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過去(後編)

 基本的に施設の子供たちは4人部屋か、6人部屋です。

 涼くんは高校生で勉強にも力を入れなければならないということで、中学生の男の子とのふたり部屋です。

 わたしはノックをして部屋に入りましたが、そこには中学生のアラタくんがひとりで漫画を読んでいました。


「あれ? 涼くんは?」


「涼にぃは荷物だけ置いて、出ていったよ」


「あらまぁ、そうなのですか」


 あてが外れてしまいました。

 しかも玄関はリビングの扉から見える位置にあるはずなのに、わたしは出ていったことにまったく気づきませんでした。

 はて……?

 それとも、忍者のように廊下の窓から出ていったのでしょうか。

 仕方ありません。


「アラタくん、わたし少しスーパーに行ってお肉を買ってきますので、子供たちを見ていてもらえませんか?」


「いいよー。いってらー」


 アラタくんは、そう軽くうなずいてくれました。


「では、お願いしますねー」


 わたしはアラタくんに手をふって、自室に上着を取りに戻ろうとしました。

 わたしの部屋は、アラタくんたちと同じ二階の角部屋です。

 なんと、ひとり部屋です。

 わたしだけ特別扱いだ、と文句を言われそうですが、高校を卒業と同時に相部屋だったお姉さんが出ていってしまい、次の相手が決まるまでのあいだ、期間限定のひとり部屋となっているのです。

 薄暗い廊下をまがると、わたしは足を止めました。

 ――わたしの部屋の扉がすこしだけひらいており、中から明かりが漏れていたのです。

 わたしはまた誰かが『いたずら』や『隠れんぼ』で部屋に忍び込んだのだろう、と思いました。

 だから、むしろ相手を驚かせてやろうと、忍び足で扉に近づき、そうっとひらきます。

 そこにいたのは、意外なことに、涼くんでした。

 彼はわたしの机の前で、何かを熱心に見おろしています。


「りょう……くん?」


 わたしは、彼に呼びかけました。

 涼くんは、背中をびくりと震わせて、さっとこちらに振り向きました。心なしか、顔色が悪いように見えます。


「どうしました? さっき、お部屋に呼びに行ったのですよ。って……」


 ふと、涼くんが手にしているものが、目に留まりました。

 それは、書きかけの手紙です。

 ――わたしが書いたもので、間違いないはずです。

 まだ途中だったので、今朝、机の上に置いたままにしてしまいましたから……。

 でも、なぜ、涼くんがそれを読んでいるのでしょう。

 わたしの困惑に気付いたのか、涼くんはどこかあざけるような笑みを口元にひろげました。


「お前は……まだ、親なんて信じているのか?」


 涼くんは、わたしの手紙をひらひらと弄ぶようにつまんでいます。


「……まだ……って」


 わたしは何ともいえない心地になって、半端な笑みを浮かべました。たぶん、うまく笑えなかったと思います。


「どうして、そんなことを?」


「お前はいつも、親に手紙を書いているよな? 渡す相手なんていないのに」


 心のやわらかい部分が、傷つけられたのを感じました。

 わたしが何も言えないでいると、涼くんは手紙をちいさくやぶって、わたしの頭上に投げました。

 はらはらと、舞い散る雪のようです。


「……なぜこんなことを、するんです?」


 わたしはそう聞くだけで、精一杯でした。

 感情を押し殺して、声がふるえないように気をつけるだけで、せいいっぱい。


「――お前が、嫌いだから」


 ……そうでしょうね。

 わたしは、道化のように笑いました。

 ――こんなときでも笑えるんです、わたしは。


「わたしの何が、お気に召しませんか……?」


 かつて、わたしたちは幼馴染と呼ばれる存在でした。

 誰よりも近くて、いつも何をするにも一緒にいました。

 中学生になってからでしょうか、今のようにギスギスした関係になったのは。


「――わたしだって、涼くんのこと……きらいですよ」


 喉の奥からしぼりだすように、わたしは言いました。

 涼くんは口をひらけば、わたしの悪い部分ばかり指摘します。

 誰だって、嫌われて平気な人なんていません。

 ――それは、悪いことではないでしょう?

 ――“お互いさま”でしょう?

