります。

 何かできることがないか閻魔さまにうかがっても、『特にない』と、返されるばかりで。


「わたしに何か……できることはないのでしょうか?」


 閻魔さまは、わたしに何不自由ない暮らしをさせてくださっています。

 裁判延期を言い渡されて途方にくれていたわたしを、閻魔さまが引き取ってくれたからです。牢屋に拘留しておくという選択もできたのに、です。お優しい方なのです。

 ――けれど、閻魔さまのご厚意に甘えてばかりでいいのでしょうか。

 わたしは惰眠だみんをむさぼるヒョウくんのお腹をなでました。

 ぽってりとしたヒョウくんのお腹は、短くてやわらかい毛があるので、ついついふれてみたくなります。

 ぺしっと、尻尾ではたかれました。

 尾にはうろこがついているので、けっこう痛いです。


「なにか、閻魔さまたちのお役にたちたいですね……」


 せめて、このお屋敷の使用人の方のように、炊事でも掃除でもいいからしていられたら、まだ気が楽になのですが……。

 かといって、しなくていいと言われていることを強引にするのも、どうなのでしょうか。かえって迷惑になったりしないでしょうか?

 一時的に保護してくださっただけとはいえ、ただ飯食らいというのは居心地の悪さを覚えます。数日間ならまだしも、今後どのくらいかかるのかもわかりませんし。それに、すでに一か月は経っています。

 ふと、そのとき、頭に浮かんだものがありました。


「――そうだ! 何か差し入れを持っていく、というのはどうでしょうか」


 先ほど、シロくんは食事もとらずに出ていってしまいました。

 これは仲直りのチャンスかもしれません。差し入れ程度ならば、きっと皆さんの迷惑にはならないでしょう。

 さいわい、長年のあいだ施設のこどもたちの面倒をみてきただけあって、家事全般は身にしみついています。

 材料さえあれば、わたしにも何かつくることができるはず。


「問題は……何をつくるか、でしょうか」


 どうせならば、好物をつくって差し上げたいですよね。

 残念ながら、シロくんのお好きな食べものはわかりません。ですが、以前、閻魔さまのお好きな食べものは聞いたことがあります。


『閻魔さまは、食べ物はなにがお好きですか?』

 閻魔さまは、長いあいだ――1分ほどにもなるでしょうか――押し黙られたあと、こうおっしゃいました。

『……おはぎ』

 ――と。


 実のところ『おはぎ』は作ったことはありません。

 ちょくちょく閻魔さまとのお食事の際に出てくるそれを不思議には思っていましたが、まさか閻魔さまの好物とは……。

 しかしながら、地獄におちてしまった以上、いまさら料理本で勉強することもできないのです。悔やんでも、あとの祭り。


「かといって、ここでは誰かにつくり方を聞くこともできませんし……」


 わたしが、うじうじと悩んでいたためでしょうか。

 やれやれ、と言ったような億劫おっくうそうな動きで、ヒョウくんが起き上がりました。わたしにむかって、べしっと荒縄を飛ばしてきます。


「ヒョウくん、ご無体です……」


 手加減されているとわかっていても、それなりに痛いのですよ?

 わたしが半ベソをかいていると、ヒョウくんが『ついてこい』とばかりに、尻尾を揺らして歩き出しました。



 * * *



 ヒョウくんに案内されて進んでいくのは、まだわたしが足を踏み入れたことのない――お屋敷の奥深くです。


「ヒョウくん……あまり奥に行くと、戻れなくなりません……?」


 すこし不安になりながらも、わたしはヒョウくんに導かれて歩いていきます。

 壁がゆらめき、わたしが視線を送るたびに、その姿を変えます。

 平行感覚がおかしくなってしまうのでしょうか。

 わたしが車酔いにも似た気分を味わいはじめていると、ようやくヒョウくんは足を止めました。

 そこには紺色の暖簾のれんがあり、奥からまばゆい光がもれています。


 《 大豆だいず洗おか、人取って喰おか 》


 リズミカルな歌が、中から聞こえてきました。

 そろりと覗き見ると、そこは調理場のようでした。

 石造りの流し場と、ならんだ石窯いしがまがあります。

 

 楽しそうに歌っていたのは、シロくんと同じ年頃の少年でした。

 人間でいえば、5歳か6歳でしょう。

 耳元で切りそろえた、つややかな黒髪が印象的です。

 頭にはちいさな角がふたつ。子鬼さんのようですね。

 彼は自分の何倍もある水桶から水をくみ、流し場まで運んでいました。


「こんにちは。何をなさっているんですか?」


 初めて出会った、このお屋敷につとめている方です。

 わたしはうれしくなりました。

 子鬼さんは驚いてしまったのか飛び上がり、わたしを見つめて固まりました。


「え……? に、人間……?」


「ええ」


 わたしが近づいていくと、子鬼さんは蒼白になって壁際まで逃げていきました。


「な、なぜ逃げるのです!?」


 ようやく見つけた話し相手です。

 逃がす気などありません。

 わたしは両手をひろげて、彼にむかって近づいてゆきます。

 子鬼さんは、震えた声で歌いだしました。


「だ、大豆、洗おうか……、ひと、取って……喰お、か」


「……うん?」


 子鬼さんの大きな瞳からは、涙がこぼれ落ちそうになっています。

 そのちいさな体が、ぷるぷると震えていました。

 

「逃げない……? なんで、逃げないんだよ! こうやって歌ったら、人間はみんな逃げていくのにっ」


 理不尽にも怒られてしまいました。

 子鬼さんがわんわん泣きはじめてしまったので、わたしは彼に近づき、その小さな頭を何度も撫でました。


「泣かない、泣かない。こわくないですよ」


「えーん、人間はこわいよぉ……」


「そうですねぇ。人間はこわいです」


「やっぱり、人間なんて食べてやるんだっ」


 ちいさいのに、おっしゃっていることはさすがの妖怪さんですねぇ。


「お姉さんはこわくないですよ? わたしは閻魔さまの、小間使いです」


「……こまづかい?」


「ええ、つまり……わたしと子鬼さんは、同僚さんですね。仲良くしましょう」


 わたしがそう言うと、子鬼さんはようやく警戒をといたようです。

 興味しんしんといった眼差しを、わたしに向けています。


「ぼくは、子鬼じゃない。大豆洗いっていう」


「まあ、大豆洗いさん?」


「うん。ぼくが洗った大豆は、とてもおいしくなるんだよ。だから閻魔さまのおうちに、雇われているんだ」


 大豆洗いさんは、えっへんと胸をはりました。

 わたしはふと、思いついたことを聞いてみました。


「大豆洗いさんは、小豆あずき洗いも……お得意ですか?」


「もちろん!」


 わたしの覚悟は決まりました。


「――どうか、わたしを弟子にしてください」


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