殺されたのは最初からいない人
わたしが話し終えると、三人は難しい顔をしていました。
閻魔庁の庁舎の、法廷です。
閻魔さまも、シロくんも、メイさんも、黙りこくっています。
しばらくして、閻魔さまが重い口をひらきました。
「……まずひとつ。乙葉に言いたいのは」
「はい……」
閻魔さまは、わたしを膝にのせたまま言います。
「俺は、舌はぬかない」
「で、ですよねー……」
あはは、と、わたしは誤魔化すように笑いました。
閻魔さまが無表情にだれかの舌を切りおとしているところを想像すると、とても怖いです。
わたしの内心の震えにもかまわず、閻魔さまはぽつりとおっしゃいました。
「……まあ、親父はやっていたみたいだが、俺は他人の舌をさわるのは御免こうむる」
「そうだったんですね~、うん。それが良いと思いますよ、わたしは!」
それにしても膝の上だと、近すぎて困ります。
できるだけ距離をとろうと閻魔さまの胸や肩を押しているのですが、閻魔さまは細身にみえて筋肉があるらしく、びくともしません。
「おいおい、閻魔。そうじゃなくて、いまの話にあきらかにおかしな点があったろう」
そう呆れたように告げたのは、メイさんでした。
「――確かに」
シロくんも、そう同意します。
「ど、どこが、おかしかったですか?」
わたしの問いに、メイさんは緋色の髪の襟足をかきながら、面倒くさそうに答えました。
「べとべとさん」
「……ああ」
「あいつは、人間を殺すような妖怪じゃないぜ」
メイさんの言いようは、まるで知り合いの話をしているようでした。
「もしかして、お知り合いですか?」
わたしを殺した相手とメイさんが仲良しだとしたら、かなり複雑な心境です……。
「ああー、まぁ。知り合いかなー……俺の家のご近所さんだから」
「な、なるほど……」
わたしは、あいまいな返答をしました。
地獄はいろんな妖怪の棲家です。
閻魔さまの側近のメイさんと、べとべとさんがご近所付き合いをしていても、ふしぎではないです。
シロくんは椅子に腰かけたまま黙りこくっていましたが、わたしにむかって思慮深げに口をひらきました。
「人間たちは、どうにもぼくたちのことを誤解しているようですね。われわれ妖怪は、基本的に人間たちのいる世界に行くことはできないんですよ」
「そうなのですか……?」
わたしは目をまるくして、シロくんに聞き返しました。
「――ええ。より正確にいうならば、行くことはできるけれど、禁じられているということです。もし行って人間たちに悪さをすれば、刑吏たちの手によって滅ぼされてしまいますので」
シロくんは手元にある巻き物を見下ろしながら、語りつづけます。
「神から見放された者を、外道――妖怪、魔縁とも呼びます。われわれは輪廻をゆるされず、この身が滅びるまで、終生、地獄で暮らします。この幽世の王たる存在が、閻魔王です」
神に見放されているとぼやきながらも、シロくんの口調はまったく不幸そうに感じられません。
「妖怪は、地獄で生まれることもあれば、人間世界でうまれ落ちることもあります。ただし、人間とともに暮らすことはできません。我々のように妖怪の中でも知的階級にあたる者たちをのぞけば、たいていの妖怪たちは己の欲に忠実であり、他の生き物に悪さをしてしまうからです」
メイさんは、シロくんの言葉にうなずきました。
「まあ、俺たちは妖怪の中では貴重なタイプだよな」
「そうなんですか~、すごいですねぇ」
わたしが褒めたたえると、メイさんはごほん、と咳払いをしました。彼の頬がすこし赤らんでいます。
「妖怪だって、地獄でうまく周囲と共存しているやつも多いってことだ。べとべとなんかも、そういうグループに入るだろうな。――あいつは悪いやつじゃない。俺が保証する」
そう断言されてしまっては、何も言えなくなります。
そうすると、私を刺したのはべとべとさんではないということになるのでしょうか?