 ええ、だから、わたしは涼くんを嫌います。


「わたしは……涼くんが……せかいで一番、嫌いです」


 生まれてはじめて、だれかに『嫌い』だと、はっきり言ってしまいました。

 たとえ閻魔さまに舌をぬかれても。

 そのときばかりは、そう告げなければ気がすみませんでした。

 本当は、憎みきれない自分にも気づいているのに。目を背けて嫌いなところばかり、心の中にあげつらっていきます。

 そして涼くんは、わたしにむかって、久しぶりの笑顔をむけました。

 とてもとても、うれしそうな笑顔で、


「光栄だ」


 ――と。



  * * *



 わたしは自分の部屋から飛び出しました。

 途中で、上着を持ってこなかったことに気づきました。

 走っていたから雪がちらついていても寒くはなかったし、何より、わたしにしては、らしくもなく自棄やけになっていたのです。

 吐く息が白く、闇夜にたちのぼっていきます。

 もうこよみの上では春のはずなのに、その夜は冬がぶり返したかのように空気が凍えていました。


「あぁ……っ」


 わたしは立ち止まり、両手をひざにつきました。

 その拍子に落ちてしまった涙を、手の甲でぬぐいます。そしてすぐに、何事もなかったように歩き出しました。

 じっさい、些細ささいなことなのです。

 世の大半のことは、そう振りはらうことができることばかりだと――わたしは、すでに知っているのですから。


《 いきはよいよい かえりはこわい

    こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ…… 》


 それでもささくれだった心は、わたしに『とおりゃんせ』を歌わせます。

 ――言葉は引力がある。

 誰かが言ったせりふが、ふと脳裏をめぐりました。

『幽霊の話をしていたら、幽霊がやってくるよ』

 と、そう言ったのは、誰だったでしょうか。


 ――わたしがそのとき呼び寄せたものは、何だったのでしょう。

 

 気づけば、暗い通りには人っ子ひとりいません。

 閑静な住宅地とはいえ、家路につく会社員や学生とすれ違うことがあっても、おかしくない時刻だというのに。

 虫の鳴き声もなく、粉雪だけが舞い落ちています。

 まるで、この世界に自分ひとりしか、いなくなったかのように錯覚しました。

 ふと、心細さをおぼえて、足を止めたときのことです。

 やはり、戻りましょう。涼くんにも謝って――そう考えながら、振り返ろうとしたとき。

 わたしの背中に、何かがぶつかりました。

 激しい痛みが腹部をつらぬきました。

 そこに立っていたのは、人型の闇でした。


「あ、あぁ……」


 わたしは、その場に倒れ込みました。


「だ、れ……?」


 痛みをこらえながら、その暗闇を見上げました。

 わたしの手がぬるま湯につけたようにあたたかいです。

 お腹から血が出ているようでした。押さえても、押さえても、あとからどんどん血があふれていきます。


 痛みに呻いていると、身体を引っぱり上げられそうになりました。

 わたしの身体を半ば抱き上げるような形で、そのひとは、わたし腹部の傷口を撫でています。まるでなぐさめるような優しい手つきに、背筋がぞわりとしました。

 ――おかしい。

 異常、です……。

 だって、刺した相手の傷口に優しく広げるように、撫でているのですから。

 怖くて怖くて仕方がないはずなのに……どうして、わたしの気持ちは安らいでいるのでしょうか?


 すぐ近くにいる犯人なのに、わたしにはそのすがたがよく見えません。

 血が抜かれすぎて、視界が不明瞭なせいもあるのでしょうか。

 けれど、まっくらで。

 周囲に溶け込むように、そのひとは闇の中で。


 わたしは、もてる力を駆使して、そのひとの顔に指を伸ばしました。

 口元、鼻筋、目――。

 どれもそこにあるのに、街灯の明かりは道路やすぐそばの塀を照らしているのに、どうしてか、そのひとのすがたがわからないのです。

 ああ、もしかして……。


「べとべと、さん……?」


 べとべとさんは、夜道を背後からついてくる妖怪さんだと言われています。

 もしも夜に出会ったら、「べとべとさん、お先へどうぞ」と言わなければいけないのです。

 もしも、言わなかったら――。


 ……あれ?

 どうなる、ん、でしたっけ……?

 誰かが話していた、はずなのに。

 つづきが、おもいだせません。


 からだが、雪のなかに、とけていくようです。

 雪にぬれた道路のつめたさも、いまは、ここちよくて。


「わたしは……しにます……か?」


 べとべとさんは、わたしをずっと、見下ろしています。

 だんだん、視界がぼやけていきます。

 なにか、いわれたようなきがしますが、きこえません。


 ――しんだら、どこへ、いくんでしょうか?


 みんなを、のこしていくのは、いやですね……。

 それに、けんかしたままなんて。

 やっぱり、わたしは……。

 りょうくんに、ごめんなさい、と。いいたくて。

 

 けれど、にんげんは。

 いつしぬかなんて、えらべないのです。

 どこへいくかも。

 わたしには、けんとうも、つきません。



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