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この病の名

『この子をどうにか隠さねば。――に見つかる前に』


 桜が舞い散る夜でした。

 見知らぬ男性が、そう言いました。


 ――ここは地獄?


 空は暗い闇に包まれています。

 どこかの小高い丘の上で、ふたりの男女が寄り添っています。

 彼らを見下ろすのは、巨大な一本の桜。

 その太い幹や枝葉からは、煌々と光がこぼれています。まるでその桜自身が、光を発しているようです。

 女性の腕に大事そうに抱かれた赤ん坊は、産着うぶぎに包まれていました。


 はらり、と桜の花びらが、赤ん坊のまるい頬に落ちました。

 それに続いて、雨のしずくが――。


 ――雨?


 いえ、雨ではありません。

 女性のこぼした涙が、赤子の顔に落ち、筋を残して消えていきました。


『神を恨みます。なぜ我が子をこのような運命に落としたのか……』


 ――わたしは、彼らを知っているような気がします。

 なぜか、その声がとても懐かしく感じるのです。

 聞いていると、涙をこぼしてしまいたくなるほど……。


 これはどこの光景なのでしょうか。

 幼いころから何度も見る夢です。

 

 ――会いたいです。

 とても、

 会いたいです。



  * * *



 ぺたぺたと、頬にやわらかな感触がしました。


「うーん……?」


 寝返りを打つと、「ヒョー」と怒りの声が聞こえました。

 さらに、ぺたぺたと肉球がわたしの頬にふり落とされます。

 ぺちぺちぺちぺちぺち。


『いいかげん、起きろってば!』


 そう言われているようです。

 わたしがうっすら目を開けると、目のまえにヒョウくんがいました。ヒョウくんは、猫くらいのサイズの赤ちゃん妖怪のぬえさんです。

 わたしは口元がだらしなく崩れるのを感じました。

 肉球で起こされるなんて、良い朝ですねぇ。


「ヒョウくん……おはようございます」


 わたしは寝ぼけまなこで、ヒョウくんを抱き寄せました。そして思う存分、その桃色の肉球をモミモミモミモミしてやります。

 ヒョウくんの毛が逆立ちました。


「痛……っ」


 頬を爪で引っかけられてしまいました。

 わたしの手の力がゆるんだときを見逃さず、ヒョウくんは寝台から飛び降りると、毛づくろいをはじめます。

 ヒョウくんは赤ちゃんとはいえ、誇り高い妖怪さんです。

 自分よりも下級の生き物――わたしのことです――に良いように肉球をもまれたのが、我慢ならなかったのでしょう。

 ヒョウくんが懐くのは、ご主人さまの閻魔さまだけです。

 わたしは寝台の上に正座すると、ヒョウくんにむかって頭をさげました。


「ご無礼をお許しください、ヒョウくん」


 ヒョウくんは、つんとわたしから顔を背けました。


「だめですか? 許されない罪でしたか?」


 わたしがなおも哀れな顔をつくって言うと、ヒョウくんはようやくわたしの方に視線をちらりと向けました。

 しっぽの先がちょっと揺れています。


『ま、そこまで言うなら許してやらんこともないけど? いくらお前が閻魔さまのお気に入りといえど、俺さまの方が偉いのだから、敬意をもったふるまいを忘れないように』


 そう言われた気がしたので、わたしは低姿勢で「ははー。おっしゃる通りです。ヒョウくんの寛大なお心、感謝いたします」と頭を下げました。

 毎朝の恒例行事です。



  * * *



 わたしは別室で着替えを終えると、ヒョウくんを肩にのせて食堂にむかいます。

 長い廊下は右にいったり左にいったり、お屋敷のなかにもかかわらず、複雑怪奇なつくりになっています。

 よく迷子になるわたしのためか、ご親切にも廊下の道が分かれているところには『お食事処はこちらです』と矢印のついた看板が浮いています。

 ――えっと……言い訳させていただきますが、決してわたしが方向音痴なわけではありませんよ?

 一般人なみです。……たぶん。

 地獄では町も家の中の道すら、好き勝手に動いているのです。

 真っ暗な内廊下ですが、赤色や青色の火の玉さんが浮いているので、とても明るく感じます。


「皆さん、おはようございます」


 火の玉さんはさわっても熱を感じませんが、わたしがふれようとすると、怖気づいたように逃げてしまいます。


「――ああ、おはよう」


 背後から声がして、わたしは飛び上がりました。

 ふりかえると、そこにいたのは閻魔さまでした。

 いつものお仕事中のきっちりした衣装ではなく、部屋着であるためか、上衣と下衣のつながった藍色の長い衣をゆったりとまとっていらっしゃいます。


「おはようございます」


 わたしは慌てて、閻魔さまに頭をさげました。

 本当は閻魔庁の百官(お役人さま方)のように膝をついて『ははー』とした方がいいのかもしれませんが、閻魔さまはわたしにそういうのをされるのはお嫌いらしく、わたしは他の方に対するような気安い態度で良いと許可をいただいています。


「え、閻魔さま……?」

 

 妙にじろじろと見下されて、わたしは困惑しました。

 閻魔さまは、相変わらず、ほんとうにお美しい。

 男性にそんな表現はおかしいかもしれませんが、そう称えるしかありません。

 わたしなんて、足元にもおよばないほどの端正な容貌なのですから。

 迫力があるので、無言で目のまえに立たれると、わたしはつい、わたわたとしてしまいます。


「えっと……閻魔さま?」


 わたしは長い袖口でなんとなく口元を隠しながら、もしや何かおかしな点があっただろうか、と思い返してみます。

 寝癖でもついているのでしょうか?