「そもそも、ですよ。乙葉さんは天命録にも記録がないんですよ。こんなことは前例がありません」
シロくんは面倒くさそうに、ため息を落としました。
天命録というのは、人間たちのいうところの閻魔帳というやつです。人間の寿命を記した巻き物で、輪廻する全ての者たちの詳細が記されているそうです。現在、どこの六道にいるのかなども、わかってしまうらしいです。
わたしが死んで最初にここにやってきたときに、シロくんにこう言われました。
『乙葉さん、あなたには死んだという記録がありません』
『じゃあ、わたしは生きているということですか?』
わたしが地獄に落ちたのは、何かの間違いということでしょうか。
そう期待して聞いたのに、返ってきたのは否定のことばでした。
『――いいえ、残念ながら、生きていたという記録もありません』
『ええっ? つまり、どういうことですか……?』
『あなたは、本来、存在しないはずの人間ということです』
……まったく理解できません。
わたしは確かに、生きていたはずです。
物心ついてから、今までの記憶もしっかりと持っています。
しかし、生きている記録も死んだ記録もない以上、裁判はできません。
裁判を無期限の延期にされて、わたしは地獄から出ることもできず、閻魔さまのお屋敷にご厄介になっているという次第です。
そして、タダで寝食のお世話をされている身ではたいへん心苦しく、閻魔さまの小間使いに志願しているのですが……。
閻魔さまのおうちは、女中さんがいるので、わたしがやれることはほとんどない、という悲しい事実。
せいぜいわたしにできることは、閻魔さまに呼びつけられた際に、おそばに侍ることくらいです。
それでも閻魔さまはわたしにお茶汲みをさせるでもなく、ただお膝にのせたり、頭を撫でることくらいしか、なさりませんが……。
閻魔さまは、とにかく無表情です。
――楽しんでいらっしゃるのでしょうか?
シロくんは、なおもおっしゃいます。
「本当に、乙葉さんに関しては不可解なことばかりです。天命録に沿わない死をとげた者は、これまでもいないわけではありません。まあ、それでも稀なことですが。しかし、生きた記録すらないとなると、まったく手の打ちようもなく……」
「調査の進捗状況はどうなっているんだ、シロ?」
メイさんの言葉に、シロくんは眉根をよせました。
「いぜんとして、配下から、色よい返事はありません。成果はゼロに等しいですね」
メイさんはあごに手をあてて、うなりました。
「ふむ……。乙葉ちゃんの件を保留にしてから、もう一カ月にもなる。いい加減、どうにかしてやりたい気持ちは山々なのだがなぁ」
……まだまだ、わたしの事件は保留になりそうです。
わたしは、お仕事の邪魔をしないよう、話が終わったときを見計らい、その場から去りました。
* * *
「……どう思う?」
俺は乙葉ちゃんが法廷から去っていく後ろすがたを見つめながら、閻魔とシロにそう問いかけた。
シロはずれてしまった大人用の司録の冠の位置を直していた。
「不可解、としか言いようがありません」
「そうだな」
乙葉ちゃんを疑うわけではないが、べとべとは人間を傷つけたりしない。
けれど、もしも乙葉ちゃんが嘘をのべていないとすると――。
導ける答えは、ただひとつだ。
「……人間は、信じたいと思ったものを見る」
閻魔は淡々と言う。
「乙葉が真実の話をしているならば、それは『乙葉の目には、そう見えたもの』というだけの話だ。客観的には、それは事実ではない」
人間は見たくないものは、意識が拒否する。
記憶すら改ざんする。
――それは、防衛本能ゆえに。
「乙葉を殺したのは、乙葉にとって都合の悪い人物だ。――乙葉の周囲をもういちど、くまなく探せ」
閻魔の瞳が光った。
思わずひれ伏したくなるほどの、威力がある。
俺とシロはその場に膝をつき、閻魔の言葉に従った。