 いちおう、先ほど鏡を見ながら髪を櫛でとかした際には、特別おかしな点はなかったような気がするのですが……。

 とりあえず、胸元まである髪を手で押さえつけてみます。

 閻魔さまは、ようやく重い口をひらきました。


「頬……」


「はい……?」


「……どうした?」


 なるほど、ようやく合点がいきました!

 閻魔さまはわたしの頬についた小さな引っかき傷を目にとめて、心配してくださったようです。


「あ、これは……たいした傷でもないし、すぐに治りますよ。ありがとうございます」


 わたしが肩にのったヒョウくんに一瞬視線をむけたために、閻魔さまにも誰か犯人かおわかりになってしまったようです。

 閻魔さまの視線をうけて、ヒョウくんはびくりと身を震わせました。ヒョウくんが緊張しているのが伝わってきます。


「あ、いえ! わたしがヒョウくんの肉球をもみすぎたせいなので……っ」


 わたしが慌てていうと、閻魔さまはようやく視線をヒョウくんから外しました。

 ――さきほど一瞬、閻魔さまの瞳に卍の模様が浮かんでいたように見えたのは気のせいですよね?

 閻魔さまはそんなに大人げないことはなさりませんしね。

 ヒョウくんはわたしの肩から飛び降りると、逃げるように食堂の方にむかって行ってしまいました。


「あ……っ、ヒョウくん」


 わたしが駆けていくヒョウくんの後ろすがたを目で追っていると、ふいに頬になにかがふれました。

 閻魔さまの手でした。

 わたしが凍りついていると、閻魔さまのご尊顔がゆっくりとわたしのほうに近づいてきて――。

 わたしは一気に顔に血がのぼってしまい、その場にくずれ落ちました。

 頬を手でおさえると、たしかに濡れていて――さきほどの行為がまやかしではないとわかります。

 こんなときすらまったく表情を変えず、閻魔さまはわたしを見下ろしています。


「……痛みは?」


「え……?」


 心臓が激しく脈打ちすぎていて、閻魔さまの言葉がうまく聞き取れませんでした。わたしの心臓、うるさいです……。


「痛みは、消えたか?」


「あ……っ」


 ようやく閻魔さまの意図に気付いて、引っかかれた傷に意識をむけました。

 痛みはさっぱりと消えています。

 閻魔さまが舐めて治してくれたのでしょう。

 閻魔さまは妖怪さんなので、治癒能力が半端ないのです。動物が怪我をしたところを舐めるのと同じです。深い意味はありません……!


「あ、あの……ありがとうございます……」


 しかしながら恥ずかしいことには変わりがないので、赤くなってしまっているだろう顔をうつむけてお礼を言いました。

 閻魔さまは「ああ」と、そっけなく答えます。


「食事に行くだろう?」


「――はい」


 腰がぬけているので、立てませんが……。


「どうぞ、お先に……」


 わたしは後で行きます、とそういうつもりで言ったのですが、閻魔さまは首をかしげています。


「どこか、他に悪いところが……?」


「いいえ、そうではありません……!」


 わたしが慌てて首をふります。

 閻魔さまは眉をよせました。わずかに、1ミリほどのことですが。

 最初は無表情としか感じられませんでしたが、よく観察していると、閻魔さまのお顔に感情らしきものがあらわれているときがあります。

 口角のあがり具合や、柳眉りゅうびのよせ具合――最近では、そういった、ごくささいな変化で、閻魔さまの感情がわかるようになってきました。

 ……まあ、それもミリ単位の位置のちがいによる判別なので、たまに見間違えるときもありますが。

 閻魔さまはわたしに近づくと、おもむろにわたしを抱き上げました。


「きゃ……っ」


 わたしのくつが空中で揺れています。

 閻魔さまは、わたしを片手で支えています。

 前から思っていましたが、力持ちですね。

 まあ、見た目と能力は違っていて当然なのでしょうが……。

 閻魔さまはわたしを食堂まで運んでくれる、おつもりのようです。


「え、閻魔さま……、その……重くはないですか?」


「……べつに」


 そっけないのに、閻魔さまはあたたかいです。

 わたしは、この暮らしが気に入っています。

 それでも、たまにこうして閻魔さまのおそばにいると、胸が引き絞られるように苦しくなるときがあります。

 ――わたしは、この病の名を知っています。


 ストレス社会に生きる現代人に多い病気――。

 そうです。

 不整脈です……。


 やはり、お医者さまにかかるべきなのでしょうか。

 しかし、わたしはすでに死んだ身。

 今さら、からだの不調をどうやって治せばいいのでしょう。

 ほとほと、困り果てています。



